死の花

丸井竹

文字の大きさ
上 下
19 / 40

19.呪いの塊

しおりを挟む
 大きく揺れる木々が小さな尖塔にぶつかり、窓が揺れ、壁が大きな音を立てていた。
雨粒が叩きつけられるような音が耳元で鳴り、レイシャはついに這うように部屋を出た。

既に真夜中だったが、レイシャは迷わずフェスターの書斎に行き、勝手に扉を開けて中に入った。
フェスタ―は書き物の手を休めず、顔もあげなかった。
その手元には鞭が置かれている。

「フェスター様、あの……」

話し出したレイシャは、それさえ無理だと諦めた。
とにかく疲れていたし、一秒も早く眠りたかった。
隣の寝室に移動し、勝手に毛布の中にもぐりこむ。

やっと眠れると思った瞬間、毛布がはぎとられ、服を掴まれ床に落とされた。
いつの間にかそこにフェスターが立っており、レイシャを冷やかに見下ろしていた。

レイシャは目をこすりながら起き上がり訴えた。

「フェスター様、寝室を変えてください。そろそろあの塔は折れて地面に叩きつけられそうな気がするのです」

虚空に振り上げられた鞭が、ヒュンッと音を立てた。
その鞭を、フェスターは脅すように自身の手に打ち付けた。
水面を打つような弾けるような音が鳴る。

「鞭で打たれに来たのか?」

「鞭で打たれたら、フェスター様の寝室で寝てもいいですか?疲れているのに眠れないのです。風も強いし、葉っぱがずっと窓を打ち付けているし、床もぎしぎし鳴っています。今にも塔が折れて部屋が飛んでいってしまいそうで怖くてたまらないし」

「ほお。鞭で打たれてもいいから、俺の寝室で寝たいのか?」

「打たれたくはないのですが、その、私も反省しました。寂しかったとはいえ、娼館に行ったのは間違いでした。夫婦としての時間をもっと大切にするべきでした。だから、その夫婦として一緒に寝ることも許して頂けるとうれしいと思っています」

フェスタ―がいつも怒っているのは、レイシャが至らない妻だからだ。
そう思い込み、レイシャは頭を下げた。

「ほお?お前は夫がいながら男娼に惚れこみ、助けてやったのだろう?反省しているのか?」

正直に言えば、ディーンを助けたことに後悔はないし、反省もしていない。
レイシャは眠い頭で自分の矛盾した思いについて考えた。

フェスターとは夫婦としてうまくやっていきたいと考えている。
ディーンとは客と男娼という関係だったが、今はそうではない。
守りたいし、大切にしたいと思っている。
普通に話しが出来る唯一の人なのだ。

男女の関係ではないが、会っている時に夫に悪いことをしている気持ちになることも確かだ。
正直に言ってしまえば、ディーンはフェスターの何百倍も魅力的だし、ディーンのような人が夫だったらと願わずにはいられない。

だけど現実はそうではない。
結婚の宣誓もしたし、フェスターはどうしたってレイシャの夫だ。
困ったレイシャは、正直に心の内を明かした。

「助けたことは後悔していません。優しくしてくれる人に初めて会って、うれしかったのです。友達もいないし、話し相手も欲しかった。
彼のことは友人だと思っています。私が一方的に思っているだけですけど……彼には私が呪器だと言っていないので、友人だとは言えません。でも私はそう思っています……。
夫はやはりフェスター様ですし、解呪師にとって呪器はやはり必要な存在ですよね?
私、初めて必要だと言ってもらえて、本当にうれしかったのです。その、痛いし、苦しいことばかりですけど、フェスター様と繋がると夫婦だと実感するし、最後には体を楽にしてくれますし……」

レイシャを喜ばせるようなことは何一つしたくないフェスターは、目を怒らせた。

「お前を楽にさせてやろうとは思っていない。呪いを入れたままにしておけば器が壊れるからだ」

フェスターは鞭をしならせ、虚空で数度振って音を立てると、寝台を指さした。

「背中を向けてそこに跪け」

口論する余力もなく、レイシャは素直に服を脱ぐと、床に膝をついて寝台に突っ伏した。
途端に、レイシャは猛烈な眠気に襲われた。

風を切る鞭の音が子守唄のように聞こえてくる。

フェスタ―は鞭をふり上げた姿勢のまま、レイシャを見おろした。
ついさっきまで起きていたレイシャが、寝息を立てている。
後ろから覗き込むと、口から涎を垂らし、すっかりくつろいだ顔で眠っている。

恐ろしく間抜けな寝顔に、フェスターは鼻に皺を寄せた。

なんどか鞭をふり上げたが、フェスターはやがて肩を落とし、レイシャの体に毛布をかけた。
こんな寝方をすれば、目を覚ました時には膝が痛くなっているに違いなかった。
お仕置きはその痛みでいいだろうと考えた。

フェスターは寝室の扉を開けたまま、音を立てないように書斎に戻った。



――

 数日後、まだ朝靄の残る早朝のコト町に、レイシャの姿があった。

自宅に戻ってすぐに呪器の仕事が入り、何日も体調が戻らず、さらにフェスターも毎日家にいて、良い妻になると宣言した手前、外に出るわけにはいかなかった。
それに、今回の旅で、ちょっぴり夫婦関係が改善したのではないかとも考えた。

一生傍にいるの夫婦なのだから、やはり少しでも仲良くなれるよう努力は続けるべきだ。
そう考え、レイシャはフェスターがいる間は、良い妻になろうと頑張った。

ところが、朝からフェスターがいない事に気が付くと、レイシャは飛ぶように小さな部屋に戻り、王都で購入した霊薬の瓶を詰めたかごを引っ張り出し、コトの町に向かっていた。

森を抜け、町の門が見えてくると、レイシャはやはりこれは人妻としては間違っているのではないかと考え始めた。
友人だとしても、こんなに心が浮き立ってしまっていては、恋と言わざる得ない気がしてくる。

かといって、ディーンに会わないでいることも辛すぎる。
薬を渡す約束をしていたのだから今回は仕方ないと、レイシャはまたもや都合の良い言い訳を見つけ、裏門を駆け抜けた。

朝市の立つ表通りを抜け、娼館街に入ると、泊まり客がちらほらと娼館を出てくるところだった。
いつものベンチに腰を下ろし、レイシャはかごを膝に置いてディーンを待ち始めた。

ところが、ディーンは夕刻間近まで姿を現さなかった。
娼館に赤い灯が入り始めると、ついにレイシャは腰をあげた。

その時、懐かしいディーンの声が聞こえてきた。

「レイシャ!」

視線を向けると、娼館街の反対側から、レイシャに向かって走ってくるディーンの姿があった。
息を切らしてレイシャの前までやってくると、ベンチに腰を下ろす。
レイシャも上げた腰を下ろした。

ディーンに会うのを楽しみにしていたのに、レイシャは咄嗟の言葉が出なかった。
顔が熱くなり、俯いてしまう。

「レイシャ、久しぶりだね。元気だった?」

心まで癒されるようなディーンの優しい声音に、レイシャはほっとした。

「ええ。ディーンは?大丈夫だった?あの……」

森で悪党に襲われ、逃げて以来の再会で、レイシャはその後のことをずっと心配していた。
フェスターからディーンが無事だったことは聞いていたが、詳しいことは何も知らない。
レイシャを安心させるように、ディーンは明るく微笑んだ。

「ああいうことには慣れている。レイシャ、君は大丈夫だった?道を通らず森に入っていったようだったから心配した。視界も悪かったし、怪我をしたのでは?」

「大丈夫よ。ディーンのおかげ」

王宮の人々が悲鳴を上げるほどの痛ましい姿にはなったが、レイシャにとってはもう終わったことだった。
高名な治癒師達が治療をしてくれたおかげで、後遺症もなかった。

「お土産を持ってきたわ。いつもの霊薬」

ディーンはレイシャからかごをうけとり、ふところから財布を取り出した。

「王都から来ている行商人に、この霊薬は滅多に市場に出回らないと聞いた。本当の値段はいくらなんだ?王都のどのあたりで買っている?」

レイシャが出入りを許されている場所に一般市民は入れない。

「よくわからない……。いつも馬車に乗って移動するばかりだし、実はお店もあまり選べないの。でも取り決めた金額でいいわ。だって、お金だって他に使い道もないし……」

「そうか……」

深く話せないことなのだとディーンは敏感に察した。
すこしばかり気まずい沈黙が続く。

「私、夫とうまくいっていない話をしたと思うの。教会で初めて会って、そのまま夫婦になったけれど、寂しくて……でも、今回の旅で少しだけ関係が良くなった気がするの。私が刺繍した帯を使ってくれたり、食事を一緒にとる回数も増えたし」

「もう俺とは会わないと言いたいのか?」

レイシャに切り捨てられるのではないかという恐怖から、責めるような声を発したディーンは、気まずそうに俯いた。
レイシャは慌てて首を横に振る。

「ディーンが嫌じゃなければ、ずっとこうやって薬を渡す時だけでも会って話したいと思う。嫌じゃなければだけど……。でも、夫と仲良くすることを諦めて、娼館に行ったことは良くなかったと思ったの。
もっと努力するべきだったと反省した。だから、これからも外で会いましょう」

レイシャがどうしても夫とうまくやりたいのだとわかったが、ディーンにも諦めきれない想いがあった。

「夫のために、友達を切り捨てるようなことはしないだろう?」

すがるように、ディーンはレイシャに出来る限り優しく囁いた。
ディーンのことを想うなら、会わない方が良いとわかっていたが、レイシャにもこの関係を手放すことは出来なかった。

「友達だと思っていいの?」

商売相手より、また一歩進んでしまった。
呪器だと知られたら、この関係は終わってしまうというのに。

不安そうなレイシャの声に、ディーンは握手を求めるように手を差し出した。

「ああ。男娼の俺でよければ……」

呪器に比べたら、どんな仕事だって素晴らしい仕事だ。
なにせ呪器は人間でさえない、ただの道具であり、しかもゴミ捨て場のような存在なのだ。

レイシャは微笑み、差し出されたディーンの手に少し触れ、すぐにひっこめた。

「あなたは素敵な人よ。ディーン」

立ちあがると、レイシャはディーンに今日は送らなくていいと告げた。

「夫が迎えに来ているの」

それは嘘だった。二人で歩けば手を繋ぎたくなってしまう。
ディーンは頷き、レイシャは振り切るように立ち上がると、一人で歩きだした。

通りに消えていくレイシャの背中を、ディーンはいつまでも見つめていた。

――

フェスターは黒の館にある秘密の地下室にいた。

暗がりに並べられていたのはどこからともなく連れてこられた囚人たちだった。
鎖で両手を吊られ、死んだようにうなだれている。
彼らの首にはレイシャに渡したような、黒いメダルがかけられていた。

さっそく、地上に通じる細い穴から、死の花の魔力によって作られた、呪いの渦が吹き込んできた。

それらは迷わず囚人たちのメダルに吸い寄せられ、彼らの耳や口、全身のあらゆる場所から体内に入り込んだ。
囚人たちの顔は次第に黒くなり、呪いを受けたもの特有の斑紋が浮き上がる。

あっという間に全員が瀕死の状態になった。

その様子を、フェスターは眉一つ動かさずに観察していたが、囚人たちの最後の瞬間が近づくと、おもむろに腰をあげた。

舌を切られている囚人たちは、声にならない呻き声で苦痛を訴えている。
一人の囚人が、ついにがっくりと首を落とした。
フェスターは壁にかけられていた剣を取り上げ、躊躇いもなくその男の心臓を貫いた。
刃を伝って黒い血が滴り落ちてくる。

その血を銀盤で受けとめ、呪文を唱える。
黒い血液は鮮血と黒い塊に分離し、塊の方がしゅうしゅうと音を立てて縮み、丸い石に変わった。

フェスターはそれを手にすると、黒い風と共にその場から姿を消した。


しおりを挟む

処理中です...