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しおりを挟む大雨警報で休校になった真綾は、それでも分校に出勤しなければならない母を見送った後、一人で朝食を食べていた。
休校とは言っても最近登校を続けていたのは真綾以外、保良と繁樹だけで、その二人も昨日から来ていない。
猛烈な雨が古貸家の屋根を激しく打ち叩いている。
食パンを齧りながら真綾はテレビのボリュームを上げた。
朝のワイドショーでは気象予報士がモニターに映し出された日本地図の前で線状降水帯の赤い部分を指し示し注意喚起している。この地域の上空に留まる雲が異常な雨を降らせている原因を専門的に説明しているが、そうじゃないと真綾にはわかっていた。
止まない猛雨の原因はそんな雨雲のせいなんかじゃない――
昨日あれからはるかに聞いた話を思い出す。
「ねえ、まあちゃん。
わたしは、ただどこにも逝けないだけなの――
こんなになってる原因は大昔この村で人柱にされたっていうナナシの呪いよ」
「ナナシの呪い?」
確かに真綾には人に見えないものが見える。そのために不可思議な話を真っ向から否定することはしない。
だが、その話はおかしいと、はるかを笑った。
「――だって、いろんな理由があるにしても、なぜ今なの? まさかわたしが転校してきたからとか言わないでよ。いくらなんでも、何百年も眠って来た呪いを起こすほどの力なんてないんだから」
「大丈夫。まあちゃんのせいじゃないよ。あんなところにわたしを埋めたお父さんのせい。たまたまだと思うんだけど、わたしが埋められた辺りはナナシが埋められた場所みたいなの。
あーでも、みんなを憎んだわたしのせいでもあるかな? わたしの恨みがきっと眠ってたナナシに響いちゃったのかもね。
気づいたらわたしは幽霊になってて、ナナシの幽霊もいたの。それからも時々一緒にいるよ」
「ちょっと、待って――」
真綾はその話に首を傾げた。転校してきてから今までナナシの霊を見たことはない。
それを言うと、はるかが可笑しそうに「いたじゃない」と声を上げて笑った。
それで真綾ははっとした。
「圭吾くん?」
自分にしか見えないはずのはるかに遊ぼうとしつこく誘っていた。
あの時はこの子にもちょっとした霊感があるのだろうぐらいにしか思っていなかったし、関わるのが面倒で無視していた。
「小さな子は純粋だから憑りつき易かったのか――」
そう言いかけて再びはっとした真綾は「大倉のおはしらさんって――」とつぶやきながらはるかを見た。
「そうだよ。ナナシは一番憎い、でも一番欲しかった身体を手に入れたんだよ」
真綾はもそもそと噛んでいた食パンをミルクと一緒に飲み込んだ。
――でも、やっぱりこうなった原因はわたしかもしれない。圭吾ははるかと遊びたがっていた。なのにはるかは圭吾を放ってわたしと仲良くしようとした。
もしわたしが転校してこなかったら、このままナナシは圭吾の中で幸せになれたかもしれないのに。
真綾は激しく首を横に振った。
ううん。そうじゃない。知らんふりしないで、わたしがナナシの存在に気づいてあげればよかったんだ。はるかと一緒に寂しさを埋めて上げて、悲しみや憎しみを癒してあげれば、こんなことにはならなかったのに。
いや違う。もしナナシの存在を知ったとしても、わたしはきっと知らんふりしてた。
しつこいほど避難勧告を続けているテレビをリモコンで消した真綾は、お皿とコップを端に押しやってテーブルに突っ伏した。
どんなことにも意味があるのに――この視えることにもきっと意味があるはずなのに、面倒に巻き込まれるのが嫌ってだけでずっと無関心を装っていた。
これはわたしが招いた結果だ。
「まあちゃん」
顔を上げると、テーブルの向こうにはるかが立っていた。
「あのね、まあちゃん。
ナナシはね、ただの可哀想な子どもの幽霊なの」
「まさか。そんな可愛いもんじゃないよ」
「そんなことないよ。わたしの恨み晴らしてくれたし。
でナナシが言ってたんだけど、この村の人間はみんな腐ってるんだって」
「腐ってる?」
「うーん、闇が深いみたいな?
で、その闇を取り込んで大きくなって、この村を潰すんだって言ってた」
「祟霊になるってこと?」
「うん、そうだと思う。だから、巻き込まれる前に逃げたほうがいいよ。わたし、まあちゃんが好きだから教えてあげるんだよ」
「でも、一人じゃ逃げられない、ママも一緒じゃなきゃ。分校に迎えに行くわっ」
真綾は椅子を鳴らして立ち上がった。
「もう無駄だと思うけど――」
はるかの声を背後に、真綾は黄色い合羽を着ると長靴を履いて玄関を開けた。
数歩歩いただけで全身ぼと濡れになり、顔を叩きつける雨滴がだらだらとあごを伝い落ちた。
白くけぶって視界が悪かったが、進む方向はわかっている。
山から流れ出てくる砂利混じりの泥水が足首あたりまで流れていた。
道に沿った用水路は濁流が溢れ、田んぼや畑が茶色く沈んでいるのを横目に分校へと急ぐ。
走って行きたいが、水の中を転がって来る石ころに足を取られないよう注意しながら歩くことしかできない。
分校に近づくほど、足元の泥水に混じった赤茶色が濃くなってくる。その泥流は校庭から流れ出ていた。
石門を抜けると校庭の中を歩き回っている人に気づいた。
校長先生?
校庭の状況を確認しているのかと思ったが様子が変だった。ランニングシャツとパンツだけの姿で、ぐるぐると校庭を回っている。
異常を感じ、真綾は植え込みの陰に身を隠し様子を窺った。
目を凝らしてよく見ると校長は手に斧を握っていた。
胸騒ぎを覚え、身を低く隠したまま校舎のほうへと先を急ぐ。
近づくにつれ、川のように流れている泥水が赤く染まり始めた。
「うそっ、これ血?」
まさかママのじゃないよね?
だんだん濃くなる赤い流れを避けながらさらに校舎に近づくと、肩から切り落とされた太い腕が落ちていた。
「ひっ」
雨に洗われるピンク色の肉と白い骨の断面が見えて、真綾は口を押えて悲鳴を飲み込んだ。
男先生の腕?
だが、血の泥水はその腕よりももっと先からも流れてきていた。校舎の角のその向こうから。
きっと曲がった先に血の出ている『何か』があるんだ――
真綾は震えながらも一歩踏み出した。
「真綾、早く逃げて」
突然母の声がして真綾は辺りを見回した。だが、雨の中どこにも母らしき影は見えない。
「ママ? どこ? ママ?」
「早く逃げるのよ」
今度は耳元で聞こえ、それが何を意味するのかを悟り、真綾はがくがくと震え出した。
「ママ――」
もう母はこの世にいない。
今にも膝が崩れ落ちそうな真綾はそれを必死で耐えた。
「早く逃げてっ」
三度目の母の声に振り返ると、校庭を横切り、校長がゆっくりした足取りでこっちに向かって来ているのが見えた。
「まあちゃん、こっちよ」
校舎の入り口に立ったはるかが中を指さしながら真綾を呼んだ。
廊下を通り抜ければ反対側の扉から逃げられることを示しているのだと知り、真綾は水飛沫を上げてはるかの元へと走った。
中に入ると廊下の床には血溜まりと男先生のもう片方の腕が落ちていた。だが怯えている場合ではない。それを跳び越え、開きっ放しになった反対側の出口へと思いきり走った。
途中、校長が自分を追って来ているのか確かめた。
外側から先回りされ、出た先で待ち伏せされているかもしれない。だが校長は斧を振りかざして真綾の後をしっかりついて来ていた。
それを確認し、反対側の出口から校庭に向かって再び激しい雨の中へと飛び出した。
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