付き合ってもいないのに振られた男

丸井竹

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33.前進した片思いと絶望的な探し物

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王は躊躇ったが、ヴェイルスとラフィーニアを二人にして部屋を出て行った。

ヴェイルスはラフィーニアの完璧な美しさに息を飲み、一瞬言葉を失ったが、この機会を逃すわけにはいかないと我に返り、礼儀正しくお辞儀をした。

「一級霊薬師のヴェイルスと申します」

衣擦れの音が近づき、ヴェイルスが顔を上げると、その美貌はもう目前だった。
夢のようだと思いながらヴェイルスは手を伸ばした。

その手をラフィーニアが両手でつかんだ。

「ヴェイルス様、お願いです。シーリアを助けて欲しいのです」

目が飛び出るほど驚いてヴェイルスはラフィーニアの輝く瞳を覗き込んだ。

「どういうことです?あなたとシーリアの関係は?シーリアはあなたの夢を見たと言っていた。この部屋も彼女の夢の通りだ。一体あなたは……」

「イリーナ地方の北の果て、ユドの村跡地にシーリアが眠っている。助けてあげて欲しいのです。彼女の体は発見されないまま、でも確実にそこにいるのです。あなたなら見つけられるはずです。ヴェイルス様、あなたは姿を変え、身分を変え、この国で長いことその力を隠し続けてきたはずです。どうか、その力でシーリアを助けに行ってください」

ラフィーニアはヴェイルスの手を引いて本棚の並ぶ奥へ進み、壁にはめ込まれた棚の中から分厚い本を何冊も抜き取った。
その奥に手を差し入れ、古い革表紙の本を取り出した。

「これが、私の作り出したシーリアです」

驚愕し、ヴェイルスはその本を開いた。

「北のイリーナ地方のユドの村が滅びた時、国王軍はその村を廃村とすることに決めました。生存者がほとんどいなかったからです。
その地に残された言止めの記録は全て回収されました。その中に、シーリアという子供の記録を見つけました。
その地方には床下に子供を隠す習慣があって、国王軍が駆け付けた時、多くの子供が床下から発見されました。
でも、以前の言止めの記録にあったシーリアだけは発見できなかった。
その記録を見て、私はもしかしたらまだ残っているのではないかと思ったのです。
それで、私はその記録に続きを書き始めました。
これは知られていない私の能力です。言止めは書いた物を映像として頭の中に再現できる。そして階層が上のものは実体を作ることも出来る。
そして私は、それを想像して作ることができます。
想像で作られたものは消えるものです。でも、実体があるものに話を付けたしたらどうなるのか。
私は自由を夢見た。シーリアがもし生きていたらと考えた。持てる魔力の全てを注ぎこみました。私は彼女となって世界を旅したかった。
夢中で書きました。物語のように彼女が生きていたらと思う話を。
驚いたことに本当に私はまるで体験しているようにその世界を見たのです。
シーリアは自分の意思をもって動き出した。
そのうち気が付きました。彼女は消えないということを。
私の魔力と繋がり、彼女は生かされ魂の旅をしているのです。
彼女の人生を奪っている自覚はありましたが、私は外の世界が楽しくてたまらなかった。
それで、長いこと彼女を通して世界を見つめ続けた。
いつの間にか私はシーリアの人生を共有していたのです。
でもある日、シーリアは恋をした。それが恋だと自覚を持つまで、私はシーリアの生き方を何とか修正できないか何度も何度も試みました。
彼女の人生を奪ってきたというのに、心までは奪いきれなかった。
彼女は……リーアンという若者に心を奪われ私の修正を無視して走り出した。
ペンを走らせても私の意思ではなく彼女の意思で動き出すのです。
でも、それは私の魔力から離脱することを意味します。
彼女は今、私の魔力で生きている。私と繋がることが出来なくなれば、シーリアの体は死んでしまう」

ほとばしるラフィーニアの言葉をヴェイルスは茫然と聞いていた。
言葉が切れると、ヴェイルスはやっと問いかけた。

「もう死んでいるのでは?本当に生きているのですか?」

「生きています。私の筋書きを拒み、消えてしまいそうな彼女の続きを描き直しました」

ヴェイルスは最後のページをめくった。

白い山並みに抱かれる廃村の光景。凍てついた大地の上にそのままに横たわる焼け落ちた家々の残骸。それから場面が突然暗い地下室に変わる。
柔らかな白いマットの中に沈むように眠るシーリアの姿。その体を金色の光が包み込んでいる。

「これが私の話の最後です。シーリアの人格の全てを上書きすることはできなかった。いいえ、私が……これ以上彼女の心を奪うことが出来なくなった。どうか、体を探して助けて欲しい」

「なぜ私なのです?」

ラフィーニアは微笑んだ。

「私も見ていました。あなたに気づかれないように。二百五十年もの間、あなたは私の前に時々姿を現した。特別であることがばれないように、上手に王国に溶け込んで。うらやましかった。私はここに囚われ、もう自由に羽ばたけない」

「あなたに恋い焦がれてきた」

ヴェイルスはシーリアの体などどうでもいいといわんばかりにラフィーニアの手を取り、その華奢な体を抱き寄せた。

「私が抱いたのはあなたなのですか?ラフィーニア、シーリアがあなたの描いた物語だというのなら……」

「本物のあなたと恋をすることが、本当に大変だということがわかりました」

二百五十年以上も生きて、美女に囲まれてきたヴェイルスは赤面し、隠れるように顔を背けた。

「でも……優しかった。あんな風に優しく私に触れてくれた人はいません」

「あなただと分かっていれば、もっと優しく出来ました……」

腕の中のラフィーニアのしなやかな体をヴェイルスは大切に抱きしめた。遠目にしかみたことがなかった絹のような金色の髪、どこか甘い、体の芯から蕩けそうな香り。

ヴェイルスの胸がぐっと押され、ラフィーニアの体が離れた。

「私が注ぐ魔力が完全にシーリアから離れたら彼女は死んでしまう。お願いです。今すぐ助けに行って」

「一度でいい。生身のあなたを抱きたい。ここを出ることは出来ないのか?」

「ここは言止め用の牢獄。言止めの記録を全てここで見ることが出来る。だから、私は外に出る必要がないのです。それに私がいなくなれば新たな永伝師が連れてこられる。
それを防いでいるのも私なのです。ほら」

ラフィーニアの持ち上げた手の指には金の指輪が嵌められ、全てが鎖で繋がっていた。

「拘束具なのです。この部屋に縛り付けられている者の証です。もう何百年もこのままなのです」

ヴェイルスは膝を付いた。

「私を知っているはずだ。私は数百年を生き、本当の望み以外のことには関心を持てないでいる。ある程度の拘束を受けながら自由を謳歌出来る身分で、ある程度の美女を傍に置いて退屈な人生を生きている。シーリアもその一人だった。
欲しいのはあなただ。約束が無ければ動かない」

「本当に酷い人」

ラフィーニアはため息をついた。手を伸ばしヴェイルスの頬に触れるとそっと力を込めてその顔を上に向かせた。一瞬、躊躇い、それからラフィーニアは腰を屈めヴェイルスの唇に自分の唇を重ねた。

「自分から口づけをしたのは初めてです。なんとかもう一度会えるように考えてみましょう。でも、ヴェイルス様、私はずっとお慕いしておりました。あなたが自由に幸せに生きている姿を目にするたびに、私はうれしかったのです。同じ時を生きる仲間がいるようで……私の能力の秘密を知っても王国に売らないでくださる同士と思える方はあなたしかいなかった。だから、シーリアのことをお願いします」

輝く紫色の目にヴェイルスの姿が映り、それは遠ざかった。
寂しそうな微笑みを残しラフィーニアは奥の扉に姿を消した。

ヴェイルスは転送室に引き返した。
そこを通過すれば王に呼ばれない限りもう二度とここには来られない。

どうせ最後なら、無理やり抱いてしまった方がいいのではないかという想いがヴェイルスの心に過った。
しかし心とは裏腹にヴェイルスの足は転送室に踏み込んでいた。

これからまた年に一度顔をみるだけの関係に戻るかもしれない。それでも、ヴェイルスは数百年越しの片思いが前進したと感じていた。



――

その日遅く、研究棟の離れに監禁されていたリーアンの元に手紙が運ばれてきた。
召使のミリアがリーアンの部屋の扉を叩き、馬車が来ると告げた。

「こちらの手紙がヴェイルス様から転送されてきました。イリーナ地方の北に向かってください。シーリアさんがそこにいるそうです」

リーアンは驚いたが、その言葉を疑わなかった。
ヴェイルスはシーリアが慕っている研究棟の上司であり、王国の上層部に籍をおく霊薬師なのだ。彼の持つ知識は計り知れない。消えたシーリアの姿がそこにあるというならヴェイルスはきっと手がかりをつかんだのだ。

リーアンはミリアに転送箱を渡され、迎えに来た馬車に乗り込んだ。
送られてきた手紙には、ヴェイルスも王都から別の馬車で直接そこに向かっていると書かれていた。

数日で、リーアンは北のイリーナ地方に到着し、国境を隔てる白い山並みに向かう細い道のほとりでヴェイルスと合流した。

ヴェイルスはなぜかリーアンの到着する時刻ぴったりに姿を現した。
馬車を返してしまうと、ヴェイルスはリーアンについてくるように告げ、先に立ってなだらかな斜面を歩き出した。

道はなく、大小さまざまな石が転がり足場は悪い。動植物の影もなく、ひたすら荒廃した山肌が続いた。

寒さに身を震わせるリーアンを振り返り、ヴェイルスはあたりを注意深く見回した。

「これから目にすることは他言無用だ」

ヴェイルスの言葉にリーアンは頷いた。霊薬師や魔法使い、魔道使いと魔力を使う仕事はさまざまだが、魔力持ちではないリーアンにはどれも無縁の世界のことであり、ヴェイルスが始めたことがどれほど異様なことか理解することはできなかった。

ヴェイルスは虚空に指を走らせ、聞いたこともない言葉を唱えた。
青白い光が足元から立ち上がり、二人の体を包み込む。

眩しさに目を閉じたリーアンは、再び目を開けて驚愕した。
目の前の景色が一変していたのだ。

先ほどまで登っていた斜面は消え、そこは平らな大地の上だった。
そして遥か先に見えていた尖った岩山が間近に迫っている。一瞬で山の山頂まで駆け上がってきたかのようだった。

振り返ればすぐそこは下りの斜面であり、平らな地面の周りを囲むのはやはり荒れた山並みだ。
無理矢理斜面を平らにならしたような地面には人が住んでいた痕跡が残されていた。
焼けた柱のような丸太が転がり、家の枠組みが崩れてそのままの形で残っている。

昔はここに集落があり人が住んでいたのだと思わせるような光景だった。
リーアンは朽ち果てた集落の変わり果てた姿に胸を痛めた。

「ここはかつてユドの村と呼ばれていた。この地のどこかにシーリアが眠っている」

ヴェイルスの言葉に、リーアンは驚いた。
人の気配などまるでしない荒れ果てた廃村に、もし生きている人が隠されているならばそれは恐ろしい想像しか生まない。
生き埋めにされているか、隠されているか、どちらにしても発見されなければいずれ死ぬ運命にある。

リーアンはその気配を必死に探ろうと絶望的な光景に目を凝らし、走り出した。
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