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第三章

平家の若様のおでかけ 2

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 清光の格好が怪しかったせいかもしれない。
 守護霊である清光は、島民には明瞭に見えている人が多いらしいけれど、悠真の両親はぼんやりと光っているようにしか見えないという。
 霊感の違いかもしれないが、もし発光体がいると騒ぎになったら困るので、ふつうの人間に見えるよう変装を施した。
 僕のパーカーを着させてフードを目深に被り、目元にはサングラス、口元はマスクで覆った。これなら衣服だけが浮いて見えても、なんとか誤魔化せるだろう。ただし、変質者に間違われかねないが。
 タラップを渡り、乗船した清光は、パーカーのファスナーをそっと開けた。
 ぷはっと服の中から首を出した兜丸が、清光を見上げる。

「清光様、ご心配召されますな。彼らは定期船のスターフにございますゆえ、乗客の荷物を無下に扱ったりしないものです」
「そうか。スターフならば安心だな」

 いつもの調子で話す兜丸と清光に、僕は慌てて囁いた。

「ちょっと、兜丸! 乗船中は黙っててよ。ふつうはウミネコは喋らないんだよ」
「そのようなことは心得ておりまするが、わたくしは清光様のご心配を取り除いて差し上げ……」

 シャッ、と清光のファスナーを問答無用で引き上げる。
 犬猫ならばペット用のゲージで運搬できるのだけれど、ウミネコなので兜丸は清光のパーカーの中に隠すことにした。
 無賃乗船は申し訳ないので、あとで展望デッキから外に出しておこう。翼のある兜丸なら、ある程度の距離は追ってこられるだろうから。
 周囲を見回し、他の乗客から不審に思われていないことを確認した僕は、ひと気のない後部座席の窓際に清光を導いた。
 ところが通路を通る際に、座席に腰かけていたおばあさんが、ふとこちらを見上げる。

「あれまあ、清光様でないの。酒田に行くんかの?」

 つんのめった僕は転びそうになった。かろうじて座席の背もたれに手をかけて堪える。
 彼女は一ヶ月前、僕が飛島を訪れたときに船内で見かけたおばあさんだった。島民は全員が顔見知りである。おばあさんは清光に対し、まるで息子の同級生みたいな扱いで気さくに話しかけた。船内には観光客もいるんだけど。
 清光は快くおばあさんに応じた。

「そうなのだ。皆でパフエーを食べに行こうという運びになったのでな。婆様は買い物か」
「来週、息子夫婦が孫を連れてくるからの。買い出しじゃの。兜丸様の姿が見えんけど、留守番かの?」
「ここにいるぞ。兜丸は飛んでも行けるのだが、皆で共に旅を楽しもうという……」

 再びファスナーを開けようとした清光を必死で押し留めた僕は、彼の腕を取って展望デッキの階段へ向かう。
 どうやら僕たちが外に出ておかなければならないようだ。
 清光は僕に引き摺られながらも、おばあさんを振り返った。

「ではな、婆様」
「あいよ。また明日の」

 酒田に宿泊するという同じコースなので、帰りも一緒の便になると決まっているわけである。
 デッキに出ると、爽やかな風が吹き抜けていった。潮風を浴びた僕は、清光に苦言を呈する。

「……あのね、あのおばあさんは島民だから清光の事情を知ってるだろうけどね、船内には観光客もいるんだ。守護霊とか神剣とか、喋るウミネコがいるだとか、そういった話題が出たらまずいでしょ」
「ふむ。生きにくい世の中であるな」

 サングラスを外した清光は、双眸を眇めて飛島を見やった。
 出港した定期船は、ゆっくりと岸壁を離れていく。
 その周囲を、数羽のウミネコが飛び交っていた。
 生きにくい世の中か……
 清光がそんなことを言うと、妙に説得力があった。
 つまり八百年前から、この世は生きにくさに溢れているというわけだ。
 そのように感じる人々が世俗を逃れて、飛島を安住の地としたことが、今の僕には身に染みてわかった。飛島には縄文時代から人が移り住んでいたのだから。大昔から、人々は島暮らしに憧れを抱いていたのかもしれない。
 清光のパーカーがもぞりと蠢き、くぐもった声が聞こえた。

「清光様、出してくださいませ。もはや窮屈が限界でございますれば」
「おお、すまぬ。やはりそなたは、大空を駆けてこそであろう」

 懐から兜丸を出してあげた清光は、その体を持って腕を高く掲げた。
 空に解き放たれ、兜丸は華麗に飛翔した。他のウミネコたちと共に弧を描きながら羽ばたく。
 今日も濃藍の海は陽射しを撥ねて、眩く煌めいている。

「……海って、ずっと見ていても飽きないね」
「私もだ。海はよいものだな」

 清光は愛しげに双眸を眇めている。
 僕たちは春の薫風を受けながら、穏やかな船旅を楽しんだ。
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