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第一章 骨師を守る騎士
5.取引
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目を覚ましたステラは、温かな寝袋を出ると滝の流れる出口に向かった。
穴の縁には飛んできた水滴のせいで湿った苔が生えている。
ステラはぬるついた苔に足をとられないように気を付けて外に顔を出した。
滝の向こうに朽ちかけた円柱に囲まれた祭壇が見える。
やはりそこに人影はない。
おそるおそる滝の下に目を向ける。
滝つぼから吹き上がる霧で崖の下はどうなっているのかわからない。
不安な心を奮い立たせ、もう一度祭壇に視線を向ける。
あの祭壇でイールと結婚するのだと、ステラはなんとか気持ちを盛り上げた。
不安に思えばイールの信頼を裏切ることになる。
迎えに来ると約束したのだから、必ず戻ってくるはずだ。
一方で、ステラはイールの身に何かあったのではないかと心配を募らせた。
ジルドが軍隊に報告すれば、イールは捕まり処刑されてしまうかもしれない。
命乞いが間に合えばいいが、捕まった時点で処刑されていたら取り返しがつかない。
もし捕まっていたら、神力の結晶をもっとたくさん作るから殺さないでくれと命乞いをしようとステラは考えた。
国は骨師を働かせるために多少は融通をきかせてくれるはずだ。
イールのためを思うなら、やはり結界を出たのは間違いだったのかもしれない。
孤独な時間が長引くにつれ、ステラの後悔は強まった。
骨師としては珍しく長く生きたステラの師匠は、その方法をステラに教えた。
しかし長く生きることはステラの目標じゃない。
死ぬまでに一度でいい。誰かに愛されてみたかった。
普通の女としての幸せを手に入れたかった。
その幸せが少しでも長く続くことを願った。
イールを危険に晒してまで、そんな望みを優先したことをステラは後悔した。
イールがもし罪に問われることになれば、イールと別れるとジルドに約束しよう。
自分は死んでもいいが、イールが不幸になるのは耐えられない。
暗い考えばかりが浮かぶようになると、ステラは再び洞窟の奥に引っ込み、寝袋の中に潜り込んだ。
イールが去って四回夜がきた。
心配しても何も出来ない。
ならばせめて幸せなことを考えるしかない。
ドレスに鮮やかな花、それから愛するイールとの温かな思い出。
不安を煽るような止まらない滝音をきかないように耳を押さえ、ステラは幸福な夢を見ようと目を閉じた。
――
通常は三日かかる道のりを一昼夜で駆け抜けたジルドは、やっと東渓谷の骨屋に戻ってきた。
ステラが誘拐されて五日目だ。
汗だくで結界内に馬を止めたジルドは、死にかけのシリラを馬から抱えおろした。
結界の縁に近づくと、ジルドは足を止めた。
「ステラを返してもらおう」
木陰から馬を連れたイールが現れた。
しかしその馬の背にステラの姿はなかった。
「交換だと言っただろう。ステラを連れて来い!」
ジルドは激しい怒りを漲らせ叫んだ。
シリラと共にステラまで手放したらそれこそジルドは国に居場所を失う。
「シリラの生死を確かめてからだ」
凄みのきいた低い声が響く。
命をかけたイールの物腰は、死地に挑む戦士のものだ。
ジルドは乱暴に肩からシリラを下ろすと、腕に抱え上げ自分の足で立たせようとした。
しかしシリラにその力はもう残っていなかった。
なんとか瞼をあげ、シリラは瞳を揺らしイールを探した。
「い、イール……無茶は……しないで……」
かすかな声が空気を震わせる。
「シリラ!」
ガレー国の小さな村からさらわれた最愛の女性を前に、イールは初めて表情を崩した。
その顔を眺め、ジルドはこの男はこんな顔をするのかと新鮮な驚きを感じていた。
ステラのところに通ってくるイールをジルドは常に監視してきた。
甘い言葉をささやき、恋人にならないかとステラに誘いかける顔も、ステラの体を欲しがり、抱きたいと囁く顔。それから夜中に小屋の中でステラを抱いている顔。
結界内で見たどの顔とも違う。
本物の恋人を前にその魂は隠しようもなく表に出た。
「彼女を返せ。ステラの居場所はその時教える」
イールの表情に焦りが浮かぶ。一目でシリラの命が尽きそうだと気づいたのだ。
「生きている間に返してほしければ、ステラを連れて来い」
他に選択肢はないとジルドは突き付ける。
憎しみを滴らせ、イールは脅すようにジルドに迫った。
「どうかな?ならば引き分けだ。もう五日目だな。彼女はそろそろ危ないぞ。今すぐ迎えに行けば間に合うと思うが、シリラが死ぬならステラも死ぬ。今すぐ返せば、ステラの居場所を教えてやる」
ぴたりと表情を消し、ジルドは忙しく頭を働かせた。
ステラが死ぬかもしれないという話が本当であれば、一刻の猶予もない。
「イール、お前はまさかステラとシリラ、二人の骨師を手に入れようとしているわけではあるまいな?」
さりげなく、ジルドは数歩後ろに下がった。
骨師は貴重なものだ。大陸中の国が骨師の数を競っている。
骨師が目的であるなら、死にかけのシリラを欲しがるわけがない。ステラ一人で十分だ。
となれば、イールがシリラを欲している理由は愛で間違いないだろう。
しかし、逃げるとなれば金がいる。ステラを売るつもりかもしれない。
骨師を働かせるのは大変だ。果たして、イールはこの状態でステラを働かせることが出来るだろうか。
もしかしたら、ジルドが取り返しても、またイールのもとに逃げ出してくるようにステラを洗脳しているかもしれない。
ジルドはステラの心を奪い返す作戦に出た。
「お前がステラを奪わないと証明できるか?そうだな。結界に一歩入って宣言するんだ。ステラのことは愛していなかったと」
イールは躊躇わず結界に入った。
「シリラを取り戻すためならどんなことでもするさ。俺の魂はシリラだけのものだ。偽りの愛を囁き、体だってくれてやる。俺達の国を滅ぼした敵国の女のことなど、誰が本気で愛すものか。
俺が愛を捧げるのは生涯ただ一人、シリラにだけだ。
もしシリラがそこで死ぬようなことがあれば、ジルド、お前の大切なステラはシリラよりずっと残酷な方法で死ぬことになる。俺はステラを使ってお前達に復讐するぞ!」
血を吐くような憎しみをたぎらせ、イールは叫んだ。
薄く笑い、ジルドはイールに下がれと顎を振って合図をした。
顔も上げられず、ぐったりとジルドの腕にぶらさがっているシリラを引きずり、ジルドは結界の縁に近づくと、シリラを置いた。
「いいか、三歩後ろに下がる。ステラの居場所を言え。もし言わなければ二人とも殺す」
三歩あれば死にかけのシリラぐらいは簡単に殺せる。
イールの腕が良くても死にかけの女を守り結界を出るのは難しい。
「わかった」
間髪入れずイールは答えた。
こうしている間にもシリラの死は迫っている。
ジルドは慎重に三歩下がった。
それを見届け、イールは動く前に早口で告げた。
「ステラは森を抜けた先にある滝の裏の洞窟にいる。入り口は崖の頂上にできた稲妻型のひび割れだ。裂け目を岩で隠してある。その下の洞窟にステラを隠した。彼女が使っている寝袋の中に、この間の古代種の骨を発見した場所の座標を記した紙を入れた。洞窟は自力では脱出不可能だ。食料も三日分しか置いてきていない。そろそろ飢えが始まるころだ」
ジルドはイールを睨みながら馬に飛び乗った。
「もし嘘ならすぐに追ってお前を殺す。その女から殺すからな」
洞窟内の危険は飢えだけではない。毒を持った生き物に襲われるかもしれない。
あるいは獣が入り込むかもしれない。寒さもある。ジルドはイールを振り返りもせず馬を走らせた。
イールはジルドが去るのも待たず、横たえられたシリラに飛びつき名前を呼んだ。
「シリラ!」
抱き上げ、すぐに馬に向かう。
ステラを取り返したら、ジルドは必ずイールとシリラを追いかけ殺そうとするだろう。
骨師を盗めば大罪だ。
大軍で追われたらさすがに死に瀕しているシリラを連れては逃げきれない。
だとしたら、最後にどうしてもやりたいことがある。
腕の中のシリラにイールは優しく語り掛けた。
「シリラ……遅くなった……すまない」
うっすらと目を開けたシリラは幸せそうに微笑んだ。
「いいの……迎えに来ないでと言えばよかった……ごめんなさい。辛い思いをさせたでしょう?」
首を横に振り、イールはシリラを背負って馬に乗る。
「シリラ、結婚しよう。約束しただろう?全部用意した。大丈夫だ。俺達は幸せになれる。今度こそきっと」
腕に抱いた最愛の女性はぐったりとして自分で姿勢を保つことすら難しい。
泣きながらイールはシリラを腕に抱き直し、祭壇に向けて馬を走らせた。
ジルドは森の中を疾走し、ようやく崖に続く斜面に辿り着いた。
すぐさま馬を下りると岩だらけの山を登り始める。
泥臭い仕事が嫌で骨師を管理する仕事をわざわざ選んだというのに、ジルドの手は傷だらけで、立派な隊服も破れて汚れ、見る影もない。
全身汗だくでジルドは岩山を登り、頂上に到達した。
流れ落ちる滝の音を聞きながら、今度は隠されているひび割れを探す。
地面を切り裂くようなひび割れを見つけると、それを追いかけ積み上げられている岩をどける。
人が通れるほどの穴は現れたが、中にも岩が落ちていて出入り口を塞いでいる。
腕に抱えられる程度の岩だが、一つ一つはずっしりと重く腰にくる。
必死に腕を動かし、すべてを除けると、ようやくジルドが通れるぐらいの黒い穴が顔を出した。
息をつく間もなく、ジルドは暗い穴に滑り込む。
身一つで飛び込んでしまったことに少しばかり不安がよぎる。
もしイールの話が嘘ならば、入り口を岩で塞がれジルドが閉じ込められることになる。
あるいはここで待ち伏せしている仲間がいたら、岩を割れ目に入れられてしまえば二人とも出られない。
それが作戦ではないだろうかと思い、足が止まりそうになる。
しかしもし本当にこの先にステラがいるなら、急がなければならない。
半信半疑のまま、ジルドは暗い穴の中を手探りで前進する。
「ステラ!ステラ!いるか!」
狭い洞窟内に声が反響し耳にうるさく聞こえるが、答えはない。
耳を澄まそうとするが、それは不可能だった。
遠くから滝の音が聞こえてきたのだ。
方角から考えれば滝の裏に向かっている。
「ステラ!」
水音で声がかき消されてしまう。
それでもジルドはステラの名前を叫びながら、手探りで闇の中を進み続けた。
穴の縁には飛んできた水滴のせいで湿った苔が生えている。
ステラはぬるついた苔に足をとられないように気を付けて外に顔を出した。
滝の向こうに朽ちかけた円柱に囲まれた祭壇が見える。
やはりそこに人影はない。
おそるおそる滝の下に目を向ける。
滝つぼから吹き上がる霧で崖の下はどうなっているのかわからない。
不安な心を奮い立たせ、もう一度祭壇に視線を向ける。
あの祭壇でイールと結婚するのだと、ステラはなんとか気持ちを盛り上げた。
不安に思えばイールの信頼を裏切ることになる。
迎えに来ると約束したのだから、必ず戻ってくるはずだ。
一方で、ステラはイールの身に何かあったのではないかと心配を募らせた。
ジルドが軍隊に報告すれば、イールは捕まり処刑されてしまうかもしれない。
命乞いが間に合えばいいが、捕まった時点で処刑されていたら取り返しがつかない。
もし捕まっていたら、神力の結晶をもっとたくさん作るから殺さないでくれと命乞いをしようとステラは考えた。
国は骨師を働かせるために多少は融通をきかせてくれるはずだ。
イールのためを思うなら、やはり結界を出たのは間違いだったのかもしれない。
孤独な時間が長引くにつれ、ステラの後悔は強まった。
骨師としては珍しく長く生きたステラの師匠は、その方法をステラに教えた。
しかし長く生きることはステラの目標じゃない。
死ぬまでに一度でいい。誰かに愛されてみたかった。
普通の女としての幸せを手に入れたかった。
その幸せが少しでも長く続くことを願った。
イールを危険に晒してまで、そんな望みを優先したことをステラは後悔した。
イールがもし罪に問われることになれば、イールと別れるとジルドに約束しよう。
自分は死んでもいいが、イールが不幸になるのは耐えられない。
暗い考えばかりが浮かぶようになると、ステラは再び洞窟の奥に引っ込み、寝袋の中に潜り込んだ。
イールが去って四回夜がきた。
心配しても何も出来ない。
ならばせめて幸せなことを考えるしかない。
ドレスに鮮やかな花、それから愛するイールとの温かな思い出。
不安を煽るような止まらない滝音をきかないように耳を押さえ、ステラは幸福な夢を見ようと目を閉じた。
――
通常は三日かかる道のりを一昼夜で駆け抜けたジルドは、やっと東渓谷の骨屋に戻ってきた。
ステラが誘拐されて五日目だ。
汗だくで結界内に馬を止めたジルドは、死にかけのシリラを馬から抱えおろした。
結界の縁に近づくと、ジルドは足を止めた。
「ステラを返してもらおう」
木陰から馬を連れたイールが現れた。
しかしその馬の背にステラの姿はなかった。
「交換だと言っただろう。ステラを連れて来い!」
ジルドは激しい怒りを漲らせ叫んだ。
シリラと共にステラまで手放したらそれこそジルドは国に居場所を失う。
「シリラの生死を確かめてからだ」
凄みのきいた低い声が響く。
命をかけたイールの物腰は、死地に挑む戦士のものだ。
ジルドは乱暴に肩からシリラを下ろすと、腕に抱え上げ自分の足で立たせようとした。
しかしシリラにその力はもう残っていなかった。
なんとか瞼をあげ、シリラは瞳を揺らしイールを探した。
「い、イール……無茶は……しないで……」
かすかな声が空気を震わせる。
「シリラ!」
ガレー国の小さな村からさらわれた最愛の女性を前に、イールは初めて表情を崩した。
その顔を眺め、ジルドはこの男はこんな顔をするのかと新鮮な驚きを感じていた。
ステラのところに通ってくるイールをジルドは常に監視してきた。
甘い言葉をささやき、恋人にならないかとステラに誘いかける顔も、ステラの体を欲しがり、抱きたいと囁く顔。それから夜中に小屋の中でステラを抱いている顔。
結界内で見たどの顔とも違う。
本物の恋人を前にその魂は隠しようもなく表に出た。
「彼女を返せ。ステラの居場所はその時教える」
イールの表情に焦りが浮かぶ。一目でシリラの命が尽きそうだと気づいたのだ。
「生きている間に返してほしければ、ステラを連れて来い」
他に選択肢はないとジルドは突き付ける。
憎しみを滴らせ、イールは脅すようにジルドに迫った。
「どうかな?ならば引き分けだ。もう五日目だな。彼女はそろそろ危ないぞ。今すぐ迎えに行けば間に合うと思うが、シリラが死ぬならステラも死ぬ。今すぐ返せば、ステラの居場所を教えてやる」
ぴたりと表情を消し、ジルドは忙しく頭を働かせた。
ステラが死ぬかもしれないという話が本当であれば、一刻の猶予もない。
「イール、お前はまさかステラとシリラ、二人の骨師を手に入れようとしているわけではあるまいな?」
さりげなく、ジルドは数歩後ろに下がった。
骨師は貴重なものだ。大陸中の国が骨師の数を競っている。
骨師が目的であるなら、死にかけのシリラを欲しがるわけがない。ステラ一人で十分だ。
となれば、イールがシリラを欲している理由は愛で間違いないだろう。
しかし、逃げるとなれば金がいる。ステラを売るつもりかもしれない。
骨師を働かせるのは大変だ。果たして、イールはこの状態でステラを働かせることが出来るだろうか。
もしかしたら、ジルドが取り返しても、またイールのもとに逃げ出してくるようにステラを洗脳しているかもしれない。
ジルドはステラの心を奪い返す作戦に出た。
「お前がステラを奪わないと証明できるか?そうだな。結界に一歩入って宣言するんだ。ステラのことは愛していなかったと」
イールは躊躇わず結界に入った。
「シリラを取り戻すためならどんなことでもするさ。俺の魂はシリラだけのものだ。偽りの愛を囁き、体だってくれてやる。俺達の国を滅ぼした敵国の女のことなど、誰が本気で愛すものか。
俺が愛を捧げるのは生涯ただ一人、シリラにだけだ。
もしシリラがそこで死ぬようなことがあれば、ジルド、お前の大切なステラはシリラよりずっと残酷な方法で死ぬことになる。俺はステラを使ってお前達に復讐するぞ!」
血を吐くような憎しみをたぎらせ、イールは叫んだ。
薄く笑い、ジルドはイールに下がれと顎を振って合図をした。
顔も上げられず、ぐったりとジルドの腕にぶらさがっているシリラを引きずり、ジルドは結界の縁に近づくと、シリラを置いた。
「いいか、三歩後ろに下がる。ステラの居場所を言え。もし言わなければ二人とも殺す」
三歩あれば死にかけのシリラぐらいは簡単に殺せる。
イールの腕が良くても死にかけの女を守り結界を出るのは難しい。
「わかった」
間髪入れずイールは答えた。
こうしている間にもシリラの死は迫っている。
ジルドは慎重に三歩下がった。
それを見届け、イールは動く前に早口で告げた。
「ステラは森を抜けた先にある滝の裏の洞窟にいる。入り口は崖の頂上にできた稲妻型のひび割れだ。裂け目を岩で隠してある。その下の洞窟にステラを隠した。彼女が使っている寝袋の中に、この間の古代種の骨を発見した場所の座標を記した紙を入れた。洞窟は自力では脱出不可能だ。食料も三日分しか置いてきていない。そろそろ飢えが始まるころだ」
ジルドはイールを睨みながら馬に飛び乗った。
「もし嘘ならすぐに追ってお前を殺す。その女から殺すからな」
洞窟内の危険は飢えだけではない。毒を持った生き物に襲われるかもしれない。
あるいは獣が入り込むかもしれない。寒さもある。ジルドはイールを振り返りもせず馬を走らせた。
イールはジルドが去るのも待たず、横たえられたシリラに飛びつき名前を呼んだ。
「シリラ!」
抱き上げ、すぐに馬に向かう。
ステラを取り返したら、ジルドは必ずイールとシリラを追いかけ殺そうとするだろう。
骨師を盗めば大罪だ。
大軍で追われたらさすがに死に瀕しているシリラを連れては逃げきれない。
だとしたら、最後にどうしてもやりたいことがある。
腕の中のシリラにイールは優しく語り掛けた。
「シリラ……遅くなった……すまない」
うっすらと目を開けたシリラは幸せそうに微笑んだ。
「いいの……迎えに来ないでと言えばよかった……ごめんなさい。辛い思いをさせたでしょう?」
首を横に振り、イールはシリラを背負って馬に乗る。
「シリラ、結婚しよう。約束しただろう?全部用意した。大丈夫だ。俺達は幸せになれる。今度こそきっと」
腕に抱いた最愛の女性はぐったりとして自分で姿勢を保つことすら難しい。
泣きながらイールはシリラを腕に抱き直し、祭壇に向けて馬を走らせた。
ジルドは森の中を疾走し、ようやく崖に続く斜面に辿り着いた。
すぐさま馬を下りると岩だらけの山を登り始める。
泥臭い仕事が嫌で骨師を管理する仕事をわざわざ選んだというのに、ジルドの手は傷だらけで、立派な隊服も破れて汚れ、見る影もない。
全身汗だくでジルドは岩山を登り、頂上に到達した。
流れ落ちる滝の音を聞きながら、今度は隠されているひび割れを探す。
地面を切り裂くようなひび割れを見つけると、それを追いかけ積み上げられている岩をどける。
人が通れるほどの穴は現れたが、中にも岩が落ちていて出入り口を塞いでいる。
腕に抱えられる程度の岩だが、一つ一つはずっしりと重く腰にくる。
必死に腕を動かし、すべてを除けると、ようやくジルドが通れるぐらいの黒い穴が顔を出した。
息をつく間もなく、ジルドは暗い穴に滑り込む。
身一つで飛び込んでしまったことに少しばかり不安がよぎる。
もしイールの話が嘘ならば、入り口を岩で塞がれジルドが閉じ込められることになる。
あるいはここで待ち伏せしている仲間がいたら、岩を割れ目に入れられてしまえば二人とも出られない。
それが作戦ではないだろうかと思い、足が止まりそうになる。
しかしもし本当にこの先にステラがいるなら、急がなければならない。
半信半疑のまま、ジルドは暗い穴の中を手探りで前進する。
「ステラ!ステラ!いるか!」
狭い洞窟内に声が反響し耳にうるさく聞こえるが、答えはない。
耳を澄まそうとするが、それは不可能だった。
遠くから滝の音が聞こえてきたのだ。
方角から考えれば滝の裏に向かっている。
「ステラ!」
水音で声がかき消されてしまう。
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