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第一章 カマクラコモリ
ひっぱり 2
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「おいしい……! 納豆と鯖という組み合わせは初めて体験しましたけど、こんなに相性がよい食材だったんですね」
「そうじゃのう。山形では納豆が広く親しまれておる。鯖と合わせることを発案した者は天才じゃな」
ヨミじいさんもおいしそうに、嘴でつるりつるりとうどんを啄んでいる。
納豆のおかげで喉ごしよく食べられるので、つい箸が進んでしまう。
深夜のあやかし食堂には、うどんを啜るおいしそうな音が響いた。
「ひっぱりうどんは山形の村山地方が発祥らしい。鍋で茹でた乾麺を、各々が直接箸でひっぱりあげることから、『ひっぱり』と名づけられた。山ごもりするために自家製の納豆と乾麺を使用して、温かい家庭料理を手軽に作っていたのさ。そこに近年缶詰工場ができて、鯖缶の普及に伴い、ひっぱりの具として加えるようになった」
「なるほどのう。言われてみれば、鯖の切り身を入れたりはせんな」
「缶詰の油が、つゆに混じって濃厚になる。だから缶詰であることが肝なんだ。何より、手軽だからな」
料理として手軽に作れることは重要だ。しかもうどんの炭水化物だけでなく、大豆と魚も摂取できるので栄養価も抜群である。
ひっぱりうどんは寒い冬にぴったりの温かい家庭料理なのだ。
うどんを啜っていた私は、ふと首を捻る。
「ということは……ひっぱりに鯖缶を加えた発案者は、誰なのかわかっていないんですね?」
「誰だろうな。家庭料理だから、どこかの家庭の母親じゃないか?」
「もしかして、圭史郎さんだったりして」
「そんなわけないだろ」
まんざらでもなさそうに口端を引き上げる圭史郎さんの顔を見て、笑いが零れる。
ひっぱりうどんを食べたおかげで体が温まり、強張っていた心もほぐれるのを感じた。
その後、ヨミじいさんは今夜は宿に泊まるということで、ホールの柱時計の上で羽を休めた。後片付けのため、厨房で器を洗っているとき、私の胸の裡にはふと今後のことが頭をもたげた。
「圭史郎さん……明日の夜はどうします?」
「夜食のメニューを聞いているわけじゃないよな」
「誤魔化さないでくださいよ。カマクラコモリとキツネの親子、それに光希君のことです。明日の晩もキツネのお母さんに呼ばれて、光希君はカマクラコモリの中に入ってしまいますよね。このままだと、いずれ取り返しのつかないことになるんじゃないでしょうか」
鍋を片付けている圭史郎さんは神妙な顔つきをしている。
一時は安易に解決できると思われたが、カマクラコモリという上級あやかしがかかわっていたため、圭史郎さんでも対処を考えあぐねているようだ。ひっぱりを食べたのは、考える時間が必要だったからなのかもしれない。
「あれは非常に危うい状況だ。キツネの母親が光希を置いてカマクラコモリから出たら、光希が生贄になる。そうなると取り戻すのは困難だ。早急に手を打つ必要があるな」
「お母さんが、光希君を身代わりにするでしょうか。だって光希君は息子のイチでもあるんですよ?」
「自分が助かるためという理由でなくとも、息子のもとの姿を取り戻すためだとか、弾みで出てしまうということもありうる。何より、あの母親は今夜の俺たちの挙動で、最後のひとりがカマクラコモリに取り残されるというからくりを確信した。もっとも手っ取り早いのは、光希を人質に取って俺たちにかまくらに入れと命じ、ひとりを生贄にする方法だ。明日の晩は、そういう展開になると考えられる」
「あの優しそうなお母さんが、そんなひどいことをするとは思えません。圭史郎さんの思い込みですよ」
またもや意見が衝突し、圭史郎さんは怜悧な双眸を細めた。
私は唇を引き結んで、一歩も引かない意志を示す。
死んだ者があやかしになるのは怨念が残っているからだとか、復讐するためだとか、圭史郎さんは逐一あやかしが悪者であるかのような見解を述べるのだ。
キツネの母親は心から息子の身を案じていた。もしかしたら人間によくない感情を抱いているかもしれないけれど、我が子が見ている前で、私たちを脅迫するような真似をするはずがない。
ひとつだけ点灯させた蛍光灯の明かりが、銀色の作業台に反射して鈍い輝きを放っている。私の意見をくだらないと一蹴するかと思ったけれど、圭史郎さんは別のことを口にした。
「俺に考えがある。明日の晩、決着をつけよう」
「どうするんですか?」
「秘密だ。優香に詳細を話すと、ややこしくなるからな」
むっとした私は唇を尖らせた。
圭史郎さんは、私がその意見に反対すると思っているようだ。そんなことは聞いてみないとわからないのに。
「そうですか。私にも考えがありますけど、圭史郎さんには内緒です」
「……へえ。まあ、大体察しはつくけどな」
興味なさそうに呟き、あくびを零した圭史郎さんは厨房の電灯を消した。
もう夜も更けたので、そろそろ就寝しなければならない時刻だ。
けれど明日のために決心した私の目は冴えきっていた。
「そうじゃのう。山形では納豆が広く親しまれておる。鯖と合わせることを発案した者は天才じゃな」
ヨミじいさんもおいしそうに、嘴でつるりつるりとうどんを啄んでいる。
納豆のおかげで喉ごしよく食べられるので、つい箸が進んでしまう。
深夜のあやかし食堂には、うどんを啜るおいしそうな音が響いた。
「ひっぱりうどんは山形の村山地方が発祥らしい。鍋で茹でた乾麺を、各々が直接箸でひっぱりあげることから、『ひっぱり』と名づけられた。山ごもりするために自家製の納豆と乾麺を使用して、温かい家庭料理を手軽に作っていたのさ。そこに近年缶詰工場ができて、鯖缶の普及に伴い、ひっぱりの具として加えるようになった」
「なるほどのう。言われてみれば、鯖の切り身を入れたりはせんな」
「缶詰の油が、つゆに混じって濃厚になる。だから缶詰であることが肝なんだ。何より、手軽だからな」
料理として手軽に作れることは重要だ。しかもうどんの炭水化物だけでなく、大豆と魚も摂取できるので栄養価も抜群である。
ひっぱりうどんは寒い冬にぴったりの温かい家庭料理なのだ。
うどんを啜っていた私は、ふと首を捻る。
「ということは……ひっぱりに鯖缶を加えた発案者は、誰なのかわかっていないんですね?」
「誰だろうな。家庭料理だから、どこかの家庭の母親じゃないか?」
「もしかして、圭史郎さんだったりして」
「そんなわけないだろ」
まんざらでもなさそうに口端を引き上げる圭史郎さんの顔を見て、笑いが零れる。
ひっぱりうどんを食べたおかげで体が温まり、強張っていた心もほぐれるのを感じた。
その後、ヨミじいさんは今夜は宿に泊まるということで、ホールの柱時計の上で羽を休めた。後片付けのため、厨房で器を洗っているとき、私の胸の裡にはふと今後のことが頭をもたげた。
「圭史郎さん……明日の夜はどうします?」
「夜食のメニューを聞いているわけじゃないよな」
「誤魔化さないでくださいよ。カマクラコモリとキツネの親子、それに光希君のことです。明日の晩もキツネのお母さんに呼ばれて、光希君はカマクラコモリの中に入ってしまいますよね。このままだと、いずれ取り返しのつかないことになるんじゃないでしょうか」
鍋を片付けている圭史郎さんは神妙な顔つきをしている。
一時は安易に解決できると思われたが、カマクラコモリという上級あやかしがかかわっていたため、圭史郎さんでも対処を考えあぐねているようだ。ひっぱりを食べたのは、考える時間が必要だったからなのかもしれない。
「あれは非常に危うい状況だ。キツネの母親が光希を置いてカマクラコモリから出たら、光希が生贄になる。そうなると取り戻すのは困難だ。早急に手を打つ必要があるな」
「お母さんが、光希君を身代わりにするでしょうか。だって光希君は息子のイチでもあるんですよ?」
「自分が助かるためという理由でなくとも、息子のもとの姿を取り戻すためだとか、弾みで出てしまうということもありうる。何より、あの母親は今夜の俺たちの挙動で、最後のひとりがカマクラコモリに取り残されるというからくりを確信した。もっとも手っ取り早いのは、光希を人質に取って俺たちにかまくらに入れと命じ、ひとりを生贄にする方法だ。明日の晩は、そういう展開になると考えられる」
「あの優しそうなお母さんが、そんなひどいことをするとは思えません。圭史郎さんの思い込みですよ」
またもや意見が衝突し、圭史郎さんは怜悧な双眸を細めた。
私は唇を引き結んで、一歩も引かない意志を示す。
死んだ者があやかしになるのは怨念が残っているからだとか、復讐するためだとか、圭史郎さんは逐一あやかしが悪者であるかのような見解を述べるのだ。
キツネの母親は心から息子の身を案じていた。もしかしたら人間によくない感情を抱いているかもしれないけれど、我が子が見ている前で、私たちを脅迫するような真似をするはずがない。
ひとつだけ点灯させた蛍光灯の明かりが、銀色の作業台に反射して鈍い輝きを放っている。私の意見をくだらないと一蹴するかと思ったけれど、圭史郎さんは別のことを口にした。
「俺に考えがある。明日の晩、決着をつけよう」
「どうするんですか?」
「秘密だ。優香に詳細を話すと、ややこしくなるからな」
むっとした私は唇を尖らせた。
圭史郎さんは、私がその意見に反対すると思っているようだ。そんなことは聞いてみないとわからないのに。
「そうですか。私にも考えがありますけど、圭史郎さんには内緒です」
「……へえ。まあ、大体察しはつくけどな」
興味なさそうに呟き、あくびを零した圭史郎さんは厨房の電灯を消した。
もう夜も更けたので、そろそろ就寝しなければならない時刻だ。
けれど明日のために決心した私の目は冴えきっていた。
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