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毛糸の帽子 2
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「毛糸屋で買い物をするんです。ユーリイさまに手袋やセーターを編んであげようと思いまして」
煌の腰辺りに隠れたユーリイは、ちらりと顔を覗かせた。七色のポンポンが窺うように揺れる。皇子らしくないと反対されることを怖れているのだろうか。
「その帽子はキラが編んだのか?」
「はい。僕の帽子とお揃いなんです。ね、ユーリイさま」
こくりと頷いたユーリイに、アレクは口元を綻ばせた。
「よく似合っている」
腰にしがみついているユーリイが、力を抜いたのが伝わった。
周りには居丈高で煌にも遠慮のないユーリイだが、やはり皇帝であるアレクを怖れている。煌にも覚えのある感情だ。父として以上に一国の君主なので、甘えは許されないのだ。
特に毛糸に関しては何か拘りがあるようだった。
ユーリイの手を引いて、黒塗りの馬車へ乗り込む。アレクとユーリイ、そして煌が羅紗張りの座席に掛けると、隣にとある人物が乗り込んできた。
「失礼いたします」
「し……っ、志音⁉」
紅宮殿で留守番をしているはずの志音がなぜか、爽やかな笑顔で隣に着席する。丁寧な所作で扉を閉めてくれたミハイルを残して、馬車は停車場から滑り出す。
「わたくしもお伴いたします。皇帝陛下ならびに侍従長の許可は得ております」
そういえば毎日留守番ばかりで退屈だと零していた。特別侍従の仕事のためとはいえ、煌ばかり外出して申し訳ないとは思うが、ふたりともいなければ紅宮殿は空になる。
煌は小声で訴えた。狭い車内ではあるが、言わずにはいられない。
「大丈夫か、志音。紅宮殿に誰もいなくなったらまずいだろ」
「平気ですよ。ツァーリもここにいらっしゃるんですから。紗綾姫はお加減が優れないので寝室に篭っておられるということになってますからね。ツァーリ以外に紅宮殿の寝室に踏み込むような人はいませんから、紗綾姫の不在は誰にもバレません」
なるほど。アレクの動向さえ押さえておけば心配ないということか。ひとまず納得した煌だったが、早速新たな課題が眼前に提示された。
「志音といったか。キラとは元から知り合いだったようだな」
真っ直ぐに正面のふたりを見据えるアレクの澄んだ眼差しに、呼吸が止まりそうになる。つい普段の調子で志音に接してしまったが、紗綾姫の侍従と皇子の特別侍従は初対面であるはずだったのだ。息を呑む煌に反して、志音はにこやかに頷いた。
「はい、ツァーリ。実は煌さまとわたくしは住んでいたところが近場だったので、兄弟のように育ったのです」
「ほう、そうなのか。そういえばキラも瑠璃国出身だったな。ロマンシアで再会するとは偶然だ」
「そうですね。素晴らしい偶然です。わたくしも驚きました」
偶然ということになり、どうにか難を逃れた。
一息吐いたが、アレクはついと煌に視線を据える。
「そういえば紗綾も編み物が得意だ。兄弟のように育ったということは、キラも紗綾の侍従で編み物の手ほどきをしていたのか?」
煌は混乱した。紗綾が編み物が得意という情報は、どこからやってきたのだ。妹が編み棒を持っているところなど見たことがない。紅宮殿では紗綾姫の格好で以前から編み物をしていたが、アレクに見られたことはないはずなのだが。
とにかくここは話を合わせておかなければ。
煌は冷や汗を掻きながら必死に平静を繕う。
「ええ、あの、僕は宮廷付きの編み物師でした。紗綾姫に手ほどきもいたしました。姫はとてもお上手でして素晴らしい作品の数々をお作りになられました」
棒読みになってしまったが、アレクは深く頷いてくれた。本当は宮廷付きの編み物師という職位は存在しないのだが、遠い異国の文化なので有り得ると納得してくれたようだ。
色々と話してしまえば辻褄が合わなくなる。宮廷付きの編み物師がどうして紗綾姫とは別行動でロマンシアへ来たのか、という質問が次に飛んでくるであろうことは容易に予測できた。
そのとき、窓に張り付いて外を眺めていたユーリイが声を上げた。
「あれだキラ! あれ見て!」
「え? どうしました?」
天使の救いとばかりに安堵してユーリイに顔を寄せる。ユーリイが指差した先には、母子らしき街人が路を歩いている姿が見えた。
母に手を引かれる子どもが嵌めている手袋に、黒と白で編まれた熊猫が付いている。一瞬で追い越した馬車の車窓には、母子の後ろ姿が映った。
「あのくまがいい。みんなあのてぶくろをつけているんだ。ボクもあれがいい……」
焦がれるように車窓の彼方を見つめるユーリイ。
煌は、ユーリイの求める輪郭に気がついた。
彼には母親がいない。ユーリイを産んですぐ亡くなったのだ。
あの熊猫の手袋は母親が子どもに編んであげるものだ。もっと上等な革の手袋を与えられる身分にも関わらず、ユーリイは手編みのものが欲しいのである。母親の編んでくれた、毛糸の帽子に手袋、それにセーター。
煌の腰辺りに隠れたユーリイは、ちらりと顔を覗かせた。七色のポンポンが窺うように揺れる。皇子らしくないと反対されることを怖れているのだろうか。
「その帽子はキラが編んだのか?」
「はい。僕の帽子とお揃いなんです。ね、ユーリイさま」
こくりと頷いたユーリイに、アレクは口元を綻ばせた。
「よく似合っている」
腰にしがみついているユーリイが、力を抜いたのが伝わった。
周りには居丈高で煌にも遠慮のないユーリイだが、やはり皇帝であるアレクを怖れている。煌にも覚えのある感情だ。父として以上に一国の君主なので、甘えは許されないのだ。
特に毛糸に関しては何か拘りがあるようだった。
ユーリイの手を引いて、黒塗りの馬車へ乗り込む。アレクとユーリイ、そして煌が羅紗張りの座席に掛けると、隣にとある人物が乗り込んできた。
「失礼いたします」
「し……っ、志音⁉」
紅宮殿で留守番をしているはずの志音がなぜか、爽やかな笑顔で隣に着席する。丁寧な所作で扉を閉めてくれたミハイルを残して、馬車は停車場から滑り出す。
「わたくしもお伴いたします。皇帝陛下ならびに侍従長の許可は得ております」
そういえば毎日留守番ばかりで退屈だと零していた。特別侍従の仕事のためとはいえ、煌ばかり外出して申し訳ないとは思うが、ふたりともいなければ紅宮殿は空になる。
煌は小声で訴えた。狭い車内ではあるが、言わずにはいられない。
「大丈夫か、志音。紅宮殿に誰もいなくなったらまずいだろ」
「平気ですよ。ツァーリもここにいらっしゃるんですから。紗綾姫はお加減が優れないので寝室に篭っておられるということになってますからね。ツァーリ以外に紅宮殿の寝室に踏み込むような人はいませんから、紗綾姫の不在は誰にもバレません」
なるほど。アレクの動向さえ押さえておけば心配ないということか。ひとまず納得した煌だったが、早速新たな課題が眼前に提示された。
「志音といったか。キラとは元から知り合いだったようだな」
真っ直ぐに正面のふたりを見据えるアレクの澄んだ眼差しに、呼吸が止まりそうになる。つい普段の調子で志音に接してしまったが、紗綾姫の侍従と皇子の特別侍従は初対面であるはずだったのだ。息を呑む煌に反して、志音はにこやかに頷いた。
「はい、ツァーリ。実は煌さまとわたくしは住んでいたところが近場だったので、兄弟のように育ったのです」
「ほう、そうなのか。そういえばキラも瑠璃国出身だったな。ロマンシアで再会するとは偶然だ」
「そうですね。素晴らしい偶然です。わたくしも驚きました」
偶然ということになり、どうにか難を逃れた。
一息吐いたが、アレクはついと煌に視線を据える。
「そういえば紗綾も編み物が得意だ。兄弟のように育ったということは、キラも紗綾の侍従で編み物の手ほどきをしていたのか?」
煌は混乱した。紗綾が編み物が得意という情報は、どこからやってきたのだ。妹が編み棒を持っているところなど見たことがない。紅宮殿では紗綾姫の格好で以前から編み物をしていたが、アレクに見られたことはないはずなのだが。
とにかくここは話を合わせておかなければ。
煌は冷や汗を掻きながら必死に平静を繕う。
「ええ、あの、僕は宮廷付きの編み物師でした。紗綾姫に手ほどきもいたしました。姫はとてもお上手でして素晴らしい作品の数々をお作りになられました」
棒読みになってしまったが、アレクは深く頷いてくれた。本当は宮廷付きの編み物師という職位は存在しないのだが、遠い異国の文化なので有り得ると納得してくれたようだ。
色々と話してしまえば辻褄が合わなくなる。宮廷付きの編み物師がどうして紗綾姫とは別行動でロマンシアへ来たのか、という質問が次に飛んでくるであろうことは容易に予測できた。
そのとき、窓に張り付いて外を眺めていたユーリイが声を上げた。
「あれだキラ! あれ見て!」
「え? どうしました?」
天使の救いとばかりに安堵してユーリイに顔を寄せる。ユーリイが指差した先には、母子らしき街人が路を歩いている姿が見えた。
母に手を引かれる子どもが嵌めている手袋に、黒と白で編まれた熊猫が付いている。一瞬で追い越した馬車の車窓には、母子の後ろ姿が映った。
「あのくまがいい。みんなあのてぶくろをつけているんだ。ボクもあれがいい……」
焦がれるように車窓の彼方を見つめるユーリイ。
煌は、ユーリイの求める輪郭に気がついた。
彼には母親がいない。ユーリイを産んですぐ亡くなったのだ。
あの熊猫の手袋は母親が子どもに編んであげるものだ。もっと上等な革の手袋を与えられる身分にも関わらず、ユーリイは手編みのものが欲しいのである。母親の編んでくれた、毛糸の帽子に手袋、それにセーター。
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