恋愛エレジー

紫杏

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7声目 え?

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「フンフーンっと」


 右手に買い物袋、左手に八尺さんから頂戴した貴重な台本を持ち、上機嫌にマンションの階段を上る。
 ちょっと出かけるつもりが、まさか現役バリバリの声優アフレコ聞けるとは……。そして右手に持っているのはついさっきまで使われていた生の台本。これは運がいいなんてもんじゃない。


「おかえり~」


 嗚呼、そういえばこいつがいたな……。



 家のドアを開くと同時にどこからともなくフヨリと現れた幽霊ちゃん(仮)に、高ぶっていた気持ちが一瞬にして現実へと引き戻される。
 思わず白目をむきそうだ。


「ねぇねぇ、どこ行ってたの?」


 うるさい。黙れ。
 あと俺の前を飛ぶな。前が見えん。


「買い物?ふーん……結構遅かったね」


 俺の歩幅に合わせ、幽霊ちゃんが(仮)器用に俺の周りを飛ぶ。そして右手に持った買い物袋をじっと見つめ何かを納得したようだ。



 正直……鬱陶しいことこの上ない。

 東京での一人暮らし。多少の不安はあるものの、本来なら夢と希望に満ち溢れた新生活の第一歩だろう。
 誰にも邪魔されず発生の練習ができるし、歌だって歌える。一晩中アニメを見てたって怒られやしない、俺だけの部屋だ。



 だが、この部屋にはこいつがいる。



 リビングに入り、だだっ広い部屋の真ん中に雑にスーパーの買い物袋を床に落とした。


「ね~え~」


 幽霊ちゃんは俺の周りを飛んだまま、依然その口を閉じる気配はどこにもない。
 というか、なぜこいつはこんなに喋る……。

 今まで何十と幽霊を見てきたが、ここまで積極的に幽霊に話しかけられたことなんて一度もない。そもそも会話として成り立っていないことを幽霊ちゃん(仮)は気づいていないのだろうか?


「ねぇ、ほんとに見えてないの?」


 ああ、見えてない。
 何も見えないし、何も聞こえない。


「……」


 幽霊ちゃん(仮)が無言でじっと見つめる。その距離およそ数センチ。
 吸い込まれてしまうんじゃないかと思えるほどに真っ黒な瞳。わずかに幽霊ちゃん(仮)の呼吸が俺の唇を撫でた。


「ほんとに見えてないんだ……」


 少し暗いトーンの声。
 肩をほんの少しだけ落とし、ふわりと幽霊ちゃん(仮)の身体が俺の目の前から飛び去っていく。

 罪悪感と、不甲斐なさ。
 もし幽霊と話せるのが俺じゃなかったら、もしかしたらこの幽霊ちゃん(仮)も成仏できたのかもしれない。そう考えると、ほんの少しだけ胸が痛――。


「ふふっ……ふへへへへっ……」


 今にも涎が垂れてきそうな、なんともゲスい笑い声だ。
 俺が本気で罪悪感を感じているこの状況で、後ろから伸びてくるこの細く白い腕は一体何なのだろうか。


「あったかぁ~い……」


 はあっと幽霊ちゃん(仮)の吐息が俺の耳にかかる。
 首元に当たっている柔らかい毛先がほんの少しだけこしょばい。


「あぁ~……人肌さいこ~」


 グイッと首元が閉まるのと同時に、柔らかな感触が俺の背中を圧迫した。
 直接幽霊と触れ合ったことなんて今まで一度もなかったが、実際触れてみると案外幽霊も生身も大差はない。というよりか、俺からしたらほんとに誰かに抱きしめられているような感覚だ。



 少しだけ得しているような気がする……。



 既に一欠片の罪悪感すらも心からは消え去り、大きく口の空いたスーパーの袋の横にドカッと腰を落とす。
 今の音、もしかしたら101号室に結構響いたかもしれない。なんてことを腰を落とした後に気づく。



 東京と言っても案外静かなものだ。
 家賃も高いだけあって、壁が厚く作られているというのもあるかもしれない。が、騒がしい音なんて一切聞こえない。聞こえてくるのは耳元ですぅすぅと繰り返す幽霊ちゃん(仮)の呼吸の音だけだ。

 スーパーの袋に手を伸ばそうとして、持ち上げたその腕をまた下げる。
 どうやら幽霊といえども体重は生前と変わらないのかもしれない。完全に幽霊ちゃん(仮)の体重がかかったこの状況、買ってきた弁当を食べれないことはないが、さぞ不自然な食べ方になることだろう。


「うーん……」


 と考えるふりをしつつ、ゆっくりと背中を冷たいフローリングへと近づけていく。
 少しだけ黄色がかった照明を隠すように、ムーッとした幽霊ちゃん(仮)が俺の顔を覗き込んだ。
 話せないと分かって落ち込むどころか、早く起き上がれと言わんばかりの形相だ。こんな自己中心的な幽霊ちゃん(仮)に申し訳ないと思ってしまったさっきの自分が情けない……。


「そ・う・だ」


 達磨にも劣らないキレでフローリングに着きかけた背中をグリンと起き上がらせる。
 勿論、幽霊ちゃん(仮)の目力に負けたわけではない。演技が頭に残ってるうちに台本を読んでみようという、紛れもない向上心からの復帰だ。


「台本台本……」


 買い物袋の横に落ちてあったオレンジ色の台本を拾い上げ、適当なページを開く。
 何一つメモがかかれていない、綺麗な1ページだ。


「さあ少年!君は何が欲しい。金か?名誉か?それとも……」「ううん、違う。僕がほしいのはそんなんじゃ――」


 うん……。



 なんか違うな……。
 八尺さんと西園寺瑠香の掛け合いの時は無いはずの映像が色鮮やかに見えたんだが……いったい何が違うのだろうか。感情というか、何かが足りないような気がするんだが……。

 いや、待てよ?
 あれか、腹式呼吸か。確か腹筋に力を入れて喋るみたいな……。


「フンッ」


 と、わずかに声が漏れる。
 だが行けそうだ。今なら西園寺瑠香にも負けないくらいの演技が!


「ううん違うッ!僕がほしい――」


「ああぅ……違います違います!声を出すときは肩が上がらないように意識して……」


 腹筋に力を籠めて喋り始めた刹那、幽霊ちゃん(仮)が慌てた様に俺の両肩に体重をかける。
 ノッてきたところだというのになんだコイツは?不愉快極まりない。





 不愉快極まりない……。
 が、確かに幽霊ちゃん(仮)に肩を抑えられた状態だとまっすぐに声が通っているような気はする……。


「おおっ、すごくよくなりましたよ!あとはですね……」


 そう言って幽霊ちゃん(仮)が俺の1メートルほど前に立ち、精一杯広げた掌を俺の目線ちょい上くらいに掲げた。


「ここに声を飛ばすようにして……」


 こう……か?
 幽霊ちゃん(仮)の指示する通り、ほんの少しだけ顔を上にあげる。


「もう少し顎は下です」


 顎……?引けってことか?
 視線は幽霊ちゃん(仮)の掌に残しつつ、二十顎に近い感覚を喉元につくる。


「――僕がほしいのは……君なんだ!」





 いくら相手が幽霊とはいえ、こんなセリフを女の子に向けて言うのは案外恥ずかしい……。


「いいじゃないですかっ!後半また肩が上がっちゃってましたけど、すごくよくなってます!」


 目の前の幽霊ちゃん(仮)がパァっと嬉しそうな表情を溢した。


「まぁ確かに、肩を落とした方が喉からスッと出てる感じがするな……」


「当たり前じゃないですかっ!姿勢と喉の形は発声の基礎中の基――えっ?」


 俺の思考回路が『しまった』という回答に辿り着く。
 が、フフンとドヤ顔をかましていた表情が一変、口をポカンと開けたまま幽霊ちゃん(仮)が俺を見つめたまま時が止まる。





「えっ……」


 ポカンと開いたままの口から、呆けたようなあぶれた様な、なんとも形容しがたい声が――


「えええええええええええええええええええっっっ!!!???」





 俺の鼓膜に響きわたった。
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