1 / 59
鳳凰木の下で 1
しおりを挟む
澄み渡る青空の下、紅い鳳凰木の花弁は霊鳥が羽根を広げるように咲き乱れている。
その花を庭先から見上げていた春暁宮煌は、ふと視線を落として己の身に纏う着物の袂を広げた。朱の着物は燃えるような花の色味と相違ない。まるで自分が鳳凰になって飛んでいけるようだ。
煌は、くすりと笑みを零した。
こっそり妹の紗綾のものを拝借した女物の着物だ。まだ赤子の紗綾には勿体ない。着物は六歳の煌に誂えたように丁度良かった。長めの髪を結い上げて、お手製の髪飾りを付ければ本物の女の子のように見える。
もちろん屋敷にいる侍従や女官たちに見つかれば、煌王子が悪戯したと叱られてしまうだろう。だから秘かに鏡を見て満悦したり、裏庭を散歩してみるだけだ。
女の子になりたいという願望があるわけではない。
けれど、違う自分になってみたいという想いは胸の裡に燻っていた。
煌は己の存在意義が周りの大人たちにとって薄いのだと、子ども心に気づいていた。
三十番目の王子。
それが煌が生まれ出でたときから与えられた称号だった。
父である瑠璃国の王とは数えるほどしか顔を合わせたことがない。王宮の儀式の際に正妃さまと一番目のお兄様が通るとき、母は煌を抱き寄せて平伏するように頭を垂れた。見れば儀式のため並べられた座席は生れた順で、三十番目の煌の席は玉座からもっとも離れた位置にある。父の座る朱塗りの椅子は、果てしなく遠い。
元女官だった妃の母は、煌は大切な王子で尊い身分なのだと繰り返し説いた。
母の必死な様子に、それが嘘なのだと朧気に感じる。
僕は王様になれないって知ってるのに。
何にもなれない。自分以外の、何者にも。
だから女装してみたのは、ささやかな反逆だった。
変装すると、なんて心が軽やかになるんだろう。違う自分になるのは、こんなにも心躍るものなのだ。
チリンと鳴る鈴ぽっくりで飛び跳ねながら、木戸をくぐり王宮の東側にある庭園に入った。南国の色鮮やかな花々が咲き誇る庭園には、煌の住む屋敷と同じように鳳凰木が立ち並んでいる。樹木のむこうには、賓客をもてなす豪奢な屋敷の屋根瓦が連なっていた。
隆起した木の根を飛び越えて着地する。軟らかい土のせいか、ぽっくりがぐらりと傾いた。
「あっ」
途端に腕を伸ばしたが、掴まろうとした鳳凰木の幹は遠すぎた。
転んでしまう。着物が土に汚れてしまう。
けれど予想した衝撃は訪れず、土に塗れるはずだった体は温かなものに包まれた。
驚いて顔を上げれば、空と同じ色の眸がこちらをじっと見つめている。そよぐ風になびく金色の髪は、まるで黄金の杯が溶けて天へ還っていくさまを思わせた。魅入られるように惚けていると、碧い眸の持ち主は薄い唇を開いた。
「怪我はないか」
「あ……はい」
彼が受け止めてくれたのだ。誰なんだろう。初めて見る異国の人だ。
端正な面立ちの異国の少年は、煌よりずっと背が高い。年齢も上の兄様方くらいだ。簡素なシャツとトラウザーズ姿だけれど、佇まいは気品に溢れている。王宮の賓客だろうか。
彼の体に未だ縋りついていたことに気づき、慌てて体を離して腕から逃れる。ぽっくりが脱げていたので、少々体が傾いた。
「失礼する」
少年はつと屈むと、優美な所作で煌の足首に手をかけた。幼い煌には彼が何をしようとしているのか予想ができず、睫毛を瞬かせる。少年の澄んだ眸に見上げられ、心臓がとくりと跳ねた。
「私の肩に手を置いて」
柔らかな微笑で告げられ、言われるまま彼の肩に手を付く。絹のシャツ越しに感じる皮膚の感触が伝わり、なぜかまた鼓動が跳ねる。
少年は煌の足首を取ると、己の膝の上にそっと乗せた。土の付着した白足袋が、純白のトラウザーズを汚す。
「汚れちゃうよ」
「気にしなくていい」
掌を這わせて、足袋底の土を擦り落としていく。足裏から伝わる未知の感触が、心地良くもどこか恥ずかしい。少年が脱げたぽっくりを手に取ると、鈴の音がころりと鳴った。踵を支えられて、紅縮緬の鼻緒に爪先を通される。ぽっくりを履いた白足袋を大事ないか確かめるようにひと撫でした少年は、ようやく立ち上がった。
「これでいい」
「ありがとう」
こんなことは誰にもされたことがない。何だか胸の奥がざわめいてしまう。
目元を緩ませた少年は、煌の顔に眼差しを注いでいる。愛しげに見つめられて、きゅうと胸が引き絞られるような甘い痛みを覚えた。
「私は、アレ……ン……」
名を名乗ったようだが、流暢な外国語で聞き取れない。アレン、だろうか。
アレンは、はにかんだ笑みを浮かべながら汚れていないほうの右掌を差し出した。
その花を庭先から見上げていた春暁宮煌は、ふと視線を落として己の身に纏う着物の袂を広げた。朱の着物は燃えるような花の色味と相違ない。まるで自分が鳳凰になって飛んでいけるようだ。
煌は、くすりと笑みを零した。
こっそり妹の紗綾のものを拝借した女物の着物だ。まだ赤子の紗綾には勿体ない。着物は六歳の煌に誂えたように丁度良かった。長めの髪を結い上げて、お手製の髪飾りを付ければ本物の女の子のように見える。
もちろん屋敷にいる侍従や女官たちに見つかれば、煌王子が悪戯したと叱られてしまうだろう。だから秘かに鏡を見て満悦したり、裏庭を散歩してみるだけだ。
女の子になりたいという願望があるわけではない。
けれど、違う自分になってみたいという想いは胸の裡に燻っていた。
煌は己の存在意義が周りの大人たちにとって薄いのだと、子ども心に気づいていた。
三十番目の王子。
それが煌が生まれ出でたときから与えられた称号だった。
父である瑠璃国の王とは数えるほどしか顔を合わせたことがない。王宮の儀式の際に正妃さまと一番目のお兄様が通るとき、母は煌を抱き寄せて平伏するように頭を垂れた。見れば儀式のため並べられた座席は生れた順で、三十番目の煌の席は玉座からもっとも離れた位置にある。父の座る朱塗りの椅子は、果てしなく遠い。
元女官だった妃の母は、煌は大切な王子で尊い身分なのだと繰り返し説いた。
母の必死な様子に、それが嘘なのだと朧気に感じる。
僕は王様になれないって知ってるのに。
何にもなれない。自分以外の、何者にも。
だから女装してみたのは、ささやかな反逆だった。
変装すると、なんて心が軽やかになるんだろう。違う自分になるのは、こんなにも心躍るものなのだ。
チリンと鳴る鈴ぽっくりで飛び跳ねながら、木戸をくぐり王宮の東側にある庭園に入った。南国の色鮮やかな花々が咲き誇る庭園には、煌の住む屋敷と同じように鳳凰木が立ち並んでいる。樹木のむこうには、賓客をもてなす豪奢な屋敷の屋根瓦が連なっていた。
隆起した木の根を飛び越えて着地する。軟らかい土のせいか、ぽっくりがぐらりと傾いた。
「あっ」
途端に腕を伸ばしたが、掴まろうとした鳳凰木の幹は遠すぎた。
転んでしまう。着物が土に汚れてしまう。
けれど予想した衝撃は訪れず、土に塗れるはずだった体は温かなものに包まれた。
驚いて顔を上げれば、空と同じ色の眸がこちらをじっと見つめている。そよぐ風になびく金色の髪は、まるで黄金の杯が溶けて天へ還っていくさまを思わせた。魅入られるように惚けていると、碧い眸の持ち主は薄い唇を開いた。
「怪我はないか」
「あ……はい」
彼が受け止めてくれたのだ。誰なんだろう。初めて見る異国の人だ。
端正な面立ちの異国の少年は、煌よりずっと背が高い。年齢も上の兄様方くらいだ。簡素なシャツとトラウザーズ姿だけれど、佇まいは気品に溢れている。王宮の賓客だろうか。
彼の体に未だ縋りついていたことに気づき、慌てて体を離して腕から逃れる。ぽっくりが脱げていたので、少々体が傾いた。
「失礼する」
少年はつと屈むと、優美な所作で煌の足首に手をかけた。幼い煌には彼が何をしようとしているのか予想ができず、睫毛を瞬かせる。少年の澄んだ眸に見上げられ、心臓がとくりと跳ねた。
「私の肩に手を置いて」
柔らかな微笑で告げられ、言われるまま彼の肩に手を付く。絹のシャツ越しに感じる皮膚の感触が伝わり、なぜかまた鼓動が跳ねる。
少年は煌の足首を取ると、己の膝の上にそっと乗せた。土の付着した白足袋が、純白のトラウザーズを汚す。
「汚れちゃうよ」
「気にしなくていい」
掌を這わせて、足袋底の土を擦り落としていく。足裏から伝わる未知の感触が、心地良くもどこか恥ずかしい。少年が脱げたぽっくりを手に取ると、鈴の音がころりと鳴った。踵を支えられて、紅縮緬の鼻緒に爪先を通される。ぽっくりを履いた白足袋を大事ないか確かめるようにひと撫でした少年は、ようやく立ち上がった。
「これでいい」
「ありがとう」
こんなことは誰にもされたことがない。何だか胸の奥がざわめいてしまう。
目元を緩ませた少年は、煌の顔に眼差しを注いでいる。愛しげに見つめられて、きゅうと胸が引き絞られるような甘い痛みを覚えた。
「私は、アレ……ン……」
名を名乗ったようだが、流暢な外国語で聞き取れない。アレン、だろうか。
アレンは、はにかんだ笑みを浮かべながら汚れていないほうの右掌を差し出した。
14
あなたにおすすめの小説
【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている
キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。
今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。
魔法と剣が支配するリオセルト大陸。
平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。
過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。
すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。
――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。
切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。
お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /チャッピー
AI比較企画作品
あなたと過ごせた日々は幸せでした
蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。
愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない
了承
BL
卒業パーティー。
皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。
青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。
皇子が目を向けた、その瞬間——。
「この瞬間だと思った。」
すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。
IFストーリーあり
誤字あれば報告お願いします!
君に望むは僕の弔辞
爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。
全9話
匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意
表紙はあいえだ様!!
小説家になろうにも投稿
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
愛され少年と嫌われ少年
透
BL
美しい容姿と高い魔力を持ち、誰からも愛される公爵令息のアシェル。アシェルは王子の不興を買ったことで、「顔を焼く」という重い刑罰を受けることになってしまった。
顔を焼かれる苦痛と恐怖に絶叫した次の瞬間、アシェルはまったく別の場所で別人になっていた。それは同じクラスの少年、顔に大きな痣がある、醜い嫌われ者のノクスだった。
元に戻る方法はわからない。戻れたとしても焼かれた顔は醜い。さらにアシェルはノクスになったことで、自分が顔しか愛されていなかった現実を知ってしまう…。
【嫌われ少年の幼馴染(騎士団所属)×愛され少年】
※本作はムーンライトノベルズでも公開しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる