35 / 57
第一章 竜の国
35.最後の日
しおりを挟む
絶望に濡れるデレクの顔を、ラーシアはじっと見つめていた。
ゲームの勝者であるラーシアは、一つだけ敗者のデレクに命令を下すことができる。
後ろで手を組んでいるデレクを前に、ラーシアは困ったように眉根を寄せる。
「そうだな……」
唇を開き、ラーシアは話そうとしては、唇の動きを止め、舌で唇を舐めた。
それからもう一度、話そうとして、少し顔を歪めた。
泣き出しそうな顔で、困ったように笑う。
「そうだな……デレク……私からの言葉は……一つだけだ」
ラーシアはデレクの頬を抱き、唇を寄せた。
「デレク、私のことは、待たなくていい」
優しく、甘く、唇が重なる。デレクは目を大きく開き、両手を解いてラーシアを抱きしめた。
待たなくていいとは、「本当は待っていて欲しい」という意味だ。
無責任で、都合の良い、愛の形だ。
デレクはラーシアの体を寝台に押し倒し、上になるとしなやかな足を担ぎ上げた。
「今度は俺の番だ。ラーシア、動くなよ?」
「この体勢で、よく言えるな?」
お前は鬼なのかと、ラーシアは軽くデレクを睨む。既に濡れていた秘芯を割り、限界を迎えていたデレクの肉棒が深く押し入った。
「あっ……」
小さな嬌声をあげ、ラーシアは体をのけぞらせた。
その体を上から抱きしめ、デレクは貪るように唇を重ねる。
「ちゃんと我慢しろと言っただろう?」
デレクは深く体を重ね、強く腰を押し付ける。激しい悦楽の波にのまれ、ラーシアは体をよじってデレクの体を抱きしめた。
ゲームのことなど失念し、互いを貪るように求め合うと、デレクはラーシアの中に大量の種を吐きだした。
それをデレクは狂ったように繰り返した。
「ラーシア、俺の勝ちだ」
ぐったりとして目を開けるのも辛そうなラーシアを見おろし、デレクはその頬を抱いてもう一度唇を重ねた。
「俺の言葉も聞いてもらう」
ラーシアは仕方がないなと、正面からデレクの顔を見上げた。
「ラーシア、結婚しよう」
二日で死ぬかもしれない花嫁をなぜ欲しがるのか。
ラーシアは困ったように笑った。
「もの好きな男だな……」
翌朝、小屋を出てきたデレクは団長のルシアンに結婚式を行いたいと申し出た。
隊員たちはそれを聞いて驚いた。あと二日でラーシアは竜のものになる。
仲間達は顔を見合わせたが、全員が立ち合い人になった。
珍しくその日の空は青く晴れ渡っていた。
ドレスも花もなかったが、ラーシアはデレクと結婚の宣誓をし、第四騎士団の前で熱い口づけを交わした。
「人妻の生贄では、竜の怒りを買うのではないか?」
ヒューが心配したが、ラーシアは笑った。
「なるほど。それは思いつかなかったな。さすがヒューだな。うまくごまかしておくよ」
動じた様子もないラーシアに、騎士達はその程度の問題なのかと安堵した。
また一日山を登り、次の山小屋に辿り着いた。
デレクとラーシアの初夜だった。
「今更だな」
初夜の新郎らしく、神妙な顔つきで寝台に座るデレクの姿に、ラーシアは噴き出した。
夫婦となって初めての夜を、二人はいつも通り情熱的に愛し合った。
新婚二日目、最後の小屋に到着した。
そこは地上部分は小さな岩屋で、広い地下室が作られていた。
竜が現れた時、騎士達はここに隠れて竜の姿をみないようにするのだ。
生贄だけが山頂に残される。
鋭利な斜面の先端部分であり、石造りの建物に入るしか居場所はなかった。
騎士達は二人のために部屋を用意できないことを申し訳ないと謝った。
「まぁ私は人目を気にせずに出来るけど、デレクの心の傷になりそうだからやめておこう」
ラーシアは堂々と言い放ち、新郎のデレクは顔を赤くして、なんとなく股間を押さえた。
その夜、ラーシアはリュートを奏で、騎士達はラーシアの強い勧めで酒を飲み交わした。
「楽しく送り出されたいんだ。頼むから辛気臭い顔はやめてくれよ」
さすがにデレクは笑えず、ラーシアにぴったりと張り付き、肩や腰に触れ、頬に口づけをした。
岩屋内の明かりが消え、騎士達はそれぞれの毛布にくるまり床に寝そべった。
ラーシアとデレクは窓の下で抱き合い一つの毛布にくるまった。
静かになった小屋の中で、ラーシアが囁いた。
「楽しみだな。この国を観光しようと思った時、竜に会えるかもしれないと考えた。見ちゃいけない存在だとは知らなかったからね。でも、明日は会える。うまくいくかわからないけど、楽しみだよ。ずっと願っていたことだったからね」
恐ろしさを隠しているのだろうと誰もが思ったが、ラーシアの声は穏やかで、耳に心地良く響いた。
「ラーシア……俺も傍にいてはいけないのか?」
デレクの声に、騎士達がぴくりと耳を尖らせた。
全員が同じ室内にいる。どんな囁き声も全部聞こえてしまう。
「駄目に決まっているじゃないか。生贄の若い女に男が張り付いていたらさすがに竜の機嫌を損ねる。いいか?絶対にここから出て来るなよ。
うまくいきかけていたものが駄目になったら、それこそ許さないからな」
ラーシアの答えに暗闇の中で騎士達がほっと胸をなでおろす。
「縛り付ける必要はないだろう?」
「まぁ……その必要性は感じないけど、でも巨大な翼で風が起きたら飛ばされてしまうかもしれない。だから、逃亡のためじゃなくて、風で飛ばされないために縛る必要があるかもね」
闇の中で鼻をすするような音が響いた。
むせび泣くようなデレクの声が、めそめそと続く。
「言っておくけど、泣いているのは私じゃないぞ!」
泣き虫なのはデレクの方だからなと念を押すようなラーシアの声がして、一部の騎士達から笑い声があがった。
ラーシアは闇の中から濡れたデレクの顔を見つけ、口づけを繰り返すと、デレクのズボンの中に手を滑り込ませた。
「ん?!」
デレクが驚いて、ラーシアの手の動きを押さえようと、その上に手を重ねる。
闇の中で意地の悪そうなラーシアの目が光ったような気がした。
室内は灯りもなく、窓も全部閉まっている。
石造りの頑丈な岩屋内は風の音さえ聞こえない。
そんな闇の中でごそごそと毛布が擦れる音がして、それから呻くような男の声がした。
「そ、それは、駄目だろう!」
抑えきれない男の声と共に、押し殺した女の喘ぎ声が聞こえてきた。
「んっ……んっ……あっ……」
明らかに毛布の中で交わっているとわかる物音が闇の中に響きだす。
突然、騎士達は寝たふりをしなければならなくなり、頭から毛布をひっかぶった。
最後はやはりデレクの声だった。
「ああっ!」
仲間達に絶対に聞かれたくない、恍惚の一声を搾り取られたデレクの荒い息遣いに、女の甘い吐息が重なる。
「はぁ……はぁ……」
淫らな呼吸音が少しずつ静まってくると、優しい女の声が慰めるように響いた。
「ほら、これで眠れるだろう?」
眠れたのは二人だけだった。
翌朝、目の下にくまを作った、屈強な若い男達は、ふらふらと起き出し、酷いしかめっ面で胸の前で腕組みをしている団長の顔を見て、慌てて口を押えて目を伏せた。
副官のレイクは、こんな日だというのに、肩を震わせ、必死に笑いだしそうな顔を引き締めている。
団長の目の下にもくまができ、幾分げっそりして見えたのだ。
生贄を捧げる日だというのに、なんとも緊張感のない始まりだった。
寒くないように厚手の外套で身を包んだラーシアが、さっぱりとした顔で岩屋から出てきた。
デレクも一緒で、自分も山頂に行くと主張した。
「君を縛るのは、俺にやらせてくれ」
最後にラーシアに触るのは自分でいたいとデレクが訴え、ルシアンは少し迷った。
わざと緩く縛って逃亡を助けてしまうかもしれない。
しかし、ラーシアに逃亡の意思がないなら、うまくデレクを諭してくれるかもしれない。
「デレク、お前は残れない。忘れるな」
ルシアンの言葉に、デレクは「はい」としっかりとした声で答えた。
簡単な食事をとり、昼前にルシアンの通信具に知らせが入った。
第一騎士団のウィルバーからだった。
通信を切ると、ルシアンが命令を伝えた。
「預言者様から指示があった。生贄を山頂に置くようにとのことだ。我らは岩屋に避難することになる。
デレク、頼んだぞ」
騎士である限り、その命令からは逃れられない。
二人は山頂までの細く険しい道を登り始めた。
さすがに高所では風が強くなる。
正面からの強風で飛ばされてきた小石をかざした腕で防ぎ、デレクは、ラーシアの風除けになれているか後ろを確認した。
デレクの視線を受け、ラーシアは、「大丈夫だ」と笑ってみせる。
再び前を向いて、デレクは風を受けながら、山をよじ登る。
生贄になりたくないと泣いた少女をこの急斜面に押し上げたのかと考えると、デレクは胸が痛んだ。
ラーシアは両手で斜面の岩を掴みながら、自分の足でぐんぐん登っていく。
その足取りに迷いはなく、デレクを追い越す勢いだ。
空が間近に迫ってくると、さらに斜面は急になる。
ついに、空しか見えない場所に到達した。
山頂だ。
真ん中には、底の見えない深い穴がある。
煮えたぎるマグマがあり、そこが竜の寝床だと言われている。
蟻地獄のようなその穴に落ちないように気を付け、山の縁を歩く。
ほとんど岩にしがみつくように進んできたデレクは足を止めた。
内側が窪んだ、まるで王座のような形の岩が現れた。
動きを止めたデレクをよじ登るように追い越し、ラーシアが石の玉座に座った。
岩にはロープを何重にも巻いたような擦れた跡がある。
ロープがちゃんとひっかかるように、わざと岩を削って窪みをつけたのだ。
「さあ、縛ってよ。遅れたら大変だ」
ラーシアは穏やかな口調で促す。デレクは黙って、ロープを取り出しラーシアを岩に縛り付ける。
「痛くはないか?」
飛ばされてしまいそうなほど風が強く、あまりゆるく縛れなかった。
デレクの問いかけに、ラーシアが頷く。
石の王座に縛られたラーシアは、真っすぐに空を見上げている。
「ラーシア……」
デレクが短剣を抜いて、ラーシアの手に押し付けた。
もしもの時は、一人でロープを切って逃げることが出来る。
反射的に手のひらに押し付けられた短剣の柄を握り、ラーシアはデレクを見つめる。
「デレク、これで竜と戦えと?」
縛り付けた少女を丸腰では置いていけないのだ。
デレクの苦痛に染まる顔を見上げ、ラーシアは笑った。
「わかった。なんともならなかった時に使うよ」
塩辛い最後の口づけを交わし、デレクは石の椅子にすがりついた。
「ラーシア……俺は……」
「デレク、ここまで来た生贄の家族はいない。もう十分だろう?」
騎士の妻だから特別に最後の瞬間まで夫との別れを惜しめたのだ。
他の消えた生贄たちに比べたら、ラーシアとデレクは、あまりにも恵まれている。
デレクは静かに頷いた。
「そうだな……ラーシア、愛している。俺は君を待ち続ける。俺を待たせっぱなしにしていることを気に病む必要はない。ラルフの十年は無駄じゃなかった。俺はそう思う」
ラーシアは少し寂しそうに微笑んだ。
デレクはもう何も考えないようにしながら背中を向けた。四つん這いになり、細い山の縁を伝い、登ってきたところからまた降りる。
登るときは二人だったのに、帰りは一人だ。
デレクは泣きながら斜面を下り、最後の岩屋が近づいた。
その時、仲間達の声が聞こえてきた。
ゲームの勝者であるラーシアは、一つだけ敗者のデレクに命令を下すことができる。
後ろで手を組んでいるデレクを前に、ラーシアは困ったように眉根を寄せる。
「そうだな……」
唇を開き、ラーシアは話そうとしては、唇の動きを止め、舌で唇を舐めた。
それからもう一度、話そうとして、少し顔を歪めた。
泣き出しそうな顔で、困ったように笑う。
「そうだな……デレク……私からの言葉は……一つだけだ」
ラーシアはデレクの頬を抱き、唇を寄せた。
「デレク、私のことは、待たなくていい」
優しく、甘く、唇が重なる。デレクは目を大きく開き、両手を解いてラーシアを抱きしめた。
待たなくていいとは、「本当は待っていて欲しい」という意味だ。
無責任で、都合の良い、愛の形だ。
デレクはラーシアの体を寝台に押し倒し、上になるとしなやかな足を担ぎ上げた。
「今度は俺の番だ。ラーシア、動くなよ?」
「この体勢で、よく言えるな?」
お前は鬼なのかと、ラーシアは軽くデレクを睨む。既に濡れていた秘芯を割り、限界を迎えていたデレクの肉棒が深く押し入った。
「あっ……」
小さな嬌声をあげ、ラーシアは体をのけぞらせた。
その体を上から抱きしめ、デレクは貪るように唇を重ねる。
「ちゃんと我慢しろと言っただろう?」
デレクは深く体を重ね、強く腰を押し付ける。激しい悦楽の波にのまれ、ラーシアは体をよじってデレクの体を抱きしめた。
ゲームのことなど失念し、互いを貪るように求め合うと、デレクはラーシアの中に大量の種を吐きだした。
それをデレクは狂ったように繰り返した。
「ラーシア、俺の勝ちだ」
ぐったりとして目を開けるのも辛そうなラーシアを見おろし、デレクはその頬を抱いてもう一度唇を重ねた。
「俺の言葉も聞いてもらう」
ラーシアは仕方がないなと、正面からデレクの顔を見上げた。
「ラーシア、結婚しよう」
二日で死ぬかもしれない花嫁をなぜ欲しがるのか。
ラーシアは困ったように笑った。
「もの好きな男だな……」
翌朝、小屋を出てきたデレクは団長のルシアンに結婚式を行いたいと申し出た。
隊員たちはそれを聞いて驚いた。あと二日でラーシアは竜のものになる。
仲間達は顔を見合わせたが、全員が立ち合い人になった。
珍しくその日の空は青く晴れ渡っていた。
ドレスも花もなかったが、ラーシアはデレクと結婚の宣誓をし、第四騎士団の前で熱い口づけを交わした。
「人妻の生贄では、竜の怒りを買うのではないか?」
ヒューが心配したが、ラーシアは笑った。
「なるほど。それは思いつかなかったな。さすがヒューだな。うまくごまかしておくよ」
動じた様子もないラーシアに、騎士達はその程度の問題なのかと安堵した。
また一日山を登り、次の山小屋に辿り着いた。
デレクとラーシアの初夜だった。
「今更だな」
初夜の新郎らしく、神妙な顔つきで寝台に座るデレクの姿に、ラーシアは噴き出した。
夫婦となって初めての夜を、二人はいつも通り情熱的に愛し合った。
新婚二日目、最後の小屋に到着した。
そこは地上部分は小さな岩屋で、広い地下室が作られていた。
竜が現れた時、騎士達はここに隠れて竜の姿をみないようにするのだ。
生贄だけが山頂に残される。
鋭利な斜面の先端部分であり、石造りの建物に入るしか居場所はなかった。
騎士達は二人のために部屋を用意できないことを申し訳ないと謝った。
「まぁ私は人目を気にせずに出来るけど、デレクの心の傷になりそうだからやめておこう」
ラーシアは堂々と言い放ち、新郎のデレクは顔を赤くして、なんとなく股間を押さえた。
その夜、ラーシアはリュートを奏で、騎士達はラーシアの強い勧めで酒を飲み交わした。
「楽しく送り出されたいんだ。頼むから辛気臭い顔はやめてくれよ」
さすがにデレクは笑えず、ラーシアにぴったりと張り付き、肩や腰に触れ、頬に口づけをした。
岩屋内の明かりが消え、騎士達はそれぞれの毛布にくるまり床に寝そべった。
ラーシアとデレクは窓の下で抱き合い一つの毛布にくるまった。
静かになった小屋の中で、ラーシアが囁いた。
「楽しみだな。この国を観光しようと思った時、竜に会えるかもしれないと考えた。見ちゃいけない存在だとは知らなかったからね。でも、明日は会える。うまくいくかわからないけど、楽しみだよ。ずっと願っていたことだったからね」
恐ろしさを隠しているのだろうと誰もが思ったが、ラーシアの声は穏やかで、耳に心地良く響いた。
「ラーシア……俺も傍にいてはいけないのか?」
デレクの声に、騎士達がぴくりと耳を尖らせた。
全員が同じ室内にいる。どんな囁き声も全部聞こえてしまう。
「駄目に決まっているじゃないか。生贄の若い女に男が張り付いていたらさすがに竜の機嫌を損ねる。いいか?絶対にここから出て来るなよ。
うまくいきかけていたものが駄目になったら、それこそ許さないからな」
ラーシアの答えに暗闇の中で騎士達がほっと胸をなでおろす。
「縛り付ける必要はないだろう?」
「まぁ……その必要性は感じないけど、でも巨大な翼で風が起きたら飛ばされてしまうかもしれない。だから、逃亡のためじゃなくて、風で飛ばされないために縛る必要があるかもね」
闇の中で鼻をすするような音が響いた。
むせび泣くようなデレクの声が、めそめそと続く。
「言っておくけど、泣いているのは私じゃないぞ!」
泣き虫なのはデレクの方だからなと念を押すようなラーシアの声がして、一部の騎士達から笑い声があがった。
ラーシアは闇の中から濡れたデレクの顔を見つけ、口づけを繰り返すと、デレクのズボンの中に手を滑り込ませた。
「ん?!」
デレクが驚いて、ラーシアの手の動きを押さえようと、その上に手を重ねる。
闇の中で意地の悪そうなラーシアの目が光ったような気がした。
室内は灯りもなく、窓も全部閉まっている。
石造りの頑丈な岩屋内は風の音さえ聞こえない。
そんな闇の中でごそごそと毛布が擦れる音がして、それから呻くような男の声がした。
「そ、それは、駄目だろう!」
抑えきれない男の声と共に、押し殺した女の喘ぎ声が聞こえてきた。
「んっ……んっ……あっ……」
明らかに毛布の中で交わっているとわかる物音が闇の中に響きだす。
突然、騎士達は寝たふりをしなければならなくなり、頭から毛布をひっかぶった。
最後はやはりデレクの声だった。
「ああっ!」
仲間達に絶対に聞かれたくない、恍惚の一声を搾り取られたデレクの荒い息遣いに、女の甘い吐息が重なる。
「はぁ……はぁ……」
淫らな呼吸音が少しずつ静まってくると、優しい女の声が慰めるように響いた。
「ほら、これで眠れるだろう?」
眠れたのは二人だけだった。
翌朝、目の下にくまを作った、屈強な若い男達は、ふらふらと起き出し、酷いしかめっ面で胸の前で腕組みをしている団長の顔を見て、慌てて口を押えて目を伏せた。
副官のレイクは、こんな日だというのに、肩を震わせ、必死に笑いだしそうな顔を引き締めている。
団長の目の下にもくまができ、幾分げっそりして見えたのだ。
生贄を捧げる日だというのに、なんとも緊張感のない始まりだった。
寒くないように厚手の外套で身を包んだラーシアが、さっぱりとした顔で岩屋から出てきた。
デレクも一緒で、自分も山頂に行くと主張した。
「君を縛るのは、俺にやらせてくれ」
最後にラーシアに触るのは自分でいたいとデレクが訴え、ルシアンは少し迷った。
わざと緩く縛って逃亡を助けてしまうかもしれない。
しかし、ラーシアに逃亡の意思がないなら、うまくデレクを諭してくれるかもしれない。
「デレク、お前は残れない。忘れるな」
ルシアンの言葉に、デレクは「はい」としっかりとした声で答えた。
簡単な食事をとり、昼前にルシアンの通信具に知らせが入った。
第一騎士団のウィルバーからだった。
通信を切ると、ルシアンが命令を伝えた。
「預言者様から指示があった。生贄を山頂に置くようにとのことだ。我らは岩屋に避難することになる。
デレク、頼んだぞ」
騎士である限り、その命令からは逃れられない。
二人は山頂までの細く険しい道を登り始めた。
さすがに高所では風が強くなる。
正面からの強風で飛ばされてきた小石をかざした腕で防ぎ、デレクは、ラーシアの風除けになれているか後ろを確認した。
デレクの視線を受け、ラーシアは、「大丈夫だ」と笑ってみせる。
再び前を向いて、デレクは風を受けながら、山をよじ登る。
生贄になりたくないと泣いた少女をこの急斜面に押し上げたのかと考えると、デレクは胸が痛んだ。
ラーシアは両手で斜面の岩を掴みながら、自分の足でぐんぐん登っていく。
その足取りに迷いはなく、デレクを追い越す勢いだ。
空が間近に迫ってくると、さらに斜面は急になる。
ついに、空しか見えない場所に到達した。
山頂だ。
真ん中には、底の見えない深い穴がある。
煮えたぎるマグマがあり、そこが竜の寝床だと言われている。
蟻地獄のようなその穴に落ちないように気を付け、山の縁を歩く。
ほとんど岩にしがみつくように進んできたデレクは足を止めた。
内側が窪んだ、まるで王座のような形の岩が現れた。
動きを止めたデレクをよじ登るように追い越し、ラーシアが石の玉座に座った。
岩にはロープを何重にも巻いたような擦れた跡がある。
ロープがちゃんとひっかかるように、わざと岩を削って窪みをつけたのだ。
「さあ、縛ってよ。遅れたら大変だ」
ラーシアは穏やかな口調で促す。デレクは黙って、ロープを取り出しラーシアを岩に縛り付ける。
「痛くはないか?」
飛ばされてしまいそうなほど風が強く、あまりゆるく縛れなかった。
デレクの問いかけに、ラーシアが頷く。
石の王座に縛られたラーシアは、真っすぐに空を見上げている。
「ラーシア……」
デレクが短剣を抜いて、ラーシアの手に押し付けた。
もしもの時は、一人でロープを切って逃げることが出来る。
反射的に手のひらに押し付けられた短剣の柄を握り、ラーシアはデレクを見つめる。
「デレク、これで竜と戦えと?」
縛り付けた少女を丸腰では置いていけないのだ。
デレクの苦痛に染まる顔を見上げ、ラーシアは笑った。
「わかった。なんともならなかった時に使うよ」
塩辛い最後の口づけを交わし、デレクは石の椅子にすがりついた。
「ラーシア……俺は……」
「デレク、ここまで来た生贄の家族はいない。もう十分だろう?」
騎士の妻だから特別に最後の瞬間まで夫との別れを惜しめたのだ。
他の消えた生贄たちに比べたら、ラーシアとデレクは、あまりにも恵まれている。
デレクは静かに頷いた。
「そうだな……ラーシア、愛している。俺は君を待ち続ける。俺を待たせっぱなしにしていることを気に病む必要はない。ラルフの十年は無駄じゃなかった。俺はそう思う」
ラーシアは少し寂しそうに微笑んだ。
デレクはもう何も考えないようにしながら背中を向けた。四つん這いになり、細い山の縁を伝い、登ってきたところからまた降りる。
登るときは二人だったのに、帰りは一人だ。
デレクは泣きながら斜面を下り、最後の岩屋が近づいた。
その時、仲間達の声が聞こえてきた。
0
あなたにおすすめの小説
転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました
桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。
言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。
しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。
──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。
その一行が、彼の目に留まった。
「この文字を書いたのは、あなたですか?」
美しく、完璧で、どこか現実離れした男。
日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。
最初はただの好奇心だと思っていた。
けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。
彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。
毎日19時に更新予定です。
愛されないと吹っ切れたら騎士の旦那様が豹変しました
蜂蜜あやね
恋愛
隣国オデッセアから嫁いできたマリーは次期公爵レオンの妻となる。初夜は真っ暗闇の中で。
そしてその初夜以降レオンはマリーを1年半もの長い間抱くこともしなかった。
どんなに求めても無視され続ける日々についにマリーの糸はプツリと切れる。
離縁するならレオンの方から、私の方からは離縁は絶対にしない。負けたくない!
夫を諦めて吹っ切れた妻と妻のもう一つの姿に惹かれていく夫の遠回り恋愛(結婚)ストーリー
※本作には、性的行為やそれに準ずる描写、ならびに一部に性加害的・非合意的と受け取れる表現が含まれます。苦手な方はご注意ください。
※ムーンライトノベルズでも投稿している同一作品です。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
俺様上司に今宵も激しく求められる。
美凪ましろ
恋愛
鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。
蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。
ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。
「おまえの顔、えっろい」
神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。
――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。
贖罪の花嫁はいつわりの婚姻に溺れる
マチバリ
恋愛
貴族令嬢エステルは姉の婚約者を誘惑したという冤罪で修道院に行くことになっていたが、突然ある男の花嫁になり子供を産めと命令されてしまう。夫となる男は稀有な魔力と尊い血統を持ちながらも辺境の屋敷で孤独に暮らす魔法使いアンデリック。
数奇な運命で結婚する事になった二人が呪いをとくように幸せになる物語。
書籍化作業にあたり本編を非公開にしました。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
お飾りの妃をやめたら、文官様の溺愛が始まりました 【完結】
日下奈緒
恋愛
後宮に入り、妃となって二年。
それなのに一度も皇帝に抱かれぬまま、沈翠蘭は“お飾りの妃”としてひっそりと日々を過ごしていた。
ある日、文部大臣の周景文が現れ、こう告げる。
「このままでは、あなたは後宮から追い出される」
実家に帰れば、出世を望む幼い弟たちに顔向けできない――。
迷いの中で手を差し伸べた彼にすがるように身を預けた翠蘭。
けれど、彼には誰も知らない秘密があった。
冷たい後宮から始まる、甘くて熱い溺愛の物語。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる