ムーヴ・べイン

オリハナ

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【2・魔法の流星群 編 (後編)】

7・のっぽからの贈り物①

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 優兎ゆうとが忙しなく表情を変えているその間、ティムは優兎の体越しにそっと事態をうかがっていた。ティムもまたジールと同じで、シュリープ(かい)に殺される寸でのところで子供シュリープに触れられたので、眼前の異形の正体が見えていた。
 だが、あまり人間を目にしてこなかったティムにとっては数が多すぎて、怖いというよりかは漠然とただすごいな、としか頭が働かなかった。

「うわあ……もうよく分からないものになっちゃった」

 ティムは不安を抑えるようにポシェットのひもを握り締めた。

「世界中のなまの人間達をギュッと集めると、あんなふうに酷い事になっちゃうのかな。ね、魔物さん」

 ティムの問いかけに、膝の上にいたベリィは何の反応も示さなかった。というより、じっとどこかを見ているようである。

「魔物さん?」

 目線の先を追うと、シュリープ(ごく)ではなく像のある方向に合わさり、首をひねる。と、突然ベリィが膝の上から動き出した。

「ど、どこ行くの?」

 ベリィの行動にビックリしたティムは、声をひそめて早く戻るように言った。だがベリィはどんどん離れていってしまう。戻るつもりはないようだ。

 仕方なく、ティムはベリィを連れ戻すべく自身も動き出す。シュリープ(極)に目をつけられたくないので、出来るだけ体勢を低くし、膝をついて進む。ベリィの動きはのろのろと遅かったので、すぐに捕まえる事が出来た。

「ダメだよう、動いちゃあ。お兄ちゃん達のそばで大人しくしてないと」

 シュリープ(極)をチラリと見て、ティムは言い聞かせた。しかしベリィは離してほしいと言っているかのように体を捻らせる。するとその時、ぐわんとツタがたわんで悲鳴が上がった。ツタの端に目をやると、なんと足跡がこちらに向かって来ていたのだ。まるでそこに透明の人間がいて、木に登って来るみたいに足跡、引っ掻いた爪の跡まで残されて行く。

「まずい! みんな、一旦魔法を解くよ! 飛び降りて!」

 床の足跡が消えているのを確認するや否や、ジールは一番に飛び降りて新たな植物を育てた。ふかふかでオオオニバスに似た植物。ここに飛び込んで着地しろという事だ。

「ティム!」「ティムちゃん!」「ティムさん!」

 飛び込む前に、皆が一斉に気にかかった子の名を呼んだ。しかし、肝心のティムは手の届く場所におらず、しかも葉の下からズレた場所にいた。

「あわ……あわわわわ……っ!」

「ティムちゃん! どうしてそんなところにいるの!?」

「パニックになってやがる! くそっ! ティム、そこで待ってろ!」

 アッシュが駆け寄ろうとすると、またツタが大きく揺れて、上にいた全員が宙に放り出されてしまった。ジールが葉の範囲を広げる。ニーナが身をよじらせ弾丸を一発、反動で優兎に背をぶつけて範囲内に誘導。アッシュがミントの襟首を掴む。ミントが風の魔法を放って落下速度の低下を狙う――が、ティムには届かない!
 だが葉の範囲が広くなった事で、ティムは地面との衝突を免れた。それでもギリギリの端っこの方であり、コロコロと転がって行ってしまう。

 勢いを失って止まった場所は、まさにシュリープ(極)の目と鼻の先であった。――まずい早くバリアの発動をッ! 優兎は仰向けになったまま筋が切れんばかりに手を伸ばした。反転した視界の中、小さな背中――ティムは体を丸めて目をぎゅうっとつむった。

 見ていた誰もがもう助からないと思った。ところがその時、信じられない事が起こった。どういうわけか、パーツの動き、走り寄って来ていた足跡の何もかもがピタッ……と止まったのだ。

 いや、止まったというよりかは冷静になったと言うべきか。足跡はすべて乾いたように消え去り、浮かんでいたシュリープ(極)は地面に突き刺さった。ティムを見据えているその目や口は総じて震えており、どこか怯えているように感じられた。

 この変化は何だ? あのわずかな間に何が起こったというんだ。優兎は体を起こして、そろそろと慎重にティムの元に歩んで行く。その間も、得物をおびき寄せる罠でも何でもなく、大人しくそこにじっとしており、とうとうティムの元へ辿り着いても何も仕掛けては来なかった。

 優兎はシュリープ(極)を仰ぎ見ながら、頭をフル回転させた。――そうだ、弱点。ユニはシュリープの弱点について何て言ってたっけ?


 シュリープは、とある呪文を恐れる。

 神様には通用しないが、魂と激情の寄り集めだからこそ、彼らの芯に突き刺さる。

 そんな呪文を、僕は知りすぎている程に知っている――


 優兎はカッと目を見開いた。

「ティム。今さっき、襲われそうになった時――」

 しゃがみ込んでティムの肩に手を乗せ、その大きな瞳を見つめて。

「――『死にたくない』って、思った?」

 ドクン、と心臓が大きく脈を打つ。辺りが静寂に包み込まれた。崩れた破片が穴の底に落ちても耳に入らなかった。

 優兎に問われたティムは、パチパチと目を瞬かせると、ゆっくりと頷いた。

 死にたくない……死にたくない……。その一言が発せられると、シュリープ達の顔のパーツがドロリと溶けた。その反応に優兎は確信を得ると、くるりと向きを変える。

「みんな、聞いて。シュリープのもう一つの弱点が分かったよ。シュリープは『死にたくない』……『生きていたい』でもいいかもしれない。とにかく、そういった生への強い気持ちを恐れている」

 周りの仲間達は、戸惑った様子で顔を見合わせた。

「恨みを種に留まっている魂に対して『死にたくない』という思いが通じるだなんて、逆に怒らせてしまうんじゃ? と思っちゃいますけど――」ニーナはチラリと横を見た。

「いや、本当に怖がってるよ。みんな悶えて……ん?」ジールは目を細めた。

「違う……。悲しんでいるんだ。手で顔を覆ったり、そでで涙を拭ったりしてる」

 ジールの言葉に従うように、各所から色が流れ落ちていく。呪いを受けていない者の目からも、それは泣いているように感じられた。

『盤面クリアだ。ほとんど泣き虫の手柄だが、とりあえず褒めてやるとしよう。ああなっては恨みに染まるのに時間が掛かろう』

 ユニは退屈そうにフッと息を吐き出した。

『貴様は愚鈍だが、助言の解説をわざわざしてやる必要は――無用らしいな』

 優兎の思考を読んで中断する。優兎の中では幼少期の記憶がまざまざと呼び起こされていた。病院特有の匂い、薄く味付けされた食事、清潔、それでいて日常から突き放されたような孤独感や冷たさを感じさせる、一人きりの空間。不安を煽る検査、検査、終わりのない検査――

 窓を開放していると、元気になって病院から去って行く、子供や大人達の明るい声が聞こえた。羨ましく思った。来週にはきっと、いや、来月こそは自分も――。けれど、完治したと告げられても、またすぐに別の症状が現れて病院に送り込まれる。
 もはやもう一つの帰る場所となったベッドに横たわるたびに、もう嫌だと涙した。かつての元気だった自分に戻りたい。生きたい。死にたくなんかないと、幼い子供にしては早すぎる切なる願いを胸に抱えて、小さな指同士を絡ませた。

「死にたくない」という言葉を恐れるミジュウル・バイ・シュリープ。生への渇望であるはずの言葉をユニがわざわざ「呪文」と言い換えたのは、生前幾度も願ったのにも関わらず、報われずに息絶えた、絶望の言葉だからなのか。

(……ユニ、彼らを何とかしてあげられないかな。ユニは神様なんでしょう? 天国へ送ってあげる事って、出来ないのかな)

 優兎の声に、ユニはそっけなく『なぜ』と返した。優兎は答えた。ニーナにシュリープだと勘違いされているけれど、案外僕らは似ているのかもしれない、と。小さかった時の自分は、お見舞いに来た人達に囲まれている幸せそうな患者を妬ましいと思ったし、自分と同じく過酷な境遇に立たされた人には、同情を寄せた経験があったのだ。
 それに、『死にたくない』という言葉には、一種のトラウマみたいなものがある。

『生けるミジュウル・バイ・シュリープというわけか』

 ユニはあざ笑うでもなく、どうでも良さげに流すわけでもなく、ただぽつりと呟いた。優兎はこくんと頷いた。

『……いいだろう。どの道この目障りな遺物は捨て置けん。そのついでとして聞いてやってもいい』

(出来るの?)

『誰にものを尋ねている。ボクは神だぞ? 出来ぬ事など、何も――』

 一瞬、ユニは言葉を詰まらせた。が、すぐに『ない!』と語気を強めて言い張った。ああ、こりゃあるんだなと優兎は思ったが、それ以上追求はしなかった。
 ユニは優兎に何も告げずに、頭の中から消えた。
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