虹色浪漫譚

オウマ

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 なんだか酷く寝苦しい夜だった。幸せにしてもらえと口では言ったものの、モモが俺の元から去るなんてまるで実感が湧かない。でも、もう手放してやるべきなんだ。あの子は俺と一緒によく頑張ってくれた。そろそろ楽をさせてやらなきゃいけない。
 ……いつまでも布団に寝転んでいるから気分が沈んでいるのかな。襖を開けると外は良い天気だ。そのまま庭に向かい、井戸水を汲んで顔を洗った。日差しは明るいが少し肌寒い朝だな……。
「ん?」
 ふとパキン、パキンと小気味の良い音が聞こえてきた。なんだろう。音を辿って敷地内を歩くと手拭いを肩に掛けて薪割りに勤しんでいる蒼志を見つけた。俺に気付いて手を止め「おはよう」と笑う。
「ゴメンよ、カンクローさん。まだ薪割る時間じゃなかったかな。朝からうるさかったかい?」
「今は仕事時間外だから『さん付け』は要らねーよ。どうした、朝から珍しく行動的じゃないか。風呂の薪でも切れてたのか?」
「それもあるけど。ついでに落ち葉も集めて焼き芋でもしようかと思って。秋も深まってきたからね。急に食いたくなって。いいだろ?」
 蒼志が指さした先には準備万端、あとは落ち葉の中で焼かれるのを待つだけのサツマイモがあった。
「いいけど、煙るから営業時間外にやってくれよ」
「はいよ、分かってるって。あ、カンちゃんも食う?」
「ああ、食う食う。芋大好き。やる時は呼んでくれ」
「了解」
 ……なんか、珍しく朝から機嫌がいいな。なにかあったんだろうか。
「で、どうでもいいけどお前、目ヤニ酷いぞ」
「え? 嫌だな、ちゃんと顔洗ったのに……」
 苦笑いして目を擦り、手拭いで顔を拭く。鏡を嫌がる蒼志は顔がたまに汚い。勿体無いな。
 ……それにしても、焼き芋、か……。
「ああ、そうだカンちゃん。近々暇を貰えないかな?」
「ん? 何か用事でもあるのか?」
「用事っていうかー……。まあ、なんだ。察してくれ」
「ははーん。それはそれは。どーりで機嫌が良いわけだ。いいよ、お前は内に篭り過ぎだ。たまには外へ行ってこい」
「ありがとー! え? なに? やっぱり顔に出るかい?」
 ノロケてやがる。明日辺り雨でも降るんじゃないだろか。これはやはり女かなー、女かなー、女かなーっと。
「ところで。そういうカンちゃんは顔が暗いね。どうかしたの?」
「ん? ああ……。モモがあまり身請けに前向きじゃなくてさ。昨日話し合って一応頷いてはくれたけど。どうなることやら」
 本当の理由は、そっちじゃない。モモがいなくなる、その事が俺の顔を無意識に曇らせているに違いない……。
「ああ、大体の事情は俺の耳にも入ってる。……まあ、仕方が無いよ。モモちゃんは昔からお兄ちゃん子だからね。カンちゃんと離れ難いんじゃないかな、やっぱり。なんだかんだで仕事も楽しそうにやってるし、複雑な気分なんだと思うよ」
 蒼志が再び薪割りを始める。
 音を立てて次々と真っ二つに割れていく薪。
 モモはお兄ちゃん子、か。
 俺とは似ても似つかぬ美貌の妹……。俺の肌は褐色めいているのにモモの肌は真っ白で、髪も俺が波打った剛毛なのに対しモモは絹のようにサラサラとしていて、容姿は最早言わずもがな。俺は昔から人を何人か殺めた顔だと言われてきたが、モモは昔から可愛いと評判だった。まこと見事なまでに似ていない。本当は血なんか繋がってないんじゃないかと何度疑い、また、そうであって欲しいと何度願ったことか。
 不意に、明日食う物にも困った時にまだ幼かったモモが黙って家を出て、暫くして小銭を握って帰ってきた日を思い出す。
 このお金はどうしたのかとしつこく問いただすと適当に目についた男に身体を売って稼いだものだと答えた。よく見れば足には血の流れた跡。モモは俺に飯を食わす為に酷い安値でたった一度きりのものを縁もゆかりもない男に捧げてしまった。
 その金で買った芋は「美味い美味い」と言いつつ泣きながら食ったせいもあって味も何も感じなかった。どうしてしっかり味わってやれなかったんだろう。せっかくモモが頑張って買ってくれた芋だったのにな。
 モモ、お前が幸せになれるなら、俺は――――。
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