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12章 ムーブメント

203 幸福の総量

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 思えば前回のツアーは、本当に貧乏バンドのツアーであった。 
 それでも本当の不人気バンドなら、そもそもツアーの計画自体が立てられないが。
 おおよそ一年前とは、かなり立場が変わってしまっている。
 機材の運搬などはスタッフに任せて、週末に新幹線で前日入り。
 そしてリハまでしっかりと昼間にやってしまえる。
 ワンマンライブで、1700人のホール。
 チケットの料金も、ライブハウスの倍ほどにもなる。

 ホールが公共性をもって作られているため、貸し出しの料金はそれほど高くない。
 だが音楽用ではあっても、ライブ用ではないので事前の準備は必要だ。
 そこを他の人間に任せてしまえるのが、売れっ子ということなのであろうか。
「この規模なら少し小さめのライブハウスの方が、ペイしたんじゃないですか?」
「そっちはもう予約で埋まっていたのよ」
 そういえば武道館が決まってから、このツアーは企画されている。
 確かにもっと使いやすいハコは、埋まっていても当然だろう。

 もちろん利益は出るのだが、大儲けというほどではない。
 特に設営と撤去には、専門のスタッフが必要になる。
 単純に儲けを考えるだけなら、最初から設備の揃っている300人規模の方がいいぐらいだ。
 ただ重要なのは武道館を満員にすること。
 二日で四回の公演なのだから、ざっと四万人は動員することになる。
 以前に二日で四回やった時は、8000人であった。
 五倍の客を集めるというのは、相当に厳しいところなのだ。

 それでも武道館で出来るのは、完全にステータスだ。
 たとえばデビューをいきなり武道館で、というのはほぼ不可能である。
 興行実績のないイベントに対しては、とても厳しいのが武道館である。
 例外が一応あるのは、アイドルグループの新メンバーが、デビューで武道館を使ったというパターンだ。
 これは旧来のメンバーでの興行実績があるため、許可が下りたという事情である。

 ノイズの場合は都内の1000人規模なら、問題なく埋められるようになっている。
 関東圏は埼玉や神奈川でも、300人のライブハウスでワンマンが出来る。
 それでも念には念を入れて、地方からの客も呼び込もうというのが、このツアーの目的だ。
 ただいくらファンになったとはいっても、そのライブのためだけに東京までやってくるのは、かなり辛いだろうと思うのは、貧乏ミュージシャン時代が長かった信吾や栄二、そして売れていなかった月子などである。
 実際のところはアイドルのコンサートや、公演などに関しては、日本各地程度ならば、平然と追いかけるファンはいる。
 しかしノイズのファンというのは、そういうコア層が本当にいるのだろうか、俊でさえも疑問である。

 チケットの料金が高くなっても、交通費の方が高くなったり、宿泊費の方が高くなったりということはある。
 なんだかんだ言ってお坊ちゃんな俊ではあるが、知識としてはチケットノルマなどを自分で捌いたことはある。
 最終的にはほとんどタダで配って、来てくれるだけでもありがたい、という惨めな話もあったぐらいだ。
 貧乏からは遠い環境で生きてきたが、金銭感覚が分からないというわけでもない。
 それでも月子や信吾などからしたら、ボンボンであることは変わらないのだが。

 むしろ俊が持っている感覚は、無駄な散財を嫌うというものだ。
 実父の失敗は結局のところ、売れなくなったという以上に、浪費が激しかったからである。
 母も本来はお嬢様であったのだが、音大時代に俊からは祖父にあたり人物の事業が破綻し、そのため本来の音楽の道を進むことが出来なくなった。
 そこを才能ごと、俊の父に買われたようなものである。
 父の不倫によって財産を分与され、離婚が成立した。
 その財産をしっかりと維持するぐらいには、もう金銭の価値が分かっていたと言えよう。



 俊は貧乏を知らない。
 だが音楽が出来なくなる、貧しい生活になることを恐れてはいる。
 そのため月子や信吾に、援助となるようなことはした。
 暁と千歳は特に問題なく、栄二も既に家庭を持っていたため、そちらには手助けしていない。
 とは言っても、使っていない部屋を提供したというだけで、自分の腹が痛んだというわけでもない。
 親の力の、余っている部分を借りただけだ。

 結局のところ、生来の疑い深い性格が、バンドを黒字で活動させていたということなのだろう。
 これは大学において、マーケティングなどの授業を学んで活かすようになったものだ。
 朝倉のバンドを抜けたのも、音楽的な発展性がなかったのもそうだが、それ以前に経営的に破綻していたというのがある。
 このあたりの実務的な感覚から、芸術的な楽曲が生まれるというのも、逆に不思議に感じる者もいる。

 ミュージシャンというのは破滅した人間もいるが、成功して大富豪になった人間もいる。
 金に汚いというか、現実的な感覚を持っているというのは、ミュージシャンやアーティストの本質ではないのだろう。
 アーティストであっても、本当に芸術家肌であるのか、それとも職人的であるのか、そういう違いはある。
 またちゃんと予算から計算して、どういうものが作れるのか、プロデューサーとしての能力も一つの才能だ。
 この点に関しては間違いなく、俊は父よりも優れていた。

 前日に名古屋に到着し、ビジネスホテルながらそれぞれが個室。
 そして翌日には、昼頃からセッティングに関する、全てをやっていく。
 基本的には音作りだけをやっていけばいいのだが、自分でやった方が早いところがあったりする。
 そういうところには遠慮なく、自分の手を出してしまう俊である。
 これまでにずっとやってきたのだから、自分たちのものは自分たちでやった方が早い。
 そんなエンジニア的な部分まで出来るミュージシャンは、それほど多くもない。
 これはやはり大学で、専門的に学んだことが活きている。

 他のメンバーもこの規模になっても、俊は演出面に手を出せることを意識しだす。
 フェスなどはさすがに全てスタッフに任せていたが、あれは他のバンドも同じステージでやっていたからだ。
 ここで一からやるとなると、やはり自分のやりたいようにやる。
 経歴の長い栄二でさえも出来ないことを、俊はちゃんと理解しているのだ。
「やっぱり大学行った方がいいかあ」
 千歳はそんなことを言ったし、暁も少し考えるところはある。



 千歳の場合はもしも、自分の中から音楽が消えてしまったら、ということを考えはするのだ。
 月子のように本当に、流派に従って鍛えられたものと、自分の独学めいたものは違う。
 その時にどういう仕事をしていけばいいのか。
 正直なところ千歳は、このメンバー以外でバンドを組むのは、全く想像できない。
 あるいは俊が完全に新しく作るというなら、そこのギターボーカルをやることは出来るだろう。
 ただノイズを上回ることは、絶対に出来ないと思うのだ。

 なんとなくではあるが、千歳は自分の未来について、一つだけ考えていることがある。
 それは、自分は子供を産まなければいけない、ということだ。
 なぜなら自分は、父と母の唯一の子供であるからだ。
 あの二人の遺伝子が、自分が子供を産まなければ、ここで途絶えてしまう。
 今時そんなことを、などと言う人間もいるかもしれない。
 だが子孫を残すということは、生物にとってはむしろ自然なことなのだ。

 恋愛に対して、恋バナは好きであるが、自分から特に誰かを好きになったことなど、一度もない千歳である。
 ラブソングを俊が作ってくるにあたって、千歳にも色々と訊いてきたことはあった。
 月子の場合はともかく、千歳は感性が一般人に近い。
 精神的な外傷によって、今の千歳は作られている。
 それに沿ったラブソングを作るというのは、それなりに難しいことだと思ったのだ。

 恋バナは好きだが、自分は誰かを好きにはならないな、という千歳の言葉に俊は、少し考え込んだりした。
「アセクシャルなのかもしれないな」
 アセクシャルというのは、日本語では無性愛とも言う。
 他者に対する性的な愛情の欠如を言うのだ。
 実のところ俊はこのあたり、ラブソングを作るのにかなり苦労している。
 俊のドキドキワクワクする恋愛というのは、彩とのいざこざで破綻してしまっている。
 それ以降も恋人はいたが、あれは恋愛ではなくただのパートナーだったな、と普通に言ってしまえるのが俊だ。

 生来そうであったのか、それは分からない。
 彩を親戚として紹介されて、しばらくして性の目覚めと共に、女性として意識したのは間違いないと思う。
 ただ両親の離婚、彩との関係の破綻から、俊の情緒はぐちゃぐちゃに壊されてしまった。
 今から思えば親愛なのか恋愛なのか性愛なのか、完全に分からなくなってしまった。
 一応性欲自体が、ないわけではないのだが。

 楽曲は基本的に、最終的には俊のチェックで完成する。
 歌詞に合わせて作るタイプなので、霹靂の刻などは例外である。
 ただ信吾の作る曲のメロディラインは、甘ったるいものが多い。
 さすがは三股の男とも思うが、こいつは性欲はあっても、まともな恋愛はしていないのだとも思う。



 プロの設営から、昼のリハやセッティングを終えて、夜にはライブが開始される。
 1830入りの、1900スタート。
 二時間のライブの予定ではあるが、アンコールは三曲用意してある。
『どーも、ノイズです!』
 今日のMCは千歳がメインで、俊はシンセサイザーと打ち込みの調整に集中する。
 いつもよりも音がクリアに響くので、パワーだけで音を届けるのが難しいと思ったからだ。

 この音響があるホールにおいて、暁はいつもよりもさらに歪ませ、そしてアレンジが多くなっていた。
 暗い雰囲気のライブハウスでも、照明の計算されたコンサートホールでも、自分の強みを出していく。
 勘所の鋭さという点では、やはり暁は天才に近いのだろう。
 俊は凡人なので、ひたすらパターンを増やしていく。
 天才のフォロー自体は、努力すれば凡人でも可能だ。
 そこに行くまででも、天才とまでは言わないが、ある程度の素質は必要なのかもしれないが。

 MCをやっているためか、今日は千歳のノリがいい。
 だが片方のボーカルが調子よく歌っていると、それに被せてさらに強く歌っていくのがノイズである。
 共鳴し、反響する関係。
 ツインボーカルは特性がかなり違うが、それだけにお互いを補いあっている。

 六人編成のバンドというのは、バンド内のバランスがおかしくなるのでは、と質問を受けたこともあった。
 五人まではそれなりにあるが、六人となるとかなり少なくなる。
 だがギターはリードとリズムに分かれていて、ギターボーカルと三味線ボーカルという差異がある。
 また俊のやっていることは、シンセサイザーによるストリングス系と管系の音、また電子音である。
 ノイズの音というのは、この六人でやはり成立している。
 物理的にも六角形というのは、四角形や五角形よりも頑丈なのだとか。

 月子がストライプ付きのエレキ三味線を持つと、オーディエンスの期待も高まる。
 一番有名になっている曲は、やはり霹靂の刻である。
 七月からアメリカのアニメーションのOPとして使われるし、そのOP自体は既に公開されている。
 MVと比べて聴いてみても、和風テイストがしっかりと効いたロックになっているのだ。

 それに続いて、俊の作った荒天。
 10年ほどもやっていた月子の、ロックとは違いポップスとも外れたような、民謡のアレンジ。
 だが激しさだけは、その三味線の弦が唸る。
 ギターの音には慣れていても、それに三味線が加わると、新規性が一気に高まる。
 新しい音と慣れた音。
 それを上手くミックスすると、新しくても心地いい、聴きやすい音になるのだ。

 俊の作曲は基本的に、芸術を無視してはいないが、商業主義を忘れないようにしている。
 ネタ曲で盛大に打ちあがった経験は、俊にとって複雑な成功体験だ。
 いわば異世界ファンタジーでもしっかり結果を出しているのに書籍化せず、なぜか完全ファンタジー要素なしの野球物で、書籍化しなかったのに数百万を稼げたというのに近いか。
 いや、誰のことかとは言わないが。
 野球作品ならまだマンガでは充分に主流だが、ネタ曲が主流になるのは難しい。
 だんご三兄弟などの例は、昨今でもあるのだが。



 走りすぎたライブだった。
 おかげで時間が余ってしまい、アンコール用の曲をやってしまう羽目になる。
 だが三曲も用意していたのは、やはり結果的にはよかったのだ。
 演奏する側がパワー全開であると、聴衆の側にもエネルギーが必要になる。
 前回のツアーと違って、翌日すぐの移動などはない。
 週末だけ演奏すればいいのなら、回復に時間がかけられる。
 無意識ではあったかもしれないが、前回にやったツアーよりも、パフォーマンスは完全に向上していた。

 まだまだ上が目指せる。
 一人冷徹でいようとする俊であったが、フロントのメンバーには引きずられてしまう。
 突っ走るのを抑えるか、あるいは行かせるかは、ドラムにかかっている。
 栄二はここでもう、全力でやらせる方を選んだ。
 おかげでステージが終了後、フロントの三人と栄二は、完全にグロッキーになっていたが。

 月子はかろうじて、ドレスを汚してはいけないと、椅子にぐったり座り込む。
 だがギターの二人は床に横たわって、冷えた感触を心地よく感じていた。
 栄二もどっかりと床に座り、大きく肩で息をしている。
「俺も爪が割れたよ」
「マジか。とりあえず接着剤でくっつけないとな」
 次の週末も、今度は大阪でライブなのである。

 ホールの奥の楽屋には、音は響いてこない。
 だが客が移動していく、その振動は響いてくる。
「お疲れ。グッズもだいぶ売れてるし、しっかり黒字になりそうね」
 チケット代だけであると、かろうじて黒字、といったところなのだ。
 だがノイズもそれなりに、グッズを作ってきている。
 今日の客の中にも、ノイズのバンドTシャツを着ている人間をたくさん見かけた。
 音源も売れるだろうし、あとはマグカップだのキーホルダーだの、小物も増えてきている。

 このあたりの仕事をいくつか任せているのは、俊の家に下宿している佳代である。
 純粋に仕事として頼んでいるので、俊からの駄目出しは多い。
 しかし意匠権があるため、グッズが売れれば彼女にもロイヤリティが発生する。
 ひそかにデザインだけで、食っていけるようになりつつある。
 もっとも環境的に、俊の家から出るという選択は、ちょっとありえないだろうが。



 東京に帰還する。
 ぐったりと疲れたメンバーであるが、高校生はやはり若かった。
 もっともアラサーの栄二はともかく、俊や信吾もまだ20代の前半。
 それでも高校生組は、精神的に若いのであろう。

 千歳は本日、友達とのショッピングという日常イベントを行っている。
 軽音部にも友人はいるが、中学時代からの友人もいたりする、普通に社交的なのが千歳である。
「武道館ってそんなに高いの?」
 その中でも一番仲がいいのが、愛理という少女だった。
「レンタル料金はそんなに高くないんだけどね」
 本来はその名の通り、武道に関して使われる場所なのだ。
 音響やモニターなど、そういった設備の設営などに、かなりの金額がかかる。

 名古屋のライブなどでは、チケットとグッズを合わせて、単純に1000万以上の売上になった。
 レンタル費用よりも、人件費や技術費に、その金は使われたものだ。
 当然ながら事務所の取り分もあるが、やはり人と物を動かせば、そこで金は動くのだ。
「ライブ一回でサラリーマンの月収ぐらいは稼げるんだけど」
 サラリーマンといってもピンキリだが、そこそこの中堅といったところだろうか。

 毎週ライブハウスで演奏していれば、それだけで充分に中堅サラリーマンよりは稼げる。
 だがそれは、人気がいつまでも続けば、という前提があってこそ。 
 サラリーマンの魅力は、本来はその安定感にあったはずだ。
 今では転職も多くなって、あまり安定しているとも言えないが。

 そんなわけで千歳は、ある程度の金が使える。
 そもそも遺族年金があり、両親の保険金があり、大学までの保険もあるのが千歳である。
 贅沢をすれば上はいくらでもあるが、普通に友人と遊ぶぐらいには、ちゃんと金があるのだ。
 同じ年齢のバンドであると、むしろバンドを続けるために、バイトなどをしなければいけなかったりする。
 それがこの年齢で稼げているという時点で、千歳はミュージシャンの中ではエリートだろう。
 ただ事務所のバックアップと、ノイズというパッケージがあってこその自分だと、分かっているのが千歳である。

「ちーは凄いなあ」
 そんなことも言われるが、自分はただ普通ではないだけだと思う。
 人生の幸福の総量で言うならば、自分はまだマイナスだろう。
 ただ幸福と不幸は、プラスとマイナスで相殺できるものでもないのかもしれない。
 幸福は幸福、不幸は不幸で、それぞれ別に数えられていく。
「でも彼氏ほしいなあ」
 具体的にどんなとは言わないが、千歳はそんなことを言ったりする。

 自分自身の分析が、千歳は足りない。
 彼氏がほしいなどと言い出したのは、やはり高校生になってから。
 それは当然のようなお年頃、と周囲も自分自身も思う。
 だが俊などは妄想混じりではあるが、千歳の深層心理を推察して正解していたりする。



 千歳は両親を失った。
 信頼出来る叔母はいるが、彼女は千歳を一人の人間として扱い、親のように甘えることは許さない。
 大人なのである程度は甘えてもいいが、親のような存在ではない。
 だから千歳は、自分で家族を作りたいという欲求がある。
 それが彼氏という発言になるのだが、正しくはそのもっと先の、結婚から妊娠と出産にまでつながる、幸福な家庭の再現が千歳の望みであるのだ。
 俊はその千歳の心理を、次の楽曲に使ってみるかな、という「人の心とかないんか」と言われるようなことを考えているが。
 別にそこまでひどいものでもないだろう。

「愛理はいい感じなの?」
「まあね。でもあっちは、医学部狙いだからもう大変みたいで」
「おお、医者かあ」
「将来の勝ち組狙い?」
 他の友人はそんなことを言うが、千歳だけは知っている。
 愛理の今の恋人は、同性なのである。

 元々中学生の頃から、モテる人間ではあった。
 告白されてもピンとこないので断っていて、千歳は試しに付き合ってみたらいいのに、という無責任なことも言っていたものだ。
 そんな愛理は高校生になって、他の学校の少女と恋人になっている。
 なぜ千歳がそれを知っているかというと、そこには複雑な人間の心理がある。

 確かに中学時代から、一番の親友ではあった。
 だが愛理は千歳の両親の死を、友人の中では唯一すぐに知らされたものだ。
 もう一生、友人やめられないな、と愛理は思った。
 そんな自分の思考が、かなり嫌だと思ったのは確かだ。
 また愛理が母親にそれを言ってしまったため、事故のことはすぐに拡散してしまった。
 千歳を「両親が死んでしまった可哀想な子」にしてしまった自分を、愛理は恥じている。
 自分だけが寄り添っていれば、それでよかったのに。

 なので自分もまた、同性の恋人が出来てしまった時、千歳だけには告げている。
 負い目を消して、対等の友人同士に戻るために、自分も秘密を渡したのだ。
 レズビアン寄りであるが、同性愛者なのか両性愛者なのかは分からない。
 ただ初めて好きになったのは、幼稚園時代の女の先生だった。
 まともに初恋と言えそうなのは、今の恋人が初めてである。
 だからおそらく、同性愛の方なのだろうとも思うが。

 あちらはあちらで、同性愛者であることを、もう少し前から自認していた。
 なので将来は、一人で生きるかパートナーと生きるかは別として、収入の多い職業を目指したわけである。
 単純に医者を目指している恋人、という情報の背景に、これだけの事情があったりする。
 ただ愛理にとって幸いであったのは、千歳が愛理の恋愛に、全くおかしな顔を向けなかったことだ。
 そういうのもあるんだ、と納得してしまうあたり、千歳は度量が大きいと言えるのか。
 あるいは一部、そのあたりの感性が壊れてしまっているのかもしれない。

 春休みの一日、友人と一緒に遊ぶ。
 そして夕方からは、またもスタジオでギターをかき鳴らす千歳であった。
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