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第一章
空を舞う蝶
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モクレンに案内された花街は、モクレンの住む町とは少し離れた場所にあった。
煌びやかな灯りが宙に浮いていて、華やかな衣装を着た遊女が部屋の中からお客を呼んでいる。
そんな華やかな場所を通り過ぎ、裏道に入り、それから門が見えた。
「ここから入って、石作りの小さな家が見えるはずだ。仕事場所はそこ。まずは、風呂な。」
そうして、少し戻った場所にある綺麗なお店にモクレンは入って行く。
「あら、モクレンくん。今日はどうしたの?」
「裏にちょっとな。この子、俺のところの従業員なんだけど風呂貸してくれ。」
出てきた女性は顔を曇らせると、リーラを見た。
「ああ、彼女のところに行くのね。いいわ、こちらにいらっしゃい。」
「この人について行けばいいから。風呂入ったら、さっき見せた門の中に入ればいい。あとは任せる。」
モクレンはそう言って、店を出て行ってしまった。
リーラは女性の後をついて行きながら、周りを見回す。
色んな女性が働いている、それこそ遊女以外のお手伝いさんもいるみたいだ。
「お嬢ちゃん、相当訳ありなんだね。」
「え?」
前を歩く女性はすたすたと廊下を進んでいく。
「ここで働く遊女以外の子は、モクレンくんが連れてきた子もいるんだよ。女性がたくさんいれば、味方になってくれる人もいるからね。でも、お嬢ちゃんのように従業員だなんて紹介した子は今までいないよ。つまり、よその店に任せておけないくらい訳ありってことだろう?」
そんな話はモクレンから聞いていない。
リーラが黙っていると、女性は溌剌と笑って見せた。
「安心しな、モクレンくんは悪い人じゃないよ。モクレンくんがそう判断したのには理由があるってだけ。そもそも、ここには訳ありな人間しかいないからね。さぁ、ここが風呂だよ。数日はここにいるんだろ?好きに入んな。」
案内された広い浴室は、初めて見る黒い石の浴槽だった。
10人は入れるだろうその浴槽におそるおそる入っていると、近くに女の子が入ってきた。
「あれ?いつもとお湯が違う・・・。」
女の子がそう呟いたが、リーラには何のことか分かるはずもない。
ゆっくりしている暇もないので、リーラは早々に上がって、裏に行くことにした。
重たい門を押して入ると、中には古びた石造りの家が建っていた。
植物の蔦が壁に這っていて、あまり手入れされている印象はない。
木材の扉をノックして入れば、中には蝋燭の明かりがてんてんとついている。
ほの暗い廊下を進んでいくと、そこにはもうひとつ扉があった。
もう一度ノックすれば、中からか細い鈴のような声が聞こえた。
「どうぞ。」
「失礼します。」
リーラが中に入ると、そこには殺風景な小さな部屋があった。
奥にベッドが一つ。
そのベッドに横たわる女性がいた。
ゆっくりこちらを向いたその女性の顔半分は、皮膚がボロボロに崩れていた。
「初めまして、モクレンさんのところで働いています、リーラです。今回はお医者様がいない数日間、生活を手伝わせて頂きます。」
「そうですか。」
女性は静かにそう言うと、体をゆっくりと起き上がらせた。
まずは、体を拭くところからかな。
「体を拭く準備しますね。」
リーラはそう言って、モクレンに持たされた清潔なタオルを準備した。
別の部屋に行き、湯を沸かしてから温度を水で調整する。
桶に用意した丁度いいお湯を持って、部屋に戻ってきた。
「それじゃあ失礼します。」
リーラは女性の腕から、丁寧に拭き始めた。
女性はどこか戸惑っているようだった。
「・・・よく触れますね。」
そんな小さな呟きが聞こえて、リーラは首を傾げる。
「体を拭くのも項目の一つなので。」
「そうだとしても、こんな見た目ですから。」
確かにリーラが拭いている腕も、皮膚が剥がれている。
気を付けないと、タオルで拭った拍子にボロボロと落ちてしまいそう。
「痛いですよね、なるべく優しく触るんで。」
慎重に慎重に、そんな触り方をしたリーラを見て女性は少しはにかんだ。
「変な人。普通はこんなにべたべた触れないですよ。」
「え、触らないと拭けないでしょ。」
そんな返事をすれば女性は、リーラの目を見た。
「私はカレンデュラ、カレンって呼んでもらえる?」
カレンは基本的にベッドの上から動けなかった。
痛みがあるのもそうだが、動けば皮膚が崩れてしまうからだ。
「薬塗りますね。」
薬には塗布するタイプのものと、飲み薬があった。
食事の際には飲み薬の痛み止めを飲むようだ。
カレンはずっとベッドの上にいるから体力が落ちている。
だから栄養の高いものを取る必要があるのだが、彼女に与えられた最低限の食材ではそれが難しい。
だからリーラは、花街の町を少し抜けた道に生えている植物を引っこ抜いてきた。
その植物を混ぜた雑炊を見て、カレンは首を傾げる。
「いつもと、食材が違うような。」
「野草を引っこ抜いてきました。ちゃんと食べられますよ、私の農村では普通に食べてました。」
「ふふ、そうなの?いただきます。」
カレンは疑うことなくリーラの作った食事を食べ、飲み薬もちゃんと服用した。
数日するとカレンは笑うことが増えた。
「なんだか体が軽いわ。どうしてかしら。」
「あの野草には鎮静効果があるらしいです。もしかしたら、それのおかげですかね。」
「そんな植物があるのね、知らなかった。」
リーラに体を拭かれながらカレンはとても心地よさそうにしていた。
「でも私、リーラの手が一番効果があるって思うの。」
「私の手、ですか?」
「ええ、だって、リーラが触れていてくれると何故だか気持ち悪いのが消えていくみたい。」
カレンはそう言うが、リーラの手はへんてつもないただの手だ。
すると、カレンは言い淀む。
「あの、あのね、リーラ。」
「はい、なんですか。」
カレンは迷って、迷って、それから、小さな声で言った。
「嫌なら断ってくれていいの、その、あのね、私を抱きしめてくれないかしら?」
あまりに小さくて聞き逃しそうなものだが、リーラは決して聞き逃すことはない。
「あ、あの、やっぱり今のは聞かなかったことに・・・っ。」
リーラは既にカレンを抱きしめていて、そうしてカレンの体をしっかりと包み込んでいた。
宙をさまよっていたカレンの手も、リーラの背中にゆっくりと回された。
「人のぬくもりなんて、いつぶりかしら・・・。」
リーラからカレンの顔を見ることは出来なかったが、その声は震えている。
カレンの涙がリーラの肩に落ち続けても、リーラはカレンを離さなかった。
そういえば私、抱きしめて貰った記憶ないな。
リーラはそんなことを想いながら、カレンの体をぎゅっとした。
次の日、カレンの部屋を開ければ急に目の前に光る蝶が現れた。
リーラが驚いて一歩下がると、カレンの可愛い笑い声が聞こえた。
「ふふ、驚かせてごめんなさい。」
そんなカレンの周りには同じように光る蝶が4匹飛んでいる。
「これは私の唯一得意な魔法よ。きらきら光る美しい蝶の幻覚を見せる。それだけだけどね。」
リーラは目の前を飛ぶ蝶から目を離せなかった。
あまりに綺麗で、手を伸ばせば、その幻覚の蝶はリーラの手に止まった。
「きれいですね、とっても。」
そんな無邪気なリーラの顔を見たカレンは、とても優しい顔で微笑んだ。
「そんなに見惚れてくれたの、妹以来だわ。」
リーラはベッドの側に行って、椅子に座った。
「私は他の魔法はてんで駄目で、体も弱いからいい働き手になれなかったの。だけど、遊女になれば私でも家族を支えられる金額を稼げた。この使えないと思っていた幻覚の魔法を綺麗だと言って指名してくれたお客さんだっていたわ。でも、神の灰にかかって、働けなくなって、私はもう二度と、妹に、家族に、会えない。」
ゆらりと落ちた蝶をリーラは手で掬う。
「家族に金を入れることが出来ない私が唯一できることは、家族の負担にならないことだから。だから私、死んだことになっているの。」
リーラの手の中の蝶がさらさらと消えていく。
「それでもお医者様が看てくれて、リーラが来てくれて。私はとても恵まれているわね。」
その言葉が本心か否かは分からない。
でもそれを口にできるだけの勇気がカレンにはあった。
「でも、ほんの少し、少しだけ、青空が見たくなるわ。」
そんなカレンの願いを、リーラは聞くことが出来ない。
そして次の日、カレンは少しだけ立てるようになっていた。
道に生えていた野草にそれほどの効果があるとは思えないが、カレンは嬉しそうだ。
「もう一度自分の足で立てるなんて、本当にすごいわ。リーラが毎日丁寧に薬を塗ってくれるから、調子がいいの。」
本当にすこしずつだが、カレンは立ち上がってよろよろと座る。
それができているだけでも凄い回復に思えた。
すぐに疲れてしまっていたお喋りも長くできるようになった。
一日の大半を寝て過ごしていたのが、リーラと起きている時間になった。
そうしてカレンは、美しい蝶をリーラの頭に乗せた。
「ここに鏡はないけれど、リーラに蝶の髪飾りがとても似合うわ。」
リーラは飛んでいる蝶を指にとまらせて、カレンの頭に乗せる。
「カレンさんも似合います、かわいいです。」
生まれて初めてリーラは女の子同士のやりとりをした。
だから、ぎこちないのは許して欲しい。
カレンはそんな慣れていないリーラを見て楽しそうに笑うのだ。
「ふふ、嬉しい。今の私にかわいいなんて、きっとリーラしか言ってくれないわ。」
「カレンさんは、かわいいです。本当です。」
ここに鏡がないのは、ボロボロに剥がれていく顔を見ないため。
リーラの目に映るカレンは確かに、皮膚が剥がれ落ちていた。
でも、楽しそうに微笑むカレンは、本当に可愛かった。
リーラの言葉に、嘘は一つもなかった。
次の日、医者が戻ってきた。
医者は立っているカレンを見て、言葉を失っていた。
医者は、リーラに向き直ると外を指さした。
「門の外でモクレンが待っている。今回はご苦労だった。」
ぶっきらぼうな言い方だが、ここで何かを言い返す必要はない。
リーラはカレンの手を取った。
「カレンさん、また会いに来てもいいですか。」
来れるかどうかなんてわからなかった。
それでも、リーラはカレンにまた会いたかった。
初めてできた、女の子の友達のように思っていた。
「嬉しいわ、私もリーラとまた、話したい。」
カレンもきっと、私がまた来れるかどうかなんて分からない。
それでもそう言ってくれたことが嬉しかった。
二つの扉を抜けて、門のところに向かうと外でモクレンが待っていた。
すると、モクレンがリーラの腕を掴んで引っ張った。
「え、なんですか?」
「仕事は終わりだ、帰るぞ。」
どこか焦ったようなその素振りを不審に思ったリーラは、その手を引いた。
「そんなに急ぐ理由はなんですか?」
「後で話す、とにかく早く行こう。」
門がゆっくりと閉まっていく。
そこから離れるようにモクレンはリーラを引っ張っていく。
その門が閉まる直前。
その中から、幽かな悲鳴が聞こえた。
リーラは思いっきり、モクレンの腕を引いた。
「待ってください、今の声、カレンさんだ。」
「リーラ、頼むから、帰ろう。」
そんなモクレンの手を振り払い、リーラは門を開けて中へ入った。
カレンが、燃えていた。
外に出たであろうカレンは、轟轟と音を立てて燃え上がっている。
その後ろには、さっき会った医者がいた。
「水魔法で消してあげて!!なんでそこに突っ立ってるの!!?」
リーラが井戸から水を汲みに行こうとすれば、その腕をモクレンが掴んだ。
「水に意味なんてない。あの炎は消せない。」
リーラの目の前でカレンが燃えていく。
劈くような悲鳴は、あのか細いすずのような可愛い声とは全然違った。
ボロボロと崩れていく皮膚が黒ずんで、地面にボタボタと落ちて。
「カレンさん!!!」
リーラが叫ぶと、炎の固まりがこちらを向いた気がした。
その瞬間、リーラの目の前に光る蝶が現れる。
息を飲んだそのとき、人型に燃えていたそれが崩れて、地面に崩れる。
目の前が霞んでいく。
息が上手く吸えない。
目から溢れていく涙が、頬を伝ってぼたぼた落ちる。
消えかかった蝶がゆっくりとリーラの手にとまって、そうして消えた。
声にならない叫びが喉奥から零れて。
リーラは初めて、誰かのために泣いたのだ。
煌びやかな灯りが宙に浮いていて、華やかな衣装を着た遊女が部屋の中からお客を呼んでいる。
そんな華やかな場所を通り過ぎ、裏道に入り、それから門が見えた。
「ここから入って、石作りの小さな家が見えるはずだ。仕事場所はそこ。まずは、風呂な。」
そうして、少し戻った場所にある綺麗なお店にモクレンは入って行く。
「あら、モクレンくん。今日はどうしたの?」
「裏にちょっとな。この子、俺のところの従業員なんだけど風呂貸してくれ。」
出てきた女性は顔を曇らせると、リーラを見た。
「ああ、彼女のところに行くのね。いいわ、こちらにいらっしゃい。」
「この人について行けばいいから。風呂入ったら、さっき見せた門の中に入ればいい。あとは任せる。」
モクレンはそう言って、店を出て行ってしまった。
リーラは女性の後をついて行きながら、周りを見回す。
色んな女性が働いている、それこそ遊女以外のお手伝いさんもいるみたいだ。
「お嬢ちゃん、相当訳ありなんだね。」
「え?」
前を歩く女性はすたすたと廊下を進んでいく。
「ここで働く遊女以外の子は、モクレンくんが連れてきた子もいるんだよ。女性がたくさんいれば、味方になってくれる人もいるからね。でも、お嬢ちゃんのように従業員だなんて紹介した子は今までいないよ。つまり、よその店に任せておけないくらい訳ありってことだろう?」
そんな話はモクレンから聞いていない。
リーラが黙っていると、女性は溌剌と笑って見せた。
「安心しな、モクレンくんは悪い人じゃないよ。モクレンくんがそう判断したのには理由があるってだけ。そもそも、ここには訳ありな人間しかいないからね。さぁ、ここが風呂だよ。数日はここにいるんだろ?好きに入んな。」
案内された広い浴室は、初めて見る黒い石の浴槽だった。
10人は入れるだろうその浴槽におそるおそる入っていると、近くに女の子が入ってきた。
「あれ?いつもとお湯が違う・・・。」
女の子がそう呟いたが、リーラには何のことか分かるはずもない。
ゆっくりしている暇もないので、リーラは早々に上がって、裏に行くことにした。
重たい門を押して入ると、中には古びた石造りの家が建っていた。
植物の蔦が壁に這っていて、あまり手入れされている印象はない。
木材の扉をノックして入れば、中には蝋燭の明かりがてんてんとついている。
ほの暗い廊下を進んでいくと、そこにはもうひとつ扉があった。
もう一度ノックすれば、中からか細い鈴のような声が聞こえた。
「どうぞ。」
「失礼します。」
リーラが中に入ると、そこには殺風景な小さな部屋があった。
奥にベッドが一つ。
そのベッドに横たわる女性がいた。
ゆっくりこちらを向いたその女性の顔半分は、皮膚がボロボロに崩れていた。
「初めまして、モクレンさんのところで働いています、リーラです。今回はお医者様がいない数日間、生活を手伝わせて頂きます。」
「そうですか。」
女性は静かにそう言うと、体をゆっくりと起き上がらせた。
まずは、体を拭くところからかな。
「体を拭く準備しますね。」
リーラはそう言って、モクレンに持たされた清潔なタオルを準備した。
別の部屋に行き、湯を沸かしてから温度を水で調整する。
桶に用意した丁度いいお湯を持って、部屋に戻ってきた。
「それじゃあ失礼します。」
リーラは女性の腕から、丁寧に拭き始めた。
女性はどこか戸惑っているようだった。
「・・・よく触れますね。」
そんな小さな呟きが聞こえて、リーラは首を傾げる。
「体を拭くのも項目の一つなので。」
「そうだとしても、こんな見た目ですから。」
確かにリーラが拭いている腕も、皮膚が剥がれている。
気を付けないと、タオルで拭った拍子にボロボロと落ちてしまいそう。
「痛いですよね、なるべく優しく触るんで。」
慎重に慎重に、そんな触り方をしたリーラを見て女性は少しはにかんだ。
「変な人。普通はこんなにべたべた触れないですよ。」
「え、触らないと拭けないでしょ。」
そんな返事をすれば女性は、リーラの目を見た。
「私はカレンデュラ、カレンって呼んでもらえる?」
カレンは基本的にベッドの上から動けなかった。
痛みがあるのもそうだが、動けば皮膚が崩れてしまうからだ。
「薬塗りますね。」
薬には塗布するタイプのものと、飲み薬があった。
食事の際には飲み薬の痛み止めを飲むようだ。
カレンはずっとベッドの上にいるから体力が落ちている。
だから栄養の高いものを取る必要があるのだが、彼女に与えられた最低限の食材ではそれが難しい。
だからリーラは、花街の町を少し抜けた道に生えている植物を引っこ抜いてきた。
その植物を混ぜた雑炊を見て、カレンは首を傾げる。
「いつもと、食材が違うような。」
「野草を引っこ抜いてきました。ちゃんと食べられますよ、私の農村では普通に食べてました。」
「ふふ、そうなの?いただきます。」
カレンは疑うことなくリーラの作った食事を食べ、飲み薬もちゃんと服用した。
数日するとカレンは笑うことが増えた。
「なんだか体が軽いわ。どうしてかしら。」
「あの野草には鎮静効果があるらしいです。もしかしたら、それのおかげですかね。」
「そんな植物があるのね、知らなかった。」
リーラに体を拭かれながらカレンはとても心地よさそうにしていた。
「でも私、リーラの手が一番効果があるって思うの。」
「私の手、ですか?」
「ええ、だって、リーラが触れていてくれると何故だか気持ち悪いのが消えていくみたい。」
カレンはそう言うが、リーラの手はへんてつもないただの手だ。
すると、カレンは言い淀む。
「あの、あのね、リーラ。」
「はい、なんですか。」
カレンは迷って、迷って、それから、小さな声で言った。
「嫌なら断ってくれていいの、その、あのね、私を抱きしめてくれないかしら?」
あまりに小さくて聞き逃しそうなものだが、リーラは決して聞き逃すことはない。
「あ、あの、やっぱり今のは聞かなかったことに・・・っ。」
リーラは既にカレンを抱きしめていて、そうしてカレンの体をしっかりと包み込んでいた。
宙をさまよっていたカレンの手も、リーラの背中にゆっくりと回された。
「人のぬくもりなんて、いつぶりかしら・・・。」
リーラからカレンの顔を見ることは出来なかったが、その声は震えている。
カレンの涙がリーラの肩に落ち続けても、リーラはカレンを離さなかった。
そういえば私、抱きしめて貰った記憶ないな。
リーラはそんなことを想いながら、カレンの体をぎゅっとした。
次の日、カレンの部屋を開ければ急に目の前に光る蝶が現れた。
リーラが驚いて一歩下がると、カレンの可愛い笑い声が聞こえた。
「ふふ、驚かせてごめんなさい。」
そんなカレンの周りには同じように光る蝶が4匹飛んでいる。
「これは私の唯一得意な魔法よ。きらきら光る美しい蝶の幻覚を見せる。それだけだけどね。」
リーラは目の前を飛ぶ蝶から目を離せなかった。
あまりに綺麗で、手を伸ばせば、その幻覚の蝶はリーラの手に止まった。
「きれいですね、とっても。」
そんな無邪気なリーラの顔を見たカレンは、とても優しい顔で微笑んだ。
「そんなに見惚れてくれたの、妹以来だわ。」
リーラはベッドの側に行って、椅子に座った。
「私は他の魔法はてんで駄目で、体も弱いからいい働き手になれなかったの。だけど、遊女になれば私でも家族を支えられる金額を稼げた。この使えないと思っていた幻覚の魔法を綺麗だと言って指名してくれたお客さんだっていたわ。でも、神の灰にかかって、働けなくなって、私はもう二度と、妹に、家族に、会えない。」
ゆらりと落ちた蝶をリーラは手で掬う。
「家族に金を入れることが出来ない私が唯一できることは、家族の負担にならないことだから。だから私、死んだことになっているの。」
リーラの手の中の蝶がさらさらと消えていく。
「それでもお医者様が看てくれて、リーラが来てくれて。私はとても恵まれているわね。」
その言葉が本心か否かは分からない。
でもそれを口にできるだけの勇気がカレンにはあった。
「でも、ほんの少し、少しだけ、青空が見たくなるわ。」
そんなカレンの願いを、リーラは聞くことが出来ない。
そして次の日、カレンは少しだけ立てるようになっていた。
道に生えていた野草にそれほどの効果があるとは思えないが、カレンは嬉しそうだ。
「もう一度自分の足で立てるなんて、本当にすごいわ。リーラが毎日丁寧に薬を塗ってくれるから、調子がいいの。」
本当にすこしずつだが、カレンは立ち上がってよろよろと座る。
それができているだけでも凄い回復に思えた。
すぐに疲れてしまっていたお喋りも長くできるようになった。
一日の大半を寝て過ごしていたのが、リーラと起きている時間になった。
そうしてカレンは、美しい蝶をリーラの頭に乗せた。
「ここに鏡はないけれど、リーラに蝶の髪飾りがとても似合うわ。」
リーラは飛んでいる蝶を指にとまらせて、カレンの頭に乗せる。
「カレンさんも似合います、かわいいです。」
生まれて初めてリーラは女の子同士のやりとりをした。
だから、ぎこちないのは許して欲しい。
カレンはそんな慣れていないリーラを見て楽しそうに笑うのだ。
「ふふ、嬉しい。今の私にかわいいなんて、きっとリーラしか言ってくれないわ。」
「カレンさんは、かわいいです。本当です。」
ここに鏡がないのは、ボロボロに剥がれていく顔を見ないため。
リーラの目に映るカレンは確かに、皮膚が剥がれ落ちていた。
でも、楽しそうに微笑むカレンは、本当に可愛かった。
リーラの言葉に、嘘は一つもなかった。
次の日、医者が戻ってきた。
医者は立っているカレンを見て、言葉を失っていた。
医者は、リーラに向き直ると外を指さした。
「門の外でモクレンが待っている。今回はご苦労だった。」
ぶっきらぼうな言い方だが、ここで何かを言い返す必要はない。
リーラはカレンの手を取った。
「カレンさん、また会いに来てもいいですか。」
来れるかどうかなんてわからなかった。
それでも、リーラはカレンにまた会いたかった。
初めてできた、女の子の友達のように思っていた。
「嬉しいわ、私もリーラとまた、話したい。」
カレンもきっと、私がまた来れるかどうかなんて分からない。
それでもそう言ってくれたことが嬉しかった。
二つの扉を抜けて、門のところに向かうと外でモクレンが待っていた。
すると、モクレンがリーラの腕を掴んで引っ張った。
「え、なんですか?」
「仕事は終わりだ、帰るぞ。」
どこか焦ったようなその素振りを不審に思ったリーラは、その手を引いた。
「そんなに急ぐ理由はなんですか?」
「後で話す、とにかく早く行こう。」
門がゆっくりと閉まっていく。
そこから離れるようにモクレンはリーラを引っ張っていく。
その門が閉まる直前。
その中から、幽かな悲鳴が聞こえた。
リーラは思いっきり、モクレンの腕を引いた。
「待ってください、今の声、カレンさんだ。」
「リーラ、頼むから、帰ろう。」
そんなモクレンの手を振り払い、リーラは門を開けて中へ入った。
カレンが、燃えていた。
外に出たであろうカレンは、轟轟と音を立てて燃え上がっている。
その後ろには、さっき会った医者がいた。
「水魔法で消してあげて!!なんでそこに突っ立ってるの!!?」
リーラが井戸から水を汲みに行こうとすれば、その腕をモクレンが掴んだ。
「水に意味なんてない。あの炎は消せない。」
リーラの目の前でカレンが燃えていく。
劈くような悲鳴は、あのか細いすずのような可愛い声とは全然違った。
ボロボロと崩れていく皮膚が黒ずんで、地面にボタボタと落ちて。
「カレンさん!!!」
リーラが叫ぶと、炎の固まりがこちらを向いた気がした。
その瞬間、リーラの目の前に光る蝶が現れる。
息を飲んだそのとき、人型に燃えていたそれが崩れて、地面に崩れる。
目の前が霞んでいく。
息が上手く吸えない。
目から溢れていく涙が、頬を伝ってぼたぼた落ちる。
消えかかった蝶がゆっくりとリーラの手にとまって、そうして消えた。
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リーラは初めて、誰かのために泣いたのだ。
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でも——前世で叩き込まれた仕事術と、一人ひとりの話を聞く姿勢で、少しずつメイドたちが集まってきた。
厨房が変わった。リネンが変わった。王城全体が変わっていった。
そして就任スピーチで宣言した。
「500人全員の名前を、覚えます」
冷酷と噂される王太子は、静かに見ていた。
悪役令嬢は妨害を仕掛けてきた。
元婚約者は——後悔し始めていた。
婚約破棄された令嬢が、500人に慕われるメイド長になるまでの物語。
なお元婚約者は、私のメイドたちの前で土下座中です。
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