恐怖日和

黒駒臣

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怪異収集家

靴跡のある病室

  
  
「看護師になったばかりの頃に勤めていた病院なんですけど――」
 三階にある個室の天井――ちょうどベッドの真上にあたる位置――に片方だけの子供の靴跡がついていたという。
 先輩の話では、いつからそこにあるのか、心霊的なものなのか、物理的なものなのか何もわからないが、それに関して奇妙な噂などもなく誰も気にしていなかった。
 何気に見上げ、泥で汚れた小さな靴跡に最初気付いた時、ホラー好きのSさんは逆さで天井を歩く子供を想像しワクワクしたが、現実は患者か見舞客の連れて来た子供が汚れた靴を放り投げでもしてつけたものなのだろうと残念に思った。
 勤務にもなれ、患者を担当させてもらえるようになったSさんは虫垂炎をこじらせて緊急入院したBさんを受け持った。
 病室は靴跡のある例の部屋だったが、結婚式を目前にして延期せざるを得なくなったBさんは気落ちと不安で靴跡には気付いていないようだった。
 Sさんは自分と同じ年頃のBさんを親身に看護し、元気づけようと天井の靴跡に触れた。その頃のSさんは、人はみな大なり小なりホラーが好きだと思い込んでいたからだ。
 病状が落ち着いてからもBさんは自分の真上にある靴跡に気付いていなかったらしく、Sさんの指差すほうを見てとても驚いた。
 それが自分と同じホラー好きの高揚感だと勘違いしたSさんは自分の想像をさも存在する噂のように伝えた。
 ところがBさんは顔色を変えひどく怯えた。
 まさかこれほどの怖がりやがいると思ってもみなかったSさんは後悔し、すぐ冗談だからと笑ってごまかしたが納得せず、その日から病室に行く度、夜中に天井から足音が聞こえるだの子供の笑い声や泣き声がするだの訴えてきた。
 いやそれもうあんたの妄想だから――
 そう鼻で嗤いたくなるものの、原因を作ったのは自分なのだから、ほんとに冗談だ、とごまかし続けるしかなかったという。
 転室を懇願されても、軽率な言動が原因だとばれるのが怖くて先輩や看護師長に報告できなかったSさんは満室を理由に断っていた。
 冗談だと言い続けることで逆に真実だと捉えてしまったのだろうか彼女の怯えはますますひどくなり、ある日の夜中、病室から抜け出したBさんは外付けの非常用階段を出てそこから落下し亡くなってしまった。
 家族、医師や看護師たちは自殺の理由が思いつかないことから、内緒で外出しようとし誤って落ちたのだろうと結論づけた。
 当然Sさんの考えは違った。確かに事故か自殺かは不明だが、原因はあの天井だと思ったのだ。
 だが口をつぐんだまま誰にも話さなかった。
「だって、本当にそうかどうかわからないじゃないですか? 怖いってぐらいでふつう自殺なんかしないでしょ? でももし病室を抜け出すくらい怖かったんなら結果ああなってしまって申し訳ないとは思いますよ――でもそれは足を滑らせたかした彼女のミスであって、わたしのせいじゃないと思うんですよ」
 その後、患者とのコミュニケーションの難しさを感じたSさんは離職したという。
「先輩は初めての患者さんがあんな亡くなり方をしたショックだと思ってずいぶん引き留めてくれましたけど――
 もともと向いてないなって感じてたし――未練はなかったです。
 で、数年後に街で偶然先輩に会って、お茶しながら互いの近況報告をしあって――」
 その頃Sさんは文具の卸会社で事務をしていて、そこで出会った取引先の会社員と婚約中だったが、そのことはなんとなく伏せておいた。
 いまだ独身であの病院の看護師を続けているという先輩はSさんが忘れたいと思っているBさんの話を「ねえ覚えてる?」と持ち出してきた。
 そんな話をするのもされるのも内心嫌だったが、先輩が何を言うのか気にもなり、悲しかった記憶を思い出すふりをしてうなずくと、当時Bさんの緊急処置についた仲良しの同期が数か月前に話してくれたんだけど――と前置きしてから顔を近づけ――亡くなったBさんは妊娠の初期だったんですって、とひそひそ囁いた。
 Bさんは頭部を強打して意識不明だったものの処置室に運ばれた時にはまだ息があったという。
 危険なのは切迫流産なのだが、本人もまだ妊娠を知らなかったのか入院時に報告がなく、当然カルテにも記載がない上、当直医師は突然の緊急事態に焦ってそれを見逃してしまった。気付いて処置を施した時にはすでに手遅れだったそうだ。
 Sさんはそのことをまったく知らなかったので驚いた。
 当り前よ――ふふっと先輩は笑った後――だってそれの関係者、みぃんな口留めされていたんだから、と再びひそひそ囁いた。
 Bさんの家族や婚約者がまったく気付いていなかったことをいいことに病院側は妊娠をなかったことにしてしまったのだ。それが今でもばれていないという。
「じゃ、今になってなぜ先輩に話したのかしら? って訊いたら、その同期の人、結婚して仕事を辞めるからって――そんな秘密抱えたままじゃなんとなく気持ち悪かったんじゃないかって――
 で、死因が流産だって聞いて、正直わたしのせいじゃなかったんだってほっとしたんだけど――」
 Bさんの病室にあった靴跡のことも覚えているかと先輩が訊いて来たという。
「あんた、それとBさんに関係してたでしょ」と。
 Sさんは動揺を隠してかぶりを振り続け、しらを切り通した。
 先輩は疑わし気な上目遣いをしていたが、
「別にわたしに関係ないからいいけどさぁ、実はね、その同期つい先日亡くなったのよ。Bさんを処置したドクターもとうに亡くなってるし」
 そう言ってコーヒーを飲み干すと「ま、偶然なんだろうけどね」と笑顔を浮かべた。
 先輩とはそれ以降会っていない。
 その二か月後不安に駆られたままSさんは結婚。二週間後には新築のマイホームが完成するそうだ。
「わたしはあの靴跡で想像したことをただしゃべっただけなんです。確かに怖がらせましたけど、すぐ冗談だって謝ったし、思いつめたのはBさん本人で、亡くなった原因は病院側のミスですよね。だからわたしは悪くないんです――だけど――いえ、たぶん固まらないうちに近所の子供がつけたいたずらなんでしょうけど――」
 玄関横に設えた車寄せのコンクリート地に片方だけの小さな靴跡がくっきりついているのだという。
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