赤き破壊の魔女と踊れ

氷魚彰人

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魔術師学校潜入作戦③

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 アークは屋上の柵に凭《もた》れこの後どうするかを思案する。
 動けば動くほどに正体がバレる危険がある。大人しく昼まで屋上《ここ》で時間を潰し、時間になったら教えてもらった沢へ向かうのが一番リスクが少なくすむ。
 寝転び大の字となり流れる雲を見ていると何処からともなく食べ物の匂いが漂ってきた。
 朝から色々あり、朝食を食べ損ねたアークの腹は匂いに呼応するように鳴り始めた。

 ――一食ぐらい食べずとも問題ない。

 アークの思いに反して腹の虫はその音を盛大かつ絶え間なく鳴り響かせる。
 暫くは無視するものの鳴り止む事のない腹の虫に耐えかね身体を起こす。
 慌てて家を出た為所持金はないが、文化祭出し物の試作品を作っている者に頼めば何か分けてもらえるかもしれない。
 そう思い鳴り響く腹を黙らせるべく立ち上がり、出入り口へと向かう。
 扉を開けようとノブへ手をかざすと扉はひとりでに開いた。
 現れた者を視認し、アークは慌てて飛び退くと持っていたマスクを掛けるが、時既に遅し。確りと顔を見られてしまった。
 出入り口を塞ぐように立ち尽くすジェリドとその隙間から四人の顔が驚きの表情で固まっていた。

 ――終わった。今度こそ本当に終わった……。

 ミルフィーにマスクを貰って直ぐに付けなかった自分の迂闊さを呪っているとジェリドが何かを呟いた。何故か顔を赤らめた状態で。
 バレたのだろうかとアークが窺っていると我に返ったジェリドは惚けていた顔を引き締めた。

「お前さっきの瓶底眼鏡だよな? 名前は……」

 ぐぅきゅるるる。
 間抜けな音によってジェリドの質問は遮られた。
 恥ずかしいやら、気まずいやらで俯いているとジェリドは振り返り友人の手から何かを奪い取り、それをアークへと投げた。

「腹減ってんだろ? それ食えよ」

 手に納まったそれは切り分けられ、可愛らしくラッピングされたビニール袋に詰められたシホォンケーキであった。

「いいのかジェリド。それ手に入れる為に朝一で登校したのによ」
「余計な事言うんじゃねーよ!」

 友人の口を塞ぐべく鳩尾に肘鉄を食らわす。
 朝一番に登校してまで手に入れたケーキ。きっと思い人が作った物なのだろう。そんな大切な物を貰うわけにはいかないと遠慮するものの言葉とは裏腹に腹はなり続ける。

「いいから食えよ。不味くても文句言うなよ」

 それだけ言うと踵を返し、冷やかす友人らを引き連れて屋上を後にした。
 正体がバレなかった安堵からアークはその場にへたり込む。
 一息つき、屋上端へ移動し、貰ったシホォンケーキを取り出すべくリボンを解いていると再び扉が開かれた。
 見れば先程箒にぶら下がった状態でアークに突っ込んできた太目の男子生徒だった。
 走ってきたのか、汗を掻き肩で息をしている。

「あーー。いたいた」

 アークの姿を確認するとかなり重めの足音と共に近寄って来た。

「ミルフィーにキミがここに居るって聞いてきたんだ」
「何かご用ですか?」
「うん。さっきは助けて貰ったのにお礼も言えなくてごめんね」
「いえ」
「それでね、お礼にね色々持って来たんだ」

 そう言うと斜めがけしていた大きなショルダーバックを開き中からサンドイッチやホッドドッグ。カップケーキやクッキーなどたくさんの食べ物を取り出してアークへ差し出した。

「何が好き? 全部?」

 どれも好きだが、さすがに全部は食べられない。
 一つを選ぶ。

「ホッドドックね。はい」

 差し出す際に若干瞳に寂しそうな影が見えた。

 ――もしかしてホッドドッグはこの人の好物だったのだろうか?

 ホッドドッグを辞退してサンドイッチを選ぶ。
 だが、再び悲しい影を見て取り、再度選び直すもののやはり悲しそうな影を落とす。
 食べる事が好きでどれも手放しがたいのだと察したアークは静かに笑った。

「気持ちだけで良いですよ。それらはご自身で食べて下さい」
「そんな駄目だよ。お礼なんだから貰ってよ」
「ですが……」

 ぐぅきゅるるる……。
 ぎゅるるるるるるる……。

 同時に響く腹の音。
 一瞬間が空き、二人は笑い合った。

「あははっ。良かったら一緒に食べませんか? 私も頂いたケーキがあるんです。分け合って食べれば全種類食べられますよ」
「良いの?」
「勿論」

 男子生徒は目を輝かせ、アークの正面に座るとショルダーバッグから食べ物を取り出して並べた。
 アークは先程ジェリドから貰ったケーキを半分に割ると男子生徒に渡した。

「これ、うちのメイドカフェで販売予定のやつだね」
「そうなんですか?」
「うん」

 アークは素顔を晒さないようにマスクを外す事はせず、つまみ上げ隙間からシフォンケーキを口に運び入れた。

「美味しい。貴方のクラスにはお菓子作りの上手な女性徒がいるんですね」
「ん? 違うよ。これを作ったのはイグルて男子生徒だよ」

 予想外の名前にアークは咽返った。

「だっ大丈夫? 僕のダイエット茶飲む?」

 差し出された水筒を受け取り、遠慮なく飲む。
 落ち着きを取り戻し、先程ジェリドの友人が口にしていた言葉を思い出す。

『いいのかジェリド。それ手に入れる為に朝一で登校したのによ』

 ――確かにそう言っていた。
 ――つまり……どういう事だ?

「あの先輩。つかぬ事を聞きますがジェリド先輩とイグル先輩は仲違いしているのではないのですか?」
「ん? 仲違い?」
「先日ジェリド先輩がイグル先輩に辛く当たっているのを見たものですから」
「ああ。違うよ。あれはね、なんて言うかな……」少し考え「好きな子を苛める的なやつだね」と続けた。
「…好きな…子……?」

 アークが表情を固めているのを見て男子生徒は慌てて訂正を入れる。

「違うよ。好きっていってもそうじゃなくってね。なんて言うかな、イグルは飄々としてて何事にも動じないからね。それを崩したくて色々ちょっかいかけているというかなんというか……」

 昨日の屋上での事を思い出す。
 五人に囲まれ、からかわれながらイグルは冷めた目で何処か遠くを見ている風だった。自分の事なのに他人事のようで、相手にも自分にも興味が無い。そんな感じに見えた。
 ジェリド達の独り相撲だったとすると卑劣に感じた行いが不憫に思え、同時に自分の行動が恥ずかしくなり頭を抱えた。

「大丈夫かな? 頭痛なら治してあげるよ?」

 優しく身を案じる声。
 だがそれが頭上から届いたものだと。聞き覚えのある声だと恐る恐る顔を上げる。
 先程救世主の助けを借り、何とかその手から逃れたばかりだというのに……。
 危機《ヘンタイ》再び!

「猫のマスクも可愛いね。でもお兄ちゃんとしては口元に付いたままのクリームをそっと拭き取って『こんなところに付けてアンジュは可愛いな』『子ども扱いしないでよ。お兄ちゃんのバカ』って遣り取りをしたいからマスクは外して欲しいな」

 訳の分からない事を言っているアレイスターに顔を引き攣らせるアーク。
 助けを求めるように正面に座る男子生徒を見るが、ホッドドッグを持ったまま固まり、足を組み優雅に杖に腰をかけ中に浮いている無駄に二枚目な先輩へ戸惑いの目を向けている為に気付かない。

「アンジュ。お兄ちゃんにも一口分けてくれないか?」
「えっ! 兄妹なの!?」
「赤の他人です」

 素直に言葉を信じる男子生徒にキッパリはっきり否定し、この窮地をどう乗り切るかを思案する。
 正直近寄りたくはないが、接近戦以外で渡り合う事は不可能に近い。
 にっこり微笑みお兄ちゃんと呼びかければ容易に近付ける。
 分かっているが、決心が付かない。

「アンジュの手から食べさせて欲しいな」

 あーんと言いながら形の良い口を大きく開けるアレイスターを見て、いっその事口目掛けて雷撃系術式雷神の矢を最大力で放ってしまいたい衝動に駆られるが、それは早計過ぎると思い留まる。
『道は己で切り開くもの』何時だったか父に言われた言葉を思い出し、己を奮い立たせ立ち上がる。

「アンジュ」

 架空の妹の名を呼び両手を広げる変態を前に、怖気付く。
 近付くどころか本能的に後ずさってしまう。
 そんなアークを追い詰めるように杖に座ったまま距離を縮めるアレイスター。
 二人の距離が一メートル程に縮まり手を伸ばされ、意を決し甲殻鎧の術式で剣を精製する。と同時にアレイスターの四肢に鎖が巻きつけられた。
 鎖の先を見れば、高等部の制服を来た生徒が二人、アレイスターを挟むように杖に立つ形で中に浮いていた。

「実行委員の仕事を人にやらせておいて自分は女とイチャこいてるって、マジ信じらんねぇ」
「もう、この人時計塔に貼り付けちゃいましょう。それで、目の前で毎晩抱きしめている抱き枕(想像上の妹のイラスト入り)を燃やしちゃいましょう」
「いや、枕と言わず、全燃やしだ。自作妹グッズ全燃やしの刑だな」

 眼光鋭く鍛えられ均整の取れた体躯を持った荒々しい気風の男子生徒と、眼光鈍く何かの呪いに掛かっているのではないかと思うほど顔色の悪い男子生徒の物騒な遣り取りを聞きつつも顔色を変える事はせずに甘い笑顔のまま言い訳をする。

「女じゃなくて妹だよ」

 ギリッ!
 四肢に巻きつけられた鎖に力が込められる。

「黙れ変態! テメーは一人っ子だろうが! あと、そのにへら顔止めろ。殴りたくなる!」
「妄想する前に仕事して下さい」

 アークから引き剥がすように引き摺られ、アレイスターは強制連行されて行った。
 嵐が立ち去り、呆然と立ち尽くすアークに男子生徒は鈍い足取りで駆け寄る。

「大丈夫?」
「はい。問題ありません」

「アレイスター先輩って頭脳明晰。運動神経抜群。高身長の美形で王族の血を引いているって噂もあるのに……残念だよね」
「王族の血筋なのですか?」
「あくまで噂だよ。噂」
「そうですか……」

 根も葉もない噂である事を祈りつつ二人は食事を再開した。
 アークはサンドイッチをほおばりながら食べ終わり次第、迷彩の術式を展開し森に身を潜め時が経つのを待とう。
 そう、決心するのだった。
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