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30.満ち足りた日
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穏やかな日差しの下、少年と父親が剣の腕をふるっていた。
木刀を握ったばかりの少年はやっきになって父親に挑むが、何をどうやっても父親の木刀に攻撃の全てを弾かれてしまうのだ。
父親は楽しそうにその未熟な息子をたきつけ、さりげなく剣の握り方や体の使い方を教えていく。
そうしながら、父親はときおりちらりとリュートを傾ける妻の姿を確認した。
その凛とした美しさはやわらかな微笑みに彩られ、夫と目が合うと、その微笑みが一層華やぐようだったのだ。
父親は少しでも長く妻の姿を見ようとわざと大きな音を立てて木刀を弾き、少年を転ばせ時間を稼いだ。
爽やかな風に乗って丘の下から賑やかな笑い声が聞こえてきた。
大男が小さな娘三人連れて登ってきた。
右腕に一人抱き、その肘に別の少女がぶらさがっている。
反対側の手でまた別の少女の手を繋ぎ、脇の下にリュートを抱えていた。
向かいの公園でレッスンを終えて戻ってきた大男は娘たちを母親の傍におろしながら声をかけた。
「そろそろ俺が教えられることはないと思う」
娘たちが文句を言いだした。
「ギースに教えてもらうのがいい!」
「じゃあ遊ぶだけでもいいからぁ」
困ったようなギースにアイラはお礼を言って、娘たちが迷惑をかけていないか心配した。
「いや、大丈夫だ」
その光景を夫は少し心配そうにうかがった。
大男に向けられる妻の眼差しが愛する者に向けるようなものではないか確かめようとしたのだ。
息子の攻撃を受け止めながら、さりげなく妻の表情が見える位置へ移動しようとしたとき、鈍い音と共に父親の脛に鋭い痛みが走った。
「わっ!」
それはよそ見をしていた父親の隙をついて息子が繰り出した渾身の一撃だった。
「やった!一撃入った!」
大きな声で叫びだした少年剣士の声に驚き、振り返った一同がみたものは、脛をかかえ、尻もちをついている父親の姿だったのだ。
しまったと思った男だったが、妻が自分に向ける眼差しに、恥や嫉妬といった醜い感情の全てが吹き飛んだ。
大男が男の妻からリュートを預かると、妻は夫の傍に心配そうに近づいた。
「母さま!みた?ぼく入れたよ!」
少年の元気な声に母親は頷きその小さな体を抱きしめた。少年はそのまま今度は大男のところに走り、父親に一撃入れたと自慢し始めた。
そんな賑やかな声を後ろに聞きながら、男は自分に近づいてくる妻の姿しか見ていなかった。
「ゼイン、大丈夫?」
近づいた妻の腰を抱き寄せると、ゼインは人目も気にせず口づけし、その体を抱き込んだ。
「俺を負かしたのは君だ、アイラ。君がいると集中できない」
男らしくない言い訳に、妻は困ったように笑った。
大男が少年と剣の稽古を始める音が聞こえ始めると、娘たちのまだすこし拙いリュートの音が重なった。
幸せな音に包まれ、男は妻を腕に抱き寄せ草の中に寝そべった。
細切れの雲が澄んだ空に溶け込むように流れていくのを見上げ、男は腕の中に抱えた妻に囁いた。
「アイラ、君が傍にいる。これ以上の幸せはない」
やがてリュートを奏で、歌い始めた妻の周りに子供達が集まり、少し離れて大男が座り、町の人々が集まってきた。
夫は最も妻に近い場所で耳を澄ませていたが、夫婦二人きりになるのはなかなか難しいと思ったのだった。
セイレン国、東の名もなき小さな町に宮廷楽師にも望まれるほどの才を持つ楽師がいた。
楽師は演奏の腕だけでなく、その美貌も評判で、名だたる絵師がその姿を描こうと彼女の演奏にかけつけた。
楽器を始めるには少し遅かったといわれるが、類まれなる才能の持ち主で瞬く間に腕を上げ、その名は知れ渡り、音色を聞きに女王さえ足を運んだと言われる。
しかし楽師は決してその小さな町を出ようとはせず、愛する家族と名もなき人々のために市井の中で楽器を奏でた。
酒場の小舞台で陽気な酔っ払い達を相手に愉しげに演奏する美しい楽師を描いた肖像画がそこかしこに出回り、多くの男達が恋をしたが、その美しい楽師が愛を込めて微笑みかけるのは、騎士である夫にだけであった。
そしてその楽師の夫もまた、常に妻の傍に寄り添い、生涯の愛を誓い続けたのだった。
木刀を握ったばかりの少年はやっきになって父親に挑むが、何をどうやっても父親の木刀に攻撃の全てを弾かれてしまうのだ。
父親は楽しそうにその未熟な息子をたきつけ、さりげなく剣の握り方や体の使い方を教えていく。
そうしながら、父親はときおりちらりとリュートを傾ける妻の姿を確認した。
その凛とした美しさはやわらかな微笑みに彩られ、夫と目が合うと、その微笑みが一層華やぐようだったのだ。
父親は少しでも長く妻の姿を見ようとわざと大きな音を立てて木刀を弾き、少年を転ばせ時間を稼いだ。
爽やかな風に乗って丘の下から賑やかな笑い声が聞こえてきた。
大男が小さな娘三人連れて登ってきた。
右腕に一人抱き、その肘に別の少女がぶらさがっている。
反対側の手でまた別の少女の手を繋ぎ、脇の下にリュートを抱えていた。
向かいの公園でレッスンを終えて戻ってきた大男は娘たちを母親の傍におろしながら声をかけた。
「そろそろ俺が教えられることはないと思う」
娘たちが文句を言いだした。
「ギースに教えてもらうのがいい!」
「じゃあ遊ぶだけでもいいからぁ」
困ったようなギースにアイラはお礼を言って、娘たちが迷惑をかけていないか心配した。
「いや、大丈夫だ」
その光景を夫は少し心配そうにうかがった。
大男に向けられる妻の眼差しが愛する者に向けるようなものではないか確かめようとしたのだ。
息子の攻撃を受け止めながら、さりげなく妻の表情が見える位置へ移動しようとしたとき、鈍い音と共に父親の脛に鋭い痛みが走った。
「わっ!」
それはよそ見をしていた父親の隙をついて息子が繰り出した渾身の一撃だった。
「やった!一撃入った!」
大きな声で叫びだした少年剣士の声に驚き、振り返った一同がみたものは、脛をかかえ、尻もちをついている父親の姿だったのだ。
しまったと思った男だったが、妻が自分に向ける眼差しに、恥や嫉妬といった醜い感情の全てが吹き飛んだ。
大男が男の妻からリュートを預かると、妻は夫の傍に心配そうに近づいた。
「母さま!みた?ぼく入れたよ!」
少年の元気な声に母親は頷きその小さな体を抱きしめた。少年はそのまま今度は大男のところに走り、父親に一撃入れたと自慢し始めた。
そんな賑やかな声を後ろに聞きながら、男は自分に近づいてくる妻の姿しか見ていなかった。
「ゼイン、大丈夫?」
近づいた妻の腰を抱き寄せると、ゼインは人目も気にせず口づけし、その体を抱き込んだ。
「俺を負かしたのは君だ、アイラ。君がいると集中できない」
男らしくない言い訳に、妻は困ったように笑った。
大男が少年と剣の稽古を始める音が聞こえ始めると、娘たちのまだすこし拙いリュートの音が重なった。
幸せな音に包まれ、男は妻を腕に抱き寄せ草の中に寝そべった。
細切れの雲が澄んだ空に溶け込むように流れていくのを見上げ、男は腕の中に抱えた妻に囁いた。
「アイラ、君が傍にいる。これ以上の幸せはない」
やがてリュートを奏で、歌い始めた妻の周りに子供達が集まり、少し離れて大男が座り、町の人々が集まってきた。
夫は最も妻に近い場所で耳を澄ませていたが、夫婦二人きりになるのはなかなか難しいと思ったのだった。
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楽師は演奏の腕だけでなく、その美貌も評判で、名だたる絵師がその姿を描こうと彼女の演奏にかけつけた。
楽器を始めるには少し遅かったといわれるが、類まれなる才能の持ち主で瞬く間に腕を上げ、その名は知れ渡り、音色を聞きに女王さえ足を運んだと言われる。
しかし楽師は決してその小さな町を出ようとはせず、愛する家族と名もなき人々のために市井の中で楽器を奏でた。
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そしてその楽師の夫もまた、常に妻の傍に寄り添い、生涯の愛を誓い続けたのだった。
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