少年に恋した男は二度恋に落ちる

丸井竹

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8.主人の片思い

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出立の日、厩の糞運びから大出世したゼルは張り切っていたが、幾分青ざめても見えた。

クリスは大きな革袋を背負っていた。

「なんだ、それは?」

ルークの問いにクリスはにやにやして答えなかった。よく磨かれた鞍を馬に乗せ、磨き上げた革ベルトと兜、折りたたまれたマントをルークの前に差し出した。

「もしかしたら戦うかもしれないだろう?」

クリスは、主人であるルークの鎧兜を磨き、さらに皮ベルトまで艶出し油でこすり上げた。
さらに、今回はいらないだろうと言ったマントまで持ってきた。

表地が紺色で裏地は赤だった。王国の国章である黒豹のシルエットに鋭い山脈が描かれている。

「かっこいいよ」

クリスに言われると、ルークは頬を赤らめた。
ゼルはなんとも微妙な顔になった。

ゼルは、主人のルークがクリスに片思いしていることにすぐに気づいた。
ルークがクリスに手を出すなと言っていたのは恋愛対象としての意味だったのかとゼルは納得した。


行軍が始まると、糧食部隊がゆっくりと動きだした。
やがて戦が始まると、捕虜になった者たちが後方のテントに連れて来られるようになった。
クリスとゼルは炊き出しや配膳も手伝った。

それから数日後、大変な騒ぎが起きた。
糧食は無事だったが、捕らえたウーナ国の捕虜たちが脱走したのだ。
まさか敵国の間者が入ったのではないかと洗い出しが始まったが、怪しいものはいなかった。
しかしいなくなった者はいた。

それはクリスで、ゼルとルークは顔を見合わせ、真っ青になったのだ。
捕虜を逃がすという失態をおかしたのがクリスの可能性、あるいは入り込んだ何者かがクリスを脅してそれをさせたのか、どちらにしても危険な話だった。

ルークは探しに行こうとしたが、当然ゼルは止め、お守りのゲインはそれをロイダールに報告した。

その夜、ルークは野営地からこっそり離れようとした。
ゼルはすぐに気づき、ゲインを呼ぶべきか迷った。クリスを探しに行きたいのだとわかったのだ。止めればルークに恨まれ、首にされるかもしれない。

「ルーク様、だめです。戻りましょう」

声を落とし、訴えながらゼルはルークの後ろを追いかけた。

「だめだ。クリスを探す。彼には病気の母親がいる。絶対に生きて帰らなければならない身だ。何かあったなら助けてやらなければ」

「たかが部下の命、ルーク様の命の方が大切です」

「クリスの命は軽くない!」

鋭い声がしんとした闇に響いた。はっとして顔を上げた時、二人の前には大人の騎士の姿があった。

「勝手なことは困る」

暗がりに篝火の灯りがちらりと過り、その顔が一瞬浮かび上がった。
ゲインの冷やかな目が二人をしっかりととらえていた。

まるで、脱走した子犬を小屋に戻すようにゲインはルークの体を持ち上げようとした。さすがに抱き上げられるわけにはいかず、ルークは自分のテントに飛んで逃げた。
ゼルもほっとしたように後を追った。

それでもルークは脱走を試みた。
しかしテントから顔を出すと、今度は見張りが三人に増えていたのだ。

ルークはテントに戻り、ゼルに告げた。

「朝になったら探してくれ。お前なら探しに行けるだろう」

「わかりました……」

ゼルは答えたが、初めての戦場、初めての行軍、初めての事件で一体どう探していいのかさっぱりわからなかった。



翌朝、まだ朝霧のかかる薄暗い中、ウーナ国側から一人の少年が姿を現した。
見張りの目をかいくぐり、ルークのテントに近づくと、器用に裏に回りテントの下から潜り込んだ。

テント内ではまんじりとも出来ないルークが座り込み、ゼルは眠そうにこくりこくりと船を漕いでいた。
ルークは背後に奇妙な気配を感じ振り向いた。
そこに深くフードを被った少年が立っていた。

「クリス!」

小さく叫んだルークの声にゼルが驚いて目を覚ました。
フードを跳ねのけ、現れたのは赤毛のクリスで、生き生きとした灰色の目が燃えていた。
クリスは指を一本立て、静かにするように示すと、淡々と話し始めた。

「ルーク、奇襲をかけよう」

ゼルは驚きすぎて声が出そうになり、急いで自分の口を両手で押えた。
ルークはなんとも表現しがたい顔でクリスを見つめている。

「ここ数日、俺は捕虜たちの前でちょっとした芝居を続けたんだ。
筋肉強化の効果を持つ魔法のキノコを戦士達の食事に入れなければと捕虜たちの前で話した。本当は従者の俺は食べてはいけない高価なキノコだけど、ここなら誰もみていないだろうといって、こっそりそれを食べてみせ、突然怪力になったと見せかけた。
柔らかい石灰岩を握って割って見せたんだ。似た色の固い石を周辺にまいておいた。
捕虜たちのテントの裏でそれをこっそり何度か繰り返し、キノコの効果がきいているぞといって戦場に出ているふりをした。
そして夕刻になるとまたそこへ行き、戦果をあげているからまた使ってしまおうと食べたわけだ。で、そのキノコをうっかりそこに置いたまま、捕虜たちを逃がした」

黙って聞いていた二人はそれこそ恐怖に顔を強張らせた。軍の規律を破れば処刑されるかもしれない。
しかし話にはまだ続きがあった。

「大量に用意した痺れキノコや幻惑キノコを彼らは持ち帰った。それでちゃんと食べてくれるかどうか確認したくて逃げた捕虜のふりをして一緒に敵陣に入った。ついでに俺が料理して食べさせた。
夜明けと共に彼らは動けなくなる。それと、ウーナ国の敵陣裏に続く抜け道を見つけた。
今から行こう。敵の武将の首を上げるなら今だ」

クリスはルークの紺のマントをとりあげ、懐に抱いた。

「これを着たらきっとさまになる」

ルークはテントを飛び出し、見張りをしている騎士ゲインにクリスの話を伝えた。半信半疑のゲインだったが、クリスは懐に入れてきたキノコを一つ見せた。

「俺は手柄が欲しい。主人が大事なら見張っていたらいい。でも俺はいく。全員動けなくしたのは俺だ。後方部隊と糧食部隊は完全に動けない。ウーナ国の武将の天幕のすぐ近くだ」

一個中隊がクリスの案内についていった。そしてロイダール隊長の元へ騎士が二人走った。
朝靄の中、クリスは迷いなく進み、ルークはその後ろに続いた。ゼルは足を震わせながら必死についていった。
その後ろを屈強な味方の戦士達が続く。

森や斜面を抜け、崖下の窪みを通り過ぎ巨大な岩の間をすり抜けると、そこはウーナ国側の陣営が敷かれたロアンの丘で、既にそこでは大混乱が起きていた。

食事を食べた兵士たちが起きてこなかったのだ。幻惑キノコのせいで錯乱し、味方に攻撃し始めたものもあり、何が起きたのかと伝令が飛び交っていた。

さらに指揮官たちも無事ではなかった。
クリスはせっせと倒れた兵士たちの天幕を回り、敵兵の甲冑を手に入れてあそこへ行こうと指さした。

それは最奥にある大きな天幕で大将の首があるに違いなかった。
迷いなく、息のある敵兵たちをあっさり殺していくクリスにゼルは驚き、震える手で後に続こうとした。

しかしそれより早く、ついてきた一個中隊の戦士達がその作業に入っていた。
敵兵たちが混乱し騒ぎ立てる中、クリスはルークの手をひっぱった。

「ウーナ国側の今回の戦の責任者はどうもゴーデ伯というらしい。噂できいたが、とにかく用心深い男だとか。俺の予想では……」

クリスとルークは丘の裏側に回り込み、茂みの中から顔を出した。
ゼルも後ろにいた。

丘の下は国境をまたぐ広大な森の端にかかっており、その中に黒い天幕が張られていた。夜であれば全く見えなかっただろう。
今も日陰にあって目立たない印象だ。

「三十人といったところだな。ほら、今出て行った。主の周りには十人……」

「無謀だ。クリス」

ルークの言葉にクリスはにやりとした。
後方で鬨の声があがった。ロイダールが軍を動かし、正面から戦闘を開始したのだ。半数の兵士がキノコの毒でおかしくなっている今こそ好機だった。

「逃げ出したやつが大将だ。狙うは首一つ」

味方の戦士達が迫ってくるのを見ると、三人は飛び出し、馬を奪うと走り出した。

「大変です!敵襲です!ゴーデ様逃げて下さい!」

叫んだのはクリスだった。敵の大将ををおびき出そうとしたのだ。
三人とも敵の甲冑姿だ。

「ルーク!逃がすな!」

クリスが叫んだ。ルークは歯を食いしばり、必死に前を睨んだ。

大混乱の中、速やかに行われた大将の首取りはあっさりと成功した。
大将もまたキノコにあたり動けなかったのだ。

守っていた兵士達も弱っていたため、三人がかりであればなんとかなった。

今回のウーナ国への報復戦はロア王国側の圧勝だった。

当然その手柄はクリスの主、ルークのものだった。

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