死の花

丸井竹

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10.二人の関係

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 閑散としていたはずのコトの町には、驚くべきことに人が溢れていた。
レイシャが王都に行き、戻ってくる間に、王都から避難してきた避難民たちだった。
彼らは王都に月に一度やってくる、国一番の解呪師がコト町に住んでいると噂に聞き、こぞって押し寄せてきていたのだ。

しかもコト町は田舎とは思えないほど発展した町だった。
国の役所も全部そろっているし、騎士団の拠点もあれば警備兵の数も充実している。
教会は大きいし、神官の数も十分だ。
王都からコト町までの道のほとんどは整備され、騎士団だけでなく、豪商たちが商隊を組んでよく往復している。

さらに、今のところ死の花の駆除も間に合っているとなれば、さらに安全だという噂が流れ、王都や周辺の町からも人が集まり始めていた。

そんなコト町に、足りない物といえば、それは宿屋だった。
王都からやってきた避難民たちでコト町の宿屋は瞬く間に満杯になった。

人々が宿を求めてうろつくなか、ディーンも毎日グリーブの宿に通っていた。
持ち家が出来たため、宿はもう必要なかったが、レイシャが訪ねてくる可能性があると考えたのだ。
最後にレイシャと別れた時、走り去るレイシャの背中に、宿か一緒に座ったベンチで会おうと声をかけたが、返事はなかった。

それでもディーンは、レイシャと別れてから二カ月近く、宿に通い、娼館に入る前にベンチでしばらく待つといった生活を続けていた。

その日も、ディーンは娼館前のベンチに座っていた。
宿にも寄ってきたが、訪ねてきた女性はいなかった。

相変らずの曇り空を眺め、ディーンは雨が降るかもしれないと考えた。
その前を何台もの馬車が通り過ぎていく。

通りには人々が溢れていたが、大半が客になりそうもない王都からの避難者たちだった。

このまま会えなくなり、レイシャの声や姿を忘れてしまったらどうしようかと、ディーンは寂しく考えた。
と、その時、懐かしい声が耳に聞こえてきた。

「ディーン」

記憶の中の声かもしれないとディーンは思った。

「ディーン?」

まさかと、ディーンは顔を上げた。
そこに笑顔のレイシャが立っていた。
金色の髪を結い上げ、明るい水色の外套を身につけている。

「レイシャ!」

歓喜の声を上げ、抱き着こうとベンチから腰を上げたディーンは、すぐに思い直し横にずれて座り直した。
レイシャは空いた場所に、ごく自然に座った。

「会えて良かった。その、家を手に入れたから宿にはいないと伝えたかった。もしよかったら遊びに来ないか?娼館に入らずに、一緒に時間を過ごせる。もちろん手も繋がない」

最後に会った日のことをどう話したらいいかと悩んできたレイシャは、ほっとして手を叩いた。

「そうなの?すごい!独立したのね。本当にすごい」

「全てレイシャのおかげだ」

それは違うとレイシャは首を横に振った。

「そんなことないわ。ディーンが自分で勝ち取ったのよ。辛い仕事をやりぬいてチャンスをつかんだ。逃げずに戦った成果よ。おめでとう」

大型の馬車が二人の会話を邪魔するように大きな音を立て、前を通り過ぎた。
濡れた地面から泥が跳ねあがり、同時に乾いた部分からは砂埃がまいあがる。

ほこりっぽさに咳き込んだレイシャを庇うように、ディーンはベンチの前に立って手を差し出した。

「一人住まいの小さな家だけど見に来ないか?」

レイシャはうっかりその手を取って立ち上がり、慌てて手を放した。
少し表情を強張らせたディーンは、ぎこちなく微笑み、レイシャを庇うように歩道の外側を歩き出した。

ディーンのすぐわきをまた、大きな馬車が通り過ぎる。
今度はレイシャのところまで砂埃はこなかった。

街中を通り過ぎ、内門を抜けると視界の開けた田舎道に出た。
そこはレイシャも初めてくる場所で、鮮やかな緑の草地や木漏れ日がふんだんに降り注ぐ小さな森、さらには川まであり、目をみはるような豊かな自然の景色が広がっていた。
明るい日差しを受けて輝く川面や花咲く開けた道に、レイシャはすっかり心を奪われた。

小さな雑木林を抜けたところで、ディーンが足を止めた。
木陰に、小さな家が建っている。

レイシャが目を輝かせた。

「素敵なところね」

「この家を手に入れられたのはレイシャのおかげなんだ」

ディーンはレイシャのために扉を大きく開いた。

清潔感のある室内がレイシャを迎え入れた。

洗い場のついた小さな台所が奥にあり、手前に食事用のテーブルがある。
右手の壁際に寝台が置かれ、備え付けの棚には日用品が並んでいる。
床はよく磨かれ、窓も曇っていない。
こじんまりとしていながら、清潔感のある室内に、ディーンの丁寧な暮らしが見えるようだった。

「ここでお客をとるの?」

レイシャの無邪気な問いに、ディーンは優しく微笑んだ。

「いいや。お客は娼館で取る。誰かを招くのは初めてだ」

ディーンはレイシャに椅子を勧め、流しに向かうと、手際よくお湯を沸かし、お茶を入れて戻ってきた。
その丸みを帯びた赤いカップに、レイシャはわずかに眉をひそめた。
それはどうみても女性用のカップだった。
すかさずディーンが説明した。

「レイシャが来てくれたら使いたいと思って、買っておいた。まだ一度も使っていない」

素直に喜び、レイシャはカップを両手で持ち上げ、そっと口をつけた。

「甘い香りのお茶だと聞いたが、どうだろう?」

「美味しい」

レイシャの笑顔にほっとして、ディーンはさっそく、この家を入手した経緯について説明した。

「霊薬がアレンさんの傷にきいたのね。本当によかったわ。いろいろと危険なこともあるのね」

レイシャは持ってきたかごから新しい霊薬の瓶を取り出して、テーブルの上に並べ始めた。

「王都でしか買えない貴重な霊薬だろう?そんな貴重なものを毎回申し訳ない。その、霊薬の代金を支払わせてくれないか?建て替えてもらったお金も少しずつ返したいと思っている」

ディーンは席を立ち、寝台の傍の棚から袋を取って戻ってきた。

「少しずつだが、安定した収入が得られるようになってきたんだ」

ちゃりんと鳴ったその革袋を、レイシャはとんでもないと押し返した。

「いらないわ。受け取れない。それに、私が持っていてもそんなに使わないの。使い道もないのよ……」

レイシャに信頼してもらえる存在になりたいディーンも、そんなわけにはいかないと袋を押し返した。

「何か欲しい物は?お礼がしたい。その、娼館にはもう……」

レイシャに他の男娼を紹介しようかと言いかけ、ディーンは口を閉ざした。
やはりレイシャが他の男娼を買うのは嫌だった。

しかしレイシャが他に男娼を買いたいと言い出しても、それを止める権利もない。
自由の身となっても、レイシャとは客と男娼の関係のままだ。

友人と呼べるようになるには、借金を返済する必要がある。
そうしなければ助けてくれた金持ちの女性と、助けられた貧しい男娼のままだ。

そこまでしても、レイシャとの道は見えてこない。
借金を返済出来たとしても、レイシャは人妻であり、ディーンが恋人になることは出来ない。
恩を返したら、この関係は消滅してしまうのか、それとも単なる友人として傍にいられるのか、ディーンにはわからない。

今はレイシャを金蔓だとは思っていないし、レイシャの前で男娼でいたいとも思わない。
この関係に進展はないのに、レイシャに会いたいと望んでしまう。
レイシャの過去や、それから今の夫のこと、レイシャのことを知りたくてたまらない。

ディーンは混沌とする自分の心の中に、一つの答えを見つけかけていた。
それはほとんど見えているが、そんなに単純に進む話でもなかった。
ディーンはもう恋も、真実の愛も信じていなかった。

それなのに、レイシャを想うだけで胸が締め付けられるような痛みが走る。
危険な気持ちだとディーンは思った。

レイシャがまたお金の入った袋をディーンの方に押し返した。

「とにかく、お代はいらない。男娼なのでしょう?利用してよ」

その言葉は思いがけずディーンの心に鋭くささった。
レイシャにとってディーンはやはり男娼の一人にすぎないのだ。
女を騙し、貢がせるだけの存在。

「施しは、もう欲しくない……」

金を借りている立場であり、レイシャと対等の立場に立てない情けなさに、ディーンは俯いた。

ディーンの「施し」という言葉に、レイシャも恥じらい、顔を赤くした。
良い人ぶって感謝されたいだけの、偽善者だと、ディーンは知っているのだ。
自由の身になったのに、金持ちの道楽に付き合い、憐れまれるなんてごめんだろう。

「ご、ごめんなさい。施しなんて……そんな風に思っていない……。私はただ……」

あなたに会いに来る口実を作りたいだけなのだと、どうしても言えない。
人妻であり、友人以上の関係にはなれない。
なれたとしても、呪器であることがばれたら、きっと恨まれ嫌われてしまう。
誰も呪器と友達になんてなりたくないはずだ。

ディーンを騙している罪悪感に、レイシャは黙り込んだ。
そんなレイシャの沈んだ表情を見て、ディーンは正直な気持ちを口にした。

「俺は……君に借金をしている身で、君が憐れんでくれたからこそ自由の身になれたと感謝している。
それなのに、俺は……君と男娼と客ではなく、対等になりたいと思ってしまう。
君には迷惑な話かもしれない。でも……男娼ではない俺のことも知って欲しい。君と……友達になりたい」

それ以上の言葉が見つからなかった。
人妻のレイシャに恋人になりたいとは言えない。

金だけの繋がりではもう我慢が出来ない。
憐れまれ、施されるだけでは、男娼と客のままだ。

もっと近くにいたいのだ。
そう思いながらも、ディーンはレイシャをまだ少し疑っている。

金持ちのくせに、ただで男娼と遊びたい女はたくさんいる。
憐れみ、施すことが好きなだけなのかもしれない。

純粋に好意を持って付き合える相手なのか、裏切らない存在なのか。
ディーンの心には迷いがある。

レイシャは複雑な心境だった。
呪器と友達だったとばれたら、ディーンが困ったことになるだろう。
ディーンにも憎まれてしまう。

「友達は……うれしいけど……。ディーンは私のことを知らないでしょう……。知ったら嫌いになるわ」

「まさか、そんなことはない!」

ディーンは強く叫んだが、レイシャはディーンから押し付けられたお金の袋を取り上げ、かごにいれた。

「じゃあ、お金を受け取るわ。それで、また霊薬を仕入れてくる。ディーンは、私から買い取った霊薬を転売してよ。利益が出るように売っていいわ。
小分けにすれば安くも売れるでしょう?私達、商売仲間になりましょう。どう?」

友人にはなれないのだとディーンは寂しく微笑んだ。

「ぜひそうするよ。レイシャ」

友人にはなれなくても、レイシャに会う理由が出来た。

「町にも人が増えているみたいだから、儲かるかもしれないわ」

それはどうかなと、ディーンは町に人が増えている理由を簡単にレイシャに説明した。
レイシャは、王都の聖騎士団がフェスターを訪ねてきたことを思いだした。
世継ぎの王子まで死にかけているのだ。

「死の花が増えているのね……」

ぞっとしてレイシャは体を震わせた。
死の呪いが最終段階に入れば、呪器が必要だ。レイシャにとっては最悪の事態だ。

「ここまでは、まだ来ていない。大丈夫だ」

レイシャを不安にさせないように、ディーンは言ったが、レイシャは曖昧に微笑んだ。
これから憂鬱な仕事が待っている。

レイシャはお茶を飲みほし、カップを机に戻した。
ディーンも急いで立ち上がる。

「送るよ。この間の場所まで。いや、今日はもう少し先まで送る。最近物騒なんだ」

二人が外に出ると、空にはいつの間にか夕闇が迫っていた。
重そうな灰色の雲は、夕日を受けてうっすら赤く染まっている。

「降らなかったな」

「そうね。あ、そうだわ。近いうちに王都に行くの。他に欲しいものはない?」

さらりと話すレイシャに、ディーンは、やはり高貴な女性なのだと感じ、寂しそうに微笑んだ。
最近野盗が増え、護衛費があがり、警備兵の出動も増えて門の通行料が値上がっている。
とにかく旅は金がかかるのだ。
裕福な商人であっても、定期的に王都に通うことは難しい。

「気を付けてくれ。とにかく最近は物騒なんだ」

ディーンとレイシャはまたのどかな田舎道を戻り、賑やかなコト町に戻ってくると、今度は裏門に向かった。
人の往来の多い大通りに差し掛かった時、ディーンがレイシャの手を握った。

困ったように顔をあげたレイシャに、ディーンは安心させるように頷いた。

「迷子になりそうだから人が多いところだけだ」

それは人妻のレイシャを気遣った言い訳だった。
レイシャは自分の手を包むディーンの手に目をやった。

これが夫の手なら何も問題はないのだ。
ディーンはレイシャが人にぶつからないように、優しく手を引っ張り誘導する。
夫からは得られないその優しさに、レイシャは込み上げる涙を必死に堪えた。

ディーンもまた、レイシャの手に触れ、心を震わせていた。
金をむしりとるだけの客だったはずなのに、レイシャに会うたびに胸が苦しくなり、その想いに気づいていない振りを続けるのも困難になってきた。

レイシャが不幸な幼少時代を送ったのだと知った時も、多少の不幸など珍しくもないと考えようとした。
愛のない政略結婚も、生まれや育ちがどうであれ、今は贅沢な暮らしが出来ているのだから関係ないと考えた。
男に体を売らなければならない屈辱に比べたら、レイシャの不幸など取るに足らないものであり、レイシャはただの偽善者だとディーンは自分に言い聞かせた。

それなのに、レイシャの幸せを願わずにはいられない。
男娼を必要とするほど、レイシャは傷ついているのだと気づいている。

手を引っ張りながら、ディーンはちらりとレイシャを振り返った。
目を伏せ、寂しそうな面差しを手元に向けている。

自分とは手を繋ぎたくなかったのかもしれないと、心に過ったが、ディーンはレイシャの手を離さなかった。

どうせあと数歩行けばこの手を離さなければならなくなる。

「また会えるだろうか?」

裏門を抜けると、ディーンは足を止めた。
レイシャはあっさり手を放し、曖昧に頷くと走り去った。

その背中が見えなくなるまで、ディーンはそこを動かなかった。
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