9 / 14
九
しおりを挟む
身体に冷たく硬い感触があった。目を開くと、タイル張りの薄汚れた床が見えた。
葛城は、自分が床に倒れていることに気づいた。
「痛っ……」
ところどころ傷む身体をおして、ゆっくりと起きる。
ぼんやりする頭を振った。
見れば、ピヨンもすぐ傍らで倒れていた。
「おいピヨン、大丈夫か?」
ピヨンを抱き上げて声をかける。
「う~~~ん……のぉ~~びぃ~~~~るぅ~~……」
うなされているが、どうやら単に目を回しているだけのようだ。
「安心しろ、どこも伸びてない。ちゃんと丸いままだ」
「丸くねぇよ!」
カッと目が開いて、ピヨンが跳ね起きた。
「それだけ元気があれば、平気だな」
ピヨンを置いて立ち上がり、周囲を見回してみる。
あれだけ居たプシュケーたちの姿は、影も形もなくなっていた。
「……はあ、流石にもうダメかと思ったけど……良く生きてたわ、あたしたち」
プシュケーにむしられてしまったのだろう、所々ササクレ立ってしまった自分の毛並みを見て、ピヨンが涙目で言った。
「……っていうか、ここどこ? なんだか広い部屋みたいだけど」
「たぶん、食堂だ」
「たぶん?」
「だいぶ様子が変わっているから。でも間違いない、寮の食堂だ」
無造作に天井まで積み上げられた、テーブルと椅子の奇怪なオブジェクト。
散乱した壊れたたくさんの携帯電話。
葛城の知っている整頓された食堂とはかなり趣が異なっている。だが部屋の広さ、食堂の奥にある厨房とやり取りをするところなど、よく見ればつくりはそのままだ。
「食堂か。なるほどね、確かにここならプシュケーどもは入ってこれないわね」
「入ってこれない? なぜだ?」
「あいつらって人の悪意の具現みたいなものだから、その真逆の属性、希望とか幸福感、善意の感情が集まりやすい場所は苦手なのよ」
「……? よく分からないが、食堂は希望が集まるのか?」
「どちらかというと幸福感ね、この場合。大抵の人間は食べてるときって、幸せを感じるものでしょ?」
「言われてみれば」
「あいつらはそういったプラス方向の感情が留まる場所には、基本的に近づいてこないの。逆にマイナス方向の感情が貯まりやすい場所には簡単に侵入してくるわ」
「不思議な奴らなんだな」
そんなものなのか、といったところで葛城は適当な椅子に腰かけた。
ひとまずは安全ということだし、一息ついても問題はないだろう。
流石に走り疲れたのもあるし、なによりどうやって一瞬で自分がここにきたのか、ピヨンに聞きたい。
「ピヨン、聞きたいことがあるんだが、いいか?」
「うん、何? プシュケーのこと?」
「いや、それはさっき聞いたし、多分詳しく説明されてもよく分からないと思うからいいんだ」
「それじゃ、何?」
「俺たちはついさっきまで廊下にいたじゃないか? ……居たよな?」
「うん、いたよ?」
「それが気づけば、なぜかこうして食堂にいる。俺にはどうにもそこが分からなくて、一体どんな魔法を使ったんだ?」
葛城の問いに、ピヨンがおかしそうに笑った。
「あはは、魔法なんかじゃないってば。それはね……」
と、ピヨンが落ちていた葛城の携帯電話を拾いあげて言った。
「これのおかげ」
「俺の携帯?」
「そ、携帯。正確には携帯そのものじゃなくて、この中の“あるアプリ”の力なんだけどね。それを使って、ソーとあたいはここにムーブ……つまり移動してきたの」
「アプリ……っていうと、さっきのりんごの形をしたやつか」
「そうそう、よく覚えてたわね」
「実家にいるときに色々と教わったから。最近の携帯は便利なんだって」
葛城の言い方に、ピヨンが複雑そうな表情をした。
「いや、まあー、便利といえば便利……なんだろうけど。……なんだろう、なんかそうやってさらーっと一言で片づけられちゃうと、釈然としない気もするわね……」
ピヨンからすれば、もっと葛城が驚いたり、信じられない! みたいな反応があると踏んでいたのに、予想に反して彼の反応はいまひとつ鈍いようだ。
「どうかしたか?」
「ううん、なんでもない。それはそれとして、他にもあっちとセレニティの行き来にもこのアプリを使うんだ」
「行き来?」
「うん」
「どこと、どこをだって?」
「ソーの世界とセレニティ」
「俺の世界? セレニティ? なんだそれ?」
「え?」
「え?」
互いにきょとんとした顔で、見つめあうことしばし。
ピヨンがハッとなって言った。
「まさかと思うけど、もしかしてソー、自分がいま別の世界に来てることに気づいてない?」
「別の世界? へえ、そうだったのか? 全然気づかなかった」
「またまた……冗談でしょ?」
「冗談じゃないぞ? まったく分からなかった」
「少しも? ほんのこれっぽっちも思わなかった?」
「思わなかったな」
「えええええーーっ!?」
両羽を広げて驚くピヨンに、葛城が不思議そうに尋ね返す。
「そんなに驚くところか?」
「じゅーっぶん、驚くところよ! だって、どおおおー考えたっておかしいでしょっ?! 周り見てみなさいよ。こんな真夜中に電気も点いてないのに明るいのよ?!」
「明るいね」
「壁がヒビだらけだったり剥げてたり、おかしな感じでテーブルとか椅子が積み上がっちゃったり、なんかこう……おどろおどろしい感じするでしょ?! 怖いでしょ? 怖いわよね?! あたいは怖い!!」
「ああ、怖いんだ」
「しかも大量のマネキンがわっさーって襲ってきたのよ?! おかしいところが山盛り満載じゃない?!」
「ああ、それなら思ったぞ? ひとりでにマネキンが動いてるなー、不思議だなあー? って」
「『動いてるなー? 不思議だなあー?』っじゃないわよっ!」
トコトコ近づいてきたピヨンがぺしぺし! と両羽で葛城の膝を叩く。
「でもピヨン、こっちじゃこれが普通なのかもしれないじゃないか」
「普通なわけあるかーいっ!」
即答だった。
「どこをどう考えたら普通かもしれないなんて結論になるわけ?! いったいどんな常識してんの?!」
「どんな常識って言われてもなぁ……」
まさかしゃべるペンギンに常識を問われる日が来るとは……
ピヨンを見つめながら、葛城が頭を掻く。
それに、と葛城が続けた。
「そもそもお前に叩き起こされてから、訳も分からずいきなり襲われて、逃げ出して、あれよあれよと今に至るわけで。ちゃんと教えてくれれば、俺だって理解するさ」
「それもそうよね……」
ピヨンは葛城の近くの椅子に腰かけると、重く息をついた。
そして深く頭を下げた。
ごめんなさい、と。
「……どうしたんだ、急に?」
「ソーを巻き込んだのは、実はあたいなんだ」
「……ともかく、順序立てて事情を話してもらえるか? いまのままじゃ俺も何が何だかよく分からないから。俺を巻き込んだにせよ、何か理由があったんだよな?」
うん、とピヨンが頷く。
「ソーじゃなきゃダメだったんだ。だから聞いて欲しい……ううん、聞いてください。この世界“セレニティ”のこと。それと、どうしてあたいがソーの前に現れたのかということ」
それは、いままでのピヨンの言動からは想像もできないような、厳しく、どこか悲しみのこもった口調だった。
葛城は、自分が床に倒れていることに気づいた。
「痛っ……」
ところどころ傷む身体をおして、ゆっくりと起きる。
ぼんやりする頭を振った。
見れば、ピヨンもすぐ傍らで倒れていた。
「おいピヨン、大丈夫か?」
ピヨンを抱き上げて声をかける。
「う~~~ん……のぉ~~びぃ~~~~るぅ~~……」
うなされているが、どうやら単に目を回しているだけのようだ。
「安心しろ、どこも伸びてない。ちゃんと丸いままだ」
「丸くねぇよ!」
カッと目が開いて、ピヨンが跳ね起きた。
「それだけ元気があれば、平気だな」
ピヨンを置いて立ち上がり、周囲を見回してみる。
あれだけ居たプシュケーたちの姿は、影も形もなくなっていた。
「……はあ、流石にもうダメかと思ったけど……良く生きてたわ、あたしたち」
プシュケーにむしられてしまったのだろう、所々ササクレ立ってしまった自分の毛並みを見て、ピヨンが涙目で言った。
「……っていうか、ここどこ? なんだか広い部屋みたいだけど」
「たぶん、食堂だ」
「たぶん?」
「だいぶ様子が変わっているから。でも間違いない、寮の食堂だ」
無造作に天井まで積み上げられた、テーブルと椅子の奇怪なオブジェクト。
散乱した壊れたたくさんの携帯電話。
葛城の知っている整頓された食堂とはかなり趣が異なっている。だが部屋の広さ、食堂の奥にある厨房とやり取りをするところなど、よく見ればつくりはそのままだ。
「食堂か。なるほどね、確かにここならプシュケーどもは入ってこれないわね」
「入ってこれない? なぜだ?」
「あいつらって人の悪意の具現みたいなものだから、その真逆の属性、希望とか幸福感、善意の感情が集まりやすい場所は苦手なのよ」
「……? よく分からないが、食堂は希望が集まるのか?」
「どちらかというと幸福感ね、この場合。大抵の人間は食べてるときって、幸せを感じるものでしょ?」
「言われてみれば」
「あいつらはそういったプラス方向の感情が留まる場所には、基本的に近づいてこないの。逆にマイナス方向の感情が貯まりやすい場所には簡単に侵入してくるわ」
「不思議な奴らなんだな」
そんなものなのか、といったところで葛城は適当な椅子に腰かけた。
ひとまずは安全ということだし、一息ついても問題はないだろう。
流石に走り疲れたのもあるし、なによりどうやって一瞬で自分がここにきたのか、ピヨンに聞きたい。
「ピヨン、聞きたいことがあるんだが、いいか?」
「うん、何? プシュケーのこと?」
「いや、それはさっき聞いたし、多分詳しく説明されてもよく分からないと思うからいいんだ」
「それじゃ、何?」
「俺たちはついさっきまで廊下にいたじゃないか? ……居たよな?」
「うん、いたよ?」
「それが気づけば、なぜかこうして食堂にいる。俺にはどうにもそこが分からなくて、一体どんな魔法を使ったんだ?」
葛城の問いに、ピヨンがおかしそうに笑った。
「あはは、魔法なんかじゃないってば。それはね……」
と、ピヨンが落ちていた葛城の携帯電話を拾いあげて言った。
「これのおかげ」
「俺の携帯?」
「そ、携帯。正確には携帯そのものじゃなくて、この中の“あるアプリ”の力なんだけどね。それを使って、ソーとあたいはここにムーブ……つまり移動してきたの」
「アプリ……っていうと、さっきのりんごの形をしたやつか」
「そうそう、よく覚えてたわね」
「実家にいるときに色々と教わったから。最近の携帯は便利なんだって」
葛城の言い方に、ピヨンが複雑そうな表情をした。
「いや、まあー、便利といえば便利……なんだろうけど。……なんだろう、なんかそうやってさらーっと一言で片づけられちゃうと、釈然としない気もするわね……」
ピヨンからすれば、もっと葛城が驚いたり、信じられない! みたいな反応があると踏んでいたのに、予想に反して彼の反応はいまひとつ鈍いようだ。
「どうかしたか?」
「ううん、なんでもない。それはそれとして、他にもあっちとセレニティの行き来にもこのアプリを使うんだ」
「行き来?」
「うん」
「どこと、どこをだって?」
「ソーの世界とセレニティ」
「俺の世界? セレニティ? なんだそれ?」
「え?」
「え?」
互いにきょとんとした顔で、見つめあうことしばし。
ピヨンがハッとなって言った。
「まさかと思うけど、もしかしてソー、自分がいま別の世界に来てることに気づいてない?」
「別の世界? へえ、そうだったのか? 全然気づかなかった」
「またまた……冗談でしょ?」
「冗談じゃないぞ? まったく分からなかった」
「少しも? ほんのこれっぽっちも思わなかった?」
「思わなかったな」
「えええええーーっ!?」
両羽を広げて驚くピヨンに、葛城が不思議そうに尋ね返す。
「そんなに驚くところか?」
「じゅーっぶん、驚くところよ! だって、どおおおー考えたっておかしいでしょっ?! 周り見てみなさいよ。こんな真夜中に電気も点いてないのに明るいのよ?!」
「明るいね」
「壁がヒビだらけだったり剥げてたり、おかしな感じでテーブルとか椅子が積み上がっちゃったり、なんかこう……おどろおどろしい感じするでしょ?! 怖いでしょ? 怖いわよね?! あたいは怖い!!」
「ああ、怖いんだ」
「しかも大量のマネキンがわっさーって襲ってきたのよ?! おかしいところが山盛り満載じゃない?!」
「ああ、それなら思ったぞ? ひとりでにマネキンが動いてるなー、不思議だなあー? って」
「『動いてるなー? 不思議だなあー?』っじゃないわよっ!」
トコトコ近づいてきたピヨンがぺしぺし! と両羽で葛城の膝を叩く。
「でもピヨン、こっちじゃこれが普通なのかもしれないじゃないか」
「普通なわけあるかーいっ!」
即答だった。
「どこをどう考えたら普通かもしれないなんて結論になるわけ?! いったいどんな常識してんの?!」
「どんな常識って言われてもなぁ……」
まさかしゃべるペンギンに常識を問われる日が来るとは……
ピヨンを見つめながら、葛城が頭を掻く。
それに、と葛城が続けた。
「そもそもお前に叩き起こされてから、訳も分からずいきなり襲われて、逃げ出して、あれよあれよと今に至るわけで。ちゃんと教えてくれれば、俺だって理解するさ」
「それもそうよね……」
ピヨンは葛城の近くの椅子に腰かけると、重く息をついた。
そして深く頭を下げた。
ごめんなさい、と。
「……どうしたんだ、急に?」
「ソーを巻き込んだのは、実はあたいなんだ」
「……ともかく、順序立てて事情を話してもらえるか? いまのままじゃ俺も何が何だかよく分からないから。俺を巻き込んだにせよ、何か理由があったんだよな?」
うん、とピヨンが頷く。
「ソーじゃなきゃダメだったんだ。だから聞いて欲しい……ううん、聞いてください。この世界“セレニティ”のこと。それと、どうしてあたいがソーの前に現れたのかということ」
それは、いままでのピヨンの言動からは想像もできないような、厳しく、どこか悲しみのこもった口調だった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
2
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる