死の花

丸井竹

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26.優しくないけど夫

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 小さな尖塔の部屋に逃げ込んだレイシャは、階段を上がってくる足音に気付くと、急いで扉を押さえに走った。
途端に強い力で押され、レイシャは後ろに転がった。

扉をこじ開け、長身のフェスターが入ってきた。
今にも折れそうな尖塔の部屋はぎしぎしと軋み、揺れている。

「フェスター様!揺れています!出ていってください!」

レイシャはフェスターを押し返そうと、突撃した。
その体をフェスターは簡単に担ぎ上げた。

「お前が来なければ王都の人間が死ぬことになる。構わないと?」

「私の幸せだって大切です!もう、私は呪器をやめます!」

レイシャは叫び、フェスターの肩からその背中を拳で殴った。
フェスターは狭い階段を滑るように下りると、床にレイシャを下し、その体にのしかかった。

「呪器になると承知したはずだ」

鼻が触れ合うぐらいに迫ったフェスターの顔を、レイシャは真っすぐに見返した。

「それは、フェスター様が、解呪師と呪器は一心同体で、夫婦であることが相応しいと言ったからです。お前は私の大切な呪器だと言われて、その意味もよくわからず引き受けました。人が死ぬほど苦しい思いを何度も経験するなんて聞いていません。
それに、私が愛されない妻になるなんて思っていませんでした。
愛が生まれるとは思っていませんでしたが、それでも少しは仲良くなれると信じていたのです!努力すれば情ぐらいは抱けるようになると希望を持っていたのに!そんな気もないなんて、あんまりです!
しかも私を不幸にするためにディーンまで巻き込むなんて」

「おめでたい女だな。不幸であり続けることが呪器の条件だと知っていただろう?それでもこの結婚に希望があると思っていたのか?」

「当然ですよ!」

恐ろしい顔で迫っていたフェスターは、またしても吹き出し、観念したように笑いだした。
夫の初めてみる笑い方に、レイシャは驚きすぎて硬直した。

「ハハハ……。なるほど。ならばディーンのためならどうなのだ?あの男は生身の人間だ。魔力を持たない身で毎日死の呪いを受け入れ、体に死の花の魔力を増やしている。
あの男が生きていられるのは、身代わりの命があるからだ。そして、呪器であるお前が傍にいるからでもある。
お前は器であるからそうそう死なない。しかしあの男は、呪いで死ぬ可能性がある。
レイシャ、俺はあの男にこの刻印を消すことが出来たらお前をくれてやると約束した。
あの男が生きて、その力を手に入れたのなら、お前はあの男の物だ。呪器をやめることが出来る」

笑っていたフェスターがぴしゃりと言葉を切り、急に冷酷な表情に戻った。

「この国の死に瀕した人々を全て見捨て、あの男と逃げる覚悟があるか?」

フェスタ―の言葉が、心臓を刺すように頭に響く。
レイシャは即答できず、瞳を揺らした。
呪器をやめ、好きな男と逃げることは、それほど身勝手なことだろうか。
誰かを死なせたいわけではない。
誰かの死の上でしか、幸せになれないのだろうか。

「その覚悟を決めたのなら、お前を手放してやる」

吸い込まれそうなフェスターの残忍な漆黒の目に、レイシャの顔が映り込んでいる。

「フェスター様は?その時どうなるのですか?解呪師が呪器を失えば……」

初めてそれを考えた。

「俺のことを心配するようではその覚悟は無理なようだな」

フェスターは体を起こし、レイシャを再び肩に担ぎ上げた。
レイシャはもう抵抗しなかった。

二人が屋敷を出てくるのを見て、団長が馬車の扉をすかさずあけた。
フェスタ―は無言でレイシャを馬車の中に放り込み、その後ろから乗り込んだ。
扉が閉まるのと同時に、馬車は勢いよく走り出した。

馬にまたがった騎士達がそれを追いかける。

遠くで警鐘が鳴りだした。

普段、解呪師や呪器を嫌う人々は、呪いを受けた途端、助けを求めてやってくる。
汚れたものに触れたくはないが、汚れたらそれを吐きだすために使いたいのだ。

身勝手な人々が鳴らす警鐘を聞きながら、レイシャは夫を見ないように、目を閉じた。


数日後、フェスターとレイシャを乗せた馬車は無事王都に到着した。


レイシャはフェスターに従い王都の移動用の馬車に乗り変えた。

王都に来るたびに、フェスターを必要とする人々の数は増えている。
死の花が増え続けているのだ。

最初に階級の高い人々の呪いを引き受けると、レイシャは祭壇裏の小部屋に運ばれた。

用意されていた寝台に横たえられ、フェスターが呪いを消しに来るのを待つ。
愛撫もなく、フェスターはレイシャの入り口に男性器を押し込み、甘い雰囲気を台無しにするような意味不明の呪文を唱え始める。

体に詰まった死の呪いが少しずつ消えていくと、優しい口づけが降ってくる。
フェスタ―と唇を重ねながら、レイシャは、これだけは嫌いではなかったと思った。

一度は、愛そうと決めた夫であり、こうした義務的な交わりも、夫婦の共同作業なのだと思うと心強く感じていた。
体から死の呪いが消えるたび、レイシャはフェスターと別れた未来について考えた。

月に一度、フェスターは王都に来なければならない。
フェスタ―は器ではないから、死の呪いを消し損ねたら、逆に死の呪いを受けてしまう可能性がある。
レイシャがこの国を捨てたせいで、多くの人が死ぬことに対しては、仕方がないような気がしている。
これまで、レイシャが不幸になることで多くの人々が幸せになったのだと思うと、酷く不公平な気がするからだ。

だけどフェスターを置いて行くことは、少しだけ心が咎める。
もしディーンと一緒になれるのだとすれば、フェスターはまた新しい呪器を探す必要がある。
この冷酷非道な男に新しい妻が出来るだろうか。

祭壇と裏の小部屋を何度も往復し、レイシャは何度もフェスターと体を重ね、体内に詰まった死の呪いの消滅と共に深い口づけを受けた。

その日の最後の交わりで、相変らず言葉もなく、さっさと体を離そうとするフェスターをレイシャは咄嗟に抱きしめた。
ぞっとしたようにフェスターがレイシャの腕を引きはがしにかかる。

「狂ったか?」

フェスタ―の蔑むような声にもめげず、レイシャはフェスターにしがみついた。

「フェスター様!こういうこともした方がいいと思います。私と別れたら、新しい呪器を持つことになりますよね?フェスター様は冷たすぎです!新しい奥さんに嫌われますよ?」

「なんだと?!」

フェスターはレイシャを押しやり、片手でレイシャの両頬を掴みあげた。
頬を潰され、唇をとがらせたレイシャは、その手をほどこうとばたばたと暴れる。

「ずいぶん偉そうじゃないか。そうだな、他の呪器を使ってみるのもいいだろう。例えば弟子にしたあの男だ。尻に刻印を刻んでやれば使えないこともない。
お前の身代わりに呪器になることが出来ると聞けば、喜んで体を投げ出すのではないか?」

真っ青になり、レイシャはびくともしないフェスターの腕を殴りつけた。

「じょ、じょおだんじゃありはせん!」

頬を思い切りつぶされているため、はっきり発音できない。
フェスタ―が手を放し、自由になったレイシャは急いで後ろに逃げた。

「やめてください!彼は男娼だったけど、男性が好きなわけじゃないのです。フェスター様だって、そんなことしたことないくせに。私への嫌がらせにしたって、あんまりです!」

その時、小部屋の扉が鳴った。
まだ全裸だったレイシャは、急いでかごから着替えをひっぱりだした。

「まだ開けないでください!」

フェスタ―は容赦なく扉を開けた。

そこに、護衛を連れた王妃が幾分緊張の面差しで立っていた。
その顔が、みるみる赤くなる。

「着替えている女性がいるのに、なぜ扉を開けるのです!」

フェスタ―の後ろでは、全裸のレイシャがお尻を突き出し、ドレスを着ようと足をあげていた。
さりげなくフェスターが横にずれたため、レイシャの姿は丸見えだった。

護衛の騎士達が慌てて後ろを向き、王妃は手を伸ばして扉を閉めようとした。

「王妃様!危険です」

騎士が王妃の腕をとり、扉を閉めようとする王妃の行動を止めた。
ドアノブにはフェスターの手が置かれている。

「見て頂いた通り、まだ仕事があります。三日後、墓地の方にお越しください」

皮肉めいた微笑を浮かべ、フェスターは扉をぴしゃりと閉めた。


 三日後、レイシャはフェスターの屋敷近くのベンチに座っていた。
そこは屋敷を囲む墓地に続く道のたもとで、馬車が入ってくる道からすこし逸れた場所にあった。
本来であれば、もう王都を出立しコト町に戻れるはずだったが、王妃との約束のために滞在が一日伸びてしまっていた。

ディーンと会える日が一日伸びて、レイシャは不満だった。

強風を受け、灰色の雲がものすごい勢いで流れている。
髪はふきあがり、ショールは帆のようにはためいて飛ばされそうだった。

分厚い上着に変えるべきだろうかと迷っていると、墓地の向こうから大勢の騎士達に守られた馬車が入ってきた。
豪華に飾られた馬車には王国の印が入っている。

屋敷の前で馬車が止まり、真っ白な毛皮で縁取られた外套に身を包んだ王妃が下りてきた。
欠伸を我慢して涙目になっていたレイシャは、ベンチから立ち上がり、ぎこちなく馬車に近づいた。
王妃がすぐにレイシャに気づき、感動したように唇を震わせ微笑んだ。

その反応に驚き、レイシャが足を止めると、王妃が手袋で包まれた両手を差し出した。
ぎょっとしてレイシャは両手を後ろに隠し、フェスターに教わった通り深々とお辞儀をした。

「あの……私に手を触れられない方が良いと思います……王妃様……」

「レフリアよ。私の名前はレフリア……」

握手を諦め、レフリアは弱々しく微笑んだ。
レフリア王妃は戸惑うレイシャを促し、二人は館から離れるように歩き出した。

黙々と斜面を登っていた王妃は、木立の陰にベンチを見つけると左側に座り、レイシャに右側に座るようにと手で示した。
躊躇いがちに、レイシャはベンチの右端ぎりぎりに座った。

「レイシャ、顔を見せてちょうだい」

優しい上品な声で言われ、レイシャは王妃の方を向いた。
またもや王妃は感動したように唇を震わせ微笑んだ。
その目元には涙まで浮かんでいる。

「同じ髪の色ね……目の色も同じ……」

そうだろうかと、レイシャは眉間に皺を寄せた。
レイシャの髪は強風であおられ、救いようがないほど乱れているが、王妃の金色の髪は、煌びやかな髪飾りで頑丈に止められ、強風でも崩れる気配もない。

日焼けをしたこともないような白い肌は、豪華な宝飾品で飾られている。
その高貴な顔立ちも、そのたおやかな姿も同じ人間とは思えないほど立派に見える。

レイシャは自分の手足を見おろした。
肌は日に焼けているし、水仕事のせいで手もかさついている。
いつも素足だから小さな生傷も耐えない。

唯一持っている装飾品は、真っ黒な鳥の髪飾りで、フェスターからもらったものだ。
風に飛ばされないように外したそれは、レイシャの手の中にあった。
丁寧に作られた作品だと思うが、華やかさは欠片もない。

髪や目の色が同じでも、似ていないところの方が多すぎて、とても似ているとは思えない。

「不幸な……結婚をしているのね」

じっとレイシャの顔を見つめていた王妃が、唐突に言った。
レイシャは、少し不愉快な気持ちになった。

「呪器ですから、ある程度は不幸といえるかもしれませんが……すごく不幸だとも思いません」

世界で一番幸せになりたいなんて思ったこともない。
ただ、ほんの少しだけ幸せを感じる瞬間があればいいとは思っていた。
娼館の寝台で、ディーンと並んで横になった時みたいな、心が温かくなるような時間だ。
フェスターともそんな時間を作りたいと、自分なりに努力していたのだ。

ぼんやりとそんなことを考えていたレイシャは、ふと耳に入ってきた言葉に驚いて顔をあげた。

「え?今、何て……」

王妃ははっきりとレイシャを見つめ、もう一度言った。

「離縁させてあげましょうか」

レイシャはまた不愉快な気持ちになった。
確かに夫婦関係はうまくいっていないかもしれないが、他人に口を出してほしくはない。

「結構です」

レイシャは即答し、王妃は驚いたように眉をひそめた。

「なぜです?フェスターはあなたを苦しめているのではないのですか?」

「夫婦になってもう二年です。お互いに良いところも悪いところもあると思っています。
フェスター様は確かに意地悪なところがありますが、私も浮気なところがありますし、良い妻ではありません。
話し合わないといけないことはたくさんありますが、王妃様に助けてもらいたいとは思いません。
私が至らないと鞭を使ったり、怖いところもありますが、フェスター様はたくさんの人を救っています。優しいところもあるのです。
フェスター様を悪く言われるのは嫌です」

「呪いを消して人を助けるのは契約だからです。優しさからではない。彼は月に一度王都に来ることを約束した。その取り決めの通りに仕事をしているだけです。そのために、私は……娘を手放した……。そうしなければ王国に力は貸さないと言ったからです。フェスターは血も涙もないことを……」

次第にレフリアの口調は熱を帯び、腰をずらしてレイシャに近づいた。
少し離れて様子を見ていた護衛の騎士達が、慌てたように近づいてくる。

「あ、あの……あまり近づかない方が……」

王妃が近づいてきた以上に離れようと、レイシャが横にずれるとさらに王妃が近づいた。
伸ばしたレイシャの手は、すでにベンチの外だった。
これ以上横に移動すれば、ベンチから落ちてしまう場所まで追い詰められ、レイシャは固まった。
その間近に王妃の顔が迫った。

「レイシャ、あなたは、私の娘です」

その言葉は、衝撃のあまりレイシャの耳を一度通り抜けた。

「え?」

「レイシャ、あなたはフェスターが私から奪った、私の娘なの」

風が吹き抜け、王妃の結い上げられた髪が一本だけこぼれ落ち、金色の光のように空中にたなびいた。
同じ色のレイシャの髪は、無造作に吹き上げられ鳥の巣のように絡まっている。

「証拠を見せるわ。レイシャ、一緒に来てくれる?」

唖然としたレイシャは、問いかけられた質問に、考える余裕もなく頷いた。
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