赤き破壊の魔女と踊れ

氷魚彰人

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救出作戦②

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 郊外にあるオルソン家所有の屋敷前。
 屈強な身体を持つ男が二人立っていた。
 男達は代わり映えのしない門番の仕事に精を出していると、大きな鞄を斜めがけした小汚い風体の十二歳前後の少年が門の前で足を止めた。
 着古した服と煤汚れた髪や肌から貧民街の子供だと分かる。
 少年は俯きながらおどおどと門番に話しかけた。

「ここに花を届けるように言われて…それで…その……」

 花を売る、買うは少年少女が売春する時に使う隠語である。
 男娼が訪ねて来ると門番の二人は聞いていないが、主の少年趣味を知っている門番達は目の前の少年を追い返していいものかどうかを迷う。
 ただの汚い少年なら悩む事もないが、見れば汚れてはいても目鼻立ちが整った金髪の美少年である。勝手に追い返し主の怒りを買うことは避けたい。
 結局門番は自身で判断する事を諦め、屋敷へと問い合わせた。

 門番から伝書の術式で問われ執事は首を傾げる。
 男娼を呼んだ覚えはないが、門番曰く絶世の美少年との事だ。一応確認しておくべきだと判断した執事は門へと向かった。
 大柄な門番の側で頼りなさげに立つ少年を見て執事は門番が判断に悩んだ事に納得した。

「お前、花の届け先は何処だ?」

 問われ、少年は手の中にあるボロボロの紙に書かれた不明瞭な地図を執事に差し出した。地図には所々に通りの名前も書いてはあったが、少年は文字が読めないのか目印になる建物を指して説明した。
 察するに一つ向こうの通りにある屋敷へ行くように指示されていたが、間違えてこの屋敷に来てしまったらしい。
 正しい花の届け先を教え追い払うのが適当であるが、これほどの上物をみすみす返したと後で主が知ればどんな癇癪《かんしゃく》を起こすか分からない。
 今日は上物を一人手に入れたとすこぶる上機嫌なのだ。そこに水を差すようなまねをする必要は無いだろう。届け先の間違いに気付き店の者が来たとしても金さえ払えば問題は無い。
 年だけはそれなりに重ねてはいるものの中身の伴わない困った主の不興を買う事を避けるべく、執事は少年を屋敷に通す事にした。
 少年を伴って玄関前まで着た時だった。少年が肩からかけている汚い鞄から何かが飛び出した。

「あっ、待って!」

 飛び出したものを追いかけようとする少年の襟首を捕まえる。

「待ちなさい。敷地内で勝手は許しません」
「でも、チュー太が……」
「チュー太? なんだそれは?」

 冷ややかな目で問われ少年は言い訳をするようにおろおろと説明する。

「ネズミ…ボクの友達。いつも一緒で……」

 汚らしいネズミを敷地内に持ち込んだ事に怒りを感じはしたが、怒鳴りつけ泣き騒がれても面倒なので喉まで出掛かっていた叱責の言葉を飲み込む。

「それなら見つけ次第保護しておく。お前は旦那様に花を届けなさい」
「ほんと? チュー太殺さない?」

 ネズミを放置する気は無い。保護も殺さないと言う言葉も嘘だが、執事は「大丈夫だ」と守る気のない約束をする。すると少年は満面の笑顔で礼を言うと執事に促されるまま屋敷の中へと入って行った。






 半刻前。
 頼んでいたものをトライルが連れて戻ってきた。アークと背格好の良く似た花売りの少年である。
 アークは対価を払い少年から服を買いその場で着替えると、みすぼらしく見えるように近くの店で手に入れたメイク道具で目の下に隈や頬などに陰影を付けた。そしてトライルと共に近くの家に行くと術師の課題に必要なのだと適当な話をし、煙突を潜らせて貰い綺麗過ぎる髪や肌を汚した。
少年から一通り花売りの仕事に関しての話を聞き、情報提供の対価を支払い、他言しない事を約束させ返した。
 そして術師学校の生徒である事を知られないようにと何処からか調達した服に着替えたジェリド、ダート、トライル、バーク、トルカの五人と最終の打ち合わせをし、作戦実行となった。






 玄関を抜け第一関門を突破したアークは執事の後ろ歩きながら屋敷の内部構造を記憶して行く。
 執事の目を盗んで虫に模した術具をズボンのポケットから落としていると、部屋に通された。自分が戻るまでこの場で待つように言い渡されたアークは執事が出て行くと同時に天井近くに設けられている通気孔に鞄に仕舞っていた虫型の術具をありったけ放った。
 術式探知用の術具。
 一つの威力は大した事は無い。
 だが、結界などの術式を組み上げ固定の場所に設置するものは正しく紡がれ、初めてその効果を発揮する。ほんの僅かな綻びで効力は揺らぎ付け入る隙が出来る。
 これだけの術具を放ったのだから何個かは結界の元に辿り着き術式を食い破るだろう。
 退路の確保は問題ない。
 後はイグルを見つけ術師達の隙を衝いて如何にして逃げるかだ。
 窓から外の様子を伺いながら戦いのシュミレーションをしていると執事が戻ってきた。

「旦那様がお会いになるそうだ」

 粗相がないよう言葉使いや態度をくれぐれも注意するように言い渡され、付いて行くと広く調度品の豪華な部屋にその男は居た。

 ソディンガル・マス・オルソン。

 ありとあらゆる欲を取り込み肥大した身体を誤魔化すように仕立ての良い服に身を包んでいるが、好色を宿した目と下卑た笑みを浮かべる口元、滲み出る醜悪な人間性は隠せるものではない。

「貧民街にこれ程の上物がいるとは」

 肥えた身体をソファに沈め舌なめずりし嬉々としてそう言い放つ男の後方に第一位と思われる剣術師の男が一人いるが、イグルの姿は無い。
 何処か別の部屋にでも捉えられているのかと訝《いぶか》しんでいると、たった今アークが入って来た扉が開いた。
 屈強な身体をした髭面の剣術師に付き添われ入って来たのは魔術師学校の制服ではなく特注品と思われる白い騎士風の制服に身を包んだ銀髪の美少年だった。
 見れば髪は微かに濡れており、肌は薄紅色に染まっている事から湯浴みを済ませたばかりだと分かる。
 支度を整えただけでまだ何もされていない事にアークはそっと胸を撫で下ろす。

「キレイだなぁ。いいなぁ。ボクもこんなの着てみたいな」

 そう言いながらアークは無遠慮にイグルの正面に立つ。
 小汚い少年の正体に気付きはしても銀髪の少年は表情一つ変えない。無表情無反応な事から二人が知り合いだと気付く者はない。

「いい匂いする。いいなぁ」

 匂いの元を探るように嗅ぎ、そして盛大にくしゃみを顔面にぶちまけた。

「あぁ! ごめん!」

 アークは慌ててイグルの顔を自分の袖を使い拭《ぬぐ》うが、拭けば拭く程に服に付いていた煤や土汚れが陶器のような肌を汚して行く。
 その様子にソディンガルは腫れぼったい唇を震わせ怒鳴り散らす。

「何をしているか貴様!」

 アークは小さな悲鳴を上げイグルの後ろに隠れるようにして謝罪の言葉を繰り返す。

「こめんなさい。ごめんなさい。お、お風呂入ってキレイにしますから許して下さい」

 確りとイグルの腕を掴み二人で入る事をアピールする。
 ソディンガルは舌打ちし、髭面の剣術師に指示し二人を浴室へと連れて行かせた。
 脱衣所で着替えたばかりであろう白い制服を躊躇いなく脱ぎ捨てる銀髪の少年の隣でアークも服を脱ぎ始める。

「風呂の使い方はそっちの銀髪にでも教えて貰え」

 そう言うと剣術師は脱衣所から出て行った。
 足音と気配から廊下で待機していると分かり、アークは急いで着ていたものを全部脱ぎ捨てると既に全裸となっていたイグルの腕を掴み、浴室へと入った。
 防音のために結界や防御系の術式を展開させたいところだが、不用意に術式を発動させ術師だと知られては不味い。
 声を誤魔化す為にシャワーを幾つか開くと浴室の最奥へ行き、イグルの背を壁へ付けるようにして正面に立つ。
 壁に手を付き顔を寄せると声を潜めるようにして問う。

「こんなところで何をしているイグル・ダーナ」

 僅かに怒りを孕んだ瞳とは対照的にイグルの瞳は冷ややかだった。
 作り物のように整った顔は表情を変える事はなく、感情の無い声は淡々と答える。

「貴方には関係ない事です」
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