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怪物アグーとみなしご少女
しおりを挟むアグーは怪物です。
深くて暗い森の中。
めったにだれもこない場所に生えてる大きな木。
そこにずっとすんでいました。
いつからいるのか自分でもよくわかりません。
お父さんもお母さんも家族も誰もいません。
そもそも自分がなんなのかもよくわかっていません。
ただ、気がついたらそこにいて時折やってくる人間を驚かしたり怯えさせたりするのが自分のやることなんだということだけはわかっていました。
その大きな木は太い幹に長い枝を何本も伸ばしていて、森に迷った人間がちょっと休んだりするのにちょうどよかったのです。
だからごくごくたまにその根元に腰を下ろしたり、焚き木を炊いてご飯を食べたり、寝転んだりする人がくるたびに。
アグーは「ばぁっ!」て急に声をかけたり、ベロンと長い舌を伸ばして舐めたり、お尻をつねったりしてびっくりさせました。
そうすると人間は驚いて怯えて逃げていくことをきちんとわかっていました。
誰に教えられたわけでもなく、そういうものなんだって何故か知っていました。
そしてそれがうまくいくと、とてもうれしくて楽しい気分になりました。
思わずキシシと笑ってしまうような、幸せな気持ちになれました。
それ以外に楽しいこともうれしいことも何もありません。
というより、他に何もやったことがありません。
アグーにとって出来ることはそれだけで、そんな自分に疑問も持っていませんでした。
そうして大きな木にすんでいる怪物は長い時間を過ごしていきました。
それはもうとてもとても長い時間でした。
昼と夜が何度も何度も繰り返されて。
季節が数え切れないほどまわりめぐっていきました。
でもアグーにとっては一瞬だったような、長い時間だったようなよくわからない感じです。
人が来たら驚かして、誰も来ない間はじっと木の上で待っている。
それだけをしていたらいつの間にか時間が経っていただけでした。
だからその少女がやってきたときも、実際には前の人間を驚かしてからとても長い時間が経っていたのですが。
アグーにとっては、「ああ、来た来た、さあ驚かしてやろう!」っていうだけのことだったのです。
ふらふらと暗い森を通って歩いてきたその少女。
長い髪はばさばさ、ぼろぼろの服を着て裸足の足はところどころ傷だらけ。
ガリガリに痩せ細ってぺこりとこけたほっぺた。
とても哀しくて辛いような感じでしたが、アグーにはそういうのはよくわかりません。
ただ「獲物がきたぜ!」っていうだけでした。
そんなアグーをよそに、少女は相変わらず覚束ない足取りで何とか木の根元までやってくると。
精も根も尽き果てたように、そこに座り込んでうずくまりました。
さあ、いよいよお楽しみの時間が来たんだとアグーは躍り上がります。
思わずぴょんぴょん飛び跳ねたくなるのを必死で抑えて、体中に力を漲らせました。
すぐに逃げられちゃうとつまらないから、少しずつ怖くしていこう。
自信があるやつは後にして、最初は控えめなやつからやってやろう。
そう心の中で決めたので、膝を抱えてそこに頭を突っ込むようにうずくまっている少女のそばに近寄っていきます。
そして。
べろんっ!
膝を抱えるむき出しの腕を舐めました。
さあ、どうだ?
さすがにこれじゃあ逃げないよな?
「っ……」
少女はぴくっとしましたが、それだけでした。
固まったように動きません。
うふふ、いいぞいいぞ!
そうじゃなくちゃ!
長く楽しめそうな予感にわくわくします。
お次は……。
つんつん、つねっ!
ふともものあたりを指先でつんつんした後、つねってやりました。
「……」
でもやっぱり少女は何の反応も返しません。
むしろさっきよりも動じてないように見えます。
ふ、ふふんっ!
なかなかがんばるな!
でもこれはさすがにムリだろう!
耳元に口を寄せると。
思いっきり「ばぁっ!」って叫んでやりました。
これはアグーにとって一番得意な脅かし方でした。
少なくとも今まではこれをやって驚かなかった人間などいませんでした。
でも。
「……」
少女は全然驚いた様子はありませんでした。
むしろ何にも聞こえてないし、感じていないようにすら思えます。
でも最初はちょっと動いたんだからちゃんとわかってるはずなのに。
なんだ、コイツ!
アグーはむかむかイライラした気持ちが湧き上がってきました。
それは、どうも無視されてるらしいことに感じた怒りだったのですが。
こんなこと初めてのアグーは自分のそんな感情もよくわかりません。
ただ湧き上がる気持ちに従って、それから散々にいろいろやりました。
自分が知っている、出来る限りの驚かし方を全部やってみました。
それでも少女は全然反応しません。
そんな様子にますますムキになって、また最初からやり直したりしてずっと続けます。
何とか驚かそうと同じことを繰り返すアグー。
しまいにはむかむかイライラを通り越してなんだかヒエヒエクラクラとしたきもちになってきました。
それは心細くて寂しい気持ちだったのですが、やっぱりアグーはその感情もよくわかりませんでした。
ただ自分がどうでもいいように思われているらしい様子に、むかむかイライラ、ヒエヒエクラクラ、そしてこのままだと何かまずいことが起こるようなぞくぞくまで加わってきて、ずっとやり続けました。
そして遂に。
少女から反応を引き出すことができたのですが。
それはアグーが期待していた、これまでの人間が現してきた驚きとか怖いっていうものとは全然違ったものだったのです。
「……うるさいっ!!」
その大きな声にびくっとしてアグーは少女を見つめたまま固まってしまいました。
アグーはやっぱりわかっていませんでしたが、それはこれまで自分が人間をそうしてきたびっくりと怖いという気持ちでした。
やがて膝に埋めていた顔をゆっくりと上げる少女。
やせこけて疲れ果てて薄汚れた顔に爛々と大きな瞳だけが光っています。
「なんなのさっきから。……静かにしてよ」
アグーはじっと睨まれて固まっていましたが。
なんとか立ち直ると、自分を奮い立たせて声を返しました。
人間なんかにっていう悔しい思いだけがアグーを支えていました。
「お、俺はアグー。怪物だぞ。怖いんだぞ!」
「こんな変なのが見えるなんて。そろそろわたし死ぬのかな?」
「お前、俺が怖くないのか?」
「……。なによ、怖がって欲しかったの?」
なんだか堂々としてぜんぜん動じてない少女の様子にますます心細くなります。
自信がなくなります。
でも同時にちょっとうれしい気持ちもわいてきました。
そういえばこんな風に人間と話すのも初めてです。
何故なら今まではビックリさせたり怖がらせる一方で、普通に言葉を交わすことなんてなかったから。
自分の言葉に相手が返してくれるという新鮮さにわくわくしてきました。
だからこのやり取りをもうちょっと続けてみようっていう気持ちになりました。
「俺は怪物だから。人間を怖がらせるのが怪物だから。でもお前は全然怖がらないな。なんでだろう?」
そのアグーの言葉を受けて少女はプッとふきだしました。
アグーが初めて見た人間の笑顔でした。
「そんなの。あんなつんつん突っついたりつねったり。ばぁって声を出したりするだけで驚くわけないでしょ」
「そんなのウソだ! だってこれまでずっと人間はそれで怯えて逃げちゃったんだから! お前が変なんだ!」
とても信じられません。
それだけアグーにとっては当たり前で普通のことだったのです。
少女は変な顔をしながら続けます。
それは笑ったような怒ったような顔でしたが、アグーにはよくわかりませんでした。
ただ人間はこんな顔もするんだなぁと思って聞いていました。
「だってさ。ツンツン突っつかれたりつねられたりなんて。もっと強い力で殴られたりつねられたりしてたから。全然どうでもいい」
アグーはビックリしました。
自分がやるより強く殴ったりつねったりなんて。
そんなことをしたら人間は壊れちゃうんじゃないのかって心配になりました。
だって壊れちゃったらビックリも怖いも無くなっちゃうんだろうから。
「そんなの当たり前よ。誰も他人の痛みとか気にしないし。何かを感じる心が一つ二つなくなることもどうでもいいって思ってる。だからあんたにぺろぺろ舐められたりしたって、もっと気持ち悪くて辛いことをさんざんやられたから何も感じないし。散々殴られたせいで耳がよくきこえなくなったからばぁって声をだされてもさほど驚かないし。それもわたしだけじゃなくて、他の人もみんなそんな感じだと思うよ。アンタがわたしにやったことで驚いたり怖くなったりする人なんてあんまりいないんじゃないかなぁ」
そして少女はアグーを前に独り言のように自分が見てきたこと、されてきたことを語り続けました。
体中の痣と傷、痩せ細った理由、すべてを何もかも話していきました。
いつしかアグーから視線を外し、目の前の地面を睨みつけるようにしています。
そのあまりの内容に、アグーはもうぶるぶる震えて声も出せませんでした。
ただ体を硬直して信じられないものを見るように、語る少女をじっと見つめ続けることしかできません。
人間って……。
人間って!
怖い!!
もうはっきりとわかりました。
自分は今、人間を怖いって思ってます。
あまりのことにびっくりしてしまっています。
もう完全に逆でした。
これまでは自分がやるほうだったはずが、やられる方になっています。
でもこんな恐ろしい生き物に、自分が出来ることなんて何にもありませんでした。
怪物アグーはとうとう自分でそう確信してしまいました。
やがてアグーは段々自分が薄く透き通っていくことに気がつきます。
なんだか見える風景も白くぼやけて、少女の声も遠くなっていくような。
そう思った時にはもうアグーはほとんど消えかけていました。
しばらくはそのことに気付きもしないで、話を続けていた少女。
ふと視線を向けた先に奇妙な怪物がいないことがわかり。
ぼんやりと疲れきった顔でぽつりとつぶやいた言葉。
「なによ、いなくなっちゃったの。……変なまぼろし」
そのままぼーっと考えることも辛そうに半分寝ぼけたような眼差しでいました。
でも何かを思い直すようにクスリと笑って。
「ううん。ちょっと面白かったかな……」
そう言ってまた、抱えた膝に顔を埋めると。
もうそれ以降はずっと身じろぎもせずに動かなくなりました。
やがては少女のか細い呼吸も静かに止まり。
細く小さな体からは何もかもが失われていきました。
少女はその短く儚い命をとうとう終えてしまったのです。
誰も見取るものもない一人ぼっちの最後。
でも実はそれを見届けていたものがありました。
「……なぁ。壊れちゃったのか?」
アグーでした。
薄く透き通っていき、消えちゃったと自分でも思ったけれど。
少女が最後の最後でポツリとつぶやいた言葉を聞いた瞬間にアグーの中には何かが満ちていって再び姿がはっきりと戻っていったのです。
驚かすことも怖がらせることもできない怪物なんてとイヤになっちゃった気持ちがみるみる消えていって、人間は怪物よりもおっかないかもしれないけれどそれでも自分がいなくちゃだめなんじゃないかっていう気持ちがいっぱいになっていったのです。
だって。
こいつはなんとなくうれしそうだったから。
じゃあいいや。
とりあえずびっくりと怖いがさせられなくても。
うれしいもあるんならどれかは当たるかもしんない。
ならいいや。
そうアグーは冷たくなった少女の前で思いました。
深くて暗い森の中。
めったにだれもこない場所に生えてる大きな木。
アグーは今もそこにすんでいます。
そして人間が来たらびっくりさせたり怖がらせたり。
うれしくさせたりしたくてうずうずしながら。
じっと誰かが来るのを待ち構えているのです。
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