ある男の物語

三枝麻衣

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詩人

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 新緑しんりょくの匂いがする広大な草原、切株きりかぶに座る詩人。片手に持ったギターで、彼はかなでる。雲一つない青空の清々すがすがしさと、肌に感じる自然の息吹を。
 詩人は歌う。長き平和な時代が、永遠に続くことを願って。この世にでる生への賛美と、誰しもに訪れる死への悲哀を。人生のたっとさ、素晴らしさを。
 例えそこに聞く者がいなかったとしても、詩人はギターを爪弾つまびく。朝日が昇り、昼食をり、夕日となって沈むまで好きなだけ奏で続け、宵闇よいやみに暮れたら眠る…それを繰り返す日常だった。
 しかし、彼の日常はこの時から少しずつ崩れることとなる。

「薄い。」

 …詩人がいつものように奏でていた時、そんな言葉が聞こえた。弦を一つ鳴らして、詩人は止まる。目を閉じて、歌に浸っていた詩人は、まぶたの裏に相手の容姿を思い描く。
 声は重く低い音だ、少し声に渋みがある…初老の男性だ。そこに、金属のり合う音が聞こえる。何か身に着けている…鎧、軍人だろうか。しかし唐突に文句を言うとは、性格には難がありそうだ。一体誰だというのか、知り合いにそんな人間が一人、いたようないなかったような…。
 その『知り合い』を思いえがいたとき、詩人は息を飲んだ。穏やかな表情を強張こわばらせて、深く溜息を吐いた。意を決したように、彼は目を開く。
 …詩人の直感は、当たったようだ。男の精悍な顔には、経てきた年を表すかのように皺が刻まれ、髭が生えていた。幾多の傷を残す、輝きを失った白銀の鎧…久しく見た姿は、晴天の空には似つかわしくない人物だった。

「迎えに来たのかい。」

 神妙な表情で、詩人は問う。

「そうじゃない。」

 鎧の男は答えた。

「戦死した…と聞いたのだけど。」

 問い直す詩人に、男は答えない。かわりに、被っていた兜を外した。兜の下、白髪しらがの混じった短い黒髪を見て、詩人は微笑んだ。

「ああ、変わらないね。」

 だがその微笑は、間もなく凍った。男がその兜を、詩人の隣に置いたのだ。気兼ねない友と、語らう為の行為ではない。まるで、兜を捨てるかのようだ。
 瞬時に何かを理解した詩人は、睨みつけてとがめる。

「置いていくのか?
 兜は戦士のかなめ、騎士たる者は兜を落として死ぬなと、うたわれたこともある。」
「必要ない、既に死んでいるのだからな。」

 男の言葉に、詩人は愕然とした。

「魔術を使って生き返ったとでもいうのか。」
「そんな生やさしいものじゃない。」

 …返答に、詩人はギターを落としそうになる。乾いた唇を開いたまま、何もつむげずに男を見つめる。視界に入っているかも定かではない。呼吸が、きちんと出来ているかも怪しい。
 男は微動だにしない詩人の肩を軽く叩き、そのまま立ち去ろうとした。

「待ってくれ。」

 声を震わせて、詩人は男を呼び止めた。振り向かず、男はただ立ち止まる。

「…歌の感想を聞いていない。」

 詩人が問いたいことは、山ほどあった。しかしそれら全ては、聞くだけ無駄なものだ。だから唯一つ、詩人は呼び止めた。これを聞かずして、詩人としての矜持きょうじが許さない。

「薄い。」

 微風そよかぜに乗って、男の呆れたような声が聞こえる。

「それは先程も聞いた、どういう意味だい。」

 繰り返す男に、詩人も問い直す。数拍の間を置いて、男は答えた。

「…お前の歌は整っている、美しい…ただそれだけだ。」
「それではだめだというのか。」
「歌は、人が生きている間に感じる痛みや苦しみを分かち合い、やわらげる為にある。
 人生がそんなにも美しいものだというのなら、分かち合う必要も無い、歌もいらない。」

 男の言葉と共に、草葉のそよぐ音が伝わる。雷に打たれたかの如く、詩人の全身に何かがほとばしった。重苦しい響きで殴られたような衝撃が、詩人を立ち上がらせた。それは、天啓てんけいが閃くようでもあった。

「やはりそうか、貴方は私を迎えに来たのだ。」

 答えを返し、歩を進め始めた背を、今度は呼び止めなかった。詩人は、その背に語り続ける。

「あの頃、戦で傷ついていた私の心を、貴方は見抜いていた。
 その証に、前線から退しりぞく私を、貴方は引き止めなかった。
 私はその痛みと苦しみから逃れるように、歌い続けた。」

 男が止まることは無い。徐々にその背は小さくなっていく。

「貴方は教えてくれた、私に、歌の真の意味を。
 あの時もそうだ、貴方は私に教えてくれた。
 剣を握った時の使命感、人を斬ることの恐怖を、決して忘れてはならないと。
 私は忘れることで、あの苦しみから解放されようとしていた。
 歌うことで、全てを忘れようとしていた。
 貴方は私に思い出させてくれた、そして違うと言ってくれた。」

 男の背は、もう前方に消えて見えなくなっていた。その行き先を、詩人は知っていた。
 見えなくなった男を思い浮かべ、詩人は紡ぐ。

「ああ、英雄よ。
 復讐の炎が貴方の心を燃やしている。
 でた花をも燃やして、貴方は進み続けている。
 ああ、英雄よ。
 死に朽ち果てたはずの肉体は、魂ごと地獄からよみがえったというのか。
 繰り返す人の深きごうが、貴方を変えてしまった。
 私は憎い、争い、愚行ぐこうを繰り返す人の世が。
 道理も信条も歪めてしまう人の生き死にが、私はたまらなく悲しい。
 ああ、英雄よ、偉大なる私の父よ。
 どうか貴方の魂が、安らかに眠れることを
 私の歌が貴方に届くことを祈り、歌い続けよう…」
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