虹色浪漫譚

オウマ

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 ドンドンと戸を叩く音。顔を出すと、罰が悪そうに蒼志がポツンと立っていた。何かあったのだろうか。こんな真昼間に蒼志が約束も無しに訪ねてくるなんて。
「翠、俺……仕事も家も、無くなってしまった……」
「え……?」
 単刀直入に放たれた言葉に耳を疑う。
「そいつはまたどうして……。何があった蒼志。ほら、とりあえず上がって」
 しょんぼりしている蒼志を家に引きずり入れ、詳しく話を伺う。すると、とても洒落にならない流血沙汰の騒動が起こってしまったがゆえに遊郭の閉鎖が決まったのだという。そうか、それでこんなに落ち込んで……。て、ゆーか、あの遊郭が閉鎖されてしまったら俺の副業にも多少、影響が……! まあ、それはどうとでもなるか。今は蒼志の話をしゃんと聞いてやろう。
「それで、俺、翠しかあてがなくて……。迷惑かなって思ったけど……こうして訪ねてしまった……」
「そういうことだったか。……そんな申し訳ない顔をするな! お前に頼ってもらえるなんて嬉しいぞ! 家が無いなら俺と此処に住め! 狭いがもう一人くらいなら住める、何も問題はない! むしろお前を迎えるのに風呂がなくて申し訳ないくらいだ!」
 溜め息ばかりの蒼志の頭を撫でくりまわす。……あ、やっと少し笑ってくれた。
「ありがとう! と、なると後は仕事かあ。参った、今までろくな仕事に就いた試しがないからなあ。ええと、どうだろう翠、歌舞伎座で用心棒を雇わないか! 用心棒を一人置いておくと便利だぞ! 喧嘩を沈めたり、あと、列の整理! 掃除なんかの雑用もやれる!」
「用心棒ねえ……。いや、ちょっと待てよ……?」
 なんか、今、俺、閃いてしまった。うわー、閃いちゃった閃いちゃった!
「そんなケチな仕事じゃなしに、折角だからこれを機に舞台に上がってみないか、蒼志!」
「へっ?」
 素っ頓狂な声を上げて蒼志の動きが止まった。ちょいと話が急だったか。まあいい。
「舞台に上がろう、蒼志! 俺が手取り足取り稽古をつけてやる! 青い目の女形、こりゃ評判になるぞ!」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ! 俺が舞台なんて……。つーかもう女形って決定かよ、そりゃないよ!」
「嫌なら他を当たるんだな!」
「お、お前は鬼かっ!!」
 叫んだ後、蒼志は参ったなと零して頭を掻いた。やっぱりすぐには頷かないか。
「この俺が、お前には筋があると見込んで手取り足取り教えるんだぞ。嫌なのか?」
 青い目をまじまじと覗き込む。
 戸惑う気持ちは分かる。だが、どうかどうか、頷いてほしい。
「前に、お前に冗談で舞台化粧をしたことがあっただろう。その時に言った俺の言葉は嘘じゃない。お前には本当に才がある。あの流し目は誰にも出来るものじゃない。……俺と一緒に舞台に立とう、蒼志。座長には俺が話をつける! 俺を信じて、ついて来い、蒼志……!」
 暫く、お互いの顔を見つめ合った。そして、蒼志は頷いてくれた。
「分かった。そこまで翠が押してくれるなら、やってみる」
「よくぞ言ってくれた! では、こうしてはいられないぞ。さあ早速この扇を持て! 舞の稽古をつけてやる!」
「えっ!? 今すぐ稽古!?」
「そうとも、今すぐだ! あ、その前にお前の荷物をうちに運び入れなきゃいけなかったか! これから一緒に暮らすんだもんな! ではまずは荷物の運び入れだ! 蒼志、大八車は持っているか!? 持っていないなら今から知り合いに…………んうっ!?」
 いきなり、蒼志に強引な口づけをされた。
「ぷはっ! 落ち着け、翠」
 唇を離して蒼志が笑う。
「……仕方がないだろう、これからお前が俺と一緒に住まうと思ったら嫌でも舞い上がる」
 自分でも分かってるよ。はしゃぎ過ぎだって。格好悪いって。
「でも落ち着け!」
 苦笑いを交えて蒼志が俺を胸に抱き締める。
「……俺の元に来てくれて、ありがとう……」
 幸せで幸せで……。気が付いたら自然と礼を述べていた。
「お礼を言うのは、俺だよ翠。ありがとう。これからは、ずっと一緒だね」
 蒼志が優しげに微笑む。
 嗚呼、やっぱり無理だ。この幸せに満ち満ちた気持ちを一体どう抑えろというのか。
「蒼志……!」
 気持ち高ぶり、腕が勝手に蒼志を押し倒していた。
「痛っ! ちょ、これから荷物運ぶんじゃなかったのかい!? まだ昼間だし! やめろ、やめろって!」
 しかし、やめろと口では言うが蒼志は大して抵抗を示さない。そもそもこの身体は押して簡単に倒れる代物ではないはず。と、いうことは、満更でもないということだ。
「どうにも抑えがたいんだ、辛抱願う! 一発、事を終えれば俺の舞い上がった心も少しは落ち着くだろう! 頼む、蒼志!」
 素直に伝えると蒼志は「仕方がないな」と笑って俺に身体を預けてくれた。嗚呼、愛おしい。俺はお前が本当に愛おしくて愛おしくて堪らない。
 その愛おしい男とこれからの生活を共にする、これを幸せと言わずになんと言おう。長い間、空虚な日常を送っていたのが嘘のよう。俺は今、幸せだ――。
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