愛があってもやっぱり難しい

丸井竹

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17.断られた願い

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領主ダーナスの城は国境沿いの切り立った崖の上にあった。
肥沃な土地は領民に割り振り、寒風の吹き付ける荒れた土地で隣国に睨みをきかせているのだ。
領地は横長で、数年前の戦場は北東の国境沿いだった。

無事に勝利をおさめ、国にも貢献したダーナスは、一年の大半を自分の領地で過ごしている。

荒れた岩道を登ってきたアロナは、頑強な兵士達に睨まれながら門の前で馬を下り、地面に座り込んで頭を下げた。

「領主様にお願いがあってまいりました。私は、ドルバイン様のお屋敷で働いていたアロナと申します。領主様も私の名前をご存じのはずです。どうか領主様に会わせてください。お願いします」

アロナは胸元の紐をほどき、さりげなく谷間を強調すると、顔を上げた。
門番たちは、嫌な顔をしたが、アロナを門前払いにはしなかった。
しばらくそのまま待たされ、城門が開いた。

「ダーナス様がお会いになる。ついてこい」

アロナは飛ぶように立ち上がり、先に立って歩きだした門番の後ろを追いかけた。


領主の城にしてはそこは質素な部屋だった。
殺風景で、必要最小限のものだけが置かれている。

ダーナスは毛皮を敷いた大きな椅子に腰かけ、アロナを待っていた。

「アロナか、話は聞いている。お前はどこまで知っている?」

飾らない領主の言葉に、アロナは跪いた。

「何も知りません。カインが連れて行かれました。村は破産すると聞きました。それからドルバイン様が拘束されたとも。でも、何が起きているのか何もわかりません。
夫を助けてください。夫は何も悪いことはしていません。それに、ドルバイン様も拘束されるような方ではないはずです。領民達のためにいつも忙しく働いておいででした。
身分のない私達のことも大切に扱ってくださいました。どうか、お力をお貸しください」

真摯なアロナの言葉に、ダーナスは残念そうに首を横に振った。

「ドルバインは高潔な男だ。父の横にいた時代から彼を知っている。子供時代には彼に剣を鍛えてもらったこともある。引退後も私の相談にのり、細かい仕事を陰から助けてくれていた。
彼の人柄はわかっている。それにお前の夫も、純朴そうな良い青年だった。
助けてやりたいが……彼を拘束したのは中央の国法管理局に所属する王都第一騎士団だ。
ドルバインの元妻、ナリアの夫が勤めている。
今回のことは、ナリアの現夫であるフェイデンが、ナリアとドルバインの仲を疑って起こした事件だ。
冬の秘密の会については……公然の秘密として社交界では有名になっていた。誰に迷惑をかけるわけでもないし、多くの有力者たちが支持していたため、問題になることはなかった。
しかし、国法管理局に目を付けられたとなれば、問題は表面化してしまう。
不倫や妻の略奪行為は国法で禁じられた行為であり、貴族社会にはひっそりと存在し続ける文化ではあるが、公になれば裁かなければならなくなる」

「そ、そんな!ドルバイン様はナリア様に手を出していません!私もカインも証言出来ます!」

アロナは叫んだが、ダーナスは渋い顔だった。

「それはわかっている。しかし冬の会とはどうした会なのか、彼は証言出来ない。ナリアに何もしていない理由や、彼女が訪ねてきた理由、全てにおいて彼は黙秘し続けている。
貴族は体面を気にするものだ。ドルバインは……命がけで参加者達の秘密を守るだろう。
それから元妻ナリアのことも。秘密の会や彼の元妻について詳しい事情を聞いたことは無いが、私は彼の人柄を信じている。彼が語らないということは、そういうことだとわかっているつもりだ」

「そ、そんな!」

秘密の会の参加者たちが妻を寝取られたい願望や誰かの妻を寝取りたい願望を持っていることが裁判で公に発表されるようなことになれば、彼らの名誉が傷つくことになる。

国法でも不貞行為は認められていないし、貴族たちは不倫をしながらもその行為が家名を汚す行為だと知っているため、公然の秘密として表ざたにならないように気を付けている。

「でも、でもドルバイン様は誰も傷つけていない。夫に隠れて不倫をしている妻だって、妻に隠れて不倫をしている夫もいるはずです。彼らは誰かを傷つけている。
そういう人たちのことは公にならず、罰せられることもないのに、誰も傷つけていないドルバイン様が罰せられるなんておかしいです。
特殊な性癖であることを理由に、善良な人々を晒し者にしているだけじゃないですか!彼らは……理解されない苦しみを知っている優しい人達です。彼らの中に、証言してくれる人はいないのですか?」

「一人が証言すれば、参加していた全員が事情を聞かれることになる。ドルバインもそれは望んでいない。貴族の家柄とは個人ではない。多くの義務や責任が伴うものだ。先祖代々守ってきたものを引き継いでいかなければならないし、増やしていかなければならない。自分の一族だけではなく召使や、小作人たち、そうした領内を支える者達をも守っていく責任がある」

農民より身分の高い貴族たちは、誰もドルバインを助けてくれないのだと知り、アロナは愕然とした。
力のある人に助けを求めても無駄なのだ。
国に長く貢献してきた領主のダーナスでさえ、意見できないとなれば、身分もない農民のアロナに何が出来るだろう。

「ど、どうしたら……どうすればいいのですか?カインは?夫はなぜ連れていかれたのです?」

「そうだな……カインが冬の会の実態について証言すれば……それが公になるかもしれない。ただ、一人の農民の証言だけでドルバインを追い込むのは難しいだろう。ドルバインが否定すれば、それはあまり有力な証言とならないかもしれない。
しかし、ドルバインを処刑するためのこじつけに利用することも考えられる」

「処刑?!まさか!」

そんな重罪になるようなことだろうかとアロナは絶句した。
ナリアの夫が本当に国の法を盾に、ドルバインを殺そうと考えているのであれば、それもあり得るということなのだ。

「そんな……カインは?」

「そうだな……証人も消されるかもしれないな」

ドルバインが死ねば、不名誉な会が存在していたことを証言したカインも消され、そんな会はやっぱり存在していないとしてしまうことさえ出来る。

「わかりません……。彼らが何をしたというのですか。確かに少し人より変わった趣味を持っていたかもしれない。だけど、誰の迷惑にもなっていない。
不倫や略奪は確かに公に出来ないことだし、不名誉なことかもしれないけれど、私もカインも自分たちに恥じるようなことはしてない。
ただ、そうした考えは理解されないし、私達のことを知って不愉快に思う人がいるかもしれないから、表に出さないようにしているだけです。
敬意と愛情をもって私達は人と接している。それが処刑されるような罪なのですか?」

「不倫や略奪行為は国法に背く行為だ。許せることではない」

ダーナスの言葉は、国の言葉だった。
それが公然と行われている社会なのに、ドルバインだけが責めを負うなんてアロナには納得がいかなかった。

「違います。不倫も略奪行為もしていない。たがいの望みを叶えただけです。愛も尊敬もあったと、どうすればわかって頂けるのですか?」

黙り込んだダーナスも、苦痛の表情だった。
ドルバインを処刑したい男は私怨で動いている。妻を奪われた夫の嫉妬は醜く、執念深いものだ。実際にそうしたことがないとしても、それを信じることは難しい。
どんな手を使ってもドルバインを追い詰め、不名誉な罪で殺したいのだ。

「ナリア様の旦那様に会わせてください!私がお話します。何もなかったと!」

「なぜナリアがドルバインを訪ねて来たのか、その理由を話せるのか?」

はっとしてアロナは口を噤んだ。
ドルバインと寝ていないことを証言するために、ナリアの性癖についても明かさなければならないかもしれない。
貴族の女性が変態だと公に知られることになったら、もう二度と社交界に顔を出せないかもしれない。不倫も略奪も存在している貴族社会では、誰もが知っていたとしても、絶対に表に出ないようにしているのだ。

ドルバインは秘密を抱えて死ぬだろう。
アロナにもそれがようやく理解出来た。

ナリアの秘密も、冬の秘密の会に参加していた貴族たちの秘密も、全部自分が背負って処刑されるつもりなのかもしれない。
カインのことは守れない。

絶望がアロナの心に押し寄せる。
愛する夫も、大好きなドルバインも失うことになる。

ナリアも証言出来ないだろう。自分の名誉も、夫の名誉も傷つける。
家名を守るため、貴族たちは不名誉なことは何もしていないふりを命がけで貫かなければならない。

「家名なんて……身分なんてくだらない。もっと守らないといけない大切なものがあるはずよ」

小さな声でアロナは言った。
ダーナスは聞こえなかったふりをした。
アロナの願いを聞けないかわりに、ダーナスはアロナの話しに最後まで付き合った。

それが領主ダーナスが示せる誠意だった。
アロナは立ち上がり、のろのろとダーナスに頭を下げた。

「お時間をくださり……ありがとうございました……」

後ろを向いて部屋を出ていくアロナに、ダーナスは忠告した。

「ナリアの夫に会いに行ってはいけない。君も連れて行かれることになる」

カインはそうならないように、アロナを逃がしたのだ。
涙を堪え、アロナはダーナスの部屋を出た。
騎士に寄り添われ、門まで戻ると、門番の一人がアロナの馬を出してきた。
世話をされた様子の馬を見上げ、アロナは領主の門を守る兵士達にも頭を下げた。

力があっても、身分があっても助けられないものがある。
もっと力がなく、身分もないアロナにはもうどうすることもできない。

アロナは村に向かって馬を走らせながら、大切な人を想って泣き続けた。




その頃、カインは王都に向かう護送用の馬車の中にいた。
生まれて初めて領地を出るカインは、ダーナスのいる城を鉄格子の間から見て、鉄棒にかじりついた。

岩肌に沿って建てられた頑強な城が、これほどまでに頼もしく感じたことはなかった。
普段あまり感じることはなかったが、良い領主様に恵まれていたから、安心して生活することが出来ていたのだとカインは改めて思った。

ドルバインが、領主ダーナスと、よく領地運営について話し合っていたことを覚えていた。
そんな安全な土地を離れ、見知らぬ土地に連れていかれるのだと思うと、恐怖と絶望が襲ってきた。

生き残る道があるのだろうかと不安に思いながらも、カインを失ったアロナのこの先の幸せのことも考えた。
希望を見出すことの出来ない辛い時間の中、カインは灰色の空を見上げた。

いつの間にか雲は黒く染まり始めていた。
雨が降る前兆と見て、カインは閉ざされた箱の中央に移動した。
ぽつぽつと降り出した雨は、鉄格子の隙間から入り込み、次第に床を濡らし始める。

真ん中の乾いた場所で膝を抱えて座り込み、カインは腕の中に顔を埋めた。

「アロナ……頑張るよ……君の命の為だ」

カインは自分だけに聞こえるように呟いた。
何が起きているのか、カインにはわからなかったが、権力を持った人々に都合の良い証言をさせられるのではないかとは予想していた。
カインは身分のない農民だ。嘘の証言をさせ、必要がなくなってから殺してしまえば、カインの証言の真偽は議論されなくなる。

カインに証言を強いる何者かにとって、欲しい証言だけが残ることになるのだ。

こういう状況下にあっては、身分の無い人間は、身分のある者に都合よく使われ、捨てられるために存在しているといっても過言ではない。
貴族は檻の中の平民を好きなように調理できるのだ。

平民として生きてきたカインは、そんな理不尽な扱いに抗うことなど微塵も思いつけなかった。

雨に濡れる故郷を遠ざかりながら、カインはアロナと過ごした平和な日々を懐かしく思い出し、アロナのことだけはなんとか守れないだろうかと考えた。

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