愛を伝えた人

丸井竹

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8.捨てられた娘

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東ロゼンダ地方の都市ロアの郊外にあるエリルローゼの住む屋敷を訪ねていたのはセイレン国の二人の騎士であった。

旧王国時代に莫大な財を築いたグレイトン家の屋敷は多くの私兵を抱え、厳重な警戒態勢が敷かれている。
見張りの兵士に王の紋章を見せ、エリルローゼ婦人と面会したいと伝えると、さらに屈強な兵士達が威圧するような態度で現れた。
前王の汚職時代を生き延びたエリルローゼの夫グレイトンは新王の騎士に探られてはまずい案件をいくつも抱えているのだ。

「北ルードでマグドローが捕らえられたと伝えてくれればわかると思うが」

ゼインの言葉に兵士の一人が屋敷に引き返し、それから急いで戻ってきた。
裏口に回って欲しいと言われ、ゼインとドイルは顔を見合わせた。
エリルローゼは夫に娘のことを告げていないのではないかと思ったのだ。

馬を屋敷の裏へ回すとそこは見事な薔薇庭園で、蔓薔薇を這わせた東屋の中に美しい貴婦人が座っていた。

ゼインは一目でそれがアイラの母親であるとわかった。
金糸の見事な髪であり、深い藍色の瞳や美しい顔立ちがよく似ていたのだ。

しかしその微笑みを目にした途端、その印象はがらりと変わった。
その笑みはどこか醜悪で不健康な妖艶さがあった。
豊満な体つきも男を誘うような仕草もアイラとは似ても似つかない。

ドイルがゼインの不愉快そうな顔を背中で隠すように前に出て、王宮で貴婦人に対してするような恭しい礼をした。
ゼインも表情を隠しそれに続く。

突然の訪問を詫びると、ゼインはさっそく要件を切り出した。
それに対するエリルローゼの反応は冷ややかだった。

「あの子は……私の子ではありません」

マグドローが悪事に手を染め、国王軍に身柄を捕縛されていること、アイラが行方不明であることを告げるとエリルローゼは艶やかな微笑を少しも崩すことなくそう断言した。

「それに、その男とも何の関わりもない。欲しいと言われたから売っただけのこと。私には新しい家庭があり、愛しい子供がいるのです。そんな汚らわしい男の娘のことなど知りません」

豪華な屋敷、何不自由ない暮らしに贅沢な美しいドレスと宝石、アイラがこの女に捨てられ、どれほど過酷な環境に身を置いていたのか考えると、ゼインは腹わらが煮えくり返る思いだった。

「そんな男のところに売ったのはあなたでは?」

棘のある言い方をしたゼインをドイルが警告するように肘で触れた。

「私の人生に必要ないから売ったのです。まさか引き取れとおっしゃるわけではありますまい?この美しい敷地に一歩たりとも入ってきてほしくないわ」

艶っぽい眼差しで若い騎士の姿を見上げ、どこか嘲るように笑いながらエリルローゼは言い放った。

「彼女があなたの子なら、あなたにも危険が及ぶ可能性がある。女王陛下は罪を犯した者の一族を決して許しはしない」

ゼインの脅すような言葉にさすがに青ざめたエリルローゼはそれでも強張った笑みを崩さなかった。

「縁を切った正式な書類がありますわ。国の祐筆に書かせましたから」

ゼインが怒りを面に出す前に、ドイルが前に出た。

「そうですか。では彼女が現れたら連絡をください。王騎士駐屯所ならどこでも構いません。
アイラを探しているのは私達だけではない」

背を向け庭を出て行こうとするゼインとドイルをエリルローゼの艶やかな声が追いかけた。

「罪人なのでしょう?こちらで殺してもよければ現れた時に殺しますけど?」

即座にゼインが振り向いた。

「あなたにその権限はない。それに彼女はまだ罪人ではない。野盗に連れ去られている可能性があるからです。さらわれたアイラ嬢を救出するのが私の使命です」

ゼインの静かな声の中に抑えられた怒りを感じ、ドイルはやりすぎるなと忠告するようにゼインに目配せした。
エリルローゼを囲っているのは新国王の存在で小さくはなっているが私兵を三千以上抱えるグレイトン家であった。

「行こう」

ドイルの声に促され、ゼインは大股で歩き出したが、裏門を出れば不快感を隠そうともしなかった。
馬上の人となり町に戻りながら、ドイルは馬を並べ、ゼインの険しい表情に目をやった。

「あれではゆすって金を出させるどころの話ではないな。一度上に話を通そう。女王陛下の判断を仰ぐ必要が出てくるかもしれない」

「彼女の直接の証言無しに無罪に出来ると思うか?」

現女王のこれまでの判断を考えれば難しいだろうとドイルは唸った。
国を売った悪人の一族はことごとく処刑されてきている。

「見せしめの意味もあるだろう。今甘い顔をすれば旧時代の膿を出し切れないかもしれない」

その日、ゼインとドイルはロアの町にある王騎士駐屯地に立ち寄り、アイラという女性に関して情報が入れば知らせてほしいと伝え、所属する第三騎士団の元へ引き返したのだった。


_____

ゼインとドイルがエリルローゼの屋敷から去って数時間後のことだった。

東ロゼンダ地方のエリルローゼの住むグレイトン家の屋敷を遠くに見通せる雑木林の中に連れてこられたアイラは息を顰めて屋敷の方を見つめていた。
夕刻近くなり、辺りは薄暗くなっている。

がさりと茂みが音を立て、大柄な男が現れアイラの隣に座った。

「馬車が出てくる。恐らくエリルローゼが乗っている」

ギースは持ってきた遠眼鏡をアイラに渡した。
屋敷の方へ目を向けるとギースの言葉通り、四隅に灯りを掲げた馬車が出てきた。
馬車の前後を騎兵が固めている。
馬車にも軍馬にも豪華な装飾がなされ、貴族のものだと一目でわかる。

アイラが遠眼鏡のレンズ越しに馬車の窓の中を覗き、切なさと憧れを滲ませた声を小さく漏らした。

「ああ……」

室内灯を置いた馬車内の様子はくっきりと見え、そこにはアイラと同じ髪と目の色をした美しい女性の姿があったのだ。
豊かな黄金の髪に縁どられた整った顔、細い首を飾る大粒の青い宝石。

さらに馬車内にはもう一人座っていた。
それは若い女性で、エリルローゼほど美しくはないが、雰囲気がよく似通っていた。

胸が苦しくなり、アイラは遠眼鏡から目を離した。

ギースがそれをアイラから取り上げ、レンズ越しに馬車の中を覗く。

「そっくりだな」

「そうかしら……あんなにきれいじゃないわ……」

ギースの言葉に少し落ち込んだ声でアイラは返した。
エリルローゼと思われる美女の向かいに見えた少女の姿が目に焼き付いて離れなかった。
アイラといくつも違わないように見えたのだ。

「娘がいるらしいな」

ギースは遠眼鏡から目を離すと、アイラに再びそれを手渡そうとした。

「もういいわ……」

急激に暗くなっていく中、馬車の灯りだけが煌々と輝き、町の灯に向かって遠ざかる。

「襲ってもいいぞ?」

「え?」

アイラはギースを見上げたが、夕闇に沈みもう表情はわからない。

「そんなことしないわ。どうして?」

「あの程度の兵隊ならなんとでもできる。復讐が出来るだろう」

「しないわ」

即座にギースの腕に飛びつきアイラは叫んだ。
力では絶対に勝てない相手だが、必死に後ろに引っ張った。

「ギース、いらないわ。そんな復讐いらない。誰も幸せにならないもの」

不意にアイラの体が地面に叩きつけられた。
喉を押さえつけられ、アイラは声も無く喘いだ。
ギースの太い腕がアイラの首を地面に押し付ける。

「くっ…くる……し……」

「きれいごとはたくさんだ。お前のなまぬるい話は聞きたくない」

押し殺した低い声が耳元で響いた。
暗闇の中から狂暴な肉食獣に狙われている、そんな感覚に陥り、アイラは押さえつけているギースの腕を必死に押し返そうと力を込めた。

腕が緩み、アイラは呼吸を取り戻し苦しそうに胸を押さえた。
馬車の灯りは小さく遠ざかり、見えなくなっていく。

ギースは立ち上がり、隠してあった馬を立ち上がらせた。
アイラは置いていかれるのかと思ったが、ギースは戻って来てアイラを担ぎ上げると馬の前に乗せた。
馬車を追うように馬をゆっくり走らせる。

町の方へ向かっていたエリルローゼを乗せた馬車は途中で道を逸れ、やがて前方に見える華やかな照明に彩られた豪華な屋敷に吸い込まれた。

近づいてみると、同じような豪華な馬車が何台も巨大な門に入っていく。
馬車から下りてくる人々は皆美しく装い、召使を連れている。

「あれがあの女の暮らしだ。お前は悔しくないのか?」

ギースの腕の中からアイラは夢のように美しい屋敷の光景に見入っていた。
立派な街灯をいくつも並べ、門から屋敷の入り口まで光の道が出来ている。
豪華な馬車から艶やかな装いの貴婦人たちが現れる。
まるでおとぎ話の絵本の中のようだった。

夜風に乗って屋敷の方からかすかな音楽が聞こえてきた。

「音楽だわ……私、音楽を聞くの初めてかもしれない。家にはなかったから……」

領民の歌う子守唄や、短い旋律を真似て口ずさんだことがあったが、元父親のマグドローは耳障りだと即座に禁止したのだ。

うっとり耳を傾けるアイラに、ギースは険しい目を向け、馬を返しその音から遠ざかった。
ギースも音楽が嫌いなのだと、アイラは少しがっかりして俯いた。

夜空に瞬き始めた星の下、アイラは近づいてくる温かな町の灯りをじっと見つめた。
ギースは一言も口をきかなかった。

その夜、宿に戻ったギースはいつにもましてアイラを乱暴に抱いた。
アイラは苦痛に耐えようと、必死に唇を噛みしめ、シーツを握りしめた。

アイラを見下ろすギースの冷たい目には暗い憎しみが宿っていた。

抱える怒りを吐き出すようにアイラの胎内に男の凶器を叩きつけ、ギースは体を重ねたままアイラを強く抱きしめた。

「わからない。お前が女だからなのか?俺のように戦うすべを持たないからか?
お前を捨てていった女だぞ。
お前が酷い環境下でたえている間、自分は新しく子供を持ち、幸せな家庭でぬくぬくと贅沢に暮らしていた。
なぜ腹が立たない?俺はあの女を知っている。
お前のことなどなんとも思っていない女だ。
自分の幸せのために簡単に他人を切り捨てられるような女だ。
お前には復讐する権利があるだろう?」

抑えられた声に熱い怒りがくすぶっている。

「あの女に人生を狂わされた男がたくさんいる。
お前は大切な物を奪われて我慢することが正義だとでも思っているのか?
命がけで取り戻さないことの方が罪ではないのか?
奪われた幸せは取り戻せばいい」

暗闇に呪詛のように低く紡がれるギースの言葉は重い悲哀と怒りに満ちていた。
いつの間にかアイラはすすり泣き、その首を抱きしめていた。

翌朝、ギースが目覚めた時、そこにアイラの姿はなかった。
ついに逃げられたのだと、ギースは飛び起き、アイラを追って駆け出した。
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