上 下
5 / 33

逃亡者の戦闘

しおりを挟む
「よくねた……おはよう、スターリン」
 あくびをした茜を慈愛のまなざしで見つめる、テディベアのように可愛らしいクマ。しかもおなかの部分に小さな星型のまだら模様がある。立ち上がっても、茜よりちいちゃいぐらい。相変わらずこのゲームの制作スタッフのネーミングセンスを疑う__こんなかわいいクマさんに残虐な指導者の名前を付けるなんて。
 このクマさんは、あの後カードから出した幻獣で、名前とは正反対に慈愛と優しさに満ちた子だ。なんせ、自ら進んで茜の枕になってやると言わんばかりにお腹を差し出してくれたうえに、朝ごはんだ、と言わんばかりに茜に木の実を差し出してきた。一口かじると、みずみずしい果汁があふれてくる。甘さ控えめ、酸味のが強いが、ちょっと酸っぱいイチゴのようで逆においしかった。完全に覚醒した茜は、とりあえず街に出ることにした。いくら今あの人たちに見つかれば、機嫌がよくて骨一本、通常状態でオラオラオラオラとはっとばされる、悪かったら内臓が売られる程度の処置が待っているだろう。しかし、茜は現代っ子。野宿に何日も耐えられるはずもない。とりあえず小銭入れの中を確認する。__そして目を剥いた。昨日__というかこちらに来るまで、何度もブルジョアジーの家族を襲撃して手に入れた大量のお金が振り込まれた形跡があるカードだ。しかもおあつらえ向きに5000円札と同等の価値がある貨幣まで入っていた。カードの残高、なんと約1000万円。
 なんとか平静を取り戻した茜は、スターリンをカードに戻すと、とりあえずお店行こうかな、と立ち上がった。





「おふう」
 茜がお店__しかも現代のショッピングモールに負けるとも劣らない大きさのビルを見て最初の反応がコレである。
 このゲーム、魔法があったりコロッセオ的なアレがあるというのに、妙に現代的なのである。でかでかと掲げられた『Beatrice』の文字。まんまイ●ンみたいな感じである。
 とりあえず中に入る__当然自動扉であった。
 マネキンに着せられている服とその他必要そうなものもろもろ。それからちょっと高い幻獣用の餌__ペットコーナーみたいな感じで売られていた__を買って、自販機で買ったミックスオレをちびちび飲んだ。
 ふぅ、とくたびれたサラリーマンのような息を吐いた。
 人生初の野宿に加え、今はなんと逃亡者、いつか大々的に指名手配されるかもしれない。心労と筋肉痛でどうにかなりそうだった。
 頬をパン、と叩くと、頭が冴えた。
 さて、そろそろ移動しようか__その時だった。突然、下層から悲鳴と大きな振動が伝わってきた。地震? いや違う。なぜか人々は階段を上る。同時に、悲鳴にかきけされほとんど意味をなさないものの、ノイズ混じりの音が館内スピーカーから聞こえてきた。

『………あ、あー、われわれ、は、解放者たちメシアス。人間から幻獣を解放するため活動している! おとなしく従えばよし、さもなければ痛い目に合わせる! かもしれない!』

 メシアス? ひっかかる単語に茜は首をかしげた。しかしぐずぐずしている暇はない。実際襲撃してきているのだから__
 瞬間、指が勝手に動き、すっとカードを撫でた。
「あ、ポルポト!?」
 威勢よくフン! と鼻息を荒くすると、普通の兎にあるはずのない牙を光らせながら、喜々として人の波に突っ込んでいく。昨日の敵前逃亡が屈辱だったから、ここらでいっちょぶちかましたるわー、ってか? 笑えない。
 あわてて追いかけて、だめだよもどって! と声を張り上げる。しかし手のひらにのるサイズともあり、弾丸のごとくつっこんだポルポトを止めるすべはもうない。
 入口のサービスカウンターには、焼け焦げたあと、大量の書類、椅子であったであろうものなどが散乱して、幻獣が暴れた痕跡が、文字通り爪痕が残されていた。ひゅ、と息を飲む。呆然としていると、「メシアス」であると思われる白いローブに身を包んだ青年と、私服の女性が相対していた。彼女の鷹っぽい幻獣と、「メシアス」の青年のものだと思われる人間サイズのネズミが戦っている。彼女は落ち着き払った様子ではあるが、その死角から別の白ローブの青年が、ポルポトと同じぐらいのサイズのネズミを呼び出した。そして__迷うことなく女性を襲撃したのだ。

「__ッ! ポル、あの人を守って!」

 茜は、反射的にアバウトすぎる指示を放った。しかし意思をくみ取ったポルポトは、急旋回して女性の前に躍り出て、ネズミに向かい炎を放った。ひるんだネズミに追い打ちをかけるように重力操作、見事、ネズミは一気に地面に引き寄せられ床とキスしたのだ。
 あわててかけよった茜と小さな兎に、女性は目を丸くする。
「きみ……」
「大丈夫ですか? けがはありませんか? あ、ポル、重力操作でこの人の鷹っぽい生物を補助して!」
「娘よ、邪魔をするか? 抑圧された世界をあるべき姿に戻そうという、我々の素晴らしい理想が理解できないというのか!?」
「はあ、正直抑圧がどうとか解放がなんとか興味はないですが、一億円に小数点第2位までの円周率と2,3をかけた数のお金をくれれば広報手伝ってあげますよ」
「ハッ! 7億2220万など用意できると思っているのか!」
 うわこいつ馬鹿正直に計算したし、しかも早……。
 茜は軽蔑と尊敬の混じった瞳で青年を見た。
 しかしその隙にと言わんばかりに、鷹っぽい生物は人間サイズのネズミを空中散歩にご案内。そして吹き抜けの4階地点まで上がると1秒で地面に突き落とした。ポルポトもポルポトで、小さいほうのネズミを重力で限界までたたきつけてダウンさせた。いまばきっていったよね。なんか泡吹いてるけど大丈夫? 茜は軽く小さいほうのネズミに同情した。
 さすがに危機を察したのか、
「くっ! 撤退だ!」
 と叫んだ。茜は内心、「なんで幻獣で連絡とりあったりせずにわざわざ「帰りますよー」ってアピールしてから帰るんだろう?」と思っていた。その連絡用の幻獣(小さいほうのネズミ)を自分がつぶした事は完全に忘れていた。
 こちらに従業員がやってきて、ありがとうございますと頭を下げるのをどこか他人事のように見ていた。長袖のブレザーに、スプリンクラーのしぶきがかかる。どこかで火事でもあったのだろうか。
 そして、ゆっくりと沁み込んできた事実は、

「ほんとに終わったんですか?」

「ええ!」

 嬉しそうに叫ぶ店員を横目に、隣の女性にけががない事を確認して、ああ、ようやく終わったのか__と思うと、ふと足元が消え失せたような感覚に陥った。
 ああ、暖かな布団で眠りたいなぁ……………。
しおりを挟む

処理中です...