愛を伝えた人

丸井竹

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1.取引

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贅を凝らした屋敷の一室で怪しい会談が行われていた。
とても胃袋に入りきらないほどのご馳走がテーブルに並び、その器も燭台も金色に輝いている。

正面に座すのはいかにも悪人面の小太りの男で、肉のついた丸い手で宝石を散りばめた金の杯を掲げ、悦に入った笑みを浮かべている。

「これが最後とするならもっと値を上げてもらわなければ……」

不愉快なざらついた声音が蛇のように相手を威嚇した。

「こちらも危ない橋を渡りますからねぇ……」

異国から来た人買いは大粒の宝石をはめた指で顎をなぞり、薄い唇を舐めた。
その隣には金糸の髪を結い上げた美女が立ち、しなやかな手で人買いの杯に酒を注ぐ。

と、その華奢な体が震え、酒の雫が跳ねて杯の中から飛び散りそうになった。
人買いの舐るような目が美女の反応を楽しそうに窺っている。

右手に杯を傾けながら、左手ではスリットの大きく開いた美女のドレスの中に手を入れ、その尻を撫でまわしていたのだ。

明らかにそうした行為に慣れていない様子の美女は困ったように目を伏せ、必死にそこに留まっていた。

「その娘も付けますよ」

屋敷の主人の言葉に人買いの目が光った。美女の方は驚いて恐怖に震える。

「お父様……そんな……」

娘の悲痛な声に耳も傾けず、小太りの主人は娘を気に入ったらしい人買いの反応に満足そうに付け足した。

「うちのアイラは大切に育てていますからね。まだ処女ですよ。お値打ちでしょう?」

「それは素晴らしい。セイレン国の美女でさらに純潔とくれば良い値段になります」

この国は最近開国したばかりであり、美形の多い国として異国の人買いたちの間では既に有名であった。
さらに国の中枢に大きな変革があり、国の内部も荒れている。
古い政権下で権力を奮ってきた者たちは逃げ出すように財を作り他国へ亡命を図っていたのだ。

「お父様……私を売るのですか?そうしたら、そうしたらどうなってしまうのですか、あの……あのことは……」

アイラが心配しているのは自分のことではなかった。母親が人質に取られているのだ。
自分がここを離れれば母親がどんな扱いを受けるかわからなかった。

「私がここを出れば保護されるように段取りしておいてやろう。この国で平和に暮らせる。だが、お前が逆らえば殺していくしかないだろうな」

父親はいつも母親を盾にアイラを脅すのだ。

「どうか、殺さないで……。誰も殺さないでください」

哀願する美女の声を酒の肴に、人買いは上機嫌になった。
酒の杯をテーブルに置くと、人買いはアイラの腰を引き寄せ自分の膝に乗せた。
体を強張らせたが、アイラは逆らわなかった。

「味見ぐらいはいいでしょう?」

大粒の宝石をはめた毛深い手がアイラのドレスの襟元に入りこみ、下着もない素肌の上を舐めるように這った。
悲鳴を上げて逃げようとする体を抑え込み、アイラは人買いの淫らな手の動きに必死に耐えた。

太い指が乳房の先端を摘まむと、アイラは唇を噛みしめその屈辱に顔を赤く染めた。
がたがたと震え出した体に気を良くし、人買いの手は乳房をもみながらもう片手でドレスをまくり上げ、下半身を撫で上げた。

「そ、そこは……」

ついに涙をにじませ声を出したアイラはすがるように父親の方に視線を向けた。
助けてくれるような男ではないが、商品は出来るだけ高く売りたいはずであった。

「純潔を破られては困りますよ。商品ですからね。アイラ、戻れ」

その命令に、飛ぶようにアイラは人買いの体から逃れ、父親の方へ駆け寄る。
当然そこも安全なところではなかったが、今のところ人買いの膝の上よりましであった。

「女は三十人、男は十人、それからアイラを付けて……ルベリア国に屋敷と身分を用意してもらいたい」

本格的な商談が始まり、アイラは空気のように息を顰め黙り込んだ。
愛国心の欠片もない父親の言葉にじっと耳を傾ける。

父親が売ろうとしているのはこの屋敷で働く全ての人間であり、その前にも既に何人も領内から貧しい人々が連れ去られてしまっていた。

国の末端にあるこの小さな領内まで政権を握ったばかりの若い王の目は届いていないのだ。

商談が終わると売られた奴隷に対する扱いについて聞くに堪えない下劣な話が続き、味見と称してアイラは人買いに抱きしめられ唇を奪われた。
ねっとりと絡みつくような舌が腔内をまさぐるのに耐え、ようやく解放された時には口の周りはおぞましい人買いの唾液で濡れていた。

必死に胸元を抑え、呼吸を整えたアイラはそれでも一息ついてはいられなかった。
売られてしまうことが決まったのだ。それまでにしなければならないことがたくさんあった。

父親に旅支度をしたいとせがむと、父親は少し渋ったが、着飾れば商品価値が上がり今日の商談以上の値段で売れるかもしれないと説得した。

「私が高値で売れたら、母にもそれなりにお金をかけてくださるでしょう?」

父親は娘が母親のためなら自分を高く売るための努力すらするのだと疑わなかった。そう脅し続けて一度も逆らったことがなかったからだ。

「奴隷用の淫らに見える薄物のドレスを作ることを許可してください。手持ちの宝石を少しだけ使えば高貴な娘のように見えて少しはずんでもらえるかもしれない。今回の商談以上のお金になったらそれは私の望むように使ってくれますよね?そして……最後に母に会わせてください……」

「いいだろう。だが誰かを逃がそうとしたり、秘密をばらせば、屋敷にいる人間が全員死ぬことになる」

アイラは頷いた。
父親が部屋に戻ると、アイラは厨房に閉じ込められていた召使たちを呼んで食事を片付けさせた。
その隙に裏口に回ると外に飛び出した。

暗闇の中を行くと、一人の老婆が馬を連れて現れた。
売り物にならないからと殺されるところをアイラが隙を見て逃がした屋敷の下働きであった。

「お嬢様……」

老婆の声にアイラは腰を屈め、辺りを窺いながら近づいた。

「場所はわかった?私ももう危ないの。これはこれまでさらわれた人たちのリストよ。なんとか作ったわ。マイラの方はどう?」

「だいたい揃いましたが……すでに国境を越えてしまった者も多く……」

「わかっているわ……」

アイラの沈痛な声が闇に響く。

「今度こそ助けるわ。それで、噂の場所はわかったの?」

アイラは老婆に手持ちの宝石を手渡した。
新政権になり、それまで前王の元で私腹を肥やしてきた悪人共はそこかしこに散らばって混乱する国をさらに危険な場所にかえている。

「ここから北へ……国境沿いの北ルード山の谷間に洞窟があります。馬を用意しました」

暗闇の中、多少の灯りがあったとしても馬を走らせるのは危険なことだったが、アイラは周辺の地図を頭に叩き込んでいた。
さらに異国の人間が運んでくる本で勉強し、いくつかの国の言葉や文字は理解できる。

「行くわ」

「戻れないかもしれません……義賊とは言われても、所詮は悪人……」

老婆が心配そうに声をかけたが、アイラは既に馬の手綱を掴んでいた。

「私が死ねば屋敷にいる人たちも、お母様も、それにこの領内の人たちも危険かもしれない。でも、何も手を打たなければ誰も助けられない」

アイラは出立し、暗闇に遠ざかる馬蹄を聞きながら、老婆もまた静かに森の中に姿を消した。


__________


セイレン国北ルード山の谷間にある野盗の頭目は早朝からたたき起こされ不機嫌だった。

馬に乗った無謀な戦士が現れ、取引がしたいと大声で叫んだというのだ。
見張りの男達は耳に指を突っ込みながら、とにかくすごい剣幕で耳が痛かったとこぼした。

すぐにここに連れて来いと言いかけた頭目はすぐに考えを変え、自分が行くから誰も手を出すなと命令を飛ばした。

そして自らそこに駆け付けると、隠れ家の前に馬を立て、分厚いマントに身をくるみ、その端から剣の柄を覗かせるわざとらしい戦士のいでたちの若者を見上げたのだ。

「雑な恰好だな。下りてこい。取引があるのだろう」

「お前が頭目か?義賊と聞くが本当か?」

まだ若い、少年といっていいほどの声であった。
頭目は読みが当たったというように口元にいやらしい笑みを浮かべた。
北ルードの谷間を根城にし、活動する野盗は影狼と呼ばれ、その頭目は漆黒の髪に灰色の目をした巨漢であった。

「義賊とは聞こえがいいが、所詮は盗賊だ。人助けなどしないぞ」

「金は出す。それに良い儲け話だ」

馬上から革の袋が投げてよこされた。
影狼の頭目は片手で受け止めると、中を開けて素早く確かめた。
黄金の輝きがこぼれ、部下達が後ろでざわめいた。

「話によっては足りないぞ。下りてこないなら引きずり下ろすがどうする?」

馬上の男は仕方なく馬から下りようと身をかがめた。
頭目が近づきその手をぐいと引いて不安定な腰を掴み上げる。

羽のように軽く柔らかな感触に、またもや読みが当たったと頭目は口角を上げた。

抱き上げられた若者は慌てて暴れたが、ならず者を束ねる野盗の頭目であるから敵う相手ではなかった。

「名前と身分を告げてもらおうか。当然お代はその体でも払ってもらわなければならないぞ」

フードの下からはらりと結い上げていた金糸の髪が落ちる。
部下達がその姿を目にし、女がいると騒ぎ始めた。
それを頭目が片手を上げて鎮めた。

「名前を聞くなら自分から名乗りなさい」

大男の腕の中で身動き一つ出来ないぐらい抑え込まれているというのにフードの下から現れた女は声も震わせていなかった。

「面白い女だな。俺はギース。名乗ったぞ。お前も名乗れ」

「アイラ。マグドロー家の一人娘よ」

途端にギースの後ろの部下達が騒ぎ始めた。

「なんだって!人殺しの娘だぞ」

「国を売っている悪人だ」

「犯して殺そう!」

悪名高いマグドロー家のために虐待され、殺されてきた人々が数えきれないほどいたのだ。
領内でその名前を出せば生きては帰れないほどだった。

真っ青な顔でアイラは彼らの怒りの言葉をじっと聞いていた。
しかしその目は頭目ギースの顔から離さない。

「どんな恨みも受け止めるわ。だけど、その前にどうしても話がしたい。仕事を引き受けてくれたらその後私を引き裂いて殺してもいいわ」

鬼気迫るその言葉に気色ばむ盗賊たちもぴたりと口を閉ざした。

「いいだろう。話ぐらいはきいてやる」

ギースは片手に収まった革袋の重さを確かめるように数度、宙に投げて金貨の音を鳴らした。
その音はチャリンチャリンと部下達の耳に心地よく届いたのだ。
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