乙女怪盗ジョゼフィーヌ

沖田弥子

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第四章 古城の幽霊城主と乙女怪盗

星空の下

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 すごい勢いで賛同する。
 アランと父上は気まずそうに俯くと、同時にグラスに口をつけた。
 フランソワは穏やかな笑みを浮かべて母上のグラスにワインを注ぐ。座りながら向かいのグラスにワインを注ぐのは初めて見るシチュエーションだが、さすが完璧執事はさまになっている。ワインボトルを注ぐ角度も美しく、赤い液体がとくりと流れた。

「アラン警部はどんなお子様だったのでしょうか? 警察本部では大変な実力者ですから、きっと幼少の頃より優秀だったのでしょうね」

 それ、私も聞きたいな。
 アランはすでに、額に手を宛てている。母上はワインの勢いも手伝い、上気した頬で楽しげに語りだした。

「あら、そんなことないのよ。その反対よ。学校サボってケイドロごっこばっかり! 先生から何度も注意されて反省するどころか『俺は刑事になる!』なんて威張ってるのよ呆れちゃうわ誰に似たのかしら。ねえ、あなた」
「う、うむ……」

 アランは父親似のようだ。きっと父上の子どもの頃も、そういった男の子の遊びに夢中になっていたのだろう。
 父と息子が頭を抱えるなか、母上の楽しい昔話は夜更けまで続いた。



 深夜、木製ベッドの中でコットンの上掛けに包まれたノエルはふと目を覚ました。
 トイレットに行きたい……。
 フランソワの眠っている客間は向かいなので、勇気を振り絞ってベッドから身を起こし扉を開ける。
 ぎい、と軋んだ音が暗い廊下に響いた。

「ひいい……」

 お化けなんていない、お化けなんていない。
 呪文を唱えながら暗闇のなか、向かいの扉をノックする。

「ねえ、フランソワ。トイレットに行きたいんだけど。付いてきてよ」
「合い言葉を言いなさい。むにゃ……」

 くぐもった声が返ってきた。合い言葉なんて決めていない。寝言だろうか。
 ノエルは思い当たる台詞をきっぱりと言い放った。

「フランソワの料理は世界一まずい」

 静寂。
 ノックを繰り返すが、返事はない。
 どうやら合い言葉を間違えたようだ。

「しょうがない……。ひとりで行こう」

 身を竦めて廊下を一歩ずつ進んでいくと、ふと窓越しに影を見つけて心臓が跳ね上がる。叫びそうになり慌てて口元を覆うが、月明かりを浴びて歩む姿はよく見慣れた人影だった。
 アランだ。こんな時間に何をしているのだろう。
 興味が湧いたノエルは、あんなにも怖れていた暗闇をものともせず一階へ下り、トイレットで用を済ませると、玄関を出た。
 気配に気づいたアランが、ふと振り向く。

「どうした。眠れないのか?」
「え、ええ……アランも?」

 隠れようにも出口は玄関しかないし、扉を開けたら目の前にいたのですぐに見つかってしまった。アランは怯んだ様子もなく寝巻姿だ。夜の散歩らしい。

「星を見ていたんだ。夕陽も美しいが、星も綺麗だろう」

 見上げれば、空には満天の星が瞬いていた。
 星が運河のように連なり、夜空はまるで大陸、海、川と、地図のごとく描かれている。
 まるで壮大な別世界のよう。

「わあ……すごい……」

 ノエルは感嘆の息を零して星空に見入った。
 父上の大切にしていた『天空の星』も、こんなふうに輝く宝石なのだろうか。
 隣で空を見上げていたアランが、ふいにノエルの横顔に目をむけた。

「俺は、ノエルが乙女怪盗かと予想していた」
「えっ? いえ、まさか……」

 突然の指摘に驚いて声が裏返ってしまう。
 まさにその通りなのだが、疑いはもう晴れているのだとばかり思っていた。パーティーでの硝子の破片は失態だったが、アランは何も言ってこなかったからだ。実はコンパクトが壊れたのを思い出したという台詞を用意していたのに。

「だがノエルを知れば知るほど、狡猾で俊敏な乙女怪盗とはかけ離れている。暑さでだらけているやら、門に挟まって鈍くさいやら。しかも無知で世間知らずときた。俺は自分の考えが間違っているのではないかと今更思い始めてきた」
「はあ……」

 褒め言葉かな? その通りですけど。
 計算しているわけではないけれど、幼い頃から男子として偽りの姿でいることが当たり前の生活を送ってきたので、ノエルとジョゼフィーヌというふたつの顔を上手に使い分けることが自然と身についてしまったのだ。
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