ムーヴ・べイン

オリハナ

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【2・魔法の流星群 編 (後編)】

9・おかしな四人①

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 〈ダルシェイド大陸〉から北西に位置する、〈エルカディア大陸〉の森の、とある場所。普遍的な森に比べ、窮屈な息苦しさとよどんだ色を蓄えた森林地帯から抜けたそこには、古城があった。

 町と湖に囲まれた崖の上に建つ大きな城で、高さは権力の象徴であるとばかりに伸びたとんがり屋根の塔が幾本も。崖をぐるりと囲う広い湖は、夜には月明かりや星の瞬きを、風の穏やかな快晴日には鏡と化して、湖面に白亜の城が映し出された、それはそれは美しい建造物として、当時の城主もさぞや鼻を高くしていた事だろう。

 だがそれも、昔々の物語。

 月明りさえもおぼろげになってしまう程の濃い瘴気しょうきまみれた寒空の下、ぼうっと佇む古城。電気となるエネルギーがとうに切れているので、湖の底に不気味に揺らめく青白い光が、唯一の灯火ともしび
 それでも尚、その薄気味悪い様相から、ホラー作品の舞台となるには充分な潜在能力を備えていた。が、残念な事に大陸の外はおろか、城の当主や湖を隔てた城下に巣食う、人とは呼べぬ醜悪な住人も誰一人として城の価値に、歴史に興味がない。〈ノズァーク城〉として建物の分類上、かろうじて認められている程度で、後はだだっ広い住居以上の意味を見出していないのだった。

 さて、事は優兎ゆうと達がリッテの花を見つけるまで、ほんの少し遡る。

 それはユニが聖堂を破壊し、解放されたミジュウル・バイ・シュリープ達が天へと旅立って行く時刻に当たる。シュリープ達は一人一人が魔法の色の輝きを持っていたので、聖堂から遠く離れたここ、〈ノズァーク城〉内でも、光の集まりが見えた。普段見る事の出来ないその希有な光景を、優兎達だけでなく彼女らもまた、目撃していた。

「ねえ! ねえねえねえ! あそこ、何かキラキラ光ってない? 何かしら!」

 暗がりの室内から窓を開けてやって来たその女は、崖の上に突き出たバルコニーの手すりを握り込んで、大声を上げた。女の姿は黒い瘴気に紛れてハッキリとは見えないが、すすけた月明かりによって、古びたクマのぬいぐるみを片方の腕で抱きかかえている様子だけはとらえる事が出来た。

「ひとーつ、ふたーつ、みーっつ……うわあん! 数えらんなーい!」

 高い声を上げて、女は前後に手すりを揺らした。女がはしゃぐたびにミッシミッシと手すりも悲鳴を上げる。バルコニーのそばのイスで片足をブラブラさせていた少女は、血の気のない指で壁の影と同等のトーンをした髪を掻いて、溜息をついた。

「バラ、あんたあんまりバカみたいに騒いでると、下に落っこちるわよ」

 その時、女の手から大きな塊が落ちた。ぬいぐるみだ。ぬいぐるみはいとの伸び切った目のボタンを揺らしながら真っ逆さまに落下していって、闇の中へ消えてしまった。

 ひゅうう……と風が吹く。女は目をまん丸にして、手すりから身を乗り出した。

「――ぬいぐるみみたいに」

「あらやだ。あんたの言う通りねベリア。あたいのベティちゃん、消えちゃった。――ぅあ"ああああんッ! 胸が苦しいッ! ベティちゃんはあたいの大事な大事な、大切で大変にとっても命と引き換えにしてもいいくらいに大好きでしょうがない十年来のお友達なのに! 寝る時も食事する時もお風呂に入る時だってずーっと一緒だったのに! ああ、ああ! 心が痛いわあ。何だか吐き気もする。……お医者さんに見てもらおうかしら。くすん」

 バラと呼ばれた女は床にへたり込んで、自分の身を抱き締めた。一見すると芝居がかっているように思えるが、バラは本当にベティを失った事を、心の底から悲しんでいた。自ら十年続いた仲だと公言しているのだ。大事だという気持ちは本物であるし、その目にはうっすらと涙まで。

 ――ただ、ベティはしっかりと腕の中に抱かれていたので、そんなに簡単には落ちないはずだが。

 わざとなのかわざとじゃないのか、分からない女だわ、と少女ベリアは思った。だがそれなりにバラとの付き合いがある彼女は、どうせ、と勝手に決めつけて鼻を鳴らした。

「うはははは! 、お前まーた汚ねえぬいぐるみ一個ダメにしたのか! 昼間にうっかり肉と一緒にひき肉機にかけちまったばっかりじゃんか。バカだなお前!」

 バラは異常な速さで振り向いた。声の主である男は、バルコニーからそう離れていないところに置いてある長テーブルの上に、胡座あぐらをかいて座っていた。一人酒を楽しんでいる。男は残り半分になった酒を一気に飲み干して、グラスの中を空にした。

「そんなに悲しいんなら、オレ様が取って来てやろうか?」

 男はすっくと立ち上がると、テーブルの上をつまみの乗った皿を踏み潰しながら歩いて行って、ぴょんと軽やかな動きで手すりの上に乗っかった。

「何だよ。その辺の岩と岩の間んとこに挟まってんじゃん。取れない事はないぞ、この偉大なるオレ様にかかればなっ! ちょいちょーいと行って来てやんよ、ドジ女」

 そう言うと、男はふっと跳躍して闇の中へ飛び込んで行った。取ってくるだけなのに、崖の突き出た場所に指を掛けて飛び上がったり、側面を走ったり、宙返りを決めたりと無駄でしかない無駄な動きをしている。

 しばらくすると、男は戻って来て再び手すりの上に乗っかった。手元には約束通りベティが、首根っこを強く締めた状態で握られている。男は先の尖った爪と爪でベティを放ってやると、「ハッハッハ! 遊んでたら忘れるとこだったぜ!」と元気の有り余った様子で笑った。

 バラは忌々しそうな目で男と汚れたベティを見ると、男をキッと睨んで叫んだ。

「余計な事するんじゃないわよ!」

 バラはベティの頭部をわしづかみにすると、湖へ向かって投げ捨てた。頭部と胴体が空中で引き千切れ、使い古しのボロボロの綿を散らして消えて行く。やはりわざとだったか、とベリア。そんな事とは知らない――気付いていないと言った方が正しいだろう――男の方は、バラの意外な行動に憤慨ふんがいはせず、ただ驚いた。

「うん? あのぬいぐるみ、大事なんじゃないのか?」

「ぬいぐるみじゃない! 愛する友達よ! う~」

「布と糸で出来てんだろ? 服じゃないんだったらぬいぐるみだろうが。ホントばっかな奴」

「あんたに言われたくないわよ、このバカ!」

「バカがバカバカ言ってるとバカにバカにされ……うん? バカバカ言い過ぎて頭がこんがらがってきたぞ? バカってなんだっけ? なんかの名前だっけか??」

「バグってるんじゃないわよ、イグサス……」 ベリアはああ面倒くさい、と額に手をやって言った。「あんたにしては至極真っ当な事を言ってるけど、あんまりそこの女に構わない方がいいわよ。あんたの常識に、バラは当てはまらないの」

「ふうん? よく分からんけど、人間って本当に理解に苦しむ生き物だな」

 尖った耳の後ろを掻いてイグサスは言った。そうしてテーブルの上へと戻ると、ふところから酒の入ったボトルを手にし、グラスに注いだ。――あのゼオブルグ山の絵が入ったラベルの酒は、確か三百年前に製造が終了したものだったっけ。ベリアは顔をしかめた。あの男、そんな貴重な酒をお釈迦しゃかにするつもりか。

 イグサスは半分くらいグラスの中を酒で埋めると、今度は別のびんを懐から取り出し、コルクを指で弾いて開けた。中には得も言われぬ赤黒い色をした、ドロドロの液体が入っている。眠気も一瞬で吹き飛んでしまう程のその強烈な生臭さは、ベリアの方にも漂って来て、ベリアはうっと鼻を摘んだ。イグサスは酒を得体の知れない液体で割ると、おいしそうにゴクゴク飲んだ。

「はああ~、それにしても、本当に綺麗な光景ね。ねえベリア。あんたはあの光が一体何なのか知ってるんじゃない?」

 バラはベリアの手を引いて、無理矢理外へ連れ込んだ。ベリアは苛立たしげにバラを見やると、光の方に目を向けた。

「ふうん。あんたが言ってたのって、あの光ね。あれは、魔力を持った奴らがいっぱい死んでるのよ」

 ベリアは冷たく言い放った。

「何百年と生きていればそりゃあ、ああいうのも目にするわよ。――でもあれだけの数は異常ね。軽く千はいってるかも。くだらない事でもやってるのかしら。アタシにとってはどうでもいい事だわ」

「きゃっ! ベリアってば博識ね! 魔法使いがたくさん死ぬと、あんなに綺麗なのが見られるのね! 今まで見てきても十数人程度のもんだったから、あたい知らなかったわ! 素敵!」

 バラはヒラヒラのスカートを揺らしながら、くるくる回った。

「あたい、光のあるところへ行きたい! ベリア、連れて行ってくれない?」

「あんたの事だから、そういう事言ってくると思った。――ハァ……。先に外に出てて。あの子連れて来るから」

 バラはやったあ! と子供のように無邪気にはしゃいで喜んだ。ベリアはさっさとバルコニーを去って、部屋の扉へと突き進む。面倒だけれど、バラはイエスと言わないとずっと頼み込んでくるに決まっている。うるさいのはごめんだ。
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