竜の国と騎士

丸井竹

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第一章 竜の国

9.生き残った生贄

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「私はぼんやりしか読めないからね。正確ではないけど……」

アンリがラーシアの発言を止めようと、また飛び出した。
それをラルフが背後から押さえ込む。
十年も国中を旅して竜の痕跡を探してきたラルフと塔に引きこもり、学者の弟子を務めてきたアンリでは勝負にならない。

床に押さえ込まれながら、アンリは思考を読まれまいと固く目を閉ざす。
それをさらに強く肩から押さえ込み、ラルフが叫んだ。

「この男はシーアに何をしたんだ!」

「恐らくね……読める思念と、推測で言わせてもらえば……。彼は、シーアの体を汚し、君の前に出られないほど辱めた。生贄になることを了承してくれたら君にこの事実は伝えないと約束し、母親も助かると説得した。
イシャリがどうしても欲しかったと伝わってくるよ。アンリ、君がそうまでして守ってきたイシャリはどこにいるのかな?」

「イシャリとシーアは、仲が良かったはずだ……。彼女がこんなことを了解するはず……」

「人はさ、罪悪感があっても生きられるよ。悪いことをした意識があっても、その場の快楽や幸せに飲まれたら、あるいは、手を取り合って支え合う相手がいれば、罪なんて償わなくても生きられちゃうものだよ」

デレクはラーシアをきつく抱きしめた。
思念を読めるラーシアは多くの醜い感情にも晒されてきたはずだ。
アンリは意外にも暴れ出さなかった。青ざめ、拳を握りしめてぶるぶると震わせている。白くなった唇を噛みしめ、何度も何度も唾を飲む。

その異様な姿が、ラーシアの言葉を肯定している。
ラルフは膝をついて泣き崩れた。

「あんまりだ……なぜそんな酷いことを……。イシャリを助けるためだって?それで彼女にそんな酷い事を?命を奪うだけでなく、心まで辱めた。イシャリはどこだ!イシャリの居場所を言え!」

「す、すまない……すまない……」

頭を抱え、床の上に突っ伏したアンリをラルフが激しく揺さぶった。
フェデルがラーシアにもの言いたげな視線を向ける。
その視線に気づき、デレクはラーシアを胸に隠そうとさらに引き寄せた。
思念が読めるラーシアにはイシャリの居場所がわかっているに違いない。

ヒューは小さく舌打ちした。とんでもない事実を知ることになった。先触れとして、村の長老に生贄が出たことを知らせ、その生贄の願いをきき、騎士団本体が来るまでに送り出しの準備を整えるだけの仕事だった。

その時、町の警鐘が鳴りだした。

「盗賊だ!」

ラーシアが窓に駆け寄り、木立の方を向いて「東だ」と叫んだ。

途端に、床にうずくまっていたアンリが扉に飛びつき鍵を開けた。
窓を覗き込んでいたヒューはアンリを捕え損ねた。

「ま、待て!アンリ!」

塔を飛び出し、走り出したアンリの後ろをラルフが追う。
騎士達も後を追いかけようと急いだが、町の人々が戸口に押し寄せていた。

「騎士様!助けてください!」

小さな町の人々は王国の騎士がガレンの町に入ってきたことを既に知っていた。
王国の騎士は国と民を守るのが仕事だ。
二人は自警団に人々を避難させるように命じ、ラーシアの言った方向に走り出す。
逃げ出したアンリが騎士達の前を走っている。

なぜ盗賊の出た危険な方へ向かうのか、まさか逃げるために盗賊を手引きしたのかとヒューの頭に過る。
しかしデレクと話しをしている暇もない。
騎士達の後ろをラルフが追い、ラーシアも続く。

木立の陰から数人の男達の姿が現れた。
デレクとヒューは猟犬のように木立を縫って走り抜ける。
前方で炎が上がった。
ラーシアが前を走るラルフに叫んだ。

「駄目だ!あの家はもう手遅れ、こっちだ。ついてきて!」

アンリの後ろを追っていたラルフがすぐに足を止め、ラーシアを振り返る。
ラーシアはすでに逆の方向に走っている。
一瞬、アンリを追いかけようか迷う素振りをみせたラルフは、遠ざかるラーシアの背中を追いかけた。



 デレクとヒューは明らかに盗賊とわかる男達の背中を発見し、ちらりと目を合わせた。
新人とはいえ、訓練を積み、実戦経験も積んでいる。
魔獣の討伐や、盗賊団の隠れ家の襲撃に加わったこともある。

「デレク!回り込むぞ」

ヒューの言葉にデレクが無言でうなずく。

二手に分かれると、まずデレクが最初の数人とぶつかった。

「騎士だ!まさか王国軍がっ」

デレクを目にした盗賊は、瞬時に繰り出されるデレクの一撃で地面に沈み込む。
残りの盗賊二人が、相手はデレク一人とみて襲い掛かってくる。
それを簡単に薙ぎ払い、デレクは素早く木の後ろに潜んでいる三人目の元へ走る。

一日の大半を訓練に費やす騎士の戦い方と自己流の盗賊たちでは腕が違う。
あっという間に盗賊たちが逃げ出した。

その行く手をヒューが塞ぐ。

「俺達と取引できる材料があるなら、今のうちに降参した方がいいぜ?」

威勢よくヒューが叫ぶと、何人かが奪った金目の物を放りだした。

「た、たすけてくれ!」

叫びながら、ナイフを投げつけた盗賊の首を追ってきたデレクが切り裂いた。
残酷な光景に動揺する様子もなく、騎士達は盗賊たちを追い詰め、降参し、地面に這いつくばった者だけを拘束した。

常に集団の中で戦ってきたデレクとヒューにはかなり大きな事件だったが、先ほどのアンリの告白とラーシアの問いかけで暴露されていく事件の方がよっぽど大きな事件だった。
淡々と処理を終え、燃えている小屋を見上げたデレクは、やっと真っ青になった。

「中に人がいるのか?!」

森の外れには小屋が三軒固まって建っており、手前の一軒が焼けている。
素早く二軒目を確認すると、既に火は燃え移っている。

「これを使って!」

森の中からホースを持ってラーシアが現れた。

「フェデル様のところから借りてきた!ラルフが井戸からくみ上げているところだ」

デレクがホースの先端を受け取った途端、水が噴き出した。
ヒューが生存者はいないかと、燃える小屋の前で叫んでいる。

一軒目は手遅れだったが、二軒目は玄関口の火を弱めたところで、いつの間にか姿が見えなくなっていたアンリが飛び出してきた。
ふらふらと地面に座り込む。

町の役人たちと自警団も駆けつけ、さらにバケツレースも始まった。
火が完全に消えると、ラルフとフェデルが揃って戻ってきた。

「ここからだと第十騎士団要塞が近い。盗賊団を拘束したと知らせに走ってくれ」

ヒューの指示でガレンの町の自警団が走っていく。
町の人達がこれ以上の被害はないようだとほっとしたところに、フェデルが大きな声をあげた。

「皆、竜花は焼けた土に咲く。燃えたところから生えてくるようなら抜いてしまわなければ周辺の森を汚染してしまう。地面を注意深く探し、見つけたらわしの塔の裏に投げ込んでくれ」

慌てて集まった人々が焼け跡を見回り始める。
力無く座り込んでいるアンリが突然デレクの足に飛びついた。

「ま、待ってくれ!まだ終わっていない!人がいた。ここに人がいたはずだ!」

ヒューが近づいてくる。
町の住民の名前に詳しい役場の男が近づいてきた。

「被害者がいたのか?ここはメーヤ夫妻の家で、二軒目はあんたの家だろう?それから後ろは空き家で、メーヤ夫妻なら町で店を出しているから無事だ。あんたは一人暮らしだと名簿に……」

ラルフがアンリの前に立った。

「まさかイシャリか?」

ヒューがその名を出すなと脅すように睨みをきかせ、舌打ちをした。
十年前に国の威信をかけ英雄として死なせた女が生きているなど、あってはならないことだ。

「何の話だ!亡霊の話を出すな」

ラーシアがしゃがみこみ、ラルフの腕を引っ張った。

「思念が聞こえるといったでしょう?さっき聞こえたの。水を運ばなければって。だから井戸がこの方向にあるとわかった」

はっとして顔をあげたラルフを引っ張り、ラーシアが先頭を歩く。その後ろをとアンリ、デレクそれからヒューが用心しながら進む。

木立の向こうに開けた場所が現れ、苔むした屋根のかかった井戸が見えてきた。
その後ろの木立からこちらに向かって近づいてくる女性の姿がある。
腕に大きなものをかかえている。
恐らく、井戸に向かった女性はラーシアとラルフが近づいてくるのに気付き、森に隠れたのだ。

井戸の方へ出てきた女性が、近づいてくる男達の姿に怯えたような顔をして、逃げ出そうと背中を向けた。
アンリが女性を追って走り出した。
女性の腕の中から、何かが飛び出した。

「パパ!」

無邪気な子供の声が響いた。
広場に降り注ぐ日差しの下、小さな男の子が照らし出される。
アンリは駆けてきた男の子を抱き上げ、そのまま立ち尽くす女性の方へ走っていくと、二人を抱きしめ背中で隠した。

呆然と立ち尽くすラルフ。それからヒューとデレク。
ラーシアは肩をすくめた。

「まぁ、そうだよね。生贄の名前は張り出されている。遅かれ早かれ、さすがに田舎の村だって入れ替わりに気づく者が出てくる。その時、村にいれば国を裏切った家として非難される。あるいは国に訴えると脅されるかもしれない。
村に入る金の大半がその口止めに使われるだろうし、誰かを自分の替わりに見殺しにしたという評価は自慢できるものじゃない。アンリは外に出て、イシャリが生きていける居場所を作る必要があった。村長のもとで事務処理の仕事をしていたなら、頭も悪くない。
イシャリと隠れて暮らし、子供まで出来たことで、こうした未来を友人から奪った罪悪感に耐えられなくなった。
愛する妻と子供を手に入れられるはずだったラルフの未来を、アンリは手にした。それは、まるで友人の人生を盗むようなやり方だった」

背中を丸め、家族を守り震えているアンリに、ラルフは投げつける言葉が出てこなかった。
デレクは進み出てラーシアを抱き寄せた。

ヒューは険しい表情で彼らを見ていたが、踵を返し、焼けた家の方へ戻っていった。

「デレク……頼みがあるのだけど」

返り血に濡れたデレクの胸の中で、ラーシアが伸びあがってデレクの耳に囁いた。


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