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第一章

少年期5

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「格好悪いことだけど、正直にいう。僕は吸血鬼だから、院長先生の勧めで赤茄子トマトジュースを飲み、吸血衝動を抑えているんだ。それをドワーフたちは以前から揶揄していた。血を欲すること自体、野蛮な行為というわけだ。それなのに――」

 勢いよく声を発したフリーデは、そばにある椅子に腰かけ、尖った指先を見つめなが話を続ける。その指先は、細長いグラスのようなものを掴んでおり、いまの話が本当ならそれが赤茄子トマトを絞ったジュースなのだろうか。

 思い返せばアドルフは、フリーデが通りすがるたび、ストローをくわえている場面に何度か出くわしている。それも赤茄子トマトジュースの摂取だとすれば辻褄は合うが、いま重要なのは彼女がそれをバカにされたことであり、実際フリーデは自分が受けた被害を切実な声で洩らし続けるのだった。

「あいつら、段々調子に乗って今度は僕を魔人族の手先だと騒ぎ立てた。院長先生によると魔人族は頭に角があるらしくて、それと〈鬼〉の一種である僕を結びつけたんだ。敵をやっつける意気地もないかわりに、叩きやすい僕を標的にして」

 そこまで聞いたアドルフは、すぐに感じとれたことがあった。

 はじめて口を利いた相手に気後れしないどころか、豊富な語彙力で理路整然と語りはじめたフリーデは思いのほか知能が高いこと。そんな彼女を悔しがらせたのはある種のいじめであり、しかもその直接的な原因は、院長先生が話してくれた人種間にある差別構造に他ならないこと。

 前者はアドルフに好印象を残した。これは推測だが、院長先生の図書室を利用している孤児はアドルフ以外にもいたのだろう。鉢合わせこそしなかったが、少なくともその一人はフリーデだったと思われる。

 しかし問題は後者だった。アドルフはこの世界に横たわる差別を知りつつも、それが《勇者》になるという彼の使命を邪魔しない限り、あたかも大気を満たすマナのように自然の一部として受け入れようと割り切った。いま騒ぎ立てても得られるものはないからだ。

 けれど他の子供たちは同じ真似ができない。現に彼自身、不満を抱いた男子に苛立ちをぶつけられた。フリーデにおいては敵である魔人族の仲間と見なされ、悔し涙を流すはめとなった。

 目つきの鋭さから、気の強そうに見えるフリーデ。そんな彼女が子供に罵倒されて泣く姿はあまり想像できなかったものの、理由は必ずあるのだろう。それが何かを知りたく思ったアドルフは、答えの出ない思考を切り上げ、目の前の謎に迫ろうとして言った。

「お前をつらいめに遭わせたのはドワーフらしいが、具体的にやったやつの名前は?」

 すでに述べたようにアドルフは、人付き合いこそ少ないが情報は持っている。当然〈施設〉に席を置くドワーフの名前と顔、その特徴に到るまで把握しており、フリーデをいじめそうな連中についても目星がついていた。おかげでフリーデがよこした返事は、アドルフにとって想定内の答えとなる。

「ディアナという女のドワーフがいるだろう? あいつが率いるグループの男子、ヨゼフとオレクが僕を罵倒した。それと――」

 脳内のリストにある名前をふたつ述べ、顔をしかめたフリーデが毒づくように言う。

「彼らと一緒にヒト族のヤーヒムがいた。率先して煽りたてた彼こそが主犯といえる」

 ヤーヒム。その名前はアドルフの頭にエラー音を奏でた。
 市場の買い物という外出の機会を通じて、亜人族以外の情報も彼は得ており、名前と顔はすぐ一致したのだが、想定外だったのはドワーフの連中がヒト族と一緒にいたことである。

「ヤーヒムは町長の息子だったな。どうしてヨゼフたちとつるんでおる?」

 必然的な疑問が湧き、アドルフは即座に問うた。すると事情を察した顔でフリーデが反応する。

「君は〈施設〉の外で遊んだことは?」
「ないな。自分の部屋、教室、図書室のあいだをぐるぐる回っておる」
「だから知らないのか。ドワーフの子たちは、ボスであるディアナを筆頭に、ヤーヒムの用心棒をやっているんだ。力自慢なドワーフの武器を売り込んで、毎月お小遣いを貰っているという噂だ」

 この時点で、アドルフは気づいた。自分の張った情報網が不完全なものであったことに。それと、入手した情報の掘り下げが足りなかったことにも。

 たとえば彼は、ヤーヒムが町長の息子で、将来選挙を通じて同じ地位に就く可能性の高い、ある意味で御曹司、ある意味で質の悪いくそガキだという情報を得て、満足していた。

 しかしその鼻持ちならないくそガキは〈施設〉の子供たちと密接につながってもいたのだ。それは図書室に入り浸りのアドルフには入手できない情報だった。情報の精度を高めるには、孤児たちと一緒に外で遊び、生の体験をともにしなければならなかった。

 彼はこのとき、おのれの戦略に誤りを発見し、自分に腹が立った。けれどすぐに本来の目的を思い出し、頭をリセットした。
 そんなアドルフをよそにフリーデは、彼の知りえなかった話を訥々とつとつと紡ぎだす。

「ヤーヒムはチェイカを乗り回して、冒険者の真似事をしている。当然、目的は魔獣狩りだ。ディアナはそこで護衛を任されていると聞いた。用心棒というのは、魔獣からヤーヒムを守る盾というわけさ」

 この話を聞き、アドルフのなかで一度リセットした頭が再びうずく。彼が図書室にこもっているあいだ、他の子供は魔獣狩りをしたり、チェイカで空を飛びまわっている。なのに自分はそうした情報すら知らず、まるで蚊帳の外ではないか。

 情報の重要性を認識していながら、この手落ちは二重の意味でショックだったが、それでも彼はその衝撃を表情には出さない。なぜならいまは、フリーデのことを知るのが最優先だからだ。

 ここまでの会話で、彼女は自分の置かれた立場、周囲の状況を驚くほど客観的に把握していることがわかった。だとすれば、とアドルフは思う。なぜ一方的にいじめられる側にまわり、涙さえ流すはめになったのかと。

「お前を攻撃した連中のことは理解した。しかしフリーデよ、お前は我の見たところ、やられっ放しで泣き寝入りするタイプには見えん。どうして歯向かわない? 町長の息子がそんなに怖いか?」

 的確な質問はときに挑発と区別がつかない。アドルフはそれを自覚しつつあえて厳しい態度をとったが、案の定フリーデは目を丸くして声を失う。

 しかしそれはあくまで一瞬の出来事だった。気丈にもフリーデは、涙を堪えながらこう言い返してきた。

「やり返したら、僕は相手を傷つけてしまう。怒りを表に出すと言葉だけでは済まなくなってしまうんだ。君は知らないだろうが、僕は院長先生から特別に魔法を学んでいて、それを実生活で使うことを固く禁じられている」

 膝を突いた手にあごを乗せ、部屋の片隅を見つめたフリーデが淡々と言う。その話はアドルフの予想を一段飛び越えたものだったが、想定外の告白はここで終わらない。

「僕はべつに優しさで暴力を避けているわけじゃない。暴力では解決にならないし、罪に問われるだろ? 僕には夢があるんだ、一度きりの過ちで人生を台無しにしたくない」

 夢。その言葉がこの場面で飛び出すのは唐突にも思えたが、アドルフの学びとった知識は、喉に刺さった棘のような感触を彼にもたらす。

 院長先生は、亜人族は差別に遭っていると言った。それを聞き多くの子供たちは、差別の理由を、自分たち亜人族が敵国の民と同じ人種であることが原因だと思ったに違いない。

 ムスカウ共和国に住む無神論の民。しかし難解な書物を読み込んだアドルフは、ひとりだけ本当の理由に思い到っていた。
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