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第一章 カマクラコモリ
新たな生贄 2
ぐい、と後ろから首根を掴まれる。
「待て。迂闊なことをするな。優香が生贄にされるぞ」
圭史郎さんの険しい声音に、どきりとする。
そういえば彼は、キツネの母親が私たちの誰かを身代わりにするはずだと予想していた。
けれど、私はお母さんを信じてあげたかった。
それにここで疑えば、彼女のほうも私たち人間を信じてくれることはないだろう。
首根を掴まれながらも私は訴える。
「そんなことありませんよ! 私はお母さんを信じます」
キツネの母親は唇を噛みしめ、目線をさまよわせている。
母親の腕の力が緩んだためか、イチとなった光希君はふと立ち上がった。
「おともだち……」
七輪を回り込み、彼は私の目の前にやってきた。
私が手にしているキツネの人形に、小さな手が伸びる。
「今だ、コロ!」
突然の圭史郎さんの怒声に、びくりとしたとき。
ワンワンワン!
激しい犬の鳴き声が辺りに響き渡る。
「ひっ」
目を見開いた光希君の耳と尻尾が、ざわりとした。
首根を掴まれた私の体が引き倒される。
そのとき、開いたかまくらの入り口に、無数の黒い手が侵入するのを私の目が捉えた。
まるで漆黒の布のようなそれは、光希君の体を取り囲む。
「イチ!」
母親が我が子を守ろうと飛び出したとき、光希君の首の後ろから、ずるりと黒い手が何かを取り出した。
小さなキツネの子どもだ。
ぐったりとしたキツネの子は黒い手に掴まれて、かまくらの外に出る。振り向いた私は、漆黒の手が圭史郎さんの背中を起点として伸びているのを目にした。
圭史郎さんの目の色は、真紅に染まっていた。
「イチ、イチを返して!」
するりと引いた黒い手を追ったキツネの母親は、かまくらの外に出た。
はっとした私は、光希君に目を向ける。
いけない。
今、かまくらの中には光希君しかいない。
このままでは彼が生贄になってしまう。
尻餅をついていた私は慌てて立ち上がり、かまくらの中に入った。
「光希君、大丈夫ですか⁉」
仰向けに倒れている光希君を抱え起こすと、彼はすうすうと寝息を立てながら、気持ちよさそうに眠っている。もう耳と尻尾はついていなかった。頭を撫でてみても、そこに何かが生えていたような痕跡はない。どうやら子ぎつねのイチと分離することができたようだ。
「よかった……」
「優香!」
ほっと一息ついたとき、圭史郎さんの呼ぶ声が遠くに聞こえたような気がして、ふと振り向く。
「あっ……」
かまくらの入り口が、白い壁に塗り込められようとしていた。
まるで永久に閉ざすかのような絶望をもって、外の世界と隔絶されてしまう。
「圭史郎さん!」
カマクラコモリが新たな生贄を捕らえようとしているのだ。雪がねじ込まれた洞穴はもはや、腕一本しか通らないほど狭くなっている。これでは出られない。
小さくなった縁にいくつもの黒い手がかけられ、完全に閉じるのを阻止していた。
だが雪の壁はとてつもない力らしく、圭史郎さんが歯を食いしばっているさまが丸い穴越しに見える。
かまくら全体が振動するように、ぐらぐらと揺れた。七輪の明かりが消えて、暗闇になる。外でみんなが騒いでいる声が伝わってくる。このままでは、みんなも巻き添えを食ってしまう。
私はカマクラコモリに訴えた。
「お願いです、カマクラコモリ! 光希君を出してあげてください。この子を待っている両親がいるんです!」
せめて光希君だけは、帰してあげなければ。
そのとき、ふっ……と振動が止まった。
暗闇の中に一筋の光が射す。
圭史郎さんが懸命に支えていた雪壁はまるで溶けるように崩れ落ち、かまくらの入り口は、ぽっかりと開いた。
きっと、必死の訴えがカマクラコモリに届いたのだ。
しかしそこには、イチを抱きかかえたキツネの母親が静かに佇んでいた。
「どうぞ、お出になってください」
「お母さん……」
「その子を親元に帰してあげてください。子を失う辛さは私にも、よくわかりますから」
そう告げたキツネの母親はかまくらに入り、火の消えた七輪の前に座った。
いつもそうしているように。
ただ、今は息子のイチを抱いている。
「待て。迂闊なことをするな。優香が生贄にされるぞ」
圭史郎さんの険しい声音に、どきりとする。
そういえば彼は、キツネの母親が私たちの誰かを身代わりにするはずだと予想していた。
けれど、私はお母さんを信じてあげたかった。
それにここで疑えば、彼女のほうも私たち人間を信じてくれることはないだろう。
首根を掴まれながらも私は訴える。
「そんなことありませんよ! 私はお母さんを信じます」
キツネの母親は唇を噛みしめ、目線をさまよわせている。
母親の腕の力が緩んだためか、イチとなった光希君はふと立ち上がった。
「おともだち……」
七輪を回り込み、彼は私の目の前にやってきた。
私が手にしているキツネの人形に、小さな手が伸びる。
「今だ、コロ!」
突然の圭史郎さんの怒声に、びくりとしたとき。
ワンワンワン!
激しい犬の鳴き声が辺りに響き渡る。
「ひっ」
目を見開いた光希君の耳と尻尾が、ざわりとした。
首根を掴まれた私の体が引き倒される。
そのとき、開いたかまくらの入り口に、無数の黒い手が侵入するのを私の目が捉えた。
まるで漆黒の布のようなそれは、光希君の体を取り囲む。
「イチ!」
母親が我が子を守ろうと飛び出したとき、光希君の首の後ろから、ずるりと黒い手が何かを取り出した。
小さなキツネの子どもだ。
ぐったりとしたキツネの子は黒い手に掴まれて、かまくらの外に出る。振り向いた私は、漆黒の手が圭史郎さんの背中を起点として伸びているのを目にした。
圭史郎さんの目の色は、真紅に染まっていた。
「イチ、イチを返して!」
するりと引いた黒い手を追ったキツネの母親は、かまくらの外に出た。
はっとした私は、光希君に目を向ける。
いけない。
今、かまくらの中には光希君しかいない。
このままでは彼が生贄になってしまう。
尻餅をついていた私は慌てて立ち上がり、かまくらの中に入った。
「光希君、大丈夫ですか⁉」
仰向けに倒れている光希君を抱え起こすと、彼はすうすうと寝息を立てながら、気持ちよさそうに眠っている。もう耳と尻尾はついていなかった。頭を撫でてみても、そこに何かが生えていたような痕跡はない。どうやら子ぎつねのイチと分離することができたようだ。
「よかった……」
「優香!」
ほっと一息ついたとき、圭史郎さんの呼ぶ声が遠くに聞こえたような気がして、ふと振り向く。
「あっ……」
かまくらの入り口が、白い壁に塗り込められようとしていた。
まるで永久に閉ざすかのような絶望をもって、外の世界と隔絶されてしまう。
「圭史郎さん!」
カマクラコモリが新たな生贄を捕らえようとしているのだ。雪がねじ込まれた洞穴はもはや、腕一本しか通らないほど狭くなっている。これでは出られない。
小さくなった縁にいくつもの黒い手がかけられ、完全に閉じるのを阻止していた。
だが雪の壁はとてつもない力らしく、圭史郎さんが歯を食いしばっているさまが丸い穴越しに見える。
かまくら全体が振動するように、ぐらぐらと揺れた。七輪の明かりが消えて、暗闇になる。外でみんなが騒いでいる声が伝わってくる。このままでは、みんなも巻き添えを食ってしまう。
私はカマクラコモリに訴えた。
「お願いです、カマクラコモリ! 光希君を出してあげてください。この子を待っている両親がいるんです!」
せめて光希君だけは、帰してあげなければ。
そのとき、ふっ……と振動が止まった。
暗闇の中に一筋の光が射す。
圭史郎さんが懸命に支えていた雪壁はまるで溶けるように崩れ落ち、かまくらの入り口は、ぽっかりと開いた。
きっと、必死の訴えがカマクラコモリに届いたのだ。
しかしそこには、イチを抱きかかえたキツネの母親が静かに佇んでいた。
「どうぞ、お出になってください」
「お母さん……」
「その子を親元に帰してあげてください。子を失う辛さは私にも、よくわかりますから」
そう告げたキツネの母親はかまくらに入り、火の消えた七輪の前に座った。
いつもそうしているように。
ただ、今は息子のイチを抱いている。
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