フィンランドの夏休み

Arkwright

文字の大きさ
11 / 14
6/1-6/7

ヴィーラと飲む白ワインの味

しおりを挟む
14時10分


 ぼくはオフィスにいた。
 ヴィーラは、いつものソファでPixelをいじっていた。
 ぼくは、ペトリを見た。
 ペトリはニヤリとした。
 ぼくは、続いてウルシュラを見た。
 無数のモニターに視線を飛ばしていたウルシュラは、ぴく、と動きを止めて、ぼくをちらりと見ると、小さくうなずいた。
 ぼくは席を立ち、ヴィーラの元へ向かった。「やあ」
 ヴィーラは、Pixelから顔を上げて、ぼくを見た。「ハーイ」
「なにしてるの?」
「インスタグラムの投稿をいじってる」
 ぼくは、ついさっき投稿されたヴィーラの写真をもう一度見た。
 テラスで太陽の日差しを浴びながら、コーヒーを飲んでいる写真だ。
 彼女の灰色の瞳が太陽の光を浴びて輝いている。
 瞳には、琥珀色の輪がかかっている。
 コメント欄には、彼女の自作の詩と、キレイな朝日に迎えられる目覚めの素晴らしさが書かれていた。
 勉強はあまり好きじゃないけれど、ヴィーラの書いたものなら読めた。
「見たよ。きみの目って綺麗だね」
「ぷっ」
 ぼくは、背後を睨みつけた。
 愛美がニヤニヤしながらぼくを見ていた。
 ぼくは、ヴィーラに向き直った。
 ヴィーラは、暖かく微笑んでいた。
 真っ白なほっぺが薄い桜色になっていた。「ありがとう」
「きみの目って、輪っかがあるけど、そういうものなの?」
「変かしら?」
「いや、キレイだと思うよ」
「ぷっ」
「ただ、ぼくって日本人だから、あんまりわからないんだ。ほら、ぼくも愛美もブラウンの目だろ? 海外のことには詳しくないし」
 ヴィーラは、自分の目を指さした。「コレね。そういう人もいるわ。わたしがそうだっていうだけ」
 ぼくはうなずいて、ヴィーラの持っているPixelを指さした。「いじってるって、何を?」
「今朝のコメントと、過去のコメント。もっと良い言い回しが思いついたから。あとは、スペルミスなかったかなとか」
「そっか」ぼくはうなずいた。「毎回投稿見てるよ。英語の勉強のためにね」
 ヴィーラは笑った。「お役に立てているなら嬉しいわ」
 ぼくは微笑んで、ペトリの横に戻った。
 ペトリはぼくの肩を叩いた。
 ぼくは笑った。「うるさい」ぼくはペトリの肩を叩き返した。
 愛美は、ぼくをチラチラと見てニヤニヤしていたので、ぼくは彼女の下へ向かい、そのおでこにデコピンをした。


16時8分


 本日の勤務が終了したが、ぼくは相変わらずオフィスにいた。
 ここはぼくに与えられた部屋よりも広くて快適だし、ウォークインクローゼットのように巨大な冷蔵庫には食料が山ほど入っている。
 仮に大雪でヘルシンキが陸の孤島と化しても、一年は有に過ごせそうだ。
 冷蔵庫の中にあるものやキッチンにあるものは好きに飲み食いして良いことになっていた。
 そこにはありとあらゆるものが揃っていた。
 ジャムやペースト、フルーツに野菜、ソーセージや卵。
 冷凍のパスタや、ラザニアや、ピザや、ハンバーガーや、ピラフ。アイスクリームのフレーバーも多彩だった。
 食器棚やシンクの下を見れば、そこには缶詰やインスタント食品やレトルト食品。
 ペットボトルに入った水は、バスタブに入れれば溢れてしまいそうなほどだ。
 これでは、自分で食事にお金を出すのが馬鹿らしく感じられる。
 ぼくはアロエヨーグルトのパッケージを眺めてフィンランド語の勉強をしようと思ったけど、三秒で諦めた。
 英語と似通った所もあるけれど、その大部分が、どのように読めば良いのか検討もつかない単語ばかり。
 自分で勉強していては、喋れるようになる頃には年金をもらう年になってしまっているだろう。
 ペトリに教えてもらえば良いかも知れないけれど、正直な所、フィンランド語を話せるようになることに関しては、それほど魅力を感じなかった。
 それよりも、まずは英語だ。
 ぼくは、スプーンを取り、ヨーグルトを一口食べた。
 日本で売っているアロエヨーグルトよりも、甘さが控えめで、なんか物足りないけれど、化学調味料が少ないからだろう。たぶん。
 玄関のドアが開く音がした。
 オフィスには、ウルシュラとヴィーラ。
 ウルシュラは楕円形のテーブルで作業をしていたし、ヴィーラはソファでPixelをいじっていた。
 ウルシュラの前には、十二のモニターと、ブルートゥースのキーボードがあった(安物のChromebookを使うようにという指示には、低スペックのそれで一体どこまで出来るのかという検証の意味も込められていたはずなので、あれは問題ないのだろうかと、愛美に聞いた所、周辺機器を使うとどの程度作業の幅が広がるのかという検証が出来るからセーフだとのことだった。ぼくとしては、ダイエット中だけどアイスクリームは別という女が展開する謎理論に通ずるものがあるような気がしないでもなかったけれど、プロジェクトのリーダーは愛美なので、うなずく以外になかったし、正直そういった所の可否に執着する必要性を感じていたわけでもなかった)。
 愛美はインスピレーションを求めてヘルシンキへ繰り出した。
 ペトリは昼に知り合った女子大生とのデート。
 ナタリアは、十五時くらいから外に出ていた。
 ぼくは、誰が帰ってきたのだろうと、廊下の方を見た。
 そこから顔を出したのは、ナタリアだった。「ハーイ」
「やあ」
 ナタリアは、ウルシュラの所へ向かい、小声で何かを話し始めた。
 秘密の話ならトイレですれば良いのにと思いながら、ぼくは、冷蔵庫から白ワインを取り出した。「白ワイン飲む人ー?」
「もらうわ」と、ヴィーラ。
「いらない」これはナタリア。
「わたしも今はいいわ」ウルシュラは、細くて長い首を、ほんの少し傾けた。「レッドブルある?」
「六百ミリリットル?」
「ええ」
「グラスに注ごうか?」
「そのままで良いわ。ありがと」
 ぼくは、左手の指の間にグラスを二つとワインボトルをはさみ、右手に巨大なレッドブルの缶を持って、教室二つ分ほどの広さのある、広大なリビングへ向かった。
「ありがと」ぼくからレッドブルを受け取ったウルシュラは、ぼくを見て、ナタリアを見た。「ヒトシに任せたらどうかな」
 ナタリアはぼくを見上げた。「あなた、子供は好き?」
「子供? 騒がしい子は苦手だな。傍から見ている分には可愛いけど」
 ナタリアはうなずいた。「九歳のいとこがいるの」
「へえ」
「わたしがフィンランドにいるって言ったら、来たいって言うのよね。でも、四六時中一緒にいるわけにはいかないでしょ? だから、わたしも面倒見るけど、あなたにも手伝って欲しいなって」
 ぼくは肩を竦めた。「良いよ」
 ナタリアさんは、パチパチと瞬きをした。「ありがと。優しいのね」
「おとなしいんだろ?」
「ネトフリとアイスとPCがあればね」
「アイスの好みは?」
 ナタリアは、斜め上を見上げながら、あーっと唸った。考えているようだ。「レモンヨーグルト」
 ぼくはうなずいた。
 左手の指の間に挟んでおいたボトルが落ちかけた。
 指が限界なので、グラスを右手に持ち替えた。
「名前は?」
「ナタリー」ナタリアは言った。
「きみにそっくりだね」
「そう。並んで歩いたら姉妹よ」
「会うのが楽しみだ。いつ来るんだ?」
 その時、ヴィーラがやってきて、ぼくの手からグラスとボトルを持っていった。
 待ちきれなかったらしい。
 ぼくはぼくで、この短い間でお酒を楽しむようになってしまったので、お酒が待ちきれないという感覚はなんとなくわかるのだけれど、ヴィーラやペトリやウルシュラを見ていると、その手の依存症になってしまっているのではないかと、少しばかり心配になってしまう。
「今月末かな」ぼくは言った。
「おっけー」
 ぼくは、ソファの並ぶエリアへ向かった。「一杯もらえる?」
「良いわよ」ヴィーラは、ぼくのワイングラスにワインを注いだ。
 それから、ぼくはヴィーラと一緒にワインを飲み始めた。
 仕事の話を交えて、プライベートな話もしたけど、お互いに話が上手いタイプではなかったので、時折沈黙が生まれた。
 お酒の力もあったので、なんとか切り抜けられた。
 少なくとも、ぼくにとって、お酒の力は偉大だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

おっさん武闘家、幼女の教え子達と十年後に再会、実はそれぞれ炎・氷・雷の精霊の王女だった彼女達に言い寄られつつ世界を救い英雄になってしまう

お餅ミトコンドリア
ファンタジー
 パーチ、三十五歳。五歳の時から三十年間修行してきた武闘家。  だが、全くの無名。  彼は、とある村で武闘家の道場を経営しており、〝拳を使った戦い方〟を弟子たちに教えている。  若い時には「冒険者になって、有名になるんだ!」などと大きな夢を持っていたものだが、自分の道場に来る若者たちが全員〝天才〟で、自分との才能の差を感じて、もう諦めてしまった。  弟子たちとの、のんびりとした穏やかな日々。  独身の彼は、そんな彼ら彼女らのことを〝家族〟のように感じており、「こんな毎日も悪くない」と思っていた。  が、ある日。 「お久しぶりです、師匠!」  絶世の美少女が家を訪れた。  彼女は、十年前に、他の二人の幼い少女と一緒に山の中で獣(とパーチは思い込んでいるが、実はモンスター)に襲われていたところをパーチが助けて、その場で数時間ほど稽古をつけて、自分たちだけで戦える力をつけさせた、という女の子だった。 「私は今、アイスブラット王国の〝守護精霊〟をやっていまして」  精霊を自称する彼女は、「ちょ、ちょっと待ってくれ」と混乱するパーチに構わず、ニッコリ笑いながら畳み掛ける。 「そこで師匠には、私たちと一緒に〝魔王〟を倒して欲しいんです!」  これは、〝弟子たちがあっと言う間に強くなるのは、師匠である自分の特殊な力ゆえ〟であることに気付かず、〝実は最強の実力を持っている〟ことにも全く気付いていない男が、〝実は精霊だった美少女たち〟と再会し、言い寄られ、弟子たちに愛され、弟子以外の者たちからも尊敬され、世界を救って英雄になってしまう物語。 (※第18回ファンタジー小説大賞に参加しています。 もし宜しければ【お気に入り登録】で応援して頂けましたら嬉しいです! 何卒宜しくお願いいたします!)

あの日、幼稚園児を助けたけど、歳の差があり過ぎてその子が俺の運命の人になるなんて気付くはずがない。

NOV
恋愛
俺の名前は鎌田亮二、18歳の普通の高校3年生だ。 中学1年の夏休みに俺は小さい頃から片思いをしている幼馴染や友人達と遊園地に遊びに来ていた。 しかし俺の目の前で大きなぬいぐるみを持った女の子が泣いていたので俺は迷子だと思いその子に声をかける。そして流れで俺は女の子の手を引きながら案内所まで連れて行く事になった。 助けた女の子の名前は『カナちゃん』といって、とても可愛らしい女の子だ。 無事に両親にカナちゃんを引き合わす事ができた俺は安心して友人達の所へ戻ろうとしたが、別れ間際にカナちゃんが俺の太ももに抱き着いてきた。そしてカナちゃんは大切なぬいぐるみを俺にくれたんだ。 だから俺もお返しに小学生の頃からリュックにつけている小さなペンギンのぬいぐるみを外してカナちゃんに手渡した。 この時、お互いの名前を忘れないようにぬいぐるみの呼び名を『カナちゃん』『りょうくん』と呼ぶ約束をして別れるのだった。 この時の俺はカナちゃんとはたまたま出会い、そしてたまたま助けただけで、もう二度とカナちゃんと会う事は無いだろうと思っていたんだ。だから当然、カナちゃんの事を運命の人だなんて思うはずもない。それにカナちゃんの初恋の相手が俺でずっと想ってくれていたなんて考えたことも無かった…… 7歳差の恋、共に大人へと成長していく二人に奇跡は起こるのか? NOVがおおくりする『タイムリープ&純愛作品第三弾(三部作完結編)』今ここに感動のラブストーリーが始まる。 ※この作品だけを読まれても普通に面白いです。 関連小説【初恋の先生と結婚する為に幼稚園児からやり直すことになった俺】     【幼馴染の彼に好きって伝える為、幼稚園児からやり直す私】

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

盗み聞き

凛子
恋愛
あ、そういうこと。

処理中です...