つがいの薔薇 オメガは傲慢伯爵の溺愛に濡れる

沖田弥子

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娼館 2

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 炭鉱の町で働き始めてから、困ったことが生じた。
 長沢から処方されていた薬が切れたのだ。発情期は定期的に訪れるのでその都度、抑制薬を服用しなければならないという。このままでは以前のようにまた発情してしまうのではないか。
 長沢の診療所は、この町からはとても遠い。せめて近所の診療所に行って薬の相談ができないだろうか。澪は主人に頼み込んだ。

「お願いします。診療所に行かせてください。いつも飲んでいる薬がなくなったんです」

 澪に休日はないし、金銭の持ち合わせもない。給料は一銭も出ていなかった。主人の言い分では、澪を預かる金が足りなかったので、それを澪自身の借金として主人に払わなければならないということだった。給料がすべて借金として天引きされているわけだが、どのくらい返せばいいのか、いつ借金が終わるのかは分からない。
 雇われている身としては主人の言うことを聞くしかないのだ。それに、澪は他に頼れる人がいない。
 主人は迷惑そうに顔を顰めると、澪を値踏みするように眺め回した。

「いつも飲んでいる薬だと? 持病でもあるのか?」
「持病というか……はい。その薬がないと体に症状が出てしまうんです」
「どんな。何の病気だ。労咳ろうがいじゃないだろうな」
「いえ、その……」

 オメガという、妊娠してしまう体で発情期があるとは言いにくい。澪が口籠もっていると、主人は苛立ったように文句を連ねた。

「大須賀夫人も厄介なのを押しつけてきたもんだ。あんな少ない金で。しかも病気持ちだと? まったく冗談じゃない」

 澪は申し訳なさに体を小さくする。娼館を経営するのは大変なことだと、澪も見ていて分かる。お客様は出来るだけ安い店を選ぶので、価格は下げなければお客様が入らない。娼婦に支払うお金に娼館の維持費、それに娼館の商売を行うための税金が高すぎて、売上は少ないのに毎月の支払いが大変だといつも主人は嘆いている。
 とても診療所に行って、そのうえ薬代を立て替えてほしいだなんて言い出せる雰囲気ではなかった。
 苛立ちを募らせた主人は驚くことを言い出す。

「客でもとってみるか。おまえを気に入ったというお客もいるんだ。うちは男は売ってないんだが……」

 澪は慌てて膝を付き、頭を下げた。

「お願いです、それだけはご勘弁ください。他の仕事なら何でもこなしますから」

 体を売ることだけはしたくなかった。
 晃久の触れたこの体を、他の男の人に触らせたくない。
 澪の必死の嘆願を、主人は意外な方向で聞き入れてくれた。

「まあ、病気持ちで客を取っても店としては困るんだよな。そうだな……おまえにとって良い仕事がある。ちょっと話をつけてくるから待ってろ。掃除は終わらせておけよ」
「は、はい」

 主人はどこかへ出かけていってしまった。澪に向いている良い仕事とやらを紹介してくれるらしい。澪は廊下の掃き掃除をしながら、体を売らずに済んだことにひとまず安堵していた。



 店に戻ってきた主人は喜色を浮かべていた。風呂に入れと指示されて澪は驚いた。風呂には一週間に一度、しかも娼婦たちが入った後の風呂にしか入れない規則だったからだ。
 汚れを洗い落として綺麗になった澪を、また驚かせる出来事があった。

「こ、これを着るんですか?」

 用意されていたのは、娼婦がお客を誘惑するために着る下着だった。黒い紐だけで作られたような下着は秘所を隠すためではなく、見せるための仕様になっている。主人はごく平静に言い放った。

「女物だが、おまえは細いから着れるだろう。その上にガウンを羽織れ」

 言いつけどおりに下着とガウンを身につけたが、澪の心中に不安が渦巻く。

「あの……お客を取るわけではないですよね? 借金なら働いてお返ししますから、どうかお客を取ることだけは」
「しつこいぞ。そんなのはおまえ次第だ。今から行くところで、せいぜい懸命に働くんだな」

 手を振って遮った主人は面倒臭そうにしていた。どうやら他の場所で働くことになったらしい。病気持ちなので娼館には置いておけないと判断されたのだろうか。
 澪にとってはどこで働こうが、晃久がいないのなら同じことだった。
 主人の運転する車に乗せられて、身ひとつで娼館を出発する。
 物置に手荷物が置いてあったが、持って行きたいと申し立てることはしなかった。また主人の手を煩わせてしまうし、着替えくらいしか入ってないので捨ててしまわれても構わなかった。

 晃久にプレゼントしてもらった若草色のスーツや宝石で造られたカフスと革靴は、大須賀家を出るときに家に置いてきた。思い出として手元に置いておきたいという衝動が込み上げたのだが、あれらは澪のものではない。晃久に贈られたのだから、彼に返したい。
 結局、身ひとつになったので、置いてきて良かったのだと今は思う。

 久しぶりに見る炭鉱の町は夏の熱気が籠もっていた。遠くに蜃気楼が揺らいでいる。買い出しなどで外出する機会はあったのだが、景色を見る余裕など失われていた。いつの間にか季節が移り変わっていたことも、車窓を眺めていて気がついた。
 やがて車は町を出て山道を通り、山の裏側へ出る。
 林を抜けると、雄大な海が広がっていた。
 炭鉱のあった猥雑な町とは異なり、その一帯は瀟洒な邸宅が建ち並ぶ落ち着いた街並みだった。並木道からは木漏れ日が零れていて涼しげだ。どの屋敷も海を臨めるように建てられており、庭にはプールがある。ここが噂に聞いた華族の別荘地なのだろう。路はひと気がなく、ひっそりとしている。
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