煌めく氷のロマンシア

沖田弥子

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鳳凰木の下で 1

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 澄み渡る青空の下、紅い鳳凰木の花弁は霊鳥が羽根を広げるように咲き乱れている。
 その花を庭先から見上げていた春暁宮はるあかつきのみやきらは、ふと視線を落として己の身に纏う着物の袂を広げた。朱の着物は燃えるような花の色味と相違ない。まるで自分が鳳凰になって飛んでいけるようだ。
 煌は、くすりと笑みを零した。
 こっそり妹の紗綾さあやのものを拝借した女物の着物だ。まだ赤子の紗綾には勿体ない。着物は六歳の煌に誂えたように丁度良かった。長めの髪を結い上げて、お手製の髪飾りを付ければ本物の女の子のように見える。
 もちろん屋敷にいる侍従や女官たちに見つかれば、煌王子が悪戯したと叱られてしまうだろう。だから秘かに鏡を見て満悦したり、裏庭を散歩してみるだけだ。
 女の子になりたいという願望があるわけではない。
 けれど、違う自分になってみたいという想いは胸の裡に燻っていた。
 煌は己の存在意義が周りの大人たちにとって薄いのだと、子ども心に気づいていた。
 三十番目の王子。
 それが煌が生まれ出でたときから与えられた称号だった。
 父である瑠璃国の王とは数えるほどしか顔を合わせたことがない。王宮の儀式の際に正妃さまと一番目のお兄様が通るとき、母は煌を抱き寄せて平伏するように頭を垂れた。見れば儀式のため並べられた座席は生れた順で、三十番目の煌の席は玉座からもっとも離れた位置にある。父の座る朱塗りの椅子は、果てしなく遠い。
 元女官だった妃の母は、煌は大切な王子で尊い身分なのだと繰り返し説いた。
 母の必死な様子に、それが嘘なのだと朧気に感じる。
 僕は王様になれないって知ってるのに。
 何にもなれない。自分以外の、何者にも。
 だから女装してみたのは、ささやかな反逆だった。
 変装すると、なんて心が軽やかになるんだろう。違う自分になるのは、こんなにも心躍るものなのだ。
 チリンと鳴る鈴ぽっくりで飛び跳ねながら、木戸をくぐり王宮の東側にある庭園に入った。南国の色鮮やかな花々が咲き誇る庭園には、煌の住む屋敷と同じように鳳凰木が立ち並んでいる。樹木のむこうには、賓客をもてなす豪奢な屋敷の屋根瓦が連なっていた。
 隆起した木の根を飛び越えて着地する。軟らかい土のせいか、ぽっくりがぐらりと傾いた。

「あっ」

 途端に腕を伸ばしたが、掴まろうとした鳳凰木の幹は遠すぎた。
 転んでしまう。着物が土に汚れてしまう。
 けれど予想した衝撃は訪れず、土に塗れるはずだった体は温かなものに包まれた。
 驚いて顔を上げれば、空と同じ色の眸がこちらをじっと見つめている。そよぐ風になびく金色の髪は、まるで黄金の杯が溶けて天へ還っていくさまを思わせた。魅入られるように惚けていると、碧い眸の持ち主は薄い唇を開いた。

「怪我はないか」
「あ……はい」

 彼が受け止めてくれたのだ。誰なんだろう。初めて見る異国の人だ。
 端正な面立ちの異国の少年は、煌よりずっと背が高い。年齢も上の兄様方くらいだ。簡素なシャツとトラウザーズ姿だけれど、佇まいは気品に溢れている。王宮の賓客だろうか。
 彼の体に未だ縋りついていたことに気づき、慌てて体を離して腕から逃れる。ぽっくりが脱げていたので、少々体が傾いた。

「失礼する」

 少年はつと屈むと、優美な所作で煌の足首に手をかけた。幼い煌には彼が何をしようとしているのか予想ができず、睫毛を瞬かせる。少年の澄んだ眸に見上げられ、心臓がとくりと跳ねた。

「私の肩に手を置いて」

 柔らかな微笑で告げられ、言われるまま彼の肩に手を付く。絹のシャツ越しに感じる皮膚の感触が伝わり、なぜかまた鼓動が跳ねる。
 少年は煌の足首を取ると、己の膝の上にそっと乗せた。土の付着した白足袋が、純白のトラウザーズを汚す。

「汚れちゃうよ」
「気にしなくていい」

 掌を這わせて、足袋底の土を擦り落としていく。足裏から伝わる未知の感触が、心地良くもどこか恥ずかしい。少年が脱げたぽっくりを手に取ると、鈴の音がころりと鳴った。踵を支えられて、紅縮緬の鼻緒に爪先を通される。ぽっくりを履いた白足袋を大事ないか確かめるようにひと撫でした少年は、ようやく立ち上がった。

「これでいい」
「ありがとう」

 こんなことは誰にもされたことがない。何だか胸の奥がざわめいてしまう。
 目元を緩ませた少年は、煌の顔に眼差しを注いでいる。愛しげに見つめられて、きゅうと胸が引き絞られるような甘い痛みを覚えた。

「私は、アレ……ン……」

 名を名乗ったようだが、流暢な外国語で聞き取れない。アレン、だろうか。
 アレンは、はにかんだ笑みを浮かべながら汚れていないほうの右掌を差し出した。
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