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第四章

源氏の剣士 3

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 小太郎は仲間もおらず、居場所もないようだった。清光は借金の名目で、僕や小太郎のような行き場をなくした者たちの面倒を見てくれているのだと、僕は気づかされた。
 それにな、と清光は言葉を継いだ。

「腹を空かせた小太郎は供え物を盗んだ。それは哀れな身の上であり、救いを求めていると、兜丸がもっとも知っているのではないかな」

 はっとした兜丸は怒りを鎮め、広げていた羽根を閉じた。
 兜丸が人間だった頃、お供え物を盗み食いした妹の罪を被り、斬首になりかけたところを清光が助けてくれたのだという。
 小太郎は、当時の兜丸の妹と同じ状況だった。
 萎れたように俯いた兜丸は昔を思い出しているのだろうか。
 ところがそんな事情を全く察しない小太郎は、得意気に胸を張る。

「わかっただろ、鳥? おいらは、このカフエーを気に入ったんだぞ。だから、いてやるんだぞ」

 僕は、かくりと肩を落とす。
 菩薩のような清光の慈悲が台無しだ。
 三百歳だそうだが、中身は見た目どおりの子どもである。
 小太郎にも清光の優しさを、いつかわかってくれるときが来ればいいのだけれど。
 早速兜丸が、くわっと嘴を開いたので、僕は慌ててふたりの間に割って入った。

「まあまあ。兜丸と小太郎は、あやかし同士なんでしょ? 同じ種族なんだから、仲良くやろうよ」

 人間の僕が言うのも滑稽なものだ。
 守護霊、人間、そしてあやかしが二匹と、バラエティに富んだカフェに変貌したものである。

「この小童とわたくしが同じ種族などと、大変遺憾でございますが、悪霊でないだけ良しといたしましょう」
「そういえばさ、あやかしと悪霊って、どう違うの? この間の……あのカラスは悪霊なんだよね?」

 先程遭遇したばかりなので、どきりとする。
 玉藻と名乗っていたが、あのカラスも飛島に在住しているのだろうか。氷室という男との関係は主従なのか知らないが、彼らに会ったことを清光に告げたほうが良いのだろうか。
 視線を彷徨わせている僕に、清光が説明してくれた。

「根本的には同じ『霊』と私は考えているが、いわゆる悪霊は悪意を持ち、他者に害をなすものと捉えている。あやかしは悪意を持たない無害な存在だ」
「善人と悪人みたいなものかな」
「そう考えていい。たとえば小太郎が墓場に訪れた人を傷付けるようになったとしたら、その存在は悪霊と化すだろう。カラスの悪霊は巧妙に隠していたので気づくのが遅れたが、悪霊かどうかは発する霊気で判別できる」

 確かに、『カナシキモノ』からは僕でも禍々しいものを感じた。あれはただ殺戮を貪っているような悪霊だったが、玉藻のように悪知恵の働く悪霊もいるらしい。人間でも、善人の仮面を被った悪人がいるわけだから、どの種族でも同じなのだろう。
 小太郎は墓場泥棒をやっていたけれど、あれは食べるものに困ってのことで、彼に誰かを傷付けてやろうという気持ちはなかった。その心根なら悪霊にはならないらしい。 
 小太郎はぴんと耳を立てると、スツールの上に立ち上がった。

「おいらは人間を傷付けてやるなんて思ったことないぞ! そんなことしちゃいけないって、わかってるぞ。……泥棒はもうやめた。悪いことだって、本当は知ってた……」
「うむ。小太郎が心優しい妖狐だということ、私はわかっている」

 清光に認められた小太郎は、嬉しそうに笑顔を弾けさせた。尻尾をぶんぶんと振っている。妖狐というより子犬である。
 幼児ほどの体型の小太郎が本気を出したところで、誰も傷付けられないだろうが。それどころか返り討ちにされそうだ。
 困ったように息を吐いた兜丸は、先輩らしく僕たちに補足した。

「ちなみに清光様は『守護霊』ですが、それはあらゆる霊の中でも最上級の位でございます。神に等しい存在です。ですから、敬う心を忘れないように。よいですね?」
「はい、先輩」

 ここは兜丸を立てて、素直に返事をしておく。
 僕と兜丸へ交互に視線を送った小太郎は、直立して追随した。

「はぁい、鳥先輩」

 なぜか居心地悪そうに、兜丸は細い足でステップを踏む。
 僕は奇妙なダンスを目にしながら、先程の光景を脳裏に反芻していた。
 もしかして氷室も、守護霊だったりするのだろうか……
 清光には霊力の違いが読めるらしいが、僕にはよくわからない。
 ちらりとこちらに目線をやった清光が、ふいに問いかける。

「して、どうであった? 蓮は『源氏盛・平家盛』へ行ってきたのだろう?」
「……えっ⁉ あ、うん……」
「何やら、覚えのある瘴気を纏わりつかせているな。また波乱が巻き起こりそうだ」

 思わせぶりに微笑む清光に、僕はごくりと息を呑む。
 彼はすでにわかっている。
 意を決した僕は、先程のできごとを話そうと口を開いた。
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