虹色浪漫譚

オウマ

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「ん? なにやら野太い悲鳴が……!」
 遊郭から悲痛な野太い悲鳴が木霊してきた。な、何だろう……。ま、まあいいや、気にしないでおこう、それがいい……。気を取り直して戸を叩く。
「蒼志さん、いらっしゃいますか?」
 声をかけて程なく戸が開いた。
「はい? ……あ、翠さん」
 俺の顔を見るなり朗らかに笑う金髪の男。ああ、なんか、あんな野太い悲鳴を聞いたせいか、この笑顔を見て安心したかも……。
「酒の誘いに来ました。大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫です。暇を貰いましたから」
「じゃあ行きましょう。馴染みの店がある」
「はい、喜んで。ああ、ところでその後、傷の具合はどうですか?」
 戸締りを終えた彼の目が俺の額をチラリと見やった。
「ああ、舞台は白粉でなんとか誤魔化してます」
 前髪で隠している此処には、薄くはなったが未だ傷が残っている。おかげ様で身体を張った夜の仕事はお休み中です……。はああ~、落ち込む……。
「そうですか……。せっかくの綺麗なお顔ですし、どうぞお大事に。遊郭の姉様方も貴方の舞台は楽しみにしていますからね」
「ありがとう御座います。やれやれ、もっと自己管理を厳しくせねば」
 そんなやり取りを交わしながら歩き始める。……こうして並んで歩いてみると、彼の背の高さを再認識した。滅多に見下ろされたことのない俺よりも若干目線が上にある。まあ、遊郭の用心棒をしているくらいだ。これぐらいの威圧感がなければ勤まらないんだろうな。
 しかし賑わっている大通りに出た途端、急に顔を俯かせて猫背気味になった彼に違和感を覚えた。どうしたんだろう。……まさか人の目が気になるのか?
「何も触れないのもおかしな話しだと思うので言いますが、綺麗な瞳と髪ですね?」
 俯いていた彼が背を突かれたかのようにピクリと顔を上げて俺を見る。目を丸く見開いた若干驚き混じりの形相だ。
「そう、ですか? ……アハハッ! ありがとう御座います。この奇特な容姿を褒めてくれる人に悪い人はいない。翠さんとは美味しく酒が飲めそうです。嬉しいな!」
 良かった。猫背を直して、いつもの温和な笑顔を浮かべてくれた。
「望んで手に入る物では御座いませんしね。とても素敵ですよ」
「そうですか? 俺には貴方の黒い髪と目の方が羨ましいけれど……」
 言って、蒼志さんは自分の前髪を摘んで見つめた。
 まるで顔を隠すように伸ばした長い前髪。やはり、混血である事が嫌なのかな……。
 実に勿体無い。俯き歩く必要なんてないとても綺麗な顔をしているのに……。
 店に到着、蒼志さんが「おお、素敵な店だ! 外でお酒飲むの久々!」と無邪気に店内を見渡す。
「良い店でしょう? 落ち着いて飲める。……すみません、適当に酒と肴を!」
 注文を述べてパッと目についた席に腰を下ろす。
「あの、此処って、た、高いんじゃないでしょか……!?」
 俺の真向かいの席に腰を下ろしつつ、何やら落ち着かない様子の蒼志さん。
「気にすんな。御礼だしな! 普段は客に出して貰ってるけど~……」
 と、言ったところで「お客ねえ……」と蒼志さんが苦笑いをした。すいません……。
 さて、気を取り直してっと。
「ところで蒼志さん。色々と聞いてもいいかな?」
「はい、なんでしょう? いいですよ、何でも聞いて下さい」
「やっぱりその容姿は嫌なの?」
「はい、嫌です。目立つし」
 直球過ぎたかと思いきや。意外にも表情一つ変えず、とてもあっさりと答えてくれた。
 やっぱり嫌なんだ……。
「そっか。でも俺は凄く美しいと思うから俺の前では自慢して平気だぞ」
 刹那、彼が驚いたように青い目を真ん丸く見開いて、それから少しの間を置いて「ブフッ!」と笑い吹き出した。
「何でそんな偉そうなの~!? じゃあ~、いいでしょいいでしょ! この髪の毛~!」
 おお。おどけてくれてる。なんだ、特別何が気難しいわけでもないんだな。とても調子の良い普通の兄ちゃんじゃないか。
「本当にいいと思う、美しい。……けど今の顔は腹立つ!」
「そりゃあ失礼致しました~! いやあ翠さんは面白い人だね。あえて触れない人が多いんだよ、俺の容姿には。よそよそしくて分かりやすいってのに!」
「俺はー、多分早く触れた方がお互い気が楽かなってさ! ……あ、きた。どうぞ」
 席に酒と料理が運ばれてきた。テーブルを埋めた料理を見て「凄い凄い」と目を輝かしている蒼志さんに進んでお酌すると、彼はそれはもう美味そうに酒を喉に流し込んでくれた。
「ぷはー! 美味しいー! 料理も凄いなあ! こんなの初めてだよ! やっぱり外の料理は違うなあ」
「どうぞどうぞ、遠慮なく食べて飲んで。……姉さん達と外に食べに行ったりはしないの?」
 あまりのはしゃぎ様に違和感を覚えて問いかけると、焼き鳥に噛り付きながら蒼志さんは「うん」と頷いた。
「全然なーい。俺と飯食っても何の得にもならないしね。変に目立っちゃうだけだもの。あとー、仕事とはいえ女に手を上げなきゃいけない時もある。姉さんたちはそういうトコも見てるからね。誘い難いだろさ。んでわざわざ一人で外に飯を食いに出るってのもねえ。なにぶん面倒くさがりだもんで」
「そっかー……。勿体無いな綺麗な顔なのに。……蒼志さんから俺へ、なんか質問ない?」
 聞いて聞いてと。なんか気付けば俺ばっか質問しちゃってるし。
「質問? ん~~~~~~~~~~~~……、貧血持ちなの? 普段からよく倒れるの? 嫁はいるの? 馴染みのお客さんは何人くらいいるの? 俺と翠さんどっちが顔綺麗だと思う?」
 ……ちょっと待てい。
「そんな一気に!? えっと、あの時は過労! 倒れたのは初めて! んで~、嫁はいない。客はざっと二〇くらいかな。そんで顔はー……、作りは俺! でも髪と瞳が蒼志さんのが上だから、秤にかけると同じくらいだな!」
 ふむふむふむふむ、と、逐一頷く蒼志さん。
「同じくらいかあ~。俺も歌舞伎座に入ったらお客さん取れるかなあ~。今より儲かるかなあ~。なーんてね!」
「なんで? お金欲しいの?」
「うん。俺、山奥で隠居するのが夢なんだ」
 ……随分と質素な夢だなあ……。
「あ、じゃあ、もう一つ質問! えっと、その、俺とはー……友達になれそう、かなあ?」
 そ、そ、そんな照れ恥ずかしそうな顔でなんという可愛い質問をっ!!
 ひょっとすると用心棒という物騒な職柄が災いして友人は少ないとか?
「ああ、勿論! 宜しく!」
 だって断る理由は一つも無い。彼はとても気の良い兄ちゃんだ、普通に仲良くなれるだろう。
「本当に? ……っみぃいいいぃいいいい~!!」
「えー!? ちょ、どうしたの!? そんな泣かないでー!!」
 な、泣いてる!! 泣いてる!! 大の男が泣いてる!! どうしたんだ、泣き上戸なのか!?
「だって嬉しいいい~!! みんな俺のこと怖がるのに~!! 俺っ、普段は平和主義な良い子だから安心してね、翠さあああああん!!」
 両の手で熱く熱く握手をされる。
「あああ、大丈夫、大丈夫!」
 ええっと、どうしたらいいんだ!? とにかく、なだめた。「大丈夫、大丈夫」と肩を叩いてなだめた。やがて泣きじゃくっていた彼にいつもの温和な笑みが帰ってきた。
 気分改めて二人で酒を交わす。ふと、青い目がまじまじとこちらを見つめている事に気付く。
「翠さんは良い人だね! 姉さん達が買うわけだ」
 屈託無い笑顔でそんな風に言われると、……俺は弱い。
「いやいや、俺は金の為にしてるだけだから。身体張って頑張ってるあの人達から金を取るのは心苦しいけどね~」
 言うと、蒼志さんは首を横に振った。
「好きで翠さんにお金を払ってるんだ、気を病む事はないよ。それだけの価値があるって事! 誰でもいいなら今頃俺は遊郭内で引っ張りダコだ。自信を持って!」
 そんな事を言われちゃうと、……俺はとことん弱い。
「そっかな? ……俺、親父が遺した借金を背負わされてさあー。今、返済中なんだ」
 極力軽い調子で言ったつもりだが、へえーと頷く蒼志さんの眉間に一気に皺が寄った。
 なんでこんな話を出しちゃったかな。分からない、何故か何故だか明かしてしまった。不思議と蒼志さんにはちゃんと事情を知っておいて欲しいと思った。何でだろう。この澄んだ目に自分を道楽で気侭に女食ってる歌舞伎者って揶揄されたくなかったのかな。
「そうなの? 大変じゃないか……。じゃあ俺、今日奢ってもらうわけにはいかないよ!」
「別に食うのに困るほど金がないわけじゃない。ただこんな商売出来るのも今のうちだからさ? ちょっと無理してたら倒れちゃってー。本当にありがとう? 助かった」
「……翠さん、可哀想……。頑張ってるんだ……。凄く偉い……。じゃあもういっそ俺も翠さん買う!!」
「姉様達だって似たような理由だろ? って、落ち着けー!!」
「似たような理由だけどさあああ!! でも翠さん良い人だもん、力になってあげたいよ~!!」
 あああああ、また泣き出しちゃった! 腕で目をゴシゴシと擦ってる。この男、実は相当情に熱いのか!? いやしかし勢い任せで俺を買うって、それはいけない! それは絶対にいけない!!  
「と、友達から金を取るのは嫌だし! それに、蒼志さんには夢があるんだろ? 俺は大丈夫! まだまだ売り時さ」
「そう? ……俺の夢は、単に人の目に触れない所に行って暮らしたいってつまんないモンだから、どうでもいいんだ!」
 おいおいおい、そんな寂しい事を笑いながら言ってくれるなよ……。
「あ、翠さんの夢はなあに?」
「夢? ……夢!? んー……、なんだか今を必死だから夢とか考えた事ないかも! 夢……、夢かあ……」
「あれ? 借金返したら家庭を作るとかさ? 自分で歌舞伎座作るとか~……そういうのないの??」
「いやあ、ちょっと待て? 夢……」
 思わぬ質問に思考を巡らす。……夢……。俺の夢って、何だ……? あれ、マズイぞ。何も浮かんで来ない……。
「な、無いな! うわあ俺、寂しい人生だなあ~!」
 大変だ俺、夢とか目標が何にもねえよ!!
 なんだか遣る瀬無くなって、とりあえず酒を呷った。やばい俺、凄く寂しい男じゃないか……。
「じゃあ仲間だ! まあ、成るようになるさ。今を一生懸命生きてる翠さんはカッコイイと思うよ? 俺なんかダラダラ老いてくだけさ」
 嗚呼、場の空気を察した蒼志さんがお酌してくれた。優しいなあ~。
「いやいや、蒼志さんは美しい。そのうち周りも素直に認めるはずりゃ!」
 ……あれ? 舌が上手く回んないな……。どうしたんだろ……。
「そうかなあ? 俺ちゃんと恋人いた事ないしぃ~……って、大丈夫!?」
「そりは女にょみれ目がらなったらけ!! 気にしゅんら!! んで大丈夫ー!!」
 あっれ~、そんなに飲み過ぎたつもりはないのに、どうしたんだろ……。俺を覗き込む蒼志さんの顔が酷くボヤケて見える……。あれれれ、世界が回ってる……。
「そうかい? みんなが翠さんみたいに思ってくれたらいいのにな……って、ねえ大丈夫? 翠さん大丈夫? 飲み過ぎじゃない!?」
「ん? ラージョウラージョウ! フヘヘヘヘヘッ」
 ああ~、頭がフラフラする……。フラフラ…………。いい気分だにゃあ…………。
「だって凄いフラフラだよ~!? そろそろやめておこう!? 家はドコ? 送るからさ!!」
 遠くから蒼志さんの声がする……。ああ、もう帰る時間? じゃあ、御勘定払わなくちゃ……。……あれ? なんかジャラジャラとお金の落ちる音がした、何だろう……。どうでもいいか……。なんか、凄く眠いし……………………。
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