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十章 サマー

160 灼熱の季節

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 七月は暁の赤点の問題もあり、微妙に練習が足りていなかった。
 そして少しでも客の反応が悪いと、それを気にしてしまう俊である。
 ライブは常に、客との勝負だ。
 どれだけ客が盛り上がってくれるかは、こちらの演奏次第である。
 結果だけを見て、盛り上がったからいいや、などと思っていてはいけない。
 アンケートも悪いことなど一つもないが、それでも書かれていることの熱量が、いつもよりは足りない。

「真剣に音楽やろうと思ったなら、日頃から他のこともやっとかないとダメだぁ」
 フィーリングに欠けた演奏をしていた暁が、ウーロン茶で酔っ払って反省している。
 今日はギターを持った状態でも、集中し切れなかったのが、自分で分かっているのだ。
 他人の悪口を言わない月子や、明らかに自分の方が下手な千歳は何も言わないが、他のメンバーは淡々と駄目出しをしていく。
 ただ優しい声をかけるのが、本当の優しさとは限らないのだ。
「夏休みの宿題には手をつけたのか?」
「あ~……フェスが終わるまではちょっと」
「ロックフェスの後も、少し小さい規模のフェスがあるんだか?」
 俊の詰め方は、淡々としているが逃げることを許さない。

 俊の視線は千歳にも向けられる。
「あ、大丈夫大丈夫。全部は終わってないけど、ちゃんとフェスとか参加しても終わるペースでやってるから」
「夏休みの宿題なんて、配られた日にやっちゃうのが一番楽だろうに」
 そんな俊のため息混じりの言葉には、信吾や栄二でさえぎょっとした目を向けたものである。
 基本的に俊は、優等生ではあるのだ。
 優等生の作った音楽は、あまり面白みのなかったものであったが。
 今ではそれも含めて、プロデュースが出来るようになっている。
 欠点は上手く捉えれば、武器にもなるのだ。

 フェスでの反応次第では、より大きな規模でライブコンサートを出来るようになるだろう。
 インディーズではあるが、資金はしっかりとためてある。
 俊自身は地下のスタジオに、レコーディング設備をもう一度付け足すために金を貯めていた。
 だが金の使い方というのは、色々とあるものだ。
 事務所に所属していると、レコーディング費用はかなり出してもらえる。
 作詞作曲にアレンジの最終バージョンまで、俊が作った楽曲たち。
 それをミックスしてマスタリングまで、最近は俊自身が行うこともある。
 もっともそういったことに関しては、本職のエンジニアを雇った方がいいのだろうが。

 自分が思った完成と、他人の感じた完成。
 どちらが優れているのかはともかく、こういった形で作り出すことも出来るのか、とは思う。
 メジャーレーベルから売り出していれば、もっと早くにノイズの音楽は拡散していたのかもしれない。
 だがSNSなどでインフルエンサーの口コミなどから、サリエリの曲は人気が広がったものがあるのだ。
 もっとも何曲も作っても、PVが回るのはほんの数曲だけであったが。



 八月に入ると、他のイベントも色々と行われる。
 この忙しい時期に俊は、ものすごく久しぶりに、こしあんPの名義で新曲を発表した。
 タイトルは「ワンワンにゃんにゃん」というもので、完全にネタに走ったものである。
 だが頭の中で完成してしまったのだから、発表するしかないではないか。
 犬と猫の鳴き声の掛け合いを、ミクさんとGUMIさんにやってもらって、ラップ系の歌詞も乗せる。
 もう引退したのだと思われていたこしあんPの復活に、ボカロ界隈はちょっとした騒ぎにはなった。

「こ、こんなくだらないもので……」
 受けるだろうな、とは思っていたのだ。
 だが実際に受けてしまうと、複雑な気持ちになる。
 俊がサリエリでありサーフェスであると知っている人間は、ほんの少しだけいる。
 しかしこしあんPであることを知っているのは、岡町ぐらいである。
 この秘密はノイズの仲間にも言うことなく、墓の下まで持っていくつもりだ。
 まあモーツァルトも「俺のケツを舐めろ」などというタイトルの曲も作っているようだし、何が残るのかは分からないものだ。

 そんなことをしながらも、フェスの開催される千葉には、もう一度遠征ライブには向かっておいた。
 今までとは全く違う規模の、数万人が見れるステージであるのだ。
 音響などの設備周りは、さすがに俊たちではどうにもならない。
 上には上がいるというのは、分かっているつもりだ。
 それこそメインステージの方には、五万人を集めるようなミュージシャンが何人も出るのだ。

 前のバンドとの間に、セッティングなどをする入れ替えの時間があり、その間に客はどこかに移動するだろう。
 食事の出来る場所もあるし、好きなバンドをちょっと見るだけという人間もいるだろう。
 三万人までは集まるというステージで、1000人とかそういう数であれば、惨めな思いをしてしまうだろう。
 こんなことならもっと小さなステージも存在する、他のフェスに参加した方が良かったのではないか。
 基本的に自信がなく、悲観的な俊は、フェスが迫るごとにどんな気持ちが湧いてくる。
 だがこういう痛みさえも、音楽に変えてしまわなければいけないのだ。

 才能を持って生まれた人間は、その才能に仕える奴隷にならなければいけない。
 誰の言った言葉かは分からないし、ドラマか何かの言葉であったかもしれないが、俊は自分に才能があるとは未だに思わない。
 作ってきた曲は全て、ノイズのメンバーがいたからこそ出来たものだ。
 ノイジーガールと並んでキラーチューンとなりつつある霹靂の刻は、まさかの月子が作曲してきたものである。
 そして俊は基本的に、苦しみや痛みを歌詞にすることは出来ても、ラブソングは上手く書けない。



 フェス用の曲は、一曲作れた。
 40分の間にどれだけ演奏するのか、それも予定は決めている。
 一応セッティングの時間があるので、アンコールがかかれば二曲ぐらいは出来なくもない。
 しかし本当に、アンコールがかかってくれるのだろうか。

 俊は基本的に、求められず、裏切られた人間である。
 父は母と自分を捨てて、その母もほとんど今は息子を省みない。
 初恋の女性による裏切りは、俊の女性観を歪めさせた。
 バンドを組んだ時も、無責任で刹那的なメンバーに、自分の時間を無駄に使わされることになった。
 結局は一人で出来る、ボカロPを選択もした。

 そんな俊が、月子を求めた。
 そして月子も、俊を求めたのだ。
 二人の出会いから、奇妙な運命が動き出して、もう二度とやらないだろうと思っていたバンドを、またやっている自分がいる。
 この仲間たちは、馴れ合いで集まっているわけではない。
 だが俊は自分の、パーソナルスペースにまで入り込むことを許している。

 音楽で世界が変えられると思えた、過去のミュージシャンは幸福であったろう。
 今はそんな甘いことを言っても、誰も信じてはくれない。
 だがその場にいる、ほんの少しの人間に、少しでも刻み込むことが出来たなら。
 俊は自分が、音楽をやっている意味はあると思える。
 それだけで自尊心を満たすには、俊はまだまだ貪欲すぎる。

 新しいムーブメントを作り、その最先端にでもいたいと考えるのか。
 だが日本の音楽の大きな括りのムーブメントは、おおよそ三年ほどで入れ替わっていく。
 三年間頂点に立って、絶対的な固定ファンを作る。
 おおよそ五年間もランキング五位以内の曲を作り続ければ、まず大成功と言えるだろう。
 もっとも今の日本のヒットチャートには、あまり意味がない。
 何をもって一番ヒットしたと言えるかは、総合的に判断される。
 CDが売れただけで判断出来た、昔の方が分かりやすかったと言える。

 ビートルズは1962年から1970年までが活動時期と括られることが多い。
 しかし本当にライブコンサートなどをやっていたのは、アメリカ進出の64年からレコーディングバンドになるまでの66年まで。
 やはり三年間が、その分かりやすい活躍の時期であった。
 もちろんその後も名曲を作り続け、実験的な作品も売れまくった。
 ソロでの活動をしても、ジョンやポールはトップを走り続けたのだ。

 まだ何かが足りない、とは明確に感じている。
 後押ししてくれる勢いが、まだまだ不充分だ。
 あるいはそれはメジャーレーベルでこそ可能な、圧倒的な資本投下なのかもしれない。
 だが今の時点でそれをしても、食いつぶされるだけだとも思えるのだ。



 過去の売り方というのは、今ではもう全く役に立たない。
 だがそれでも、資本を投下すればある程度の知名度は稼げる、というのは間違いないのだ。
 周知されるやり方は、完全に二つに分かれると考えていい。
 ライブという完全な実体によるものと、ネットを通じたデジタルであるもの。
 俊はボカロPとしての経験を活かし、ネットの方の告知はかなり行っている。
 そしてライブにおいても、決まったタイムテーブルを告知していく。

 3rdステージ、15:30分からの40分。
 去年の数字を参考にすれば、三日間で40万人ほどが動員される。
 ただし売れたチケットの枚数のみのカウントであるので、三日間全部に参加するという猛者もいるわけだ。
 一日あたり10万人以上が動くという、国内最大規模のフェス。
 出場者はその三日間を、自由に他のミュージシャンのステージを見に行くフリーパスをもらっている。
「とは言っても他の日に関しては、ホテルが取れなかったりするんだけどな」
 現実的には体調も考えれば、出演する最後の一日だけが自由になるだろう。

 午前中にセッティングとリハを、手早く行っていく。
 そして昼にスタートするわけで、ノイズの出番は三番目といったところだ。
 タイムテーブルを見れば入れ替えの時間には、他のステージを見に行くことが出来るようになっている。
 またフードエリアなども備わっていて、何ヶ所かで食事をすることが出来る。
 一日あたり13万人前後と考えれば、とんでもない人数になるのだ。
「4thステージはまだ売り出し中のミュージシャンもいるけど、3rdってほとんどもう売れてる連中だな」
 現時点でのタイムテーブルを見て、信吾は引きつった声を出す。
「つまり4thが終わっている間には、こちらに流れてくるオーディエンスが多くなる可能性がある」
「1stや2ndに流れてく危険性もあるけどな」
 俊は前向きに考えようとするが、栄二でもそういう悲観的な見方になってしまうのか。

 インディーズバンドも何組か出ている。
 またロックフェスとは言いながらも、アイドルグループもいたりするのだ。
「他のバンドとかから客を奪え、というのは無理だと思うわ」
 阿部は冷静に、ノイズの現状を見ている。
「だけどお客さんが途中で離れていくような、そんな演奏だけはしないでね」
 移動距離なども考えると、常に二万人近くはステージのほぼ前にいるはずなのだ。
 一日あたりのチケットが、15000円。
 そんな金額を払って来ている客を、満足させなくてはいけない。
 一万人以上をその場に引き止めるパワーというのは、かなり巨大なものであろう。

 八月の末にも、やや小さめながら去年と同じフェスに出る予定になっている。
 今度のステージは一万人規模で、簡潔に言えば前年の四倍は集めないといけない。
 逆に言えばそれだけ、集められると期待もされているのだろう。
「あ、お前らもう練習に、夏休みの課題持ってこい。休憩時間に監視付きでやらせるから」
 俊の指示に、暁の顔が悲しそうに歪む。
 そんな顔をしてもらっても、学業がバンド活動の足かせとなってしまえば、そこから自由に動くことが出来なくない。
 バンド活動が、高校生活からの逃げになってはいけない。
 最低限のやるべきことはやって、そこから音楽に全てをついやする。
 それぐらいの按配でやっていかないと、メンタルのバランスが悪くなるだろう。

 高校生はまだ、インプットを多くしていく時代だと俊は思っている。
 大学に入ってからは、本当に学ぶべきことを自分で選んでいったが。
 自分のように音楽の世界で食っていく覚悟を、暁はともかく千歳は持つことが出来るのか。
 灼熱の夏の季節の中で、ノイズの話し合いは続いていく。
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