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エピローグ

新たな、ゆるりカフェ

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 数日後、清光の風邪は回復した。
 悠真は漁船の動力部を修復して、再び漁に出ている。悠真の機嫌を窺った僕たちに、「船を出したのは俺の意思だからの」と堂々と告げた彼には男気を感じた。
 そんなこと言ったら、また嵐の夜に船を出すことになるかもね……という台詞は、僕の胸の裡に留めておいた。
 氷室の行方は知れない。
 彼も飛島に生息しているのは間違いないが、根城があるのかは不明だ。もしかしたら清光は知っているのかもしれないけれど、彼は何も言わない。
 また決闘の時がやってくるのかもしれない。
 そのときは迎え撃つだけということなのだろう。
 いつもの平穏を取り戻したカフェには、兜丸の抽出したウミネココーヒーの芳香が漂っている。
 カウンターに手を付いて顔を覗かせている小太郎の眼前に、清光は新作のデザートを置いた。

「新作のカイワレパフエーだ! 酒田のカフエーで勉強したことを参考にしたのだが、どうであろう」 

 僕の前にも、カイワレパフエーなるデザートの器が置かれる。
 縦長のグラスにはアイスクリームとコーンフレークが詰められている。その上には、ホイップクリームが流麗な渦を描いていた。
 ここまでは、正統なパフェの形式である。酒田のカフェで食べたフルーツパフェと同じだ。
 問題はそこから。
 小太郎は、ぱちぱちと黄金色の瞳を瞬かせた。

「緑の小さいはっぱが乗ってるぞ。これは草か?」
「……これはね、カイワレという名前の野菜だね。ちょっと苦みがあるんだけど、料理のアクセントとして重宝されているんだよ……」

 僕は菩薩のような穏やかな表情を浮かべて解説した。
 ホイップクリームの頂点には、ぱらりとカイワレが塗されている。さらに周囲を、細切りにしたキュウリやニンジンなどの野菜がぐるりと差し込まれていた。ここには通常、メロンやオレンジを差すものだと思うが。
 パフェに野菜を添えるという発想が斬新すぎる。千年くらい流行を先走っている。どうして果物を使わないんだ、どうして。
 感心した小太郎は細切りのキュウリを手に取った。

「これはキュウリだな。知ってる」
「そうだね……こういうふうに、細長く切ったスティック野菜をソースに付けて食べるのがお洒落だね……」

 言われたとおり、小太郎はキュウリの端にホイップクリームを付けて、ぱくりと食べた。
 金色の双眸が大きく見開かれる。

「うまい! おいら、こんなにうまいもの初めて食べたぞ」

 またもや絶賛。小太郎は何を食べても美味しいと言って感動してくれる。なんて良い子なんだ。そして小太郎の褒め言葉を受け止めた清光は、自らが考案した料理に自信を持つという流れになる。
 最高の笑顔でカイワレパフエーを貪る小太郎を見やった清光は、嬉しそうに微笑んだ。

「喜んでもらえて作った甲斐があった。蓮も遠慮せず、食べてみてくれ」
「……それじゃあ、いただきます……」

 おそるおそるロングスプーンを手にして、カイワレの塗されたホイップクリームを掬い上げる。
 口に含めば、滑らかなクリームの甘みとカイワレの苦みが絶妙な融合を果たした。両者は仲良く手を取り合い、極上の味を演出する。
 僕はロングスプーンを震わせながら、驚愕する。

「……美味しい」
「そうか! ふたりから美味という評価を得られたならば、このカイワレパフエーは大成功だな。我がカフエーの看板メヌウに加えよう」

 どうにも納得いかないものがあるのだけれど、中々に美味しいのである。
 とはいえ、お客様が訪れなければパフェを提供する機会も得られないわけなので、まずは集客を考えるべきだろうとは思うが。

「ところでさ、清光は『我がカフエー』って言ってるけど、まさかそれが店名じゃないよね?」
「む? 店名ではないな。便宜上、そのように称していただけだ」
「ちょっと気になっていたんだけど、正式な店名を付けたらいいんじゃない? 軒先に木彫りのコーヒーカップが置いてあるから喫茶店かなとは思うけど、店名の入った看板がないから、営業してるのかわからないんだよね」
「なるほど。それは盲点だった。それでは、店名を付けようではないか」

 開店から半世紀ほど経過して、店名を考えることになった。
 素晴らしいスローライフに感服する。
 喉をゲロゲロと調子よく震わせていた兜丸が、嬉しそうに提案した。

「やはり、後半に『カフエー』と入ったほうがよろしいのではありませんか? 雑誌で見る店の名は大抵が『カフエー』『喫茶』などの語句があります」
「そうだな。私は現代風に、『カフエー』を付けたいのだが……何か洒落た言葉を合わせられないだろうか」

 ぽりぽりとキュウリをかじっていた小太郎が意見を出す。

「キュウリがうまいから、『キウリカフエー』がいいぞ」

 キュウリをかじりながらというせいもあるのだろうが、小太郎の発音が非常に覚束ない。言いづらいのを苦労して口に乗せている感じだ。

「小太郎がキュウリが好きなのはわかったけど、もっと言いやすい言葉を使わないと、お客様に覚えてもらえないよ」
「じゃあ、蓮はどんなのがいいんだ?」
「ええと……このスローライフを表す言葉で……皆が言いやすいような語句……『ゆるり』なんてどうかな? ゆるりカフェ」

『ゆるり』こそ、飛島のカフェを表している語句ではないだろうか。
 東京で仕事に忙殺されていたときには、決して耳にしなかった単語だ。
 清光の穏やかな人柄をも連想させた。

「よいではないか。『ゆるりカフェ』か」

 綺麗に発音した清光に目を瞠る。
『カフエー』としか言えなかった彼が、『カフェ』と初めて発したのだ。

「清光……今、『カフェ』って言ったよね……?」
「うむ? ゆるりと付けると発しやすいようだな。よし。本日より、店名は『ゆるりカフェ』だ」

 清光の宣言に、小太郎と兜丸は飛び上がって喜んだ。
 こうして飛島の地に、守護霊である平清光が店主の喫茶店『ゆるりカフェ』が正式に誕生する。
 守護霊とあやかしたちがいて、珍妙な料理が登場するちょっと不思議なカフェだけれど、僕はスタッフとして、彼らと共にゆるりとおもてなししてみよう。
 野菜スティックのニンジンを、とろりとしたホイップクリームにつけて、ひとくちかじる。
 笑顔の面々を目にした僕は、目元を綻ばせた。
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