愛を伝えた人

丸井竹

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11.覆らない決定と誘拐

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東ロゼンダ地方の第三騎士団が滞在する要塞の一室で、ゼインは信じられない人物と対面していた。

アイラに嘆願書を仕上げてもらい、それを申請した翌日だった。
即座に隊長から返事があると言われて呼び出されたのだ。

「こんなに早くですか?」

大隊長からその返事をもらうのだと思って駆け付けたゼインは所属する騎士団のリオン隊長の引きつった青い顔と対面し、即座に石の回廊を並んで走ったのだ。

それほど大変な方を待たせているのかとゼインは緊張した。

「騎士の嘆願は何より優先される。女王陛下は自ら騎士の選別を行いその振る舞いを審査されるのだ」

走りながらリオン隊長は説明した。
そうして通された一室でゼインが目にしたのは、こんなところにいるわけがないと思われたセイレン国の女王の姿であったのだ。

噂に聞いていた通りの凍てついた美貌で、傍らに銀色の髪をした美しい騎士を一人置いていた。
その騎士がただ美しいだけではなく、最上級の騎士の位を持つ王の側近であることは周知の事実であり、騎士であるなら誰もが憧れる立場であった。

ゼインは一瞬固まったが、すぐ跪き腕を胸にあて忠誠の姿勢をとった。
リオン隊長は一歩下がったところで膝をついている。

「ゼインか。お前からの嘆願受け取った。
それで?この女はお前がかくまっているのか?」

血の通わない冷たい声であった。

「いえ、まだ調査段階です。その娘の傍で仕えていた者たちから事情を聞きその娘が利用されていただけの存在だと判明しております。
彼らの証言によれば、現在は野盗にさらわれている身であることもわかりました。
彼女は使用人たちの命だけでなく、私も命を助けられ……」

「お前、まさか可哀そうだから、気の毒だからとくだらない理由で命乞いを始めるわけではあるまいな。被害者面をした可哀そうな女など道端の石ころほども転がっている。
その辺から拾ってきて十や二十首を刎ねてやってもいいほどだ」

女王が鋭くゼインの言葉を遮った。
噂以上の冷酷さにゼインは背筋を凍らせた。

「実績もあります。彼女は単身計画し、何十人もの自国民を救った。
さらに我が国の財産を奪おうとしたルベリアからの人買いを国境に入る前に殲滅し、さらなる被害を食い止めました。
これまでの被害状況においても調べがあります。全ては彼女の功績……」

「戦う気もなく見過ごされてきた命が他国に流されたことについては?」

「彼女はまだ少女でした。虐待され、騙され続けていた」

「善い行いで悪い行いを帳消しには出来ないぞ。何か取引できるものを持っているのではないか?
もっと良い物があるだろう。
前王時代の隠し玉が群れを成して我が政権を脅かそうとしているのに手を貸しているのでは?」

呼吸が荒くなり、ゼインは必死に冷静さを取り戻そうと努めた。
アイラは自分を連れまわす野盗たちを庇いたい様子だったのだ。

だが、アイラを助けるためなら彼らの情報を差し出すしかないのではないかと思ったのだ。

「接触はあります……」

「調査は進んでいるのか?」

「はい……」

ゼインは額から落ちる汗が床にぽたりぽたりと落ちるのを見て、固く目を閉ざした。
女王は何もかも知っているのだ。

恐らく既にアイラと接触していることも、捕らえる機会があったのにわざと見逃したことも。
そして彼女を救える手段が一つもないのだと突き付けるためにわざわざ足を運んだのだ。

「お前の捧げる剣はどこにある?」

女王の言葉に反射的にゼインは剣を抜き、自分の胸に突き付けた。

「セイレン国と女王陛下のために」

立ち上がった女王がそのまま剣を押せば、それは死を命ぜられたことになる。
ゼインは顔を上げ、氷のような女王と正面から目を合わせた。

「その言葉が聞けて良かった」

凍てついた微笑がその美しい顔に浮かび、鋭い目がゼインを見下ろしていた。

「確か、家族はなく、幼い頃から親しくしている同僚がいたな。ドイルだったか?」

「はい」

答えたのは後ろにいたリオン隊長だった。
ゼインは恐怖に喉が詰まり声が出なかったのだ。

「出世しているではないか。将来が楽しみだ」

脅すような言葉と共に女王が去ると、ゼインの背中は汗でびっしょりだった。
リオン隊長も相当緊張していたらしく、大きく安堵のため息をついた。

「ゼイン、女王への嘆願は騎士の権利だが、多用するな。心臓に悪い。しかも第三階層以上の言止めからの物ではないことも相当な無礼にあたるぞ」

「すみません。急いでおりましたので……」

ゼインの体はすっかり緊張で固まり、足も手もすぐには動かせそうになかった。

「王の言葉に疑問を抱くな。騎士でいられる間は大切にされる。女王の信頼を損なう真似だけはするな」

「隊長、今まで女王の目を逃れて生き延びた者はこの国にいるのでしょうか?」

「滅多なことを言うな」

リオンは小声で叱責した。

「女王に逆らえるのは第一王位継承者のエルディーナ殿下ぐらいだろう。だが、それも命がけだ」

女王の騎士に所属しながらエルディーナ殿下に助けを求めに行くわけにはいかない。
二人はそれぞれ異なる管轄を持ち部下に関しても互いに干渉することはないのだ。

外に出ると、同僚のドイルが待っていた。
ドイルとの関係をさりげなく確認した女王の言葉が蘇る。
女王に逆らえばドイルも罪に問うと言われたのと同様だった。

両手を広げ、結果がうまくいかなかったことをゼインが伝えると、ドイルは苦笑した。

「そうだろうな。氷の女王だぞ。ここだけの話、父王を殺した時に自らの感情も切り捨てたという話だ。お前が騎士でなければ殺されていたかもしれない」

女王は騎士に対しては寛大だと言われている。
その理由はわからないが、旧時代の騎士制度をすべて見直し、階級制度を作り身分や家柄に関係なく実力で昇進できるシステムを作り上げたのだ。
失敗を許すのも騎士に対してだけなのだ。
影の女王とも呼ばれるエルディーナ殿下にも寛大だと言われるが、それは互いに王の権限を持つからであった。

「行こう。あの女を捕まえるべきだ」

ドイルの命まで賭けてアイラを助けるのかと自問しながら、ゼインはドイルと共に、アイラのいるロアの町を目指し馬を走らせた。


______



ロアの町の郊外にあるグレイトンの屋敷では、家主のグレイトンが妻のエリルローゼの体を貪っていた。
豪華な寝室には夫人の集めた高価な宝石が並び、一流の職人が作った美しい家具の数々が並んでいる。

「お前を手に入れるためにあらゆる手を尽くしたが、今回はなかなか厳しいな」

前王が失脚する直前に王都を離れたのが功を奏したのだ。
引退したと見せかけて自分の息のかかった高官たちを裏で糸を引いていたが、トカゲのしっぽを切るように全てを切り捨て女王の目を逃れた。

豪華な王宮で贅を極めていたエリルローゼは田舎を嫌がり、王城に残っていたが、粛清が始まると逃げるように形ばかりの夫の元に逃れてきた。

金と権力を持ち、普段はいない便利な夫であったが、この屋敷に戻ってからは常に相手をしなければならずエリルローゼは不満であった。

当然そんな顔は見せないように気を付けるが、皺深いかさついた手が豊満な胸を揉みしだくと、エリルローゼは不快そうに顔を歪めその光景から目を背けた。

なぜこんなじじいに股を開いてやらなければならないのかとエリルローゼは苦々しく思う。
王城にいた頃はもっと若く、美しい男たちが自分の周りに侍っていたのだ。

中でも最も美しい好みの男の事を思い出し、エリルローゼはうっとりと唇を舐めた。

グレイトンはその仕草に誘われたと思ったのか、うれしそうに唇を重ねてきた。
皺深い体に覆われ、エリルローゼはうんざりとしながらもその体に白い指をまとわりつかせる。

「ねぇ、もっと夜会を開いたりできませんの?この間のパーティーは退屈でしたわ。
年寄りばかりですもの」

妻の浮気を公然と認めてきたグレイトンだったが、この田舎では好き勝手を許してはくれなかった。
するなら自分の目の前でやれと告げたのだ。

そうした趣味があるのならそれでもいいが、とにかく若い男もいなければ自分をちやほやしてくれる男もこのおいぼれだけなのだ。

「お前の娘、お前になかなか似て来ないな」

「あなたの子ですから仕方ありませんわ」

何かあった時の保険として、エリルローゼはこの男の子を産んだのだ。
王城で危険なことがあれば娘を産んだ自分を引き取らざるを得ない。

「お前も年をとったな」

グレイトンの言葉にかっとしてエリルローゼは唇を噛んだ。
昔はしまっていた腰回りもだいぶ肉がついた。
さらに胸も垂れてきている気がする。

この上夫に飽きられては、男たちの上に君臨することが出来なくなる。
しかし、エリルローゼは新天地を見つけていた。

そのための協力者が必要であり、それが夫であればなおよかった。
国を出るには他国を従わせる財がいる。
自分を守る兵も必要だ。
さすがのエリルローゼも女の身であり、自由に夫の財産は動かせない。
夫を従わせる良いおもちゃがないだろうかと考えたのだ。

その夜更け、エリルローゼは夫が寝入ったのを見届けると、屋敷の一室に足を運び、待たせていた部下から報告を受けた。

「翻訳は完璧だったようです」

それはラーラという名の祐筆に翻訳させたルベリア国の簡単な書類だった。

「そう。それで娘はどう?気づかれていないわね」

「はい。今日も一日イーサンを傍において屋敷におられました」

エリルローゼは微笑んだ。

「ふーん……」

美しくカールした金色の髪を指に巻き付け、エリルローゼはその先の計画を考えてうっとりと鼻を鳴らしたのだった。



翌日、一人の祐筆が誘拐された。
それは事件にならなかった。

臨時で雇われたばかりの新人であり、異国の言語を多少理解できるということで採用されたが、それほどの実績を積み重ねていたわけでもなかった。

再び臨時の祐筆を募集する張り紙を張っていた所長は一人の騎士に詰め寄られた。

「ラーラはどこに?なぜいなくなった?」

「そ、それが……辞めるからと男が一人やってきて、臨時だったので手続きもなく、細かいことは聞きませんでした」

「どんな男だ?柄の悪そうな感じだったか?」

切羽詰まった様子の騎士の鋭い質問に公正文書作成所の所長は必死に思い出した。

「いえ、柄が悪いというより逆にきちんとした印象でした。
貴族のお屋敷で仕えておられる従者の方のような。
それで個人に雇われることにしたのかと思いました。
祐筆を雇いたいと貴族の方に頼まれて都合することがあるものですから。
お給料もいいですし」

騎士の男は蒼白になった。

「ゼイン、すまない。宿を突き止めて安心していた」

聞き込みをして戻ってきたドイルは荒い呼吸をしながら手掛かりはなかったと首を振った。

「誘拐したのは祐筆を必要とした誰かだ。とにかく探すぞ」

ゼインを追って、聞き込みから戻ってきたばかりのドイルも再び走り出した。
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