付き合ってもいないのに振られた男

丸井竹

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1.奇妙な新人霊薬師

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テーブルの上には小動物用のケージが置かれており、小さな角ネズミが鉄格子越しにシーリアの方を向いて座っている。

その周りには霊薬の瓶や調剤器具、さらに書物や書類が乱雑に置かれ、今にも机の端から何かがこぼれ落ちてしまいそうだった。

扉が鳴り、返事も待たずに一人の男が入ってきた。
この研究所の最高責任者のヴェイルスだった。

漆黒の長衣に身を包み、黒い長髪を後ろに束ねたヴェイルスは乱雑なシーリアのテーブルを一瞥し、人を不快にさせるような長い溜息をついた。

「相変わらず整理整頓がなっていないな」

「申し訳ありません」

挨拶代わりの小言をシーリアはさらりと流した。

「新しい依頼を受けたと聞いたが、どうなっている?」

シーリアは昨年来たばかりの新人霊薬師ながら優秀で、この研究棟に送られてくる高難易度の依頼はシーリアが全て片付けている。
シーリアの口から「出来ない」などといった言葉をヴェイルスは聞いたことがなかった。

ところがシーリアは深刻な顔をして静かに告白した。

「実は困っております」

ヴェイルスは片方の眉を上げると、険しい表情になった。
シーリアは言止めであり霊薬師である。シーリアに作れないのであれば恐らくこの研究棟で完成させることが出来る者はいないだろう。

「お前に作れないとは、どういうことだ?」

シーリアはテーブルに置かれたケージの蓋を開けると、中の角ネズミを取り出し、ヴェイルスの前に突き出した。

白い腹を出して尖った顔を向けてくる角ネズミを一瞥し、嫌そうに顔を背けたヴェイルスはそれをさっさと避けてくれと手を振った。

「これが何だというのだ」

「よく見てください」

シーリアの真剣な顔に押され、仕方なくヴェイルスはシーリアの手に捕まれた角ネズミをまじまじと見た。
尖った鼻に長いひげ、額に小さな角が一本、体は青みがかった灰色でどこにでもいる角ネズミだ。

シーリアの指の合間から見える白い腹は毛が薄く、地肌のピンク色が透けて見える。
それからぶらりと垂れ下がった下半身には細い足が二本と尻尾が二本。

ふと、その足の間にある小さな突起に目がいった。
小指の先ほどの大きさだが、確かに円錐のようにするどくたちあがっている。

「こ、これは……」

ヴェイルスは眉間にしわを寄せ、見たくもないものを渋々ながら観察する。

「オスか?」

「見ての通りオスです。」

シーリアが答える。

「しかも発情している?」

なにせ小指の先ほどの生殖器がピンとたっているのだ。

「勃起しています。触ってください」

「な、なに?!」

ヴェイルスはシーリアの正気を疑うような声をあげた。
シーリアは顔色一つ変えず、真剣な目でヴェイルスを見据えている。

ごくりと喉を鳴らし、ヴェイルスは人差し指を出した。
角ネズミの生殖器など触ったこともない。しかもオスだ。男が男の生殖器を触るというのはかなり抵抗がある。
そういう性癖の者もいるだろうが、ヴェイルスはそうではない。

「抵抗があるなぁ……」

ぼやいたヴェイルスにシーリアが恐ろしい忠告をした。

「血が出るかもしれませんから、軽く触れてくださいね」

「なに?!」

よく見れば、その先端は鋭利な刃物のように尖っている。
ヴェイルスは目を疑った。生殖器がナイフのように鋭いはずがない。それでは生殖活動に支障が出る。

震える指先で、ヴェイルスはそっと角ネズミの股間から突き出たものに触れてみた。

「いたっ!」

目で見て予想した通りの、ちくりとした痛みが走り、ヴェイルスは慌てて指を離し、急いで指の腹を確認する。
幸い血は出ていなかったが、先端で突かれた部分が少しへこんでいた。

「なんだこれは」

シーリアはオス角ネズミをケージに戻すと、テーブルの下からもう一つのケージを引っ張り出してオス角ネズミの入ったケージの隣に置いた。

そのケージを覗き込んだヴェイルスは目を大きく剥いて絶句した。
ケージの中には数頭の角ネズミの姿があったが、どれも下半身を血まみれにして息絶えていたのだ。
もはやケージに入れる必要もない。

「このオス角ネズミが生殖器で刺殺したメスです」

淡々と説明するシーリアに、ヴェイルスは鼻に皺を寄せ、オスのケージの中を覗き込んだ。
愛するメスたちと交わるたびに殺してしまう恐ろしいオス角ネズミは生殖器を尖らせたまま、鉄格子の向こうに鎮座している。

「なんと恐ろしい……」

男からしたらこれほど恐ろしい話は無い。愛する女性を目にすれば自然とそそり立つあそこが、愛する女性を殺す凶器になるのだ。

「一体どこからの依頼だ」

「私です」

まさかの言葉にヴェイルスは扉が閉まっているか、振り返って確認した。
さらに戸口に戻り鍵を閉める。
シーリアに向き直り、もう一度確認した。

「この霊薬の依頼者がお前だと聞こえたが?」

「届は私が出しました。実は、私が個人的に受けた依頼で、これはロンダの町の青の娼館で働く者からの相談で思いついたものなのです」

シーリアはその経緯を説明した。

それはシーリアがたまたま町に買い物に出た時だった。憂い顔の美男子に声をかけられたのだ。少しの間恋人のふりをして匿って欲しいと言われ、シーリアはその美男子と町を歩き、おしゃれなお茶屋に入った。

二人は楽しくおしゃべりをしたが、別れ際、男は顔を曇らせふと、身の上話をした。

「私には将来を約束していた女性がいました。彼女が家の借金のせいで売られると聞き、私が身代わりになったのです。幸い、容姿も良いとされ、彼女を守ることが出来ました」

男娼というのは体を売る商売であるから、客が女性であれば抱かなければいけないし、男性がくれば抱かれなければならない。さらに、希望を受けて男性も抱くことがある。
娼婦であれば相手がだれであれ基本は受け身であるからそこに問題はないのだが、男であればたつものが必要だった。

「さらに、毎日何人も客が来れば、勃つにも限界があるのです……。商売が出来なければせっかく助けた彼女がまた売られることになってしまう。なので、時々無理矢理休憩を取り息抜きをしては気持ちを高めているのですが、なかなか思い通りにたちません」

シーリアはすっかりその話に同情し、薬を使ってはどうかと提案した。霊薬師が作っている薬もあれば魔草薬師の作る薬もある。
しかし美男子はどれも試したがうまくいかないのだと具体的な薬の名を挙げてみせた。

多少元気にはなるが、思うように立ちあがるわけではなく、持続時間にもむらがある。さらに副作用も強く、長時間労働にはたえられない。

「私はいくら汚されても構わない。でも、彼女だけは娼館にやりたくないのです」

たたないことを隠すのももう限界かもしれないと美男子はすっかり打ちひしがれた様子だったのだ。
一介の男娼が国立霊薬研究所に薬を依頼することはあり得ない話だが、依頼者が所属研究員であれば可能だった。
シーリアはその男娼の依頼を自分の依頼として届けを出し、自らその薬を作ることに決めたのだ。

シーリアの話を聞き、ヴェイルスはなるほどと頷いたが、どこか釈然としない様子だった。

「それが、どうしてこんな凶器になった?」

どう考えてもこの霊薬は失敗だ。

「そこなのです。私は言止め師でもあるので見たり聞いたりしたものを表現することは得意な分野になります。しかし、触感を再現することは無理なのです。さらに、これに関しては私、聞いたこともないのです」

シーリアの視線がさりげなくヴェイルスの股間の辺りを見つめている。なんとなく背筋がぞわっとしてヴェイルスは素知らぬ顔を通そうとしたが、残念ながらシーリアは率直な性格だった。

「ヴェイルス様、見せてください。そして触らせてください」

密室に二人きりであり、さらに向かい合って立っているとなれば聞こえなかったふりも不自然だ。だからといって、ほいほいと出して見せられるものでもない。

「安心してください。見て触るだけです!他のことは一切しません!」

「お前……若い女だという自覚はあるのか。なんということを口に出している」

呆れ果てたヴェイルスの言葉にシーリアは決然とした表情をして顎を上げ、凛々しくヴェイルスの正面に立ちふさがった。

「これは世界平和のためでもあるのです。同じ悩みを抱える男娼の方々はたくさんいます。人助けのために一肌脱いでください!」

シーリアはヴェイルスの手首を掴んだ。その手をぐいと引っ張り、シーリアは奥の扉を指さした。

「さあ寝室へ行きましょう!」

霊薬師としてこの第五班研究棟を長年管理し続けてきたヴェイルスも、ここまで奇妙な霊薬師には会ったことがなかった。
ヴェイルスは小さくため息をつくと、シーリアに続いて寝室に入った。

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