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皇太子の婚約者は暗殺者?
10.王宮見学
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「姫様、こちらの絵画は皇帝陛下のお誕生日の際、陛下の姉君より贈られたものです」
「はぁ…」
「ご夫婦、そのお子様達の幸福と長寿への願いが込められているのです」
「へぇ…」
「もう少し興味のあるフリをしましょうね、表情だけでなく」
「…はい」
次はこちらへ、とエリム夫人に案内されてシャオヤオは長い王宮の廊下を進む。と言っても今しがたのように飾られている絵画や彫刻、意匠を一つ一つ丁寧に説明されるので歩みそのものは全く進んでいない。
シャオヤオは持っていた扇で口元を隠し、静かに溜め息を吐く。エリム夫人の説明はとても分かり易くそれだけに申し訳ないのだが、今のところ芸術関係にさして興味がないシャオヤオではせっかくの説明も右耳から左耳へと抜けていくだけであまり記憶には残らない。せいぜい「綺麗」か「好み」かくらいだ。
一応真面目に聞いているように取り繕っていたのだが、エリム夫人にはバレバレである。
しかしまぁ、今回はそのフリで十分のはずなので大目に見てもらおう。姿勢、目線の位置、歩き方、そして表情。エリム夫人が押してくれた太鼓判は裏切っていないはず。
シャオヤオは扇の影から視線だけで周囲を伺う。
チラリチラリ。コソコソ。興味本位な無害の視線から何らかの悪意を込められた視線、幾つもの視線がシャオヤオを観察し、何か呟いている。
フゥッと再びシャオヤオは静かに息を吐く。
思い出すのは数日前の皇太子とのやり取りだ。
「王宮見学、しないか?」
「は?」
シカウマ事件から数日、いつものように会いに来た皇太子がそんな事を言い出した。
その日の贈り物は帝都でも人気のお菓子だとかで、メイド達が退室する前にお茶と一緒に並べてくれた。薄茶色の丸いお菓子は一口で食べられ、噛むと中からクリームが溢れ出て来る。甘いがくどさはなくさっぱりと頂ける、人気と言うだけあって美味しい。ムーダンにも食べさせてあげたいと、シャオヤオは思った。
「今のシャオヤオは与えられた専用の庭を含む一角にしか行動出来ないだろ? 表向きは」
「いちいち余計な言葉を付けんでよろしい」
「君が移動できる範囲を広げる事になった。エリム夫人の付き添いが条件とはなるが、難しく考えずにエリム夫人案内の王宮見学と思ってくれ」
「広げるって、具体的には?」
「庁舎や個人の部屋等、通常でも立ち入れない所は無理だが、逆を言えば誰でも通れる、入れる、使える個所は好きに散策してくれていい。俺の居住区にはいつでも、俺の許可なく入ってくれて構わない。ここから一番近いから、最初の目的地として打ってつけだ」
「…で、その目的は?」
シャオヤオはお茶を飲み、出掛かった言葉を喉に流し込んだ。シカウマ事件の際、皇太子からの絡みは相手をせずにサラッと流すのが一番だとセドリックから助言を貰っている。ただ完全無視は余計にウザくなるだけなので、サラッと具合の見極めが重要。殴りたくなったら負けだと思え、と。目下訓練中である。
それはともかくとして、行動範囲の拡大には何かしらの意図があるはず。ここでの生活に慣れてきたとは言え、シャオヤオは暗殺者だ。皇太子とてそれを忘れたわけではあるまい。…多分。
そもそもその条件なら、それらの個所は既に夜の内に探索済み。エリム夫人の案内で詳しく知れる利点はあるが、皇太子側の意図によってはわざわざ行く必要はない。
「この前の件以降、サモフォルの姫とはどのような人物か? と王宮内での興味が高まっていてね。入城以降全く姿を見せない臆病な平民の姫と思いきや、投げ込まれた動物を食べてしまうような野生児ときた」
「誰が野生児だ」
「エリム夫人の教育は進んでいるのか、姿を見せないのは見せられない程に粗暴なのではないのか、そんなのを本当に皇太子の婚約者にひいては未来の帝国皇妃にしてよいのか。とまぁ性根の腐った連中が嬉々として話してくれている。擁護派もいるのだけど、何分実物を知らないではその言も弱い」
「まさか…その連中の相手をしろ、なんて言わないわよね」
「シャオヤオがそんな面倒くさい事をする必要はない。君はただ、エリム夫人に案内されてのんびりと王宮を見学してくれればいい。相談したところ、それだけで大半の奴は黙るとエリム夫人が太鼓判を押してくれた」
「…よく分からない」
「君の所作は粗暴な野生児なんて根も葉もない噂を吹き飛ばす程に美しいと言う事だよ。仮に誰かに話し掛けられても相手にする必要はない。エリム夫人や他の者に任せて、城の装飾でも眺めていればいい」
要はサモフォルの姫の姿を興味津々な輩に見せてやろうと言う話だ。珍獣か、見世物じゃないぞ。
はっきり言って面倒である。シャオヤオがそう思うと分かっているから、皇太子も王宮見学なんて名を付けているのだろう。
暗殺者としては下手に顔を晒すのは避けたい。このまま表に出ず、雇い主であるダスティシュの指示を受け次第、皇太子を暗殺してとんずらする事こそ望ましいのだ。
しかし…シャオヤオは考える。
ここ最近、具体的には皆で美味しい鹿肉を頂いてから、屋敷の外から戻ってくる使用人の様子がおかしい事が度々あった。シャオヤオが見るに彼等、彼女等は何かに怒っていた。当人達は何でもございませんの一点張りで、実際上手く取り繕っていたが。何か嫌な事でもあったのだろうと都度流していたけれど、ひょっとしてサモフォルの姫について知りたがる輩に絡まれでもしたのだろうか。タイミングから見て大いにあり得る。
「見学するだけでいいのね?」
「あぁ。新設されてまだ間がない王宮だ、綺麗なモノだよ」
シャオヤオが表を歩くだけで煩い輩が黙ると言うのには、正直半信半疑だ。だがエリム夫人が言うのならそうなのだろう。そこに疑う余地はない。
今だけの短い付き合いにしかならないが、使用人達には世話になっている。自分のせいで、自分の為に彼等、彼女等が不快な思いをしていると聞けば、気に入らないと思うくらいの情は湧いている。
「世話になっている分の借りは、返すとしますかね」
そうして、サモフォル王国シャオヤオ姫の王宮見学が行われる事になった。
いざ与えられていた一角を出てみて分かったのは、今までの生活が守られていたと言う事実。関係者以外の立ち入りは禁止され、覗き見る目も排除されていた。
平民育ちの、しかも長年のクーデターで潰れ掛けている王国の姫へ向けられる目は思う以上に多い。敵意、警戒、嘲笑、値踏みするような視線があちらこちらから、ただ歩いているだけで注がれる。
尤も、それらに怯えるようなか弱いシャオヤオではない。言いたい事があるなら目の前に来いや! と言いたい言葉と苛立ちを扇で顔と共に覆い隠し抑えているくらいだ。それに本当に来たところで、シャオヤオが相手にする事とはない。実際に話し掛けてくるつわものはいるにはいたが、事前の話通りエリム夫人が言葉巧みに追い返してしまうので。
それこそ扇で顔を覆って背を向けていればいい。殴りたいという本音と共に。
「本当に歩いているだけで片付くのかな…」
「あら、お気付きではありませんでした? 最初の時と比べて、視線の数は大分減っておりますよ」
「それは…まぁ。正直、謎…」
「ふふふ、得てして世は謎なモノばかりですわ」
クスクスと楽しそうに笑うエリム夫人に、シャオヤオは分からないが分からないなりに、そう言うモノなのかと飲み込む事にした。貴族、王宮、上流社会、シャオヤオには分からない事ばかりである。
三度溜め息を吐くと後ろを付いて来ていたメイド達の華やいだ声に振り返る。
見ればシャオヤオのメイドだけでなく、確認できる範囲の女性達も皆が同じ方を見ていた。それに釣られるようにシャオヤオもそちらの方へと視線を向ければ、見慣れた人物ともう1人。
「殿下とガーデンベルグ侯爵家の」
「アズ様だわ。最近お見かけしていなかったら気になっていたのだけど、何て幸運なのかしら」
「お揃いになると絵になるわ」
「セドリック様はいらっしゃらないの?」
コソコソと、しかしシャオヤオへ向けるのとは明らかに違う軽やかな女性達の声があちらこちらから聞こえてくる。
彼女達の視線を追って見れば、大きなガラス窓と垣根に隔てられた向こう側の先に皇太子と、遠目からでも分かる煌びやかな美女がいた。注目を集めているのは間違いなくこの2人だ。
皇太子の方はいいとして、美女の方をシャオヤオは知らない。だが漏れ聞こえた「アズ」と言う名前は、確か以前に皇太子がセドリックと同じく仲の良い幼馴染として上げていたはず。こうしている間も2人は何やら楽しげに話しており、その気さくな様子から見てもそれと間違ってはいないだろう。口振りから勝手に男だと思っていたが、女だったようだ。
綺麗な長い金髪に、一見すれば派手だが見事な着こなしでそうと感じさせない豪華な衣装。まるで絵に描いたお姫様そのものである。歩幅や手振りはやや大きく男勝りと言う言葉が出てくるが、皇太子と並んでも殆ど差がない、女性としてはかなりの高身長の彼女だからこそ衣装と同じく違和感はない。
目を引くとはこの事か。皇太子と絵にはなるが、完全に皇太子の方が引き立て役だ。
ついマジマジと眺めていると、視線に気付きでもしたのか、アズ令嬢と目が合った。
皇太子に一言二言告げると、シャオヤオに向かって手を上げて挨拶を送る皇太子の隣でアズ令嬢もシャオヤオへ頭を下げる。スカートを摘まんだ、所謂カーテシーではなく胸に手を添えたまるで男性のような礼の取り方。背の高い彼女には妙に似合っていて、女性達が騒ぐ理由も理解出来た。目を引く程の煌びやかな美人なのに、カッコいいのだ。
「成程ねぇ…」
距離的に皇太子がこちらに来る事は流石になく、シャオヤオの方も挨拶を軽く返してから各々がそれぞれの方へと向かう。
引き続きエリム夫人に王宮を案内してもらいながら、シャオヤオは何となく思う。アズと言う令嬢、侯爵令嬢と言う地位に皇太子とのあの気心知れた様子、何より揃うと絵になるとの声。ひょっとして、本来の皇太子の婚約者候補だったのではないだろうか…と。
皇太子に今の年齢まで婚約者がいなかった事の方が不思議だし、フリーデン帝国ほどの超大国にもなれば、政略結婚を申し込まれる事はあっても申し込む必要は本来ない。アズ令嬢とは幼馴染と言うし、昔から内々に決まっていたと言うのなら、寧ろ納得出来る。
それなのに、よく知らない異国の姫…しかも中身は暗殺者。そんなのと破棄前提期限付きとは言え国の為に婚約する事になるなんて、皇太子と言う立場も大変だ。初めて皇太子に同情した。
しかしだからと言って遠慮するつもりはない。皇太子の都合なんて、シャオヤオには関係ないのだ。
アズ令嬢には悪いが暗殺の指示が出ればシャオヤオは皇太子の首を取る。今度こそ絶対に。
ダスティシュとサモフォルの反乱軍が何かを理由に方針を変える事を、アズ令嬢には願っていてもらおう。
「はぁ…」
「ご夫婦、そのお子様達の幸福と長寿への願いが込められているのです」
「へぇ…」
「もう少し興味のあるフリをしましょうね、表情だけでなく」
「…はい」
次はこちらへ、とエリム夫人に案内されてシャオヤオは長い王宮の廊下を進む。と言っても今しがたのように飾られている絵画や彫刻、意匠を一つ一つ丁寧に説明されるので歩みそのものは全く進んでいない。
シャオヤオは持っていた扇で口元を隠し、静かに溜め息を吐く。エリム夫人の説明はとても分かり易くそれだけに申し訳ないのだが、今のところ芸術関係にさして興味がないシャオヤオではせっかくの説明も右耳から左耳へと抜けていくだけであまり記憶には残らない。せいぜい「綺麗」か「好み」かくらいだ。
一応真面目に聞いているように取り繕っていたのだが、エリム夫人にはバレバレである。
しかしまぁ、今回はそのフリで十分のはずなので大目に見てもらおう。姿勢、目線の位置、歩き方、そして表情。エリム夫人が押してくれた太鼓判は裏切っていないはず。
シャオヤオは扇の影から視線だけで周囲を伺う。
チラリチラリ。コソコソ。興味本位な無害の視線から何らかの悪意を込められた視線、幾つもの視線がシャオヤオを観察し、何か呟いている。
フゥッと再びシャオヤオは静かに息を吐く。
思い出すのは数日前の皇太子とのやり取りだ。
「王宮見学、しないか?」
「は?」
シカウマ事件から数日、いつものように会いに来た皇太子がそんな事を言い出した。
その日の贈り物は帝都でも人気のお菓子だとかで、メイド達が退室する前にお茶と一緒に並べてくれた。薄茶色の丸いお菓子は一口で食べられ、噛むと中からクリームが溢れ出て来る。甘いがくどさはなくさっぱりと頂ける、人気と言うだけあって美味しい。ムーダンにも食べさせてあげたいと、シャオヤオは思った。
「今のシャオヤオは与えられた専用の庭を含む一角にしか行動出来ないだろ? 表向きは」
「いちいち余計な言葉を付けんでよろしい」
「君が移動できる範囲を広げる事になった。エリム夫人の付き添いが条件とはなるが、難しく考えずにエリム夫人案内の王宮見学と思ってくれ」
「広げるって、具体的には?」
「庁舎や個人の部屋等、通常でも立ち入れない所は無理だが、逆を言えば誰でも通れる、入れる、使える個所は好きに散策してくれていい。俺の居住区にはいつでも、俺の許可なく入ってくれて構わない。ここから一番近いから、最初の目的地として打ってつけだ」
「…で、その目的は?」
シャオヤオはお茶を飲み、出掛かった言葉を喉に流し込んだ。シカウマ事件の際、皇太子からの絡みは相手をせずにサラッと流すのが一番だとセドリックから助言を貰っている。ただ完全無視は余計にウザくなるだけなので、サラッと具合の見極めが重要。殴りたくなったら負けだと思え、と。目下訓練中である。
それはともかくとして、行動範囲の拡大には何かしらの意図があるはず。ここでの生活に慣れてきたとは言え、シャオヤオは暗殺者だ。皇太子とてそれを忘れたわけではあるまい。…多分。
そもそもその条件なら、それらの個所は既に夜の内に探索済み。エリム夫人の案内で詳しく知れる利点はあるが、皇太子側の意図によってはわざわざ行く必要はない。
「この前の件以降、サモフォルの姫とはどのような人物か? と王宮内での興味が高まっていてね。入城以降全く姿を見せない臆病な平民の姫と思いきや、投げ込まれた動物を食べてしまうような野生児ときた」
「誰が野生児だ」
「エリム夫人の教育は進んでいるのか、姿を見せないのは見せられない程に粗暴なのではないのか、そんなのを本当に皇太子の婚約者にひいては未来の帝国皇妃にしてよいのか。とまぁ性根の腐った連中が嬉々として話してくれている。擁護派もいるのだけど、何分実物を知らないではその言も弱い」
「まさか…その連中の相手をしろ、なんて言わないわよね」
「シャオヤオがそんな面倒くさい事をする必要はない。君はただ、エリム夫人に案内されてのんびりと王宮を見学してくれればいい。相談したところ、それだけで大半の奴は黙るとエリム夫人が太鼓判を押してくれた」
「…よく分からない」
「君の所作は粗暴な野生児なんて根も葉もない噂を吹き飛ばす程に美しいと言う事だよ。仮に誰かに話し掛けられても相手にする必要はない。エリム夫人や他の者に任せて、城の装飾でも眺めていればいい」
要はサモフォルの姫の姿を興味津々な輩に見せてやろうと言う話だ。珍獣か、見世物じゃないぞ。
はっきり言って面倒である。シャオヤオがそう思うと分かっているから、皇太子も王宮見学なんて名を付けているのだろう。
暗殺者としては下手に顔を晒すのは避けたい。このまま表に出ず、雇い主であるダスティシュの指示を受け次第、皇太子を暗殺してとんずらする事こそ望ましいのだ。
しかし…シャオヤオは考える。
ここ最近、具体的には皆で美味しい鹿肉を頂いてから、屋敷の外から戻ってくる使用人の様子がおかしい事が度々あった。シャオヤオが見るに彼等、彼女等は何かに怒っていた。当人達は何でもございませんの一点張りで、実際上手く取り繕っていたが。何か嫌な事でもあったのだろうと都度流していたけれど、ひょっとしてサモフォルの姫について知りたがる輩に絡まれでもしたのだろうか。タイミングから見て大いにあり得る。
「見学するだけでいいのね?」
「あぁ。新設されてまだ間がない王宮だ、綺麗なモノだよ」
シャオヤオが表を歩くだけで煩い輩が黙ると言うのには、正直半信半疑だ。だがエリム夫人が言うのならそうなのだろう。そこに疑う余地はない。
今だけの短い付き合いにしかならないが、使用人達には世話になっている。自分のせいで、自分の為に彼等、彼女等が不快な思いをしていると聞けば、気に入らないと思うくらいの情は湧いている。
「世話になっている分の借りは、返すとしますかね」
そうして、サモフォル王国シャオヤオ姫の王宮見学が行われる事になった。
いざ与えられていた一角を出てみて分かったのは、今までの生活が守られていたと言う事実。関係者以外の立ち入りは禁止され、覗き見る目も排除されていた。
平民育ちの、しかも長年のクーデターで潰れ掛けている王国の姫へ向けられる目は思う以上に多い。敵意、警戒、嘲笑、値踏みするような視線があちらこちらから、ただ歩いているだけで注がれる。
尤も、それらに怯えるようなか弱いシャオヤオではない。言いたい事があるなら目の前に来いや! と言いたい言葉と苛立ちを扇で顔と共に覆い隠し抑えているくらいだ。それに本当に来たところで、シャオヤオが相手にする事とはない。実際に話し掛けてくるつわものはいるにはいたが、事前の話通りエリム夫人が言葉巧みに追い返してしまうので。
それこそ扇で顔を覆って背を向けていればいい。殴りたいという本音と共に。
「本当に歩いているだけで片付くのかな…」
「あら、お気付きではありませんでした? 最初の時と比べて、視線の数は大分減っておりますよ」
「それは…まぁ。正直、謎…」
「ふふふ、得てして世は謎なモノばかりですわ」
クスクスと楽しそうに笑うエリム夫人に、シャオヤオは分からないが分からないなりに、そう言うモノなのかと飲み込む事にした。貴族、王宮、上流社会、シャオヤオには分からない事ばかりである。
三度溜め息を吐くと後ろを付いて来ていたメイド達の華やいだ声に振り返る。
見ればシャオヤオのメイドだけでなく、確認できる範囲の女性達も皆が同じ方を見ていた。それに釣られるようにシャオヤオもそちらの方へと視線を向ければ、見慣れた人物ともう1人。
「殿下とガーデンベルグ侯爵家の」
「アズ様だわ。最近お見かけしていなかったら気になっていたのだけど、何て幸運なのかしら」
「お揃いになると絵になるわ」
「セドリック様はいらっしゃらないの?」
コソコソと、しかしシャオヤオへ向けるのとは明らかに違う軽やかな女性達の声があちらこちらから聞こえてくる。
彼女達の視線を追って見れば、大きなガラス窓と垣根に隔てられた向こう側の先に皇太子と、遠目からでも分かる煌びやかな美女がいた。注目を集めているのは間違いなくこの2人だ。
皇太子の方はいいとして、美女の方をシャオヤオは知らない。だが漏れ聞こえた「アズ」と言う名前は、確か以前に皇太子がセドリックと同じく仲の良い幼馴染として上げていたはず。こうしている間も2人は何やら楽しげに話しており、その気さくな様子から見てもそれと間違ってはいないだろう。口振りから勝手に男だと思っていたが、女だったようだ。
綺麗な長い金髪に、一見すれば派手だが見事な着こなしでそうと感じさせない豪華な衣装。まるで絵に描いたお姫様そのものである。歩幅や手振りはやや大きく男勝りと言う言葉が出てくるが、皇太子と並んでも殆ど差がない、女性としてはかなりの高身長の彼女だからこそ衣装と同じく違和感はない。
目を引くとはこの事か。皇太子と絵にはなるが、完全に皇太子の方が引き立て役だ。
ついマジマジと眺めていると、視線に気付きでもしたのか、アズ令嬢と目が合った。
皇太子に一言二言告げると、シャオヤオに向かって手を上げて挨拶を送る皇太子の隣でアズ令嬢もシャオヤオへ頭を下げる。スカートを摘まんだ、所謂カーテシーではなく胸に手を添えたまるで男性のような礼の取り方。背の高い彼女には妙に似合っていて、女性達が騒ぐ理由も理解出来た。目を引く程の煌びやかな美人なのに、カッコいいのだ。
「成程ねぇ…」
距離的に皇太子がこちらに来る事は流石になく、シャオヤオの方も挨拶を軽く返してから各々がそれぞれの方へと向かう。
引き続きエリム夫人に王宮を案内してもらいながら、シャオヤオは何となく思う。アズと言う令嬢、侯爵令嬢と言う地位に皇太子とのあの気心知れた様子、何より揃うと絵になるとの声。ひょっとして、本来の皇太子の婚約者候補だったのではないだろうか…と。
皇太子に今の年齢まで婚約者がいなかった事の方が不思議だし、フリーデン帝国ほどの超大国にもなれば、政略結婚を申し込まれる事はあっても申し込む必要は本来ない。アズ令嬢とは幼馴染と言うし、昔から内々に決まっていたと言うのなら、寧ろ納得出来る。
それなのに、よく知らない異国の姫…しかも中身は暗殺者。そんなのと破棄前提期限付きとは言え国の為に婚約する事になるなんて、皇太子と言う立場も大変だ。初めて皇太子に同情した。
しかしだからと言って遠慮するつもりはない。皇太子の都合なんて、シャオヤオには関係ないのだ。
アズ令嬢には悪いが暗殺の指示が出ればシャオヤオは皇太子の首を取る。今度こそ絶対に。
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