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ムスター家の魔王
136. 巻き込まれ回避の一手
しおりを挟むシュピラーレ公に恥をかかされた王は、わずか数日後に他の三公を王宮に呼びつけた。
王の跡継ぎに関する重大事のため、欠席は許されないという内容が最初から告げられていた。
玉座の間で、シュピラーレ公を除いたそれぞれの公爵家当主が片膝を突く。
それぞれが挨拶を述べた後、昔の王であれば鷹揚に立つことを許していたのだが、当代の王が彼らにそれを許したことは一度もない。
王の側から見て、右端にレーツェル公、中央にヴェルク公、そして左にムスター公。
右側の二名は落ち着いたものだったが、左端の一名は内心で悲鳴を上げていた。作法だけは無意識に身体が動くほど叩き込まれているため、このような場でもなんとかなってはいる。
しかし内心では「早く帰りたいよ」を既に三桁ほどは叫んでいた。
やがて国王が本題に入った。シュピラーレ公へ語ったように、それは世継ぎとすべく四公の中から養子を迎えたいということ。
「して、余のために相応しい息子は誰であろうか」
耳に不快感のこびりつく言葉を紡ぎながら、王は片頬を歪めた。どうやら微笑んだようだ。
「――わたくしの! 我が息子のエアハルトであれば、きっと陛下のお気に召し、必ずやこの国を導く者として相応しき才を示すことでしょう!」
ヴェルク公は耳を疑った。何を言っているんだコイツは、と
しかもヨハンまで「空耳かな?」と耳を疑い、レーツェル公を凝視する。
エアハルトはレーツェルの後継者ではないか?
しかしヴェルク公は、その思惑をすぐに悟った。
近頃とみに従順ではない息子に、彼らはそろそろ追い落とされる危機を感じている。
だから目障りな息子を追い出しつつ、次期王の実父という立場を得ようと計算したのだ。
アデリナとの婚約には破棄の要項がなく、彼女がエアハルトの妻になることは変わらない。その間に子を何人か作らせて、教育しやすそうな子をもらい受けようという皮算用も見えた。
しかし、「ほほほ……」と場違いにほがらかな笑い声が響く。
決して大きな声ではなく、どちらかといえば美しい声ではあるが、こちらも耳朶に絡みつきそうな不快感をもよおした。
「レーツェル公の子は一人しかおらぬでしょう、無理を申すのではありませんよ。それよりも……ムスター公?」
「っ!?」
ヨハンは小さくギクリと震え、「はっ」と答えた。
この声、誰かに似ているな、とどうでもいいことが彼の頭をよぎった。
――あ。カーラに似ている……?
幼い息子の寝ているであろう寝台に、髪を振り乱しながら何度も刃物を突き立てていた鬼女。
装いも口調もどこまでも優雅な王妃の顔が、どうしてかあの女と重なる。
ヨハンは袖口のボタンへ無意識に触れた。緑色の美しい……お守り石を。
「ムスター公には子が二人おりますでしょう。そなたの息子は幼い頃から多くの事業を手掛け、とても優秀なのだとか。わたくしの息子に相応しいと思いませんか?」
ヨハンは青くなって俯いた。小刻みに震えそうになるのを我慢するので精一杯だった。
レーツェル公は忌々しげにヨハンを睨みつけ、ヴェルク公は歯ぎしりをしたくなった。
自分の子は問題外であり、欲しいのは既に頭角を現している優秀な後継者だと暗に言われているのが腹立たしいのではない。
これは国王と王妃による喧嘩なのだと、彼もまた悟ったのだ。
どちらが上か、どちらが正しいか、皆はどちらの味方をするのか。
そんなくだらないことで争い、それに四公の全員を――ひいては、この国そのものを巻き込んでいる。
レーツェル公は国王の味方であり、あっさり息子を差し出すことを約束した。
ムスター公はどうか。
この国で最も身分の高い女性、至高の女性がそれを望んでいる。
レーツェル公の皮算用は、そのままムスターにも適用できた。アデリナがエアハルトに嫁いで子を複数なせば、孫の一人をムスターの後継としてもらえばいい。あるいは、次期王となったランハートとリシェルの子を。
……いや。
そもそもこの王妃は、リシェルを許容できるのだろうか。
国王も王妃も、ランハートへ招待状を送りはすれど、そのパートナーを招いたことはない。
王子となったランハートの伴侶に、フェーミナなどは相応しくないと、排除を目論むのではないか。
ただの喧嘩で、これだけ非常識なことをやれるのだ。この連中がリシェルをどんな目に遭わせてもおかしくはなかった。
「ムスター公?」
王妃の猫撫で声に、次にヨハンの頭に浮かんだのは……「おまえのようないい子にあの娘は相応しくありませんよ」と微笑む、母親の顔だった。
「私は……」
喉がカラカラに干からびている。
わからない。どうすればいいのか。
何をどうすれば、どう答えればいいのか、ヨハンには正解がわからない。
ヴェルク公が心配そうに横目で見るも、下手に助言はできず口をつぐんでいる。彼ですら、これをどう切り抜ければいいのかわからないのだ。
どんな答えを口にしようと、このとてつもなく迷惑で、とてつもない影響力を持った夫婦のどちらかの怒りを買う。
誰かから嘲笑が小さく上がった。ムスター公爵ヨハンがどのような人物なのか、社交界では有名な話だ。
どうせこの男には、たいした解決策など見出せまい。
――ならば自分が彼の立場であればできるのかと、そういうことは脇に置いて、ただ不運な男に同情する素振りで嗤っている。
「私は……」
ヨハンは、ボタンをぎゅっと握りしめ、俯けていた顔を上げた。
「……ヨハン・フォン・ムスターの名において、私はムスター公爵として不適格であり、今この時より我が息子ランハートに公爵位を譲ることを宣言いたします」
「は!?」
「え!?」
「なっ!?」
聴衆の全員が目を限界まで見開いた。国王夫妻も例外ではない。
「手続きをいたしますので、これにて失礼いたします」
ヨハンはすっくと立ちあがり、あとは誰の顔も見ずにすたすたと玉座の間を出て行った。
呆然としかけたヴェルク公はハッと我に返り、王に断りなく立ち上がって一礼する。
「お話は終了したようですので、わたくしも失礼いたします」
有無を言わさず、同様に玉座の間をあとにする。
そしてヴェルク公は、王宮を出るなり空気の抜けた風船のごとくプシューとなったヨハンの首をつかんで立たせ、シュピラーレ公にも使いをやり、ムスター邸に急いだのだった。
■ ■ ■
王の前で、フルネームと爵位を合わせて宣言した以上、それが撤回されることはもはやない。
そして俺達の前にあるテーブル上には、そのための書類が並んでいる。
つまり。
「今日この時より、おまえがムスター公爵だ、ランハート殿」
重々しく義父上様がのたまった。
「すまない……すまない、イゾルデ。僕は……どうすればっ、……わからなくて……」
「いいえ」
果てしなく落ち込むヨハンに優しく声をかけたのは、誰あろう母上様だった。
「よくやりました。あなたが選んだのは、その場で考え得る限り、最高の方法でした」
「え……?」
「まさか、あなたが……あなたにそこまでのことができるとは、思ってもみませんでした」
ひたすら驚いている母上様の声と瞳に、嘘もなぐさめもないとわかったのだろう。ヨハンの瞳が徐々に潤む。
シュピラーレ公や義父上様も、「まったくだ」と頷いていた。
「傍迷惑に過ぎる夫婦喧嘩へ冷水をかぶせた上に、ランハート殿に力を持たせることになった。養子の話を蒸し返されることも、これで二度となかろう。これほどのことをやりおるとはなぁ」
「うむ。何をどう言おうと、あの場ではどちらかの不興を買うのだ。それにどちらにつこうと、リシェルを日陰に押し込めておくよう命じられかねん」
俺の婚約者を日陰者にって、ないわー。ないない。ありえな~い。
リシェルの手を取って指先に口付けると、慌てて手を引っこ抜かれた。あ、ごめんつい。
義父上様とヨハン以外から生ぬるい視線を感じる。義父上様、そんな睨まないでくださいって。
ヨハンは毒気を抜かれたような顔をしていた。どん底気分からは脱したみたいだね。
しかし……母上様が仰った通り、ヨハンがやったことはとんでもない反逆とも言えるし、その状況で打てる最高の手でもあった。
「……とんでもないことになりましたねぇ」
ミッテちゃんが肩の上でピヨヨと呟くのに、ソウダネーと内心で相槌を打ちながら、俺は並べられた書類に目を通していった。
生前移譲のための書類を。
ランハート・フォン・ムスター、十六歳。
俺はこの日、リヒトハイム王国史上、最年少の公爵となった。
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