「婚約破棄させてやる……」最低王子が企むも、純粋な公爵令嬢にその手は効かない。

オコムラナオ

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熱(アルダタ視点)

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日がちょうど、沈みそうな時間帯でした。

私は学期末にある学園の筆記テストに向けて、自室で勉強をしていました。

すると部屋の扉から、ノックの音。

「はい」と応えます。

「失礼致します」
 扉の向こうから、屋敷のお手伝いをしてくださっているシラーさんの声がしました。
「マリルノお嬢様、お会いしたいという方がお屋敷の前までいらっしゃっています」
「?
 わかりました、今、行きます」

 私は首を傾げながら階段を降りました。来客の予定なんてあったかしら……

 玄関の前にいらっしゃったのは。

「アルダタさん!」

「いきなり押しかけてしまって、申し訳ありません」
 アルダタさんは本当に申し訳なさそうにおっしゃいました。

「どうかなさったのですか……」
「その……少しだけで良いので、お話しできないかな、と思いまして」

 アルダタさんのお母様の所へ行って以来、私は学園の勉強が忙しく、一方アルダタさんはナテナに行く準備のため、お話しするどころか、会うことさえ出来ていませんでした。

 どうやらここへ来たのも、国王様に仰せつかったお仕事の合間を縫って下さったようなのでした。

「ええ、もちろんです。えっと……」

 私の部屋へ上がってもらおうかと思ったのですが、今、屋敷にはお母様がおられます。

 お母様は私の恋愛関係にとても興味をお持ちですから、部屋へアルダタさんを招き入れることは私にとって気恥ずかしく、あまり落ち着いてお話しできそうにありません。

「バウッ」

 私が向くと、犬小屋からバウウェルがじっとこちらを見つめていました。
 
 特に首輪や紐をつけているわけではないので、近づいて来ようと思えば来られるはずです。しかしなぜか、彼はそうしませんでした。

 私はその目を見てはっとしました。どうやら彼なりに気を遣っているらしい。

 私の隣に立つアルダタさんも、吠え声を上げたバウウェルの方を見つめておられました。

「アルダタさん」
「はい」
 アルダタさんが私の方に向き直りました。
「バウウェル……あの犬のこと、もう、その……平気ですか」

 アルダタさんはきょとんとした顔をし、それからあどけない笑みを浮かべられました。

 ドクン。

 私は動揺を悟られるのが恥ずかしく、彼のその心惹かれる表情から目を離しました。

「私は平気です。ただ、彼の方が許してくれていると良いのですが……」

 そう言ってアルダタさんは、バウウェルの方に何の躊躇いもなく近づきました。長い脚で優雅に進むアルダタさんのことを、私は小走りで追いかけました。

 アルダタさんが小屋の前まで来ると、バウウェルはなおも地面に伏せたまま、ただ上目遣いで彼のことを見上げました。

「私のことを許してくださいますか?」

 アルダタさんは穏やかな声で、バウウェルに話しかけました。長い指をバウウェルの毛の中に沈め、愛情深く彼のことを撫でます。

「バウ……」

 バウウェルは気持ち良さそうに目を細めた後、窺うように私の顔を見ました。

「バウウェル。この方はあなたのしたことを、もう気にしていないよと言ってくださっています。

 あなたはどうですか」

「……バウッ!」

 バウウェルが朗らかに吠えました。

アルダタさんはそれを聞いて、ふふっと笑いました。
「ありがとうございます、バウウェル様」
 
 

 あまり遠くに行ってはいけませんよとお母様に言われたので、私たちは屋敷のある区画をぐるりと回るだけにしました。

 散歩の間中、バウウェルはずっと嬉しそうに尻尾を振っていました。

 たびたび立ち止まっては私とアルダタさんの顔を見て、それからまた嬉しそうに、てこてこと歩きました。

「お部屋で何をされていたのですか」と聞かれたので、私は学園の筆記テスト対策に追われていることを話しました。
 アルダタさんは優しく私の不安を聞いてくださった後、「きっとうまくいきますよ」と励ましてくださり、私は彼のその言葉で、温かい蜂蜜ティーを飲んだ時のように、胸やお腹がぽかぽかと温かくなるのを感じました。

 一区画なんてあっという間です。でもすっかり暗くなっていましたし、そんな様子は微塵も見せないものの、ナテナに行く前日できっとやることが多いはずのアルダタさんを、いたずらに引き留めることなんてできませんでした。

「来てくださって、ありがとうございました。ナテナ行き、お気をつけてくださいね」
 私は寂しさを見せないよう、努めて明るい声で彼に告げました。

 彼の目は、いつにも増して美しい光を湛えていました。

 私はちらと見て微笑み、すぐに目を逸らしました。

 あまり長く見ていると、離れたくなくなってしまう。
 「行かないで」と、わがままを押し付けてしまいそうになる。



「あっ……」
 
 何が起こったのか、すぐにはわかりませんでした。

 心臓の音、眠りの中にいるみたいな温もり。

 抱きしめ、られてる……

 火がついたように、全身が熱い……



 耳元で、彼は囁きました。
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