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第一章

美貌の店主 1

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 衝撃的な光景を目の当たりにすると、脳は咄嗟に処理できず、受け入れようとする方向に働くのだと、僕は新たな経験をした。
 ウミネコはくるりと黄色い足を回転させて、僕に向き直る。頭頂部から生えている白い毛が、ふわりと揺れた。通常のウミネコは頭から飛び出ている毛などないのだが、兜丸にはまるで頭を覆う兜のごとく純白の毛が垂れ下がり、顔周りを飾っていた。
 兜丸は堂々と言い放つ。

「こちらの御方をどなたと心得ておるのです。平清盛様の九男、清光様であらせられる」
「……はあ」
「そしてわたくしは、清光様の侍従・兜丸であります。ウミネコの姿で失礼つかまつる」
「はあ……どうも」

 仰々しい自己紹介に呆けることしかできない。
 とりあえず名乗られたからには、僕も名前を教えるのが礼儀というものだ。

「僕は天藤蓮です。飛島には小学生のとき、五年間だけ住んでいました。よろしく」

 平清盛の九男だという店主、清光は品の良い笑みを浮かべる。
 まさか歴史に登場する平家一族の頭領、平清盛のことじゃないよね。同姓同名の人かな。

「蓮か。よい名だ」
「はあ……そうかな」

 なんだか清光の態度はどこぞの若様みたいだ。偉そうというわけじゃないけれど、身分の高そうな気配が言動に滲んでいる。
 僕が五十年間でひとり目の客らしいけれど、確かにこの寂れた喫茶店に店主らしくない清光と、喋る怪しいウミネコがいたら誰も来ないかもしれない。
 というか、兜丸の『ゲロゲロ』を聴いた時点でふつうの人は席を立つ。僕は怖いもの見たさで席を立てなかったのだ。

「兜丸が失礼なことを言ってすまない。彼は私の侍従だったので、昔の栄華が忘れられないのだ」
「清光様……! わたくしは死してあやかしになっても、永久に清光様の侍従にございます!」
「わかっている。そなたの忠義には感謝している。兜丸がいなければ、私は飛島に辿り着くことも、こうして店を開くこともなかっただろう」

 清光の言葉に、ウミネコの兜丸は感激したようにぷるぷると体を震わせている。彼の頭に生えている白い毛も揺れている。
 兜丸はふつうのウミネコではなく、あやかしという妖怪のような存在らしい。だから喋ったり、珈琲を淹れる特殊能力を持っているようだ。
 そんな考えを、僕は珈琲を飲みながら纏めた。
 世の中には怪奇現象などが溢れているが、僕はその一例を初めて目にしたというわけだ。別に幽霊や妖怪の存在は否定しない。この世にはまだ僕の知らないことが溢れているのだろう。
 ようやく、ここで僕はソーサーにカップを一旦戻す。
 珈琲はまだ半分ほど残っている。
 何やら、彼らには深い事情があるようだ。
 この喫茶店の扉を開けてしまったからには、最後まで疑問を解き明かさなければ店を出られない。
 そう決心した僕は清光に訊ねた。

「あのう、清光さん」
「敬称はいらない。気軽に『清光』と呼んでほしい」

 兜丸が何か言いたげに嘴を大きく開けたけれど、清光に目線で制される。先端が朱と黒に彩られた嘴を兜丸は閉ざした。
 先程のように無礼者と言いたいけれど、諦めたようだ。

「じゃあ……清光。色々と疑問点が満載なんだけど、聞いてもいいかな?」
「なんなりと」
「とりあえず……えーと……」

 何から聞けば良いのか、つっこみどころがありすぎてわからない。
 視線を彷徨わせながら迷っていると、清光は穏やかな笑みを浮かべて語りかけた。

「私たちが飛島を訪れることになったあらましから話してもよいだろうか」
「そうだね。清光と兜丸は、飛島出身じゃないんだ?」

 頷くように顎を引いた清光は、眇めた双眸を虚空に向けた。
 遠い昔を思い出すかのような眼差しだけれど、そこに懐かしみはなく、苦い色を帯びている。

「私は……京にある、とある寺で生まれ育った。寺の娘だった母は、寺参りに訪れた平清盛のお手つきになり、私を身籠もったのだ。私は清盛公の九男となるが、母の地位が低いため官位を賜ることもなく、六波羅に参ったこともなかった」

 六波羅とは、平清盛の邸宅があったといわれる京都の地区だ。六波羅合戦が行われた主戦場でもある。
 具体的な話に、僕は目を瞬かせる。
 彼の父である平清盛とは、本当に平安時代の武将を指しているのだろうか。
 清光の口調は重々しいもので、冗談だろうと笑い飛ばせる雰囲気ではない。
 僕は彼の話に耳を傾けた。
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