氷剣の皇子は紫水晶と謳われる最強の精霊族を愛でる

梶原たかや

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1話◆白皙の紫水晶

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 夕暮れに染まる素朴な佇まいの古城の周囲は、格調高い装飾を施した複数の馬車が犇めいている。従者に手を引かれて馬車を降りる淑女達の衣擦れの音、紳士達の革靴の音。小さな古めかしい城には不似合いなほどの賑わいが有り、雅致な雰囲気の中にもどこか歪な空気が漂う。高価な香水や化粧品の匂いと共にさらさらと上がる笑声。楽しげであり下卑た響きも無いのだが、街で行われる花祭などを待ち望むものとは明らかに異なる気配が蔓延していた。
 その只中を、人の合間を縫うようにして古城の入口に歩み寄る人影が二つ。コートに近い漆黒の厚いローブを纏い、目深にフードを被った二人はエントランスホールに設置されている受付へと向かう。二人の背丈は人間の成人男性のそれであるが、少し背の低い方が受付嬢へ懐から取り出した封書を渡し、彼女は封書の中の招待状を検めてから顔を上げて微笑んだ。
「カイザー・オルフェス様でいらっしゃいますね。ようこそお越し下さいました。ごゆっくりお楽しみくださいませ」
 受付嬢に渡された二つのマスケラのうち一つを、男は背後の背の高い方へと渡す。二人は目深に被ったフードの奥の素顔へとマスケラを装着してからフードを捲り、次いでローブの合せを解いて厚手のそれを脱いだ。
「お預かりします、旦那様」
 白髪交じりの榛色の髪を持つ初老の男が、自身のローブを抱えていない方の片手を差し伸べる。凡そ初老の男の風貌に対して旦那様などという敬称には似付かわしくないような若者が、洗練された所作で相手にローブを手渡す。
「ありがとう」
 物腰柔らかな声音。煙るようなふんわりとした淡い梔子色の短髪に、すらりとした長い手足に合わせて誂えられた気品有る薄墨色の三つ揃え。精緻な縫い目が施された黒いピンタックシャツに、揃いの色のアスコットタイ。涼やかな佇まいだがしっかりとした体格が伺える青年に、マスケラで顔を隠していても貴公子然とした雰囲気に中てられたのか周囲の貴婦人達がさやさやと色めきたった。
 初老の男がクロークにローブを預けるのを待ってから、二人はエントランスの奥の古めかしくも豪奢な階段を上がり、上階に並ぶ扉の一つへと近付く。全ての扉の傍に控えたドアマンの一人が、近付く二人に会釈すると共に、彼等が扉に到達する寸前に慣れた手付きで扉を開ける。歩む速度もそのままに中へと入れば、その奥は照明を落とされた巨大な空間であり、ずらりと並ぶ階段と席に囲まれた舞台となっていた。分厚い幕が下ろされた開演前の舞台周辺は、着席し始めた客達の会話で賑わっている。淡い金髪の青年も、従者を伴って段を降りていき、舞台に向かって右端近くの予め指定された席へと着いた。
「…………」
 マスケラ越しに青年は辺りを窺う。早く始まって欲しいだの楽しみねだのといったお決まりの文句が、開演時間が迫るにつれて少しずつ高まる興奮と共に其処此処で上がる。それ自体は極々普通だ。この舞台で行われるのが一般的な歌劇や演奏であるならば。
「今夜の目玉は例のアレなんだろう……、そう、リカリア」
「わたくし、リカリアを見るのは初めてなんですの。どんな姿をしているのかしら」
「しかしよく捕らえたものだな。……十五年振りの出品だというじゃないか」
 声を潜めるでもなく周囲の客が楽しげに会話する内容は、とてもこれから演劇を鑑賞するようには聞こえない。押し黙る従者の隣で、青年はマスケラ越しに僅かに眉根を寄せた。
「皆様、お静かに願います。――――お待たせ致しました。それでは第六十七回稀覯品オークションを始めます」
 客の会話を遮るようにして場内に開催の文言が高らかに響き渡る。一瞬しんと静まり返った場内が、やがて盛大な拍手の音に包まれた。金髪の青年と従者も形ばかりの拍手を送る。するすると上げられていく分厚い臙脂色の緞帳。その向こうでは煌々とした灯りの下、舞台の隅で正装の男が一人、司会者台に着いていた。見守る観客達を悠然と見下ろし、開催の旨を宣った司会者の男は、一度ゆっくりと薄暗い観客席を見回した後、声高に告げる。
「まず最初の商品です。ロットナンバーゼロゼロイチ、蝶の羽を持つ精霊族の少女!」
 司会者の男がいる側とは反対の袖幕から、マスケラで顔を覆った大柄な男が現れ、その男が持つ銀色の鎖に両手を繋がれて、線の細い少女が現れた。歩みが遅いと鎖をぐいと引かれ、少女はつんのめるようにして舞台中央へと導かれる。観客席からは感嘆の声が上がった。ハイウエストの簡素なワンピースを身に着けた、若草色の柔らかな巻き毛を持つ少女の背からは、黒と黄緑の葉脈に似た複雑な模様を湛える艶やかな蝶の羽が生えていた。

 この世界には多種多様な種族が存在する。その一つが人間であり、瘴気を持つ魔族であり、そして瘴気を持たない人非ざるものに位置付けられる精霊族である。森の奥で生まれ、集落を築きひっそりと生きている精霊族だが、その見目の麗しさと特異な性質によって、古くから人間を始めとした他種族からの搾取が横行していた。
 数十年前に、人間の国々での取り決めとして精霊族に対する迫害と苛虐を取り締まる法令が出され、精霊族の売買は表立っては禁止されたが、実際にはこうして裏取引がまかり通っているのが現実だった。

 蝶の羽を持つ少女は小さく震えながら、泣き出しそうな顔でじっと舞台の床を見つめている。手折れてしまいそうな細い手足は白く伸びやかであり、ワンピースの袖や裾から覗く年端も行かぬ滑らかな肌に痛いほどの視線が殺到する。
「こちらは南国のレヴェスタ諸島に生息するアシュハの一族です。美しい蝶の羽を持つ一族であり、なかなかお目見え出来る代物ではありません。その上、ご覧の通りの幼体!ぜひお手元にお迎え下さい」
 司会者の男は強弱を付けて情熱的に『商品』の説明をする。彼の目配せでマスケラを付けた大柄の男が少女の手首に付けられた鎖の根元を持って持ち上げ、頭の上まで腕を上げさせる。
「……っ……」
 何をされるのかと息を飲んだ少女の目の前で、大柄な男は空いている片手で腰元の短剣を抜いた。次の瞬間、刃先は少女の顎の辺りから一直線に引き下ろされる。
「ひっ……!」
 刃先は彼女のワンピースの前を裂き、膨らみかけた胸元から腹部までが露わとなる。白い肌に釘付けとなる観客達の前で、短剣を腰元へ仕舞い込んだ男が、今度は小さな羽根箒のようなものを取り出し、そろそろと少女の胸元を箒の先で撫で始めた。
「……いや、ぁ」
 箒の先が齎す刺激が何なのかすらまだこの少女には分からない。目の前で鋭利な刃物を振るわれたことで、羞恥を覚えるどころか只々蒼白な顔で怯え震える彼女のか細い悲鳴が、逆に観客席に座る者達の嗜虐心を煽っていく。初っ端からレベルの高い『商品』に気を良くした紳士淑女の手が次々と上がり、高値がどんどん更新されていく。
(…………惨い)
 金髪の青年はマスケラの向こうで顔を曇らせる。確かに精霊族は人間とは異なる。何某かの人外的な要素が容姿に現れ、生態も人間とは大きく違う。それでも、彼等は殆ど人間と変わらない姿を持ち、言葉も感情も共有が可能である。そんな種族を取引することが、人身売買とどう違うのだろう。
 それ以上の高値が出なかったことで、蝶の羽を持つ少女は取引終了とされ、袖幕へと連れられて行った。彼女を買ったのはどんな人物なのか、果たして彼女はどのように扱われるのか。知りたいとは思わなかったし、知らない方が良いようにも思えた。

 それからも、箸休めのように時折宝石や骨董品を交えつつ、精霊族の出品は粛々と続いていった。小鳥のような小さな翼を持つもの、蜻蛉のような羽を持つもの、獣によく似た耳や尾を持つもの。多種多様な部位の違いが有り、その部分を目にすればすぐに人間とは違うと思える者達ばかりである。それでも、見せる感情は人のそれと何が違うのか。淡色の髪の青年は『商品』の怯えた表情と次々更新されていく法外な価格に、心が澱んでいく気持ちになるのだった。
「それでは、ここで十分ほどの休憩を挿みます。後ほどお会いいたしましょう」
 司会者が一礼し、観客席側の照明が僅かに増して、ゆっくりと緞帳が降りてくる。このように短い休憩を何度か設けてはいるが、既にオークション開始から三時間近く経っており、隣の席の従者は場の雰囲気への気疲れも有ってか疲労の色が濃い。
 青年は従者にその場で待機するように伝えてから段を上がって会場の外へと出る。そこでは長時間の着座で凝り固まった体を解すべく、大勢の着飾った人々が談笑していた。薄暗く異様な催しに依る興奮の坩堝にあった会場内とは違い、夜会を控えた貴族達の歓談のようにも見えた。実際、この場に集まっているのは名の知れた貴族階級の者達ばかりなのだろう。階級を持たない商人や武人もいるだろうが、安定した財力を持つ層となると圧倒的に母数が違う。マスケラ一つで身分を隠し、身の内に巣くう欲望を満たすための非合法な買い物に耽る。どの口がノブレス・オブリージュと唱えられるのだろう。
(……だけど、今は)
 どれだけ彼等を批判したところで、同じマスケラを身に付け、今この会場をこうして歩いている自分もまた、彼等と同類と見做される。金髪の青年はきゅっと唇を噛んだ。
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