僕と愛しい獣人と、やさしい世界の物語

日村透

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あるはずのない新エリア

32. 自然でいて不自然な異変

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 僕の本日の食事は、『湖の迷宮』でウォルが集めてくれたアクアベリーとサファイアベリーだ。
 深みのある青や紺色、水色のは宝石みたいな輝きを放ち、僕の目にはとても美味しそうに映る。
 深緑色の茎に鈴なりの実をプチリと取り、口に入れて嚙んでみたら、ふわりとした良い香りとともに濃厚な甘みが広がった。

 アクアベリーは触感も味わいも、甘みの濃いライチみたいだった。
 サファイアベリーは味も香りもアクアベリーとそっくりなのに、触感が『カシカシ』していて、林檎に近いと感じる。
 どちらも最高に美味しい。ほっぺたが落ちそうとはこのことか。飽きずにもぐもぐシャクシャクしていると、そのうちウォルが脇から実をつまみ、僕の唇に押し込んできた。
 彼は食べる速度が速いから、とっくに自分の分を食べ終えて、僕の食事に注目しているみたいだ。

「向こうにも美味い草や実があればいいな」
「ん。ウォルもね」

 毎度毎度、僕ばかり美味しいものを追求しているみたいなので、ウォル達の好きそうな獲物も見つかればいい。
 特に何か難しい話をするでもなく、二人で並んでぴたりとくっつき、小川のせせらぎに耳を澄ました。
 狼の尾が時々僕の腰や尾に触れて、兎の耳が彼の首や顎を叩く。
 こんな時間を過ごしていると、無意味に「平和だなぁ」って呟きたくなるな。



 食事休みを終えて牛車に戻ると、すぐにゆらゆらと動き始めた。
 音を抑えた車輪が回転する音が聞こえ、荷馬車や荷車よりもずっと速く進んでいるのがわかる。
 やがて街道が途切れ、舗装されていない草地に突入したようだ。

「……なんか、ヘンじゃね?」
「ヘンだよね」

 ロルフとイヴォニーが、どことなく落ち着かない様子で耳を動かす。

「おかしいって、何が?」
「いや、だってこのへんってさ」
「こんな草地だったっけ? だいぶ前に一回来たきりだったから、なんか変わったのかなぁ」

 僕はここに初めて来るから、前がどうだったのか知らない。
 ウォルに目で尋ねると、彼も少し険しい目になって頷いていた。

「俺は去年一度来たが、こんなんじゃなかったぞ」
「というと……」
「街道が途切れて少ししたら、土の地面が多くなるはずだ。行き先は荒野なんだから、そこに近付くほど植物は少なくなる」

 言われてみて、僕もくんくんと空気を嗅いだ。
 濃厚な緑のにおい。荒野が近いなんて、到底思えないにおいだ。
 仮にこちら側が風上だったとしても、この牛車のスピードを考えると、既に植物が減っていないとおかしい場所ということだよな。

 その後もしばらく進んだけれど、相変わらず車輪が草を踏む瞬間の濃厚なにおいが鼻に届く。
 馬車の小さな窓から外を眺めれば、森の中と言っておかしくないぐらいの樹々が目に入り、道の両脇には茂み、下では丈の低い雑草がやわらかく車輪を受け止めていた。
 ロルフとイヴォニーが目を見合わせ、自然と口数が少なくなっている。
 この時点でもう、僕らは『異常』の中に入り込んでいるのだと感じた。

 彼らの言葉が事実なら、ここはもう南の荒野の手前。こんな植物群がたった一年で育つはずがない。
 加えて僕はこの場所に、別の異常も感じていた。
 鳥や動物、虫の鳴き声が聞こえないのだ。
 生命に満ち溢れた森と呼ぶには、ほかの生命の気配がない不自然な森。

 牛車が徐々にペースを落として停まった。
 どうしたのかなと思っていたら、牛車の前部の小窓がひらく。

「ちょっといいか」

 御者席から、グイドさんがこちらに声をかけてきた。

「あんたらも気付いてるだろうが、このへん、おかしいぞ」
「だろうな……俺らもさっき、その話をしていた。ここは去年までこんな森じゃなかったろ?」
「半年前もだ。俺が来た時は、このへんからとっくに荒野が見えてた。それに、この道もおかしい」
「道が?」
「なんでここにがあるんだ」

 ウォルはハッキリと顔をしかめ、改めて窓の外を見下ろした。

「確かにな」
「え? 道なんてねぇだろ?」

 突っ込んだのはロルフだ。僕もどういうことだろうと不思議に思った。
 車輪が草を踏む音とにおいはしていたけれど、『道』なんてあったかな?
 ウォルは僕を手招きし、外の森を指差した。

「舗装された道のことじゃない。あれだけ樹や茂みがあるのに、牛車一台が余裕で通過できる隙間が常に通っているんだ」
「あ……!」

 野生の生き物が何度も通ることで、山中に自然にできる道がある。
 でもここにはそういう生き物の気配がない。
 獣人がよく行き来する場所であれば、馬車や牛車が通過できるように伐採を行い、丈高い草や低木をいで空間を拡げることもあるだろう。繰り返し誰かが通るうちに草地は踏み固められ、自然と土がむき出しになり、そうしてそこには『道』ができる。

 でもここには、そんなものはない。
 あるはずもなかった。滅多に誰も来ない場所なのだから。
 なのに何故か、牛車一台がらくらく通り抜けられる幅を開けて、ほどよい草地がずっと続いている。

「しかも今のところ、岩や段差もない。曲がり道はあったみたいだが、進行を阻害する地形が一度もなかった。ずっと平坦だ」

 森は通常、侵入者の行く手を妨げる。
 なのにここは、ずっと開いていた。
 訪れる者を歓迎するかのように。


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