つがいの薔薇 オメガは傲慢伯爵の溺愛に濡れる

沖田弥子

文字の大きさ
1 / 112

大須賀伯爵家

しおりを挟む
 初夏の眩い朝日が広大な庭園に照りつける。
 朽ちた薔薇の花弁を摘み取り終えたみおは、額に流れる汗を手の甲で拭った。

「ふう。結構きれいになったかな」

 大須賀おおすが伯爵家の本宅がある敷地内は様々な樹木や花々が植えられている。季節ごとに来客の目を楽しませてくれるそれらを管理するのは、庭師である澪の仕事だ。今は薔薇が盛りなので、朝夕と薔薇の手入れを行っている。庭園を彩る大輪の薔薇は美しく咲き誇っていた。

「そうだ。お屋敷に新しい薔薇を届けてあげよう」

 幾重にも花弁を重ねた真紅の薔薇はとても見事で、あの人にふさわしい。
 澪は憧れの人の顔を思い浮かべて頬を綻ばせた。
 鋏で手頃な箇所を切り、花束にしてまとめる。お屋敷に花を飾るのは本来は女中の仕事なのだが、朝は食事の支度や掃除で忙しいだろう。一刻も早く綺麗な薔薇をあの人に見てほしかった。今の時間なら、まだ会社に出勤する前のはずだ。
 
 澪は庭園を横切ると、そっと裏口から屋敷へ入る。西洋の建築家が設計したという華族の屋敷は趣があり、壮麗な佇まいだ。吹き抜けの広いホールを抜けて、水を入れた花瓶を用意すると、薔薇を挿して廊下の隅に飾った。
 白亜の壁に真紅の薔薇は映えている。
 誇らしい薔薇の姿に感嘆の息を漏らすと、背後から低い声音が響いた。

「綺麗だな」

 澪は驚いて振り返り、慌てて礼をする。

「おはようございます、若さま」

 いつの間に来ていたのか全く気づかなかった。
 大須賀家の御曹司である晃久あきひさは鷹揚に頷く。
 涼しげに切れ上がった眦に、直線を描いた太い眉、すっと通った鼻筋、男らしい精悍な頬は雄々しい印象を与える。やや薄い唇は酷薄さが湛えられているが、晃久の怜悧な美貌を匂わせた。六尺を超える体躯を三つ揃えのダークスーツに包み、薔薇と同じ真紅のネクタイを締めて威風堂々と佇む姿はまるで王のようだ。

「もっとよく見せてくれ」
「はい。どうぞ」

 澪は花弁が目立つように少々茎を整えてから、邪魔にならないよう体を脇に退けた。
 途端に薄い唇から冷笑が漏れる。

「薔薇じゃない。俺が見たいと言ったのは、こちらの花弁だ」
「え?」

 真っ直ぐに澪の前に立った晃久は、頤に手をかける。
 ついと上向けられ、親指が唇をそっとなぞる。
 熱くも柔らかな感触に、どきりと鼓動が跳ねた。

「あ、あの……」
「紅く色づいていて弾力も良い。素晴らしい上質の花弁だ。口で味わいたいくらいだな」

 くつくつと喉奥で笑う晃久は陶然として語り、澪の唇を凝視している。
 彼はいつもこのような悪い冗談を言う。
 からかわれているのは分かっているが、澪に抗う術はない。ただ頬を染めて視線を彷徨わせることしかできない。なにしろ晃久は大須賀伯爵家の若君で、いずれ当主となられる御方なのだから。一介の庭師である澪が逆らうなんてことは許されない。

「晃久様。お車の御用意ができております」

 楽しげに笑っていた晃久だが、躊躇いがちにやってきた秘書が出勤を促すのを聞いて眉を寄せる。

「待たせておけ」

 華族である大須賀家だが、晃久は独自に会社を経営している。車や船を貸し出す事業と聞いており、しかもその会社は親から譲り受けたものではなく、晃久が学生時代に自ら興したのだ。趣味のようなものだと本人は飄々と語っているが、事業を支えるのは大変なことだろう。爵位に依ることなく、自立心の旺盛な晃久に澪が心惹かれる理由でもあった。

「若さま。どうかお仕事に行かれてください。花弁にはいつでも触れるようにしておきますから」

 未だ澪の唇から指を離そうとしない晃久にお願いする。
 はやく、はなしてほしい。
 これ以上触れられていたら心臓が破裂してしまいそうだ。
 晃久は眉をひそめたが、手を下ろして澪の唇を解放してくれた。
 だが挑むような目つきをして、鼻先がくっつくほど顔を近づける。

「俺に指図するとは上等だ。帰ったら花弁を啄むから、覚悟しておけよ」

 硬直する澪に軽やかに笑いかけた晃久は身を翻して玄関へ向かった。
 ややあって車寄せから黒塗りの高級車が滑り出す。
 ほう、と息を吐いた。
 安堵の息に、微量の寂しさが混じる。
 もっと触っていてほしかったなんて、傲慢な願いが胸の裡から這い出てきそうになり、澪は無理やり押し込めた。
 今夜はいじわるな若さまに唇が腫れるまで突っつかれるだろう。
 けれどそれすらも澪にとっては、褒美のようなものだった。
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

【完結】幼馴染から離れたい。

June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。 βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。 番外編 伊賀崎朔視点もあります。 (12月:改正版) 8/16番外編出しました!!!!! 読んでくださった読者の皆様、たくさんの❤️ありがとうございます😭 1/27 1000❤️ありがとうございます😭 3/6 2000❤️ありがとうございます😭 4/29 3000❤️ありがとうございます😭 8/13 4000❤️ありがとうございます😭

クローゼットは宝箱

織緒こん
BL
てんつぶさん主催、オメガの巣作りアンソロジー参加作品です。 初めてのオメガバースです。 前後編8000文字強のSS。  ◇ ◇ ◇  番であるオメガの穣太郎のヒートに合わせて休暇をもぎ取ったアルファの将臣。ほんの少し帰宅が遅れた彼を出迎えたのは、溢れかえるフェロモンの香気とクローゼットに籠城する番だった。狭いクローゼットに隠れるように巣作りする穣太郎を見つけて、出会ってから想いを通じ合わせるまでの数年間を思い出す。  美しく有能で、努力によってアルファと同等の能力を得た穣太郎。正気のときは決して甘えない彼が、ヒート期間中は将臣だけにぐずぐずに溺れる……。  年下わんこアルファ×年上美人オメガ。

運命じゃない人

万里
BL
旭は、7年間連れ添った相手から突然別れを告げられる。「運命の番に出会ったんだ」と語る彼の言葉は、旭の心を深く傷つけた。積み重ねた日々も未来の約束も、その一言で崩れ去り、番を解消される。残された部屋には彼の痕跡はなく、孤独と喪失感だけが残った。 理解しようと努めるも、涙は止まらず、食事も眠りもままならない。やがて「番に捨てられたΩは死ぬ」という言葉が頭を支配し、旭は絶望の中で自らの手首を切る。意識が遠のき、次に目覚めたのは病院のベッドの上だった。

【完結済】極上アルファを嵌めた俺の話

降魔 鬼灯
BL
 ピアニスト志望の悠理は子供の頃、仲の良かったアルファの東郷司にコンクールで敗北した。  両親を早くに亡くしその借金の返済が迫っている悠理にとって未成年最後のこのコンクールの賞金を得る事がラストチャンスだった。  しかし、司に敗北した悠理ははオメガ専用の娼館にいくより他なくなってしまう。  コンサート入賞者を招いたパーティーで司に想い人がいることを知った悠理は地味な自分がオメガだとバレていない事を利用して司を嵌めて慰謝料を奪おうと計画するが……。  

ただ愛されたいと願う

藤雪たすく
BL
自分の居場所を求めながら、劣等感に苛まれているオメガの清末 海里。 やっと側にいたいと思える人を見つけたけれど、その人は……

回帰したシリルの見る夢は

riiko
BL
公爵令息シリルは幼い頃より王太子の婚約者として、彼と番になる未来を夢見てきた。 しかし王太子は婚約者の自分には冷たい。どうやら彼には恋人がいるのだと知った日、物語は動き出した。 嫉妬に狂い断罪されたシリルは、何故だかきっかけの日に回帰した。そして回帰前には見えなかったことが少しずつ見えてきて、本当に望む夢が何かを徐々に思い出す。 執着をやめた途端、執着される側になったオメガが、次こそ間違えないようにと、可愛くも真面目に奮闘する物語! 執着アルファ×回帰オメガ 本編では明かされなかった、回帰前の出来事は外伝に掲載しております。 性描写が入るシーンは ※マークをタイトルにつけます。 物語お楽しみいただけたら幸いです。 *** 2022.12.26「第10回BL小説大賞」で奨励賞をいただきました! 応援してくれた皆様のお陰です。 ご投票いただけた方、お読みくださった方、本当にありがとうございました!! ☆☆☆ 2024.3.13 書籍発売&レンタル開始いたしました!!!! 応援してくださった読者さまのお陰でございます。本当にありがとうございます。書籍化にあたり連載時よりも読みやすく書き直しました。お楽しみいただけたら幸いです。

処理中です...