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早まったプロローグ
114. どうして、こうなるんだろう? (5) -sideルチナ
しおりを挟む「ランハートは婚約証書の文言に、わたしが彼の唯一の伴侶であり、生涯に渡って離縁もないことを盛り込んでくれました」
断罪の天使のように、リシェル様が言葉を紡いでいく。
僕は、天の御使い。――僕こそがそうなるはずなのに。
今のリシェル様を前にすると、あの頃の僕の呼称が、今の僕が、とても薄っぺらくなってしまった。
「さらにその婚約証書には、破棄に関する要項が一切盛り込まれていない。当時のわたしは、それがどういう意味を持つのか理解できなかったけれど、今はわかる」
その日、僕の心を最も打ちのめしたのは、リシェル様だった。
絶対に離縁することのない約束。
破棄についての話は、どういうことかよくわからないけれど、周囲がシンと静まり返っていて、すごく大事なことなんだと伝わってくる。
リシェル様が『ランハート』様という婚約者への想いを、アデリナ様への想いを語る。彼を受け入れてくれたムスター家を、リシェル様がどれほど大切に想っているのかを。
そんなリシェル様の横顔をじっと見つめる『ランハート』様は、僕らに向けてくる冷酷な悪魔みたいな顔とはまるで違っていた。彼は驚いたように目を瞠っていて…………
リシェル様から絶対に目を離さない、離せないって言っているように見えた。
彼らは、婚約者だ。婚約者同士で、想い合っているんだ。
家の都合で決めた婚約なんてどうでもいいって、ティバルト様はよく言っていて、僕もそうだと思っていた。
……アデリナ様は、ティバルト様の婚約者だった。
僕は、婚約者じゃない。前も、今も。
何かを気付きそうになって、僕はそれから目を逸らそうと、リシェル様の首輪を見た。
そうしたら、別のことに気付いてしまった。
綺麗な羽に包まれて輝く、晴れた空のような石。
心臓がドクン、と嫌な鳴り方をした。
あの石は、まさか……ティバルト様の領地の川で見つけた、あの石?
ティバルト様が、『清きルチナの青』と名付けた石の中に、あんな色合いのものがあった気がする。
だけどその石は、色も輝きも、まるでリシェル様の瞳そのものだった。
僕のお腹の中から、今まで感じたことのない、何かとても嫌な感情が出て来ようとしている。
なんでだろう。リシェル様が手に抱いている、小さな白い鳥の雛。
さっきまであんまり意識していなかったのに、どうしてかすごく目について、それをどこかへ追い払ってと言いたくなった。
■ ■ ■
公爵邸の自分の部屋に戻って、僕は早々に休ませてもらった。
ベッドの中で、頭が痛くなるぐらい考えた。
僕の世話をしてくれる使用人はみんな、僕のことを素敵だ、可愛い、天使のようって言ってくれる。
でも、あのリシェル様と僕が並んだ時、彼らは今まで通り褒めてくれるんだろうか。
なんでこんなに、皆が違う人になってしまったんだろう。
――ううん、全員じゃなかった。シュピラーレ公爵様と、いつの間にか療養に行ってしまった奥様は以前とどこも変わらない。
あの二人が僕に厳しいのは前からだ。
まさか僕が、本来より早くティバルト様のもとに来たから? それでこんなにもたくさんのことが変わってしまったの?
僕はこの頃のティバルト様を知らなかった。今は子供なんだから子供っぽくて当たり前、これから大人になるんだって軽く考えていたけれど、僕から見てもティバルト様の傲慢さは行き過ぎだった。
ちょっと傲慢なところも彼の魅力だって思っていた。でも、もしかしてそれは大人になった分、うまく隠せるようになっただけだった……とか?
ううん、そんなことない。ティバルト様はいつだって正しくて、強くて格好いい人なんだから!
僕にこんな素敵な生活を与えてくれて、守ってくれている人を疑っちゃいけない。
そう思うのに、僕を応援してくれなかった父様や兄様の顔が頭に浮かぶ。
今頃、どうしているんだろう。何かあれば帰っておいでって言われるのが嫌で、ずっとお手紙も書きぞびれている。
「……そうだ。あの祠に行けないかな?」
僕が早く来てしまったことは、もう変えられない。でもあの祠に行って天使様にお祈りをすれば、きっとこのおかしな状況を全部元に戻してもらえる。
…………ダメだ、そうしたら癒やしの力をもらえなくなるよ。
あのお祈りをした直後、天使像は消えてしまう。きっと叶えてもらえる願いはひとつだけなんだ。
それよりも、癒やしの力を早めに授けてもらおう。世界中でその力を持つのは僕だけなんだから、僕はまた『天の御使い』を名乗れるようになる。
それからティバルト様も、今はこの館以外の人達が厳しい目になっていそうだけれど、『天の御使い』である僕の騎士になればみんな見直すしかないよね。
そうと決まったら、あの場所へどうやって行こう。
アデリナ様と、そのお母様がたくさん悪いことをして、どんどんムスター家は傾いていくんだ。
だからムスター公爵領の端っこの領地が売られ、それを買うのがシュピラーレ公爵様。大きくなったティバルト様は、お勉強の一環としてその土地の運営を任される、っていう流れだった。
――あのアデリナ様が、悪いことを……? どんな?
そういえば、アデリナ様だけじゃなく、ムスター公爵夫人も全然見かけない。
ヨハン様は、今頃どうしているんだろう。
ヨハン様と出会うタイミングは、みんなの中で一番遅い。十五歳未満の子は出席できない大人向けのパーティーで、偶然あの人と出会うんだ。
あの人は、性格のきつい奥様とお嬢様を苦手に思っていた。
だけど今のアデリナ様のことも、苦手に感じたりするかな?
……あのエアハルト様は、今のアデリナ様と親しいみたいだった。きっとヨハン様も、アデリナ様に対する感情が変わってしまっている。
そうでなくともあの『ランハート』様が、ムスター家を傾けるなんてこと、あるのかな……?
ベッドの中にいるのに、背中が寒くなってきた。
その日はなんとか無理やり眠って、次の日、家庭教師の先生に訊いてみることにした。
シュピラーレ公爵様の付けてくれた先生は、とても厳しい。
ほかの使用人が言葉をやんわり濁すようなところも、ピシッと全部言ってくれる。
「ムスター家の経済状況、ですか」
「は、はい。ティバルト様や、親しい方々は『貧しい』って仰るんですけど。でも実際は、どうなのかなって……」
「興味を持たれることは良いことです。あなたはとにかくご自身のことばかりで、周りに関心を持たない傾向が強いですから」
叱られるのを覚悟していたのに、誉められてビックリした。
でも僕、そんな風に思われていたの? これまでだって、ちゃんと周りを……。
……。
「正しくは『四公の中で一番経済力が低い』です。公爵家なのですから、貧しいなんてことはありませんよ。ティバルト坊ちゃまやお取り巻きの方々は、ムスター家への悪意を多分に含んだ物言いをなさっているだけです。あちらの家が使用人を何百人雇っているかご存じですか?」
「な、何百人……?」
「メルクマール男爵家では想像もできぬ規模でしょう。わたくしやあなたなど、家ごと簡単にひねり潰せますよ。くれぐれもこの館の外での言動にはお気を付けなさい。あちらの『慈悲』がいつまで持つかなど、試すものではありません」
嘘……知らなかった。
以前のアデリナ様には何度も虐められたけれど、もしかして僕、手加減されていたの?
「加えてあのムスター家には、幼少の頃から高度な教育を受け、何年も前から既に頭角を現している跡継ぎ息子がいます。ティバルト坊ちゃまよりひとつ年下でありながら、既に一部の領の経営を任され、しかも大きな利益を上げている麒麟児と有名ですね」
「利益。……宝石、とか?」
「いえ、最も有名なのは岩塩です」
「が、岩塩?」
「ムスター領で上質な岩塩が発見されたとかで、結構話題になったのですよ。それ以外にも、ムスター産の茶葉ですとか、稀少な果実の『赤麗玉』なども有名ですね。わたくしも知人からご馳走になる機会があったのですけれど、どちらもそれは素晴らしいお味でしたよ」
その時を思い出したのか、いつも堅苦しくて厳しい先生が、珍しく恍惚とした表情になっていた。
「あとは、絵の具も有名になっていますね。青の絵の具は貴重で滅多に出回らないのですが、ムスター領で発見された美しい青石で絵の具が作られるようになったそうです。ムスターの若君が、ムスター公爵閣下を担当に据えて生み出し、現在は国内のみならず世界中から問い合わせがあるとか。ムスター公爵閣下ご自身も、絵画職人の才がおありだったようで……」
絵の具。ムスター公爵閣下が担当?
それ、ヨハン様だよね? どうなっているの?
「せ、先生。その青い石って、宝石ですか?」
「ん? そうですね。宝石としての価値もあるものだそうです。『お守り石』という俗称で呼ばれることのほうが多いのですが」
「お守り石?」
「健康のお守り、心穏やかになるためのお守り、いろいろですが一番有名なのは『恋のお守り』ですね。なんでもムスター家の若君とご婚約者のフェーミナが領地の視察に向かった時、偶然発見した石なのだそうで。ムスターの若君はそれを『リシェルの瞳のようだ』と仰り、『天の雫』と名付けたそうです。石の中に内側から光るような効果のあるものはとりわけ美しく、一級品として高額で取引されていますよ。そういった逸話も素敵だと、恋人同士が揃いで身につけることが流行っているのだとか」
――あの石だ!
僕らが見つける前に、『ランハート』様とリシェル様が見つけてしまったんだ!
ならもしかして、『ランハート』様が任された領地は、ティバルト様が任されるはずだったあの土地なの!?
『ランハート』様はすごく手広くやっているみたいだから、いろんな場所を任されていて、その中にあの場所が含まれていたのかも。
だってティバルト様と僕があそこで発見したのは、あの石だけだったもの。
「今やあちらの若君は、我らがシュピラーレ公爵閣下やヴェルク公爵閣下とも良い関係を築いておりますし、ムスターの財力が四公最低と言われるのは、いずれ過去の話になるでしょうね」
つまりこの先、ムスター家が傾くことなんてない。あの『ランハート』様がそうさせない……。
ティバルト様より一歳下なら、彼は僕と同い年なんだ。なのに、既に大きな仕事をして利益も出している。ティバルト様がそうなるのは、何年も先なのに。
あのパーティーでティバルト様はさんざん『ランハート』様を見下していたけれど、本当は――。
僕があの祠に行く手立てがなくなってしまった。
どうにか行ける方法はないかって、たくさん考えた。
ムスター公爵家が、傾いてさえくれれば。
アデリナ様が悪事に手を染めてくれれば。
『ランハート』様の事業が失敗してくれれば。
そうしたらきっと僕はまた、あそこへ行けるのに。
だけどどんなに待っても、ムスター公爵家が傾く日は、その後もずっと来なかった。
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読んでくださってありがとうございます!
更新のお知らせ:
3/8~9(ひょっとしたら3/10も)投稿お休みです。
先月までと思っていましたが、今月も何やらちょくちょく用事入ってくる感じです(汗)
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